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パン屋

 誰かに気づかれることなく城を抜け出すことに成功したディートリンデ。

 以前エドムントに案内されたときに来た中心部まで来ると、適当に目についた乗り合い馬車に乗った。

 髪はカツラで、瞳の色は眼鏡型の魔術玩具をしているとはいえ、肌の色がスヴァルト人とは違うディートリンデが王都に留まっていては目立ってしまう。

 少しでも溶け込みやすそうな北へと移動する。ケイリーからもそうアドバイスされた。


 適当に乗り継ぎ、何度か宿に泊まり、また乗合馬車に乗る。

 もうそろそろいいかなという適当な場所で降りた。

 正直、ここがどこなのかよくわからないまま、適当に歩いた。かなり遠くに来たと思ったが、掲げられている旗の紋章から、まだスヴァルト国内だということがわかった。

 しかし、王都よりはディートリンデの容姿に近い人が多かった。


(ここならそれほど目立たないかもしれない)


 街の様子を見ながら歩いていると、良い香りが鼻をくすぐる。先行き不透明な中、ディートリンデの所持金はケイリーがくれたお金だけだったので、この日は水しか飲んでいなかった。


 小麦とバターの良い香りをさせているパン屋に吸い寄せられると、店員募集の張り紙が目に入る。

 王宮侍女としてしか働いたことのないディートリンデは、市井でのお仕事事情や給料の相場が知りたくて真剣に読んだ。


「君、その文字が読めるなら計算もできる?興味あるならやってみない?」

「え」


 エプロンをつけた青年が横に立っていた。

 目が合うと、目が見開かれる。


「あ。もしかして外国人?」


 変装のためのカツラはつけたままだが、今は魔術玩具の眼鏡を外していた。玩具だけあり、眼鏡をしたままでは文字を読むには見づらかったのだ。


「そうですが」

「そっかぁ。じゃあだめか」


 青年はがっかりしたような顔をして背を向けた。


「あ、あの!」

「ん?」

「外国人だと、仕事は見つかりにくいものなのでしょうか?」

「そんなことはないと思うけど。あれ?旅行者ってわけではないの?」


 青年はディートリンデの手元を見て言った。

 ケイリーは着替えも用意してくれていたので、ディートリンデは大きめの鞄を持っていた。それで旅行者だと思われたのだろう。


「旅行ではありません」

「仕事探してるの?計算はできる?例えば、二と三を足すと?」

「え、えっと、五です……」


 突然の質問。それも、容易すぎる質問に一瞬裏読みして戸惑ってしまった。

 しかし、ディートリンデが正解を口にすると、青年は歓喜を表情に乗せる。


「君!うちで働かない!?いや、働いてほしい!」


 青年の勢いと、求人の張り紙に〈住み込み可〉と書いてあったのが決め手となった。


 侍女として働く以前、最低限の読み書き計算は教えられていたディートリンデは知らなかったが、スヴァルトほどの大国でも平民の識字率はそれほど高くない。

 客商売をするには計算や読み書きが多少なりともできないと困ることも多いので、わざと張り紙を出し、それで第一選考をしていると後で知った。


 人の良いご夫婦とディートリンデより少し年下の息子が、家族で切り盛りしているパン屋。

 パン屋の二階に家族が住んでいて、そこの屋根裏部屋がディートリンデの部屋になった。

 すぐに住む家が見つかったこと、仕事を得られたことに、幸先が良いと感じる。

 気をつけなければ頭をぶつけてしまう低い天井も、質素な家具も全てがすぐにお気に入りとなった。


 ここは数年前の争いでスヴァルトの国土になったという、元々は別の国だった場所。

 王都に行くよりも隣国に行くほうが近いくらいに位置し、別の国の王都だった街。

 その中心部にこのお店はあるのだと後から知った。

 ディートリンデが自分のいる場所さえわかっていなかったので、店主一家には極度の方向音痴だと思われていた。

 そのため、下っ端なのにお使いを頼まれることもなく、もっぱらお店の中で売り子をしていた。


「リンデちゃん、知ってるかい?」

「ん?何をですか?」


 毎日パンを買いに来てくれる常連のおばさんに商品を手渡していると、横からこれまた常連のおばあちゃんが話しかけてくる。

 ディートリンデは一応名前を変え、リンデと名乗っていた。


「最近、この辺で変な人が目撃されてるんだよ」

「変な人?」

「物陰に隠れるようにしてこのお店をじっと見ているフードを目深に被った人がいるんだって!」

「そんな人が?知りませんでした」

「あ、それ。あたしも聞いたよ。不審者なんてやだねぇ。覇王様の統治になってからはこの辺は平和になったと思ったのにねぇ」


 商品を受け取ったおばさんも話しに加わってくる。

 突然エドムントの話題が上がったことに、ディートリンデの胸は収縮した。

 物理的な距離を置けば――と思っていた通り、普段は考えることがなくなってきたが、話題に出るとまだ心が乱される。

 けれど、好意的な内容に、どこか誇らしい気持ちになる。


「ひょろっと細いけど背が高いから、あれはきっと男だよ。リンデちゃん、あんた美人なんだから気をつけなよ!」

「ちょっと、聞いてるかい?」

「あ、えー、美人だなんて。嬉しいです」

「何もお世辞で言ってるんじゃないんだよ!」

「何笑ってるんだい、この子は。笑いごとじゃないってのに」

「リンデちゃん目当ての客も増えてるだろ?本当に気をつけなよ」

「えー?」


 あまり真剣に取り合わないディートリンデに、常連のおばあちゃんは少し怒った。怒ってくれるくらいに心配してもらえることが嬉しくてへらへらしていたら、おばさんには呆れられた。


(ひょろっと細くて背の高い男性か……)


 二人の常連さんが帰った後に考えてみるが、ディートリンデには心当たりがまったくなかった。


(このお店のパンは美味しいと評判だから、競合店の人が見にきているんじゃないかしら?まさか、陛下が私を探させて……な訳…………)


 自分のことを美人だと思っていないので、ディートリンデ目当ての客が増えたと言われてもピンとこない。

 王都よりも自分に近い色合いの人が多いと思ったのもこの町で働くことを決めた理由の一つで、お客を見ても悪目立ちすることがないだろうと思っていた。

 しかし、自分で思うよりディートリンデは目立っていた。


 というのも、この街は都市と都市を結ぶ中継地点となっているため、旅人や商人などが多い。

 この地域本来の住民は王都とそう大きく変わらず、むしろ王都よりも暮らしている外国人の数は少ない。


 元々評判の良い繁盛しているパン屋に、綺麗な若い外国人女性が働き出したと噂になるのは一瞬だった。


 店主一家から話を聞いて、外国人定住者は割と珍しい存在だというのはディートリンデも知っている。


(……もしも、本当に万が一、陛下が私のことを探していたら、すぐに見つかる確率は高いわよね…………)


 ケイリーがくれた変装用のカツラは今でも毎日つけているが、瞳の色を変える眼鏡はしていない。

 パン屋の息子であるロシュに話しかけられたときに貼り紙を見るために外していたので、今さら掛けるのは不自然だとやめていた。

 ただ、今のところ王妃だったことがばれた様子はない。


「あっ。洗い物は私がやっておきますので、奥さんは先にお休みになってください」

「いいのかい?悪いねぇ。リンデちゃんが来てくれて本当に助かったよ」

「そう言ってもらえると嬉しいです」


 パン屋の朝は早い。夜と言っていい時間から仕込みが始まるので、晩御飯の時間も早いし、寝るのも早い。

 以前、料理を手伝おうとしたところ、ある意味で何もしたことのないのディートリンデは料理が壊滅的にできなかった。

 それもあり、仕込みは「まだいいよ、もっと慣れてからで」と言われているため、せめて家族の皿洗いで貢献しようと腕をまくってみせる。


「これからも頼むよ。なんなら、うちの息子と結婚してやってくれないかい?」

「え?ロシュさんとですか?あー、あはは」


(そういえば私ってバツイチということになるのかしら?白い結婚だったとはいえ、結婚には変わりないものね。スヴァルト流なら何もなかったことにできるみたいだけど……。どちらにしても、もう結婚はいいや……。それよりも今はお金を貯めることが先!)


 ここで働きながらパン作りについて学んで、お金を貯めて、小さくても自分のパン屋さんを開く――と、ディートリンデは夢を持つようになっていた。


 ◇


 勝手に執務室に入ってきて近づくカルヴィンを一瞥もせず、エドムントは手に持った書類を難しい顔をして見ていた。


「陛下」

「…………なんだ?」

「報告書を見ているだけでは何も解決しませんよ」

「わかっている」

「大体、閉じ込めるようなことをするから逃げられるんです」


 嘆息しながら言うカルヴィンの言葉に、耳が痛いというように顔を背けるエドムント。


「離婚をするには双方立ち合いのもと手続きが必要なんですから、早く連れ戻さなければ。半年過ぎる前に見つかって良かったですよ」


 難しい顔をしたまま報告書から目を離さず、返事もしないエドムントを見て、カルヴィンはさらに畳みかける。


「のんびりしていたら半年過ぎてしまって、妃不在のまま離婚もできません。離婚できないと新しい妃を迎えることもできませんよ。そうなったら妾として迎えることになりますが、妾に対しては厳しい目が向けられるのはご存知でしょう?陛下の信用問題にも関わります」

「…………」

「聞いてますか?」

「わかっている」

「妾では女性たちを敵に回します。いくら覇王と恐れられる陛下でも、女性たちを敵に回したら危ういですよ」

「わかってる!」


 苛立ったように言うエドムント。

 カルヴィンは「隣国に渡られては、もっと厄介なことになりかねませんよ。一刻も早く行動してください」と言い残して執務室から出て行く。


「はぁ……」


 カルヴィンが部屋から出て行くと、勝手にため息が漏れた。





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