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得意な魔術

 

「いつもありがとうございます!」


 パンを紙袋に詰め、元気よく笑顔でカウンター越しの人物に渡す。

 ディートリンデは今、とある町のパン屋で働いていた。


 エドムントのためになると嘯いて、あの部屋から逃げたのだ。

 物理的に距離を置けばもう二度と関わることがなくなる。そうすれば、胸の奥に押し込めて見ないふりをしていること気持ちはいつか消滅するはずだと信じて――――


 ◇


 バルコニーから逃げ出せないか考えていることをコラリーに見破られた日の夜。

 エドムントが部屋に来た。

 コラリーが何かを伝えたのだろう。

 部屋へ来たエドムントは既に怒っているようで、眉間に皺を寄せていた。


 しかし、自分の考えを伝えるチャンスだと思ったディートリンデは、もう一度離婚を切り出した。

 ビリビリとした空気で苦しくなるくらいに怒りを顕にしたエドムントは『絶対に認めない!』と言い残し、部屋を出ていった。

 エドムントの怒気があまりにも恐ろしくて、萎縮してしまったディートリンデは追いかけることもできなかった。

 翌朝からバルコニーの下にも見張りが配置された。


 監禁状態に、いよいよ存在意義がわからなくなっていたとき、ケイリーが見かねて、逃亡を手助けしてくれた。


 ジョアナは休み、コラリーが来るのは午後からで、午前中はケイリーだけという日だった。

 こういう日は月に一度あるかないか。

 前日の夜に、『こんなチャンス滅多にありませんから、お任せください』と、ケイリーが耳打ちしてきた。

 そして、翌朝。

 恒例の朝食後の着替えのとき、ケイリーが逃走用の服やカツラを渡してきた。

 ケイリーの本気度に少し驚いたものの、この機会を逃したら次は来ないかもしれないと頭をよぎる。


『こんなことをしたらケイリーが罰せられてしまうわ』

『私のことなら大丈夫ですわ。王妃様、睡眠薬をお持ちでしたよね?』

『え?えぇ。最近寝付きが悪いようだからって、コラリーが用意してくれた物はあるけど』

『私はこれからその睡眠薬をお茶に入れて飲み、そのソファで気持ちよく眠ることにします。王妃様に睡眠薬を盛られたことにいたしまして。それなら叱られるくらいで済むはずですので』

『なるほど……』


 そう上手くいくだろうかと思ったが、ケイリーは少し抜けたところがあり、ジョアナよりもコラリーから叱られる回数も多かった。

 叱られはするものの、えへへと人懐っこい笑顔で『ケイリーだから仕方ない』と、なんとなく許されてきた失敗も多い。

 それを思うと、ディートリンデから睡眠薬を盛られ寝てしまったという言い訳も通る気がしてしまう。

 とはいえ、失敗したらただでは済まない。

 ディートリンデが離婚を申し出ただけでこの有様を思うと、重い罰を科せられる可能性も。


『だけど、やっぱり――』

『大体、愛人を作ってるなんて噂もあって、私は陛下に失望いたしました。浮気夫なんて、妻の方から捨ててやりませんと!』


 ケイリーはエドムントに愛妾がいることが許せないらしい。

 王侯貴族ならばありふれた話であろうに、独身の彼女は一途な愛を夢見ているのだと思われた。


『それに……実は私、途中から陛下から密命を受けていたのです。王妃様の監視を』

『あぁ、そうなの』


 確証はなかったが、気づいていたディートリンデに驚きはない。

 当初、ジョアナからははっきりと見られていると感じていたし、ケイリーやコラリーからも視線を感じることはあった。

 一度は誤解だったかと思ったが、実はずっと見ていたと言われても、驚きはない。

 ディアーヌの身代わりである自分に監視役がつくのは当たり前だから。


『だから、知っているのです。王妃様が本当は偽者だっていうこと。偽者なのに無理矢理こんなことをやらされて。その上、自分は愛人を作っておいて、軟禁するなんて……。人のことをなんだと思っているのか……。そろそろ自由になっても良いと思います!』

『…………』

『このままでは、死ぬまで解放されないと思いますわ……』

『でも――』

『気にすることはありませんわ!王妃様がいなくなれば、アデラ様がその座に納まるだけですもの』

『……そう、ね』


 自分の頭でわかっていても、人から言われると堪える。

 痛む胸が、逃げだしたいという気持ちを後押しした。

 そうしてケイリーに手助けしてもらったおかげで、ディートリンデは城からの逃亡に成功する。



 ケイリーは逃亡用のシンプルで動きやすい服と靴、変装用の帽子やカツラ、眼鏡まで用意していた。


『この眼鏡は魔道具を応用した子供向けの魔術玩具なのですが、案外高性能で。かけるとこのように瞳の色が変わって見えるものです』


 実際にそのメガネをかけて見せてくれたケイリーの瞳の色は、明るい茶色から濃い緑色に変化して見えた。


『王妃様の瞳の色は、スヴァルトでも北の地域で少し見る程度ですから、これを使ってください!』

『北の地域ね。そういえばケイリーの家は北の方に領地があるのだったわね』


 ケイリーはコラリーやジョアナに比べると、かなり瞳の色や肌の色が薄めだった。

 北上したら、ディートリンデの容姿でも目立ちにくいはずだと助言してくれる。


『あっ、それと少ないですが――』

『えっ、お金まで!?』

『当然です。お金がなければスヴァルトではやっていけません!当面はこれで足りると思いますので、お持ちください!』


 明るい笑顔で手にお金を握らせてくるケイリーには困惑したが、逃走にはお金が必要になるので助かる。いつか必ず返すと約束し、受け取った。


『なんなら慰謝料としてもっともっとアクセサリーを貰って行ってもいいと思いますわ!』

『それはさすがに窃盗になってしまうわ……』


 ただ、神器だけはどうやっても外すことができず、今もディートリンデの左手首にある。

 神器を持ち出すなんて恐れ多いと思ったが、外せないものは致し方ない。


(外れた暁には必ず返すと心に誓っているから許してください)


『それで、逃げるとしても見張りの目を掻い潜る方法は?』

『あっ…………』

『……肝心なそこを忘れていたのね?』

『変装のことばかり考えていて……』


 ケイリーらしい。

 各所に見張り役がいる中、許可なく王妃が城の外に出るのは通常時でさえ困難である。

 しかし、変装道具が手に入ったディートリンデは、後押ししてくれるケイリーに乗った。


『申し訳ございません……。変装しても見つかってしまう……』

『大丈夫。後は自分でなんとかするわ』

『なんとかって、大勢の見張りがいるのですよ。王妃様は部屋から出られなくなって知らないと思いますが、それはもうたくさん』

『私にはひとつだけ得意な魔術があるの。それを使えば、きっと見つからずに逃げられるはず』


 そうして、ケイリーの目の前で気配を消して見せたディートリンデ。

 目の前で急に存在が消えたようになったディートリンデに驚きが隠せないケイリー。

 けれど『これなら絶対いけます!』と後押ししてくれた。


 誰も見ていないが、ケイリーをお茶に誘う小芝居をして、カップの一つに睡眠薬を入れて一緒に飲み干す。

 本当にケイリーが眠ったことを確かめてから、メモを残して部屋を出た。


(この魔術がこんなときに役立つなんてね……)


 ディートリンデは気配を殺して城から出た。

 時折、感覚の鋭い人と目が合うことはあったが、変装しているディートリンデが王妃だとは気づかないようで、皆興味なさそうに視線を逸らす。

 誰かに見破られるのではないかとはらはらしたが、無事に外へ出ることができた。



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