喉の違和感
国王夫妻は数段高い場所にある椅子に座っているものの、立食形式のお披露目会は多くの貴族たちがひっきりなしに挨拶に来る。
(私、今ちゃんと笑えているのかしら?引きつっていそう)
通常時は表情の乏しいディートリンデにとって、長時間微笑み続けるのは想像以上に難しいことだった。
「ディー、疲れただろう。挨拶も落ち着いてきたから、我々も少し飲み物を飲んで休もう」
「はい」
エドムントから声を掛けられ(助かった……あと少しで表情筋が過労死するところだったわ)――と、思ったが甘かった。
休むといっても、場を辞するわけでも挨拶に来ないようにさせることもしない。
国王夫妻が飲み物を手にしていても、気にせず挨拶に来る人はいる。
表情筋をゆっくり休ませるのはまだしばらく後になりそうだ。
「んんっ……う゛んん……」
「ディー、どうした?」
「あ、申し訳ありません。ここは乾燥しているのでしょうか。少し喉の調子が……。でも、大丈夫ですわ」
「そうか。無理はしないように」
ディートリンデは喉をさすり、少し首を傾げる。
喉を使うようなことはしていないのに、なんだか喉がイガイガするのだ。
好きなように飲み物を飲むこともできないから、喉が乾燥しすぎたのだろう。
(隙を見てこまめに飲み物を飲むようにしたほうがよさそうね……)
人が来る度に表情筋にムチを打って微笑み、人がいなくなった瞬間、グラスに口をつける。
グラスを傾けている間、全力で表情筋を休ませる。
そうしてほんの一瞬だけ表情筋を休ませながら飲み物を飲んでいるのに、一向に喉の違和感が改善しない。
誰が見ているかわからないから、なかなか咳もしづらい。
小さく「んんっ……」と咳払いをして、喉のイガイガを誤魔化していると「国王陛下並びに王妃様におかれましては――」と新しい人たちがやって来た。
カルヴィンやマナー講師から、王妃は微笑むだけでいいと言われていたのに、実際には一言二言、ディートリンデに話しかけてくる人が意外に多い。
国王夫妻が飲み物を手にしてからは、「乾杯」とグラスを掲げてくる人もいる。
(小国の姫だから自分よりも下と思われているのかしら……)
実際侮っている者もいるが、羨望の眼差しで見ている者もいる。
髪と瞳の色が黒や茶色などが多いスヴァルトで、ディートリンデの淡い金色の髪や透き通った瞳は目を引くため、純粋に言葉を交わしてみたいと考える者が多かった。
また、嘲りとは似て非なるもので、有力貴族になると自分たちは特別だと勘違いしている者が多い。
今まさに、挨拶に来た者たちも雑談を始めた。
基本的にはエドムントや側に控えているカルヴィンが会話の中心になるが、微笑むだけで本当に上手く躱せているのかわからないディートリンデは、気疲れしてしまう。
「さすが北方に位置する国の出であられて、髪も瞳も、透き通るような肌さえもお美しい」
肌の白さや髪の金髪、目の青さ――ディートリンデはこの会が始まってから何十人もの人に容姿を褒める言葉を掛けられてきた。
そして、皆が珍しそうにじろじろとディートリンデを見る。
見世物になった気分で、褒められても嬉しくなかった。
「……けほっ」
「少し青白いくらいに見えるのは、まだ少し緊張しておいでですかな?お若い王妃ですからな」
余裕綽々のふりをして、曖昧に笑って返す。
若いからと舐めている言い方は気になったが、悪化しているように感じる喉の調子のほうが気になっていた。
微笑むだけで動じた様子のないディートリンデを見て、にっこりと笑う貴族。
「杞憂でしたな。それでは、スヴァルトと両陛下の繁栄願ってぜひ乾杯を――と。王妃様はジュースでしたか」
グラスを合わせようとしてきた貴族が、ディートリンデの飲み物に気づいてグラスを引いた。
ファンデエンでは、グラスを合わせて乾杯するのはお酒のときだけで、お酒以外を飲んでいる人とはグラスを掲げるだけというマナーがある。
「我が妻はあまり酒を飲まないのだ」
「そうでございましたか。それはキウカのジュースですかな。メリルと似ていますから、どうぞお気をつけくださいませ」
「えっ?」
意味深な言い方に引っかかり、つい反応してしまう。
ディートリンデが反応したことに、貴族は「おや?」と眉を上げた。
「つい先ほど、王妃様にはメリルアレルギーがあるらしいと小耳に挟んだのですが、違いましたかな?」
「そうなのか?ディー」
「え、ええ……。その通りですわ」
エドムントにも話していないことなのに、どうしてそんなことを知っているのか。
侍女経由で情報が渡ったのかと思ったが、それならエドムントの反応はおかしい。
ディートリンデは一抹の不安を覚える。
「キウカのジュースを提供すると事前に確認しておりますので、大丈夫かと。ですが、喉の具合も悪いようですし、もう少しすっきりしたジュースをお持ちしましょうか?」
側に控えていたコラリーが耳打ちしてきたので、大丈夫だと首を振る。
しかし、一緒に挨拶に来ていたもう一人の貴族が大きな声を出した。
「メリルアレルギーがおありなのですか!?」
「え、ええ。実はそうなの。でも、今侍女がキウカと確認済みだと。だから大丈夫よ」
「い、いや……そんなはずは…………」
「大臣?どうされました?」
カルヴィンから大臣と呼ばれた貴族は、少しお腹が出始めた中年で、人の良さが滲み出ている。
その大臣が、切羽詰まったような表情をしてディートリンデを見る。
目が合った瞬間、いきなりディートリンデに向かって飛びかかってきた。
「ひゃっ!?」
突然のことにびくりと肩を竦めて固まるディートリンデ。
咄嗟に瞑った目を開けば、エドムントとコラリーがディートリンデの前に立ち塞がっていて、大臣は床に転がっていた。
「何事だ!理由を述べよ!」
エドムントの怒声が会場内に響き、一斉に注目が集まる。
「直ぐに!そのジュースを捨てて、吐き出してください!急いで!早く!」
「は?」
大臣はエドムントの足にしがみつく勢いで、何かを懇願するように必死になっている。
「そのジュースはメリルです!王妃様のジュースはメリルなのです!」
「えっ?メリル?え?……キウカじゃないの!?」
ディートリンデは思わず素の状態で言葉を発していた。
突然の出来事に王妃らしさを意識する余裕がなかった。
傍らにいたコラリーも「まさか!?」と叫ぶように言う。
「贅を尽くすのが臣下の務めと思ってこそ!王妃様には希少なメリルのほうがお似合いになると!申し訳ございません!アレルギーとは知らずにメリルへと今朝差し替えさせていただいたのです!」
「そんッ、っ!けほ!ごほっごほっ……」
エドムントが振り返り、「ディー、体調は!?」と肩を掴む。
咳き込んだのは、驚きのあまり咽せただけだった。
しかし、気のせいだと言い聞かせて誤魔化していた喉の違和感の原因がはっきりしてしまうと、誤魔化しがきかなくなる。
キウカとメリルという果物は、よく似ている。平民が好む安価なキウカと王侯貴族でも滅多に口にできない希少なメリル。
原型を留めないジュースにすると、飲んだだけでは違いがわからないほど味や香りが似ている。
臣下として、王妃に出すジュースを希少なメリルにしたら喜ばれるだろうと考えたのだろう。
それが下心からなのか、純粋な気持ちだったのか判断はできないが、行動としてはおかしくない。
先日、ケイリーが献上したメリル。ディートリンデは食べられなくて残念だったからこそ、似たキウカの味を思い出して懐かしく思ってしまった。
それで、ディートリンデは今回のお披露目会で出すジュースはキウカにしてほしいとお願いしていた。
どこから情報を得たのか知らないが、貴族の忖度が仇になった。
(それで喉がいがらっぽいわけね……)
ここまででグラスに二杯半。
乾燥が原因だと思っていたディートリンデは、アレルギーのあるメリルのジュースをたくさん飲んでしまった。
摂取したのがアレルギーのあるメリルだと自覚すると、今まで気のせいと思い込もうとしていたアレルギー症状が一気に襲ってくる。
「けほっ……ゴホッゴホッ……っ……!」
「ディー!大丈夫か!?」
「陛下……っ…………」
エドムントがディートリンデの異変を感じて顔を覗き込むが、ディートリンデが縋る手の力は弱く、姿勢も保っていられないようで崩れ落ちた……――――