信じたい
俯いたディートリンデに言い聞かせるように、訥々とエドムントが話し始める。
「ディーは正式にスヴァルトの王妃だ。お飾りの妻ではない。元は身代わりの偽物だったが、今や正真正銘、名実ともに私の唯一の妻だ」
「…………」
「そして、アデラとは特別な関係ではないし、私は妹以上に見たことはない。初めに説明したが、ファンデエンの王女に縁談を申し込んだのも国内の令嬢とは血の濃さの関係からも絶対に避けたかった。それと、もうひとつ理由がある」
「…………」
「国内で候補になった縁談相手がいたというのは話したと思うが、その候補者は私にとって妹や娘のように思っていた令嬢だったからだ。その国内で候補になった縁談相手の一人がアデラだ。妹としか思っていない令嬢とは絶対に結婚したくない。後継ぎを求められても妹とは無理だ。もちろん娘のような令嬢とも。だから、王女の身代わりだとわかっても、彼女たちと結婚するくらいならとディーと結婚した。そのくらいアデラとは何もない。何かの間違いなんて起こりようがない。わかったか?」
「……愛人、なのでは?」
「愛人な訳があるか!ディーがいるのに何故愛人がいるんだ!?」
(アデラ様は愛人ではない?あ。愛人なんて軽い関係ではない、そんな軽々しく表現するなってことなのね)
ディートリンデは意固地になっていた。
エドムントの言葉は、全てが悪いほうへと自動で変換されていく。
「先ほどもアデラとの結婚がどうとか言っていたな。どうしてそう思ったのだ?」
「そう聞きましたから」
「誰から何を聞いた?」
これでは告げ口をするように思えて、話したくないと思った。
これは偽者の王妃でも、ディートリンデの意地だった。
そう思うからこそ、これまでも誰にも言わずにいたのだ。
しかし、エドムントの眼力に気圧される。
この緋色の瞳に捕らえられると、逃げ出せる気がしない。
「言え。誰から何を聞いたんだ?」
「…………アデラ様から、陛下が私と結婚したことを悩まれていると。陛下が愛しているのはアデラ様だから、私がいなくなれば正しい形になれるのだと」
「チッ」
不本意な告白に視線を下げていたディートリンデの耳に、予想外の音が届いた。
舌打ちは品の良い行為とは言えない。
それをエドムントがするとは信じられない気持ちで顔を上げる。
しかし、エドムントはわかりやすく顔を顰めていた。
(これはどちらの反応なのかしら?)
ディートリンデを都合よく使うための計画が狂うという反応かと思ったが、どちらかといえば鬱陶しがるような表情に見える。
「それはいつ言われたのだ?」
「私が初めに離婚を申し出る少し前だったかと」
「そうか。それでか……。クソッ!」
「…………」
「アデラと結婚し直したいなんて、私がそんなことを言うはずがない」
「え?でも聞いたと言っ……――」
途中まで言いかけて、はっとして口を押さえた。
ディートリンデはケイリーから聞いた話はしないつもりだった。
少し迂闊だけど親身になってくれる大切な侍女が、罰を受けるようなことは避けなければならないと思っていたから。
しかし、エドムントは聞き流してくれなかった。
しっかり追及され、ケイリーから聞いた話をすると、エドムントは黙り込んでしまった。
沈黙はディートリンデの思考を後ろ向きに引っ張る。
(やっぱり都合よく使うための計画がばれて言い逃れできないと観念して、どうしようか考えている……というところかしら)
しばらくテーブルを睨みつけていたエドムントが顔を上げた。
射抜くような瞳とぶつかり、逸らせない。
「初めに言ったはずだ。この国の愛を司る神は一途な愛を好むと。覚えているか?」
「覚えております」
「つまり、結婚したら愛人どころか気の迷いさえ言語道断だ。そんなこと許されるはずがない」
話を変えてきたエドムントが何を言いたいのかわからず、ディートリンデは首を傾げた。
(そんな上っ面の話をされても……)
「いや、違う。言いたいのはそういうことではない。仮に、浮気を咎められないとしても、愛する妻がいるのに愛人なんて作るわけがない」
(……愛する妻?????)
「おい。首が捥げそうなほど傾げるな。何故そこまで不思議そうな顔をするんだ?」
「え……えっと、どなたの話をされているのですか?」
「私たちの話だ。私の妻と言ったらディートリンデしかいないだろう」
ディートリンデは大いなる困惑で眉根を寄せる。
頭では理解しきれないままなのに、少し遅れてお腹の奥底のほうから微かな歓喜が湧き上がるのを感じる。
(……待って。ディートリンデって、初めて呼ばれたかも……。それに、愛……?え?陛下が私を……?でも、それじゃあアデラ様が私に牽制してきたのは何?アデラ様の片想い?ううん、寵愛されている自信がありそうだった。あんなに自信満々に言うくらいだから、そう思う根拠があるはずよ。思わせぶりなことをしていたとか、陛下が嘘を言っている?そうよ、抱き合っていたし、キスもしていたじゃない)
浮かれかけたが冷静に考える。
ディートリンデの中で行き着いた答えは、やはり信じられないという気持ちだった。
「二枚舌……」
「おいっ!それは私のことか?ディーに嘘を言ったことはない、ぞ……」
不自然に途切れた語尾に、ディートリンデは半眼になる。
エドムントは「この件に関しては」と、ぼそぼそと付け加えた。
「キスしてましたよね」
「誰が?」
「陛下とアデラ様です」
「ありえない」
「でも、見ました。だから、今日、執務室には入れなくて……」
「最近毎日のように執務室に押しかけてくるようになったんだ。それには訳があって、何度も呼び出しているのは事実だが。最近あいつは調子に乗り出して――あ、いや、すまない。今はまだ話せないのだが……。とにかく、突然来て、迷惑している。お陰で執務がずれ込んでしまってディーと夕食を共にできない」
エドムントはうんざりしたようなため息を吐きながら話すが、キスしていない説明にはなっていない。と、疑いの目で見てしまう。
「その目は信じていないな?」
ディートリンデが無言で見つめ続ければ、エドムントは難しい顔をして黙り込んだ。
「…………」
「あ。あれか。アデラに、目にゴミが入ったから見てほしいと言われた」
「へぇ。目にゴミ。よくある定番の言い訳ですね」
ディートリンデの声は平坦で、とても冷めていた。
明らかに信じていないとわかる。
「おい、私を浮気者のように言うな!カルヴィンが証言してくれる。アデラとは訳あって接触しているのだ。それも間もなく片が付く予定だから、安心してほしい。私の身が潔白だといずれわかるだろう」
「じゃあ……どうして白い結婚のままなのでしょうか?」
「…………」
「陛下は跡継ぎの血を薄めたいから、外国人と結婚する必要があると言いました。私が元奴隷だと言っても、血が薄まるなら誰でも良いと。だから、跡継ぎを産むのが私の役目だと思ったのです。ですが、白い結婚のまま。私は、陛下が本当はアデラ様を愛しているのに国王としての判断で私と結婚したから、そのことを後悔しているから、不義理をしたくなくて、それで私とは白い結婚のままなのかと思っ――」
「良かったのか?」
「え?」
「ディーの気持ちを慮って遠慮していた。誰でも良いと思って結婚してしまった後ろめたさもあったが。初夜では怯えているようだったし、ディーはいつも私に背を向けて眠る。だからまだ嫌なのかと……。無事に半年が過ぎたら、全てを初めからやり直したいと考えていた。誰でも良いと思って結婚したことは後悔している。今は、誰でも良いのではなく、ディーと、ディートリンデと結婚したいのだ。だから、これは私の気持ちの問題だが、無事に半年過ぎたら二人きりで結婚式をやり直して、そこから本当の意味で望んで夫婦になりたい。式はカルヴィンに準備させるから、やり直そう。いや、やり直しさせてくれないか。……頼む」
ディートリンデの心が勝手にエドムントを信じようとする。
表情からも嘘を言っているように見えないが、本当にその言葉を信じていいのか確信が持てなかった。
(本当は信じたい。だけど、怖い……)