表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

39/68

苛立ち

 スタスタと部屋を出て行ってしまったエドムントと入れ違いに、部屋へ入ってきたコラリーと目が合った。

 先ほどとは違い、何故か少し慈愛に満ちた表情をしているように見える。不憫に思っているのかもしれない。


 訳がわからずテーブルに視線を移すと、エドムントの分の書類が目に入って来た。


(……私の半分も終わっていない?)


「こちらの書類は全て片付けてしまいますね」

「え?どうして……」

「陛下より片付けるように指示がございました」

「でも、まだ書き終わってないのに」

「はい。でも、片付けますね」


 コラリーが有無を言わさず持って行ってしまった。


(離婚、するんじゃなかったの?だから連れ戻されたんじゃ……)


『離婚は認めない。何があっても裏切る事は許さないと言ったはずだ』


 城を出る前にも言われた言葉。

 しかし、ディートリンデには、どうして離婚が裏切ることになるのかわからなかった。


(もしかして、国王が離婚するのは醜聞になるのかしら?)


 この辺りの文化はわからないが、ファンデエンやその周りでは国王の離婚なんて聞いたことがない。

 そもそも離婚なんかしなくても、第二第三と際限なく妃を持てる国もある。

 ファンデエンも一夫一妻制だったが、跡継ぎのためという理由で公妾として愛人を作り放題だった。さらに、愛人のほうが妻扱いされる場合もあった。

 そういう抜け道のようなものがあるから、わざわざ離婚する必要がないのだろう。


 それはスヴァルトでも同じで、国の長として離婚したら周辺諸国との信用問題や国王の威信にまで影響するのだろうか。

 そうだとしたら、形だけの王妃でもずっと必要なのは理解できる。


 離婚が醜聞になるなら離婚はしなくても、放っておいてほしいとディートリンデは思った。

 誰にも何も言わずにひっそりと生きていくから、城に閉じ込めておかなくても。

 お披露目会のときに倒れたせいで王妃は病弱という噂が出たことがある。

 翌日のお披露目パレードでは元気な姿を見せてしまったが、あれで無理をしたのが祟って、王妃は床に伏せっている――そういうことにしてしまえば、公務に出なくても不自然ではないだろう。

 妻との間に後継ぎが望めないとなれば、愛妾を迎え入れやすくなるのが定石。


(……あ。もしかして愛妾を迎え入れるための決まりがあって、結婚してからどれくらいの期間子供が産まれなかったら……というのがあって、連れ戻された?)


 エドムントは見ない間に少し痩せていた。それほど、思い悩むなんて――とディートリンデは、エドムントを哀れんだ。

 後継ぎや国内貴族のバランスのため、国王としての使命を全うするには愛する人とは添い遂げられない。誰でもいいと自暴自棄になっていたから、素性もよくわからない身代わりの女とそのまま結婚してしまったエドムント。


(慕っても無駄なのに形だけでも夫婦の私と、愛する人と想いは通じ合っているのに添い遂げられない陛下。どちらが辛いのかしら)


 ◇


 離婚はしないと言い逃げをしたエドムントは、夜になっても戻ってくることはなかった。

 当然、晩餐も一人。


 ディートリンデはパン屋で働いていた一カ月ちょっとの期間で、少しだけ痩せた。

 久しぶりに見る豪勢な食事は、食欲を刺激する。

 王族用の晩餐は、平民の粗食に慣れた胃には豪華すぎたが、美味しすぎて結局食べすぎてしまった。


 少し、腹が立っていたのもある。

 離婚を認めないと言うからには何か話があるのではないかと思っていたのに、結局一人で晩餐を食べる羽目になっているし、なんのために連れ戻されたのかと考えているうちに、戸惑いから苛立ちに変わってきたのだ。

 その苛立ちのまま食べ進めた結果、一歩も動きたくないほど満腹で苦しくなった。


 お腹が落ち着いて来たら、コラリーに湯浴みを促される。

 この国に来た日の夜は、こんなにたっぷりお湯が使える湯殿が付いているなんて!と感動したディートリンデだったが、平民の家で暮らしてみて、やっぱりこれは王族としての特別なものだとわかった。

 パン屋の家のお風呂は、水を張ったタライと桶があるだけで、ファンデエンでの生活に近かった。


(お湯がたっぷり使えるお城の湯殿だけは、知ってしまったらおしまいだわ。これを手放すのは正直惜しい。お湯に浸かるってこんなに気持ちいいとは思わなかったもの)


 とはいえ、風呂のためだけにここに留まることはできない。

 次にいつエドムントと顔を合わせることができるかわからないが、次こそはちゃんと話し合いをしなければならない。


「だけど、本当に安心したわ。ケイリーがちゃんといてくれて。大丈夫だった?」

「大丈夫ですわ!少しは怒られてしまいましたが、でも悪いのは陛下ですから」 


 風呂から上がるとケイリーと二人きりになった。

 周囲を確認してから、髪を乾かしてくれるケイリーに鏡越しに話しかける。

 逃亡の手助けをしたとなれば罰を与えられるだろうが、ディートリンデは念の為にメモを残した。

 ケイリーに宛てたメモで、逃走のために無理矢理茶に誘い、眠らせてしまったと謝罪する内容。

 実際、眠っているケイリーをコラリーが起こし、メモも初めにコラリーが発見した。

 ケイリーは謀られたことが考慮され、数日の謹慎で済んだそうだ。


「あ、それとね。借りたお金だけど、まだ返せるあてがないの。一カ月働いたお給料を貰う前に連れ戻されてしまったから。でもいつか必ず返すわね」

「そんなことは全然気にしないでください。烏滸がましいですが、あれは差し上げたのですから。それより……」


 ケイリーは少し迷うように目を逸らした。同時に梳る手が止まる。

 どうしたのかと鏡越しに見ても目が合いそうにないので体を捻って後ろを向く。目を合わせて促せば、小さな声で話し出した。


「どうして連れ戻されたのでしょう」

「……ケイリーには申し訳ないわ。折角協力してくれたのに、結局連れ戻されてしまって」

「いえ。ですが、この後どうなってしまうのでしょう……」

「ちゃんと本人が離婚の手続きをしなければいけないと聞いたわ。だからよ。仕方がないわ」

「でも、結局コラリーさんが書類を片付けてしまいましたよね」

「そうね……」

「陛下にはアデラ様がいるのに、何がしたいのか……。王妃様が出ていかれてからも陛下はアデラ様と会っていたのですよ、毎日のように!お陰で陛下とアデラ様の噂は絶えません!」


 ケイリーは憤慨した様子で話しているため、ディートリンデの表情が曇ったことに気づかない。


「何がしたいのか話してくだされば、ちゃんと納得もできるのに」

「私、実は聞いてしまったのです。陛下が誰かに、『後悔しているから結婚し直したい。だから準備しろ』と指示しているところを。それなのになぜか離婚手続きの中止。きっと、アデラ様との結婚の準備が整うまでは王妃様を都合よく使おうとしているのですわ!心変わりしたならさっさと言えばいいのに!本当に腹が立つ!」

「…………」

「……あ!申し訳ございません!私、王妃様の前でなんてことを!」

「大丈夫よ」


 ずきずきと胸が痛んでも、ケイリーの言う通りだと思うディートリンデは苦笑いするしかなかった。

 申し訳なさそうに小さくなるケイリーを宥め、「疲れたから休むわ」と寝室に引っ込んだ。



(はぁ……。またこの大きなベッドで一人寝することになるとは)


 ディートリンデは大きなベッドの端で横になる。

 無意識にそうしてしまうほど、端に寄る癖がついていた。

 癖が付いてしまうほど、エドムントがディートリンデの部屋へ来て寝ていたから。


 もう来ることはないとわかっているのに片側に寄ってしまったことに気づき、ベッドの上をゴロゴロと転がり真ん中へ移動する。


「こんなことになって眠れるわけがないじゃない」


 怒濤のような一日を反芻し、不貞腐れたように呟いた。

 とても眠れるわけがないと思っていたディートリンデだったが、パン屋での労働で蓄積された疲れがあったのか、あっさりと眠ってしまった。

 久々にふかふかのベッドで、快適な温度に調節されている室内で眠るのは心地よかったのだ。



(……あぁ、また…………)


 違和感に目を覚ますと、後ろから抱きしめられていた。

 振り返らなくてもそれが誰かわかる。

 仮にも王妃の寝室に、夜中に無断で入ってこられる人は一人しかいない。

 お腹に回された腕の逞しさや温もりは、記憶にあるものと変わりがなかった。


(この人は、どうして…………)


 エドムントが案外寂しがりだということは知っている。

 人々に畏れられているのに、一人では眠れないのだろうか。国王とはそれほどまでに孤独なものなのか。

 そう考えると、毎回抱きしめられるのも納得できる気がした。


(だけど、愛されていないとわかっているのに、寝るときだけ抱きしめられるのは、辛い……)


 こんなことをされると自分の中の気持ちがなかなか消えてくれない。そう思いながらも、久しぶりに触れた温もりに自然と涙が伝っていた――――




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ