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愛する女性

 

 目覚めると、すっかり見慣れた天蓋。

 昨夜、ディートリンデは私室でも勉強をしていたが、自分でベッドに入った記憶がない。


(寝ぼけてベッドに入ったかしら。まさかまた陛下が運んでくださったってことは……ない。ないない)


 ぼーっとそんなことを考えながら寝返りを打つと、緋色の瞳と視線がぶつかった。


「起きたか」

「っ!陛下!?」


 エドムントがいるとは思わず、ディートリンデは目を見開く。

 朝に会うのは久しぶりで、どこか気恥ずかしく、無意識にシーツを手繰り寄せた。


「おはよう、ディー」

「おはようございます。ど、どうして……?」

「久しぶりに時間が取れたのだ。共に朝食をと思ってな」

「では急いで支度いたします」


 急ぎ支度をし、食堂へと向かう。

 久しぶりに食事を共にできると思うと、自然と足取りが軽くなる。


「一旦、仕事が落ち着きそうなんだ」

「そうでしたか」

「忙しくてずっとすれ違い状態だったし、今日は執務室に来てくれないか。こちらへ戻るほどの時間は取れないが、茶をする時間は取れそうなんだ」

「かしこまりました」


 ディートリンデはこれまでも執務室を訪ねることがあった。結婚してすぐは側近や講師の紹介、円満アピールのため、秘密のダンスレッスン場として使ったり、なんだかんだ足を運ぶ機会も多かった。

 エドムントが忙しくなり始めてからは足が遠のいていたため、久しぶりだ。


(王妃が陛下の執務室を訪ねて一緒にお茶をするなんていかにも良好な関係に映るものね。いい作戦かも)


 ◇


「あっ!」


 執務棟に差し掛かった途端、ケイリーが大きな声を出した。


「どうしたの?」

「申し訳ございません!王妃様に指示されていた菓子を持ってくるのを忘れておりました」


 エドムントは甘い物を好まない。

 そのため、エドムント用には甘くないお菓子を指示した。ケークサレなら、エドムントでも食べられるだろう……と。

 ケイリーは少し抜けているところがあるので、うっかりしてしまったのだろう。


「そう。それじゃあ私は先に行っているわ。取りに行ってちょうだい」

「しかし、それでは王妃様が一人になってしまいます」

「私は一人でも大丈夫よ。何度も行っているし。それよりも陛下にはお茶と一緒にお菓子を食べていただきたいから、お願いね」

「承知いたしました。申し訳ございません。すぐに取って参りますので」


 ディートリンデがこうして王城内を一人で歩くのは初めてだった。

 少しだけ、誰かに絡まれたらどうしようと緊張する。


(久しぶりにあれを使っても良いかしら。今だけ……)


 ディートリンデは基礎の基礎さえ習う機会がなかったため、魔術を満足に扱うことはできないが、気配を消す魔術だけは長けていた。

 奴隷時代にも侍女時代にも、何度も気配を殺してきたから、自然と上達したのだ。

 気配を消す魔術自体は高度な魔術であるが、生きる上で身に付けたものなので、ディートリンデは存在感を薄くする程度から簡単には認識されないレベルまで、自在に操ることができる。


 ディートリンデは、今だけほんの少し存在感を消して執務室へと向かうことにした。

 そのお陰で誰かに絡まれることはなかったが、執務棟とを繋ぐ渡り廊下で見張りの雑談がディートリンデの耳に届く。


「陛下はどうするつもりなんだろうな」

「ああ?急に何の話だよ」

「ここ最近よく通って来てるだろ。例の」

「あぁ……そのことか」

「俺はてっきりあの方と結ばれると思っていたのだがなぁ」

「だが、王妃様のことは陛下の一目惚れだったって聞いたぞ」

「うーん。確かに王妃様はお美しいからな。だけど、一目惚れしたが、実際に暮らしてみて違うと感じたのではないか?だから、最近またあの方を呼んでいるんだろうよ」


 外に向かって注意を払っている見張りたちは、気配を消したディートリンデが後ろにいることなど、まったく気づく様子がない。

 この渡り廊下を通らなければエドムントの執務室へ行けないディートリンデは、完全に気配を殺して彼らの後ろを通った。


 渡り廊下を渡りきってから振り返ると、見張りはまだ雑談している様子がわかる。


 見張りたちが誰のことを話しているのか、ディートリンデにもわかる。考えると気が沈むが、わかっていたことだと前を向く。

 最近の宿敵であるリーコック政務官と会うこともなく、無事に一人で執務室が見える所まで来ることができた。

 ほっとしながら執務室に近づいて行くと、執務室のドアが少し開いていることに気づく。


(なんで開いているのかしら?)


 魔術を解き、ドアの前に立つ。

 ノックしようとしたディートリンデだったが、その手が直前で止まる。

 執務室の中から、クスクスと女性の忍び笑いが聞こえてきたのだ。

 聞き取れないくらいに微かな低い男性の声とそれに呼応するような甘さを含んだ嬉しそうな忍び笑い。

 エドムントとその恋人が部屋の中にいるのだということはすぐにわかった。


(それならそれで、ドアは閉めたらいいのに。お相手が未婚の女性だから?……もしかして私に見せつけるため?)


 わざわざ見せつけなくても……という思いが湧き上がる。


 どんな女性がエドムントの寵愛を受けているのか――

 ディートリンデは興味本位でドアの隙間から中を覗いた。

 すると、微笑みを浮かべてエドムントに抱きついている女性と、エドムントの背中越しに目が合った。


(っ!?)


 すぐに踵を返して来た道を戻る。

 マナーの講師に見られたら怒られてしまいそうなほど、ギリギリ走らない早歩きで執務室から離れた。

 何度目かの角を曲がり、もうすぐあの渡り廊下という所で、お菓子を取りに行っていたケイリーとぶつかりそうになった。


「きゃっ!……あら?王妃様?いかがなされました?」

「陛下はお取り込み中だったからお茶は中止よ」


 早口で一息に言うディートリンデ。

 少しでも早く執務室から遠ざかりたいという思いが強かった。


「そうでしたか。お菓子だけでもお届けしましょうか?せっかくの王妃様のお心遣いですし。誰か従者に渡しておけば――」

「ううん!そのお茶菓子は勿体無いからあなたが食べてちょうだい」

「いえ、陛下と王妃様に用意したお菓子を私がいただく訳には……。では、お部屋に戻られて王妃様だけでも」

「いいの。そうだ!部屋には私は一人で戻るからあなたは休憩して来ていいわ」

「いえいえ!お部屋まではお送りいたします」

「大丈夫!そのお茶、無駄になるのはもったいないし、冷めないうちに飲んでしまって。お菓子も。余り物で悪いけれど、こういうことがないと王族用のお茶やお菓子なんてなかなか口にできないでしょう?」

「そうですが……」

「私は一人でも大丈夫だから。お庭を見て戻るわ。さぁ!行ってちょうだい!」


 ディートリンデ勢いに負け、ケイリーはカートを押しながら戻っていった。

 ケイリーを見送るが、思い浮かぶのは先ほどの光景。


(首に腕を回して抱きつくようにしてた……あぁもぅ!思い出したくないのに、脳裏に焼き付いているわ……)


 庭を見るとは咄嗟の言い訳だったが、そのまま私室に戻る気にならなかったディートリンデは近くの中庭へ足を運んだ。

 適当に、花壇の前で立ち止まる。

 視線の先には綺麗に咲き誇っている花があるのに、何も感じない。

 脱力感に襲われ、その場にしゃがみ込んだ。


「あっ、いた」

「? ……っ!?」

「貴女が王妃様、よね?」


 声がしたので振り返ってみると、そこにはエドムントの執務室で目が合った女性が立っていた。

 王妃に向かって「よね?」なんて口の利き方はおかしいし、即座に不敬だと罰することもできるだろう。

 ディートリンデが名実共に本当の王妃だったならば。


 この話し方だけでも、この女性がディートリンデを下に見ていることがわかる。


 実質、寵愛を受けている女性となんの力も持っていない身代わりの偽者王妃では、ディートリンデに勝ち目はない。

 はなから勝とうなんて思っていなかったが、偽者でも王妃としてこんな場所で屈伏するわけにはいかない。こんな、執務棟に入れる人なら誰でも出入り自由の中庭で。

 半年を乗り切ることはエドムントとの約束なのだから、それだけは守らなければならない。


 せめて目線の高さだけでも対等にならなければと、しゃがみこんでいたディートリンデは立ち上がった。

 すると、目の前の女性の髪に見たことのある物が着いていることに気づく。エドムントの従者が持っていた髪飾りだ。


(あぁ、やっぱり。あれは恋人へのプレゼントだったのね……)


 一度は自分宛の内緒のプレゼントかと思ってしまったため、思いの外ガッカリしてしまう。

 だけど、今は落ち込んでいる場合ではないと直ぐに思い直し、胸を張る。


「……貴女は?」


 誰が見ているかわからないこんな場所で下手に出るわけにもいかないと思い、誰何すると、女性は明らかにムッとした顔をした。

 口調からしても、寵愛を受けている自負があるのだろう。プライドに障ったようだ。


(さしずめ、冷遇される本妻と寵愛を受けている愛人みたいなものかしら)と、考えるほど、ディートリンデは思いの外落ち着いていた。


「さっき、目が合ったわよね?どんなに鈍くてもその目で見てわかったでしょう?陛下から寵愛を受けているのは私なの」

「……それが、なにか?」

「なにかって!?……だから!さっさと離婚を申し出なさいよ、おばさん。陛下はお立場上、仕方なく他国の姫を娶る選択をされたけど、本当に愛しているのは私なのよ。今ならまだ間に合うわ」

「陛下も離婚を望んでおられると?」

「陛下はお立場上そうは言えないから、私が言ってあげたの。陛下は悩んでいるのよ。お飾りの王妃を娶ったことを後悔している。国内のバランスや血の濃さなんて考えずに私と結婚していれば悩まなくても良かったのに」

「…………」

「私たちは幼馴染で、昔からずっと陛下は私に愛情を注いでくださっていたわ。結婚の約束もしていたのよ。それなのに……。私たちが正しい形になるのに貴女が邪魔なの!」

「…………」


 ディートリンデは無意識に踵を返して歩き出していた。

 彼女の話を聞けば聞くほど冷静でいられなくなる自分がいた。

 それ以上、何も聞きたくなかったのだ。


「ちょっと。待ちなさい。どこ行くのよ。話は終わってないわよ。ちょっと!?おばさん!」


 幼馴染。

 結婚の約束もした。

 お飾りの王妃を娶ったことを後悔している。


 ディートリンデの耳にその言葉が残って、何度も繰り返される。


 跡継ぎのために、濃くなりすぎた血を薄めるためだけに、エドムントは国王としての決断をした。

 王女の身代わりで来た偽物だろうと、血を薄めることを優先させたのは、私人としてではなく公人としての役割を理解しているからこそ。


 だからこそ、ディートリンデは王妃を全うするべきだと考えた。

 エドムントがディートリンデに心を砕いてくれるたび、これは共闘なのだと思い出させた。


 だけど、未だ二人は白い結婚のまま。

 初めは覚悟が決まらないと思ったそちらのお役目も、エドムントの人柄に触れるたび、少しずつ固まってきた。

 というのに、初日の夜以降、色めいたものを感じさせる行動をしないエドムント。

 気にはなったが、慮ってくれているのだろうと呑気に考えていた。


 だけど、愛する女性に義理立てしているのだと考えれば、そちらのお役目を求められない理由も理解できる。


 一緒に寝て抱きしめられるのは、ただの抱き枕状態だからと考えれば納得がいく。

 ぽっちゃり故か、抱き心地を気に入られただけ。


 愛する女性を裏切るようなことができず、結婚してしまったことを今さら後悔しているエドムント。


(だったら、私がいる意味はないわよね)



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