屋台の食べ物
レストランから少し歩いた所で二人の足が止まった。
次の行き先が決まっていないので、進めようにも一歩が出ない。
「しかしどうするか。腹が減ったから食事をしたいが」
「先ほどの様子だと別のお店に行っても同じことになりそうな気がしますが……」
「うむ。困ったな」
「いつもはどうされているのですか?」
エドムントは城下に来てから、まったく迷いのない足取りで案内をした。
事前に予習したのではなく、完全に道を把握しているような迷いのなさだった。
平民の服を抵抗なく着ているところも含め、何度も城下に来ていることは明白。
事実、街や人々の生活を自分の肌で感じたいと、彼は昔から街歩きをするのが好きだった。
「食事をする場合は道端にある屋台で適当に買って食べている。その場で店を決めてサッと買うほうが、毒が混ぜられているリスクも減るしな」
(毒…………)
急に物騒な言葉が出てきて、ディートリンデの顔が曇った。
改めて考えると、ここまで大国の王ならば命を狙われやすいのだろうと納得できる。
外からも中からも、その首を狙っている者がいて不思議はない。
ただ、頭で理解できても、恐ろしさに気持ちが追いつかなかった。
この後の予定を思案し遠くを見ているエドムントは、ディートリンデの表情の変化には気づかずに続けた。
「まぁ、母の方針で幼いころから慣らしていて、多少の毒はまったく効かないがな」
その発言を聞いて、ディートリンデはますます胸が苦しくなった。
幼いころから毒に慣らさなければならない人生とは、どれほど過酷な幼少期を過ごしてきたのだろうか……。簡単に『慣らしていて』と言うが、慣れるまでは死ぬ思いをしてきたはず。
エドムントがディートリンデの顔に視線を移すと、ふっと表情を緩めた。
「ディーが気にすることはない。巻き込んでしまったからには長生きするつもりだ」
(巻き込んで?あぁ、そうよね。スヴァルトに来たのは姫さまのせいだけど、今は陛下の血を薄めたいという事情に巻き込まれて、生かされているようなものだわ)
ディートリンデはとりあえず王妃として生きていくことになったが、それをエドムントのせいだとは思っていなかった。
むしろ、感謝している。
スヴァルトへ来てからというもの、美味しいご飯も、新しい知識を覚えるのも、初めて見る景色も、全てが新鮮で、生きることの素晴らしさを感じ始めているところだった。
「それよりもランチをどうするか……。ディーが一緒だから、ちゃんとしたレストランでと思ったのだがな」
「でしたら、屋台で買って公園で食べませんか?」
「しかし、デートなのだぞ。普通、落ち着いて食事ができる店が良いのではないか?」
「デ、デートは初めてなので、普通がわかりかねます」
「ふっ……そうか。それなら益々、きちんとした店に行ったほうがいいな」
「いえ。きちんとした食事はお城でもできます。ですが、屋台の食べ物を外で食べるのは街でしか体験できません。そのほうがワクワクします」
気にしている様子のエドムントを気遣っただけではない。
王妃としての生活が終われば、平民として生きていける可能性に期待しているディートリンデ。
自由を願う一方で、そうなった場合の生活に不安がないわけではない。
庶民の味方と聞く屋台の場所の確認や味を、今のうちに試してみたいという下心もあった。
「そうか。それなら屋台で買うか。お勧めがあるんだ」
エドムントはぱぁと明るい表情になり、屋台街が近くなるとディートリンデの手をグイグイと引いておすすめの屋台の前へと連れていく。
そして、あれは何の肉でこれの味付けはどうで、と説明しはじめた。
まるで、得たばかりの知識を自慢げに披露する子供のように、目をきらきらと輝かせて。
(覇王なんて言われているのに、本当に子供のように素直で可愛らしい一面を持ち合わせているのよね)
気づけばディートリンデも心からの笑顔を浮かべていた。
エドムントのお勧めという串焼き肉やパンに沢山の刻んだ野菜とハムを挟んだもの、チキンとトマトを煮込んだもの、豆のスープ、飲み物など、二人いても持ちきれないほどたくさんの種類を買って、公園のベンチに座る。
こんなにあってもエドムントがいれば、食べ残す心配もない。
ディートリンデがどれから食べようかと目移りしていると、すぐにエドムントが串焼きを手に取り、口に運んだ。
そして、一口食べた物を「うん、大丈夫そうだ」と差し出してくる。
「えっと……?」
「毒は含まれていない。これは食べていいぞ」
毒味していたのだと、一瞬遅れて理解した。
侍女として働いてきたディートリンデだったが、ファンデエンでは侍女の仕事に毒味がなかったので失念していた。
「あっ!申し訳ございません!本来なら私がすべきことを」
「何を言っている。ディーに毒味などさせられない」
「え?しかし、へ……エ、エドが、毒味なんて、あってはならないことです!万が一のことがあったら!」
「やっと呼んでくれたな」
慌ててまくし立てるディートリンデとは対照的に、エドムントは小さく呟いた。
焦りから聞き逃したが予想外の言葉を言われた気がして、エドムントの顔をじっと見る。
「いや、なんでもない。慣れているから大丈夫だ」
「慣れているからって……」
「万が一、毒を盛られていても食べて気づかない程度の毒の量では効かない。私を毒殺しようとするなら、すぐに異変に気づくほどの量を盛らねばならぬ。が、そうなればそもそも飲み込むことはないし、私を毒殺するのは無理だということだ。まぁ、効いたとしても効きが悪いから解毒する余裕ができる。しかしディーはそうではないだろ?」
「そうかもしれませんが……」
レディーファーストといって妻を大切にしているふりをしながら、その実、妻に毒味をさせたり道の先に危険がないか確認させたりすることもファンデエンの貴族には多かった。
お家存続のためにも、いざというときは妻が夫の盾になるものだと思っていた。妻はいくらでも代わりがいるものだから……。
(ファンデエンとスヴァルトではそういった価値観も違うのかしら。でも、どんな価値観であれ、国王に毒味をさせるのはありえないに決まっているわ。……やっぱり陛下って変わっているわね)
「ディーに死んでほしくない。だからディーが毒味するなんて絶対にやめてくれ」
「それなら、私も……不敬ながら、エドには死んでほしくありません……」
エドムントはふっと表情を緩めた。
いつもは力強い緋色の瞳が優しくなる。
ディートリンデはどうしてだか視線を合わせていられなくなった。
なおも差し出されたままの肉の串に視線を移し、なんと言えばわかってくれるか考える。
しかし、受け取れと言わんばかりに差し出された。
「いいから、食べろ」
「……はい。いただきます」
命令口調で言われたら、食べるしかない。
結局、最初に差し出された肉の串を頬張っている間に、買ってきた料理をエドムントが片っ端から口に含んでいく。
慌てて「私がしますから!」と言うと「口の中に食べ物が入っている間は喋るな」と子供にするような注意をされ、飲み込んだときには毒味が終わっていた。
ディアーヌからよく言われた『ほんとに気が利かないわね!』という叱責が聞こえた気がして、気が落ちる。
だけど、ディートリンデにとって、たくさん並んでいる屋台で料理を選ぶのも、持ちきれないほど屋台料理を買うことも、公園で屋台料理を食べることも、全て初めての経験で、全てが新鮮で楽しかった。
(こんなに楽しかったのは、初めてかもしれない)
お腹も心も満たされて遠くで遊ぶ子供たちを見ていると、はぐれる状況ではないのに急にエドムントが手を繋いできた。
どきりとしてエドムントを見ると、優しい目をしている。
「少しは息抜きになったか?」
(あっ……。もしかして、私がスヴァルトに来てから王妃教育を詰め込まれているから?だから城下に連れ出してくれたのかしら?……私のために、と思ってしまいそうだわ)
やる気になっていた王妃教育をいきなり勝手に休みにさせられ、横暴だと思っていたがエドムントなりの優しさだったのだ。
食事の時間も合わせられないほど多忙なエドムントが、自分のために時間割いてくれた。
指示だけして人に案内をさせることもできたのに、自ら案内してくれた。
――そう気づくと、ディートリンデは無性に泣きそうになった。
ここまで自分のことを思ってくれる人の優しさに触れたのはいつぶりだろうか。
視線を合わせたままでは、感情を抑えきれなくなって泣いてしまうと思ったディートリンデは、顔を伏せた。
「……はい。とても楽しかったです。ありがとうございます」
「それは良かった。これからもたまにはこうしてデートしよう」
「はい。楽しみです」
心遣いが嬉しい。
また連れてきてもらえるのかもと思うとすごく楽しみに思える。
しかしその一方で、身代わりの偽物だと誰かにばれてしまったら……との不安がもたげてくる。
ランチを食べたあとは屋台の雑貨屋などを見て周った。
そして気づけば日が傾きだしていた。
思っていた以上に今日が楽しくて、ディートリンデは少し帰りたくないなと思ってしまう。
「そろそろ帰るか」
「……はい」
「おっと、危ない。ぼーっとしていたらぶつかるぞ」
「っ!」
ハッとした瞬間にエドムントに強く引っ張られ、抱き込まれるような体勢になった。
(陛下に抱きしめられるのは初めてではないのに。心臓がうるさい……)