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ダンスレッスン

 王宮の食堂で二人のために用意された朝食を食べる。

「そうだ」とエドムントが顔を上げたので、ディートリンデは手を置いた。

 食事を共にしたのはまだ数回だが、雑談程度であればそのまま話し出すことが多く、エドムントは意識して視線を合わせることはしない。

 話し出しにわざわざ顔を上げてこちらを見たということは、何か重要な話だと感じ取った。


「先日話していた王妃教育だが、明日から開始になる」

「承知しました。どのようなことをするのでしょうか」

「内容としては、我が国の歴史、貴族の系譜。それと基本的な我が国のマナーやダンスだ。マナーについては、食事作法から挨拶など。それぞれ講師がつくことになるが、初めは基本的なことばかりで難しいことはない。その後、法律など少しずつ難しいことも覚えていってもらう」


 エドムントの説明を聞き、視線を下げた。

 ディートリンデの表情が曇ったことに気づいたエドムントが、コラリーに目配せする。

 すると、コラリーは若い侍女二人に用事を与えて上手く食堂から離れさせた。


「心配事があれば言ってくれ。今は我々三人しかいない」

「……基本的な王妃教育とは、基礎が身についていることが前提かと思います。しかし、私は基礎さえ自信がありません」

「特に難しいことをするわけではないし、それを習うための王妃教育だから、気にすることはないぞ」


(生まれてからずっと王族だから、陛下は私がどれくらい無知か想像もつかないのね、きっと……)


  表情が一層曇ったディートリンデを見て、エドムントが「何が気になる?」と突っ込んで聞いてきた。


「私は、仕事で必要になるマナーは多少身につけているつもりですが、それはあくまでも従者としてのマナーです。それ以外のマナーについて、正式に習ったことがありません。ですから、『小国とはいえ王女がこんなことも知らないのか?』と思われて、疑われるきっかけになるのではないかと心配で……」

「あぁ……なるほど」


 エドムントは本当にそこまでとは考えていなかったようで、目からウロコというような表情をしていた。


「今日、時間を作る。ディーがどの程度できるのか確認させてくれ」

「お手を煩わせてしまいまして――」

「そんなことはいい。共闘だと言ったではないか」

「……はい」


 エドムントが共闘と言ってくれることは、仲間だと言われているようで、心強い。

 ずっと独りだったディートリンデにとって、とても嬉しいことであった。


(でも、共闘しようにもいろいろと足りない私では足を引っ張るだけ)


 申し訳なさからディートリンデがまた視線を下げてしまうと、横から「共闘ですか」と声がした。

 顔を上げて見れば、コラリーはなんとなく複雑そうな顔をしている。

 身代わりの偽物の分際で厚かましい――優しいコラリーがそう思っていたら……と、つい考えてしまう。


「そうだ、共闘。良いだろう。ディーが言ってくれたのだ。力を合わせるのは当然だが、そう思うと益々結束が強まるだろ」

「お二人で力を合わせるのですね」

「あぁ。家族だからな」


 コラリーは「家族……」と呟き、変わらず微妙な表情のまま。


「だが、共闘仲間の中にはコラリーも入っているぞ」


 エドムントからそう言われたコラリーは笑顔になる。


「良かった。なんだか私だけ蚊帳の外のように聞こえましたが、ちゃんと仲間に入れてくださっていたのですね」

「当たり前だ。事情を知っているのだから、我々は運命共同体に決まっている。な、ディー」


 ディートリンデは二人の会話をぽかんとして聞いていた。

 確かにコラリーはディートリンデが身代わりの偽物だと知っている。

 けれど、ディートリンデにとってコラリーは、巻き込まれただけで、共闘の仲間としてはいけないと考えていた。

 それなのに、コラリーはむしろ仲間外れにされたことのほうが嫌そう。


「ディー様。私も共闘の仲間に入れていただけますか?」

「良いのですか?もしも、私がヘマをして身代わりの偽物だと露呈したら……」

「そんなことは起こらないし、起こさせない。大丈夫だ、ディー」

「そうです。力を合わせて乗り切りましょう」

「……はい。お願いします」



 ――――その日の午後、どの程度素養があるか確認された。

 コラリーが講師となり、ざっくりとだが一通り簡単なテストをおこなった。


「コラリーはどう思う?」

「概ね及第点でしょう」

「だな。正直に言えば、通常ならもう少しできて当たり前なこともあるが」

「やはり、そうですよね……」


 二人の評価を聞き、ディートリンデは顔を伏せる。

 一貴族程度なら良くても、仮にも一国の王女の素養がこの程度なわけがないのだから。


「ディー、そう気にすることはない」

「しかし……」

「ファンデエン王女は完璧だったか?」 

「……いえ、完璧ではないですが」


 甘やかされて育ったディアーヌは、勉強が嫌いだった。堅苦しくマナーを守らなければならない社交も嫌い、公の場にほとんど顔を出さなかった。

 それでもマナー講師からは逃れられないので、ディートリンデよりは身についているだろう。


「文化の違いや国力の違いにより素養に差があることや方法に違いがあることは、講師陣も理解している。さらに、現ファンデエン国王夫妻の間に遅く生まれた唯一の姫との情報は渡っている。多少できていなくとも、親兄弟から甘やかされて育った姫と思われるだろう。だから、まぁ、座学のほうは問題ない」

「そうでしょうか?」

「ああ。大丈夫だ。ディーが心配しているほど酷くはない。しかし、な。……その……」

「問題は、ダンスです」


 エドムントが言い淀むと、コラリーが問題点を告げた。

 ディートリンデはこれまでの人生、一度もダンスをしたことがなかった。

 ディアーヌのダンスレッスンを見ていたため、知識ゼロではなかったが、実際に踊ったのは初めてで、男性役を務めたコラリーの足を何度も踏んだ。

 ディートリンデ自身、(ダンスってこんなに難しいなんて!)と見るのとやるのでは大違いだと実感していた。


 どうしたらよいものか……との空気が流れたとき、思案していたコラリーが提案してくる。


「とにかく苦手でこれまではダンスから逃げてきたとするのはいかがでしょう?」

「ダンスが出来ない理由としては妥当だな。ディー、ファンデエンの王女は大人しいほうだったか?」


 エドムントに問われ、ディートリンデの頭には、自分に身代わりをさせて初めて城を抜け出すときにバルコニーから脱走するディアーヌが思い出された。

 他にも、いたずらするために木に登ったり地面に穴を掘ったり――人をこき使う天才だったが、そういうことに関しては自分が動くのも厭わない王女だった。

 それを二人に言えば、「……苦労したのだろうな」「本当に……」と心底同情したように呟かれる。


「座学から始めてダンスレッスンは来週からにしよう。その間にある程度形になるまで特訓だ」

「……はい。よろしくお願い申し上げます」


 ◇


 ディートリンデは困っていた。

 あれから毎日、エドムントとお茶を共にするとの名目でコラリーを伴って執務室に通った。

 そして、コラリーが男性役を務めて、短い時間ながら必死にダンスレッスンに打ち込んだ。

 時間ができると、イメージトレーニングもした。

 その甲斐あってか、今日、コラリーから「覚えが早い」と褒められて素直に喜んだ。

 けれど、「自分ではまだまだだと思う」とエドムントに話したところ、エドムントと踊ることになったのだ。

 二人きりの寝室で。


「どうした?今は誰も見ていないから、失敗しても問題ない、大丈夫だ。私と踊ってみよう」


 いつもはランプの灯りだけで薄暗い寝室が、エドムントの魔術でとても明るくなっている。

 エドムントが大きな手を差し出してくるが、ディートリンデはなかなか動けずにいた。


 湯浴みも終え、あとは休むだけの状態なので、ディートリンデもエドムントも夜着姿。

 エドムントの夜着姿にディートリンデは未だに見慣れていなかった。

 みぞおちが見えるほどはだけたシャツから見える素肌。隆起して張りのある筋肉に細かな傷。

 いつもは見ないようにしていたが、踊るということはそれが目の前に来てしまうということ。


(む、無理……)


「ディー。大丈夫だ。私ならディーに踏まれたくらいでは痛くも痒くもないぞ」


 ディートリンデは男性役を務めるコラリーの足を何度も何度も踏んでいた。

 コラリーの足の甲はアザができ始めている。

 コラリーのためにも早く上達しなければならないのは理解しているが……


「さあ、早く。休む時間がどんどん短くなってしまうだけだぞ」


 多忙なエドムントの睡眠時間を削るのは避けなければならない。

 ディートリンデは意を決して一歩踏み出した。


「失礼します!」


 足を踏み出したディートリンデは、差し出されている手を無視し、エドムントの首元を掴むように手を伸ばした。


「おっ?……ははっ。そういうことか」

「これでよしっ。……お相手願います」

「ああ。――さあ、始めるぞ」


 直視しないように素早くシャツのボタンを留めたディートリンデは、侍女経験があって良かったと心底思った。


 就寝前のエドムントとのダンスレッスンはこの後、数日間続くことになった――――



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