夫婦の寝室
お茶を飲み、一息吐く。
今日は何もすることがなかったせいか、一日ずっと同じことを考えていた。
ただ、どんなに考えても答えは見つからない。
(寝室を、せめてベッドを別にできないかしら。毎朝あんなことになったら……!)
エドムントは『ディーはもう王妃だ』と言うが、偽者の分際で部屋を別にしてほしいと言うのは、さすがに分をわきまえていないと怒られそうだ。
「ディー様。いかがされましたか?」
気づけばディートリンデは憂い顔になっていたらしい。
コラリーに窺うように声を掛けられて、顔に出ていたことに気づいた。
「あ。大丈夫です」
「では、昨日から今までで気になったことはございませんか?異国の生活にいきなり馴染むのは難しいと思います。快適に暮らしていただけるように努めるのも我々の務め。些細なことでも、どうぞお申し付けください」
断ってももう一歩踏み込んで来られると、ずっと考えていたことを相談してみようかと心が傾く。
エドムントに直接言うことはできないが、周囲に相談したり意見を聞いたりするくらいはいいだろうか。
「ディー様。なんなりと」
「それじゃあ。あの、コラリーさん」
「どうぞコラリーと呼び捨てに」
すぐに寄ってきたコラリーから「王女様ならば呼び捨てになさいますでしょう?どうぞ敬語もお使いにならず」と耳打ちされた。
確かにディアーヌなら迷わず呼び捨てにするに決まっている。いや、名前すら呼ばない。
ディートリンデでさえ、名前を覚えられるまで何年もかかった。初めて名前を呼ばれたときは嬉しく感じたほどだった。
(部屋でリラックスして忘れかけていたけど、私はこの国の王妃らしく振る舞わないといけないんだったわ。……でも、姫さまっぽく振る舞うのは無理ね。私の思う王妃像で良いかしら)
事情を知らない侍女二人には気を付けなければならない。
若い二人の侍女の反応からすると、王妃のことを恐れている。
監視のためか叱責されることを回避するためか、よく見ているようだ。
油断してボロが出ないように気をつける必要があるだろう。
「それで、ディー様、いかがなさいましたか?」
「あ、そうそう。あの、ね?……陛下との寝室は別にするのは、難しいわよね?」
「寝室は元々別にございますが」
「えっ!?そうなの!?」
うっかり素で反応してしまい、慌てて口を押さえる。
(話し方にも気をつけないと……)
「はい。夫婦といえどもプライベートな時間も大切ですので、王侯貴族は結婚しても個々の私室を持つものです」
「そう。ファンデエンでは、夫婦は同じ部屋を使うものだったから、てっきり。そう……それなら大丈夫かしらね」
「どうかされたのですか?ディー様と陛下の私室は別にありますが、恐らく陛下は今後もディー様の寝室を使われることになるかと」
「それはどうして?夫婦でも別々の部屋があるのでしょう?」
「新婚ですし」
もっともな理由だった。
(そうよね。新婚……。そうだ。昨夜は求められなかったけど、私には跡継ぎを求められているはずだし。でも……うーん……。私に求められていることはわかっているつもりだけど、まだもう少し、覚悟がきまるまでは……。それに今朝のようなことが続くのはやっぱり…………)
口を結んだディートリンデを、コラリーは気遣わしげに見た。
「夫婦の寝室は別々にあるとはいえ、夜は共に寝たがる夫と、そうではない夫に分かれます。昨夜は初夜だったとはいえ、夜のうちに自室に戻らず朝までディー様の部屋で過ごされたことを考えますと、陛下は前者のタイプかと」
「そんな……。どうしたら別々に寝られるかしら?」
王妃があまりにも深刻な様子でコラリーに相談しているので、ケイリーとジョアナも耳をそばだてて聞いていた。
「……理由をお伺いしても?」
「その…………」
(胸を揉まれたとは言いにくいし、何と言えば良いのか……)
朝の衝撃を思い出して恥ずかしくなり、俯いてため息をつくディートリンデは、頬が上気していた。
頬を染めてもの憂げな様子は想像をかきたてたのだろう。
若い侍女のどちらかが小さな声で「きゃぁ」と声を出すと、直ぐにコラリーが窘める。
「ディー様。陛下には直接ご相談されましたか?」
「まさか。私からこんなことを言うのは……」
「そうですよね。わかりました。私から陛下にお話してみましょう」
飛びつきたい提案だったが、コラリーから言ったとしても分をわきまえていないと思われるのではないか。
それに、王妃の頼みとはいえ、一介の従者が国王陛下に意見するなどできるのだろうか。
ディートリンデが躊躇していると、コラリーが「実は……」と、問題がないと自信を持っている根拠を話した。
コラリーはエドムントの乳姉弟である。
幼少期はエドムントの住む離宮で本当の姉弟のように育った。
王城へと居を移した後は、エドムントの従者の一人として身の回りの世話をすることもあった。
「ときには意見をしたこともありますが、一度も罰せられたことはございません」
コラリーの話を聞いていると、コラリー経由でお願いしたら大丈夫な気がしてきた。
「ディー様に快適にお過ごしいただくための環境整備……これも侍女長としての務めでございます。慣れぬ環境ですので、どうぞわたしたちを頼ってください」
「……ありがとう。味方になってくれると嬉しいわ」
「ええ。もちろんでございます。ね?」
コラリーが賛同を得るように若い侍女二人に視線を送ると、二人も力強く頷く。
侍女たちに別の想像をされているとは思いもよらなかったディートリンデは、二人の若い侍女もしきりに頷いてくれることに、感動した。
(さっきまでは怖がられていると思っていたのに。皆、親身でいい人なのね……!)
◇◇◇
ディートリンデがコラリーに寝室の件で相談をしていたころ、国王の執務室ではエドムントはカルヴィンに詰め寄られていた。
「それで、どうなさるおつもりですか。ただでさえ自分の手のものを王妃にとまだ諦めていない輩がいるというのに。自分から弱点を抱えて!」
「どうもこうも、正式に夫婦になった。それだけだが」
「次代の王の母が素性もわからぬ者では困ります。正当な血を残さねばならぬというのに」
「…………」
「聞いておられます!?」
「そもそも。私は、正当な血を受け継ぐ者しか王と認めないという考えが間違っていると思っている。国のためを思えば、世襲ではなく、優秀な者の中から話し合って決めるのが一番良いのではないか」
「何をおっしゃいますか。そんなことをしたら、結局ずる賢い者が国を治めることになりかねませんよ」
「いいではないか。それでどうなろうと知ったことか」
「あなたが!あなたが、そんなことを言ってはなりません!そんなことを言っていい立場ではない……!」
「わかっている。すまなかった」
眉間のしわを深くし、拳を握り締め諭すカルヴィンの様子に、エドムントはバツの悪そうな表情になる。
無責任な発言過ぎた。
「……それで、朝は随分と機嫌が良さそうでしたが。何かございましたか?」
「あぁ。いや、別に」
「なんですか」
「案外、妻という存在はいいものだと思ってな」
まだ細い糸で繋がったばかりでいつ切れるともわからない関係ながら、家族ができたことが、思いのほかエドムントの心を弾ませていた。
エドムントの口から出たとは思えぬ発言に、カルヴィンは片眉を吊り上げるだけで応える。
「話を聞いてみると複雑な生い立ちのようで、初めは達観した目をしている女だと思った。だが、笑うと可愛いし、初心なのだ」
ただ共寝をしただけなのに、ディートリンデは朝食の間もぎこちなく照れた様子を思い出す。
スヴァルト国は婚前の恋愛は自由で奔放。この国の二十五歳の女にあの初心な反応は期待できない。エドムントにとって、ディートリンデの反応はとても新鮮だった。
この国の娘には期待できない反応をしてくれるディートリンデが、愛らしく見えていた。
エドムントの表情を見てカルヴィンは眉根を寄せ、視線を外す。
が、すぐに何かを思い出したように視線を戻した。
「あぁ、そういえば。東方には手練手管で男性を意のままに操る女がいるとか。北方にもそのような手法が伝わっているのでしょうか」
「ディーはそういう類の者ではないぞ」
エドムントは思わず低い声を出した。
自分の声の低さとカルヴィンの視線に気づき、表情を引き締める。
「そもそも、この結婚に意味はない。王妃という存在があればいいだけだろ。私が、溺れて現を抜かすことはない」
「では、私が調べても問題ありませんね?」
「構わない。お前のことだ、むしろもう調べ始めているのだろ?」
指摘されたカルヴィンは笑顔を見せるだけだった。
「お前の言う通りの女だったら、即座に始末したら良いだけだ」
「陛下らしい冷静さを失っておられないようで安心しました」
(冷静さを失うものか。ただ、あの奴隷印は本物だった。それも、かなり古いものだ。カルヴィンでも素性を辿り切れるか……)
言うことは言ったとカルヴィンが踵を返したとき、執務室のドアがノックされた。