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絶っ対に!嫌っ!!

『ディートリンデ、私の代わりに幸せになりなさい』


 ファンデエン国という小国の王女ディアーヌが、十数年間侍女として仕えたディートリンデに最後に言った言葉。

 感動的にも聞こえる言葉だが、ディートリンデにとってそれは死刑宣告も同然だった――――


 ◇◇◇


 ディートリンデは瞳だけを動かし、窓へと目を向ける。

 外は積もった雪が光を反射し、眩しいくらい雲ひとつない快晴。一見すると爽やかで気持ちが良さそうな天気だが、こういう日は曇り空よりも寒くなる。

 寒気がしたと思ったのは、王女ディアーヌが大暴れしてこれから自分の身に降かかるであろう災難を、無意識に感じ取ったせいだけではなかった。今日はより一層水が冷たそうで、この後の片付けを思うと内心でため息が漏れる。


「嫌!覇王に嫁ぐなんて、絶っ対に!嫌っ!!それなのにお父様ったら!可愛い娘を犠牲にするなんて!お父様なんて大っ嫌いよ!!」


 ディアーヌの投げたクッションが戸棚のガラス目がけて飛んでいく。

 ガラス面にぶつかる瞬間、室内にいた者は反射的に目を瞑る。が、派手な音が耳に届くことはなかった。

 ディートリンデがほっとして目を開けた瞬間、時間差でガシャンッと音がする。

 見ると、割れたガラスと花が散乱し、床が濡れていた。

 ディアーヌは私室に戻るやいなや暴れ出したので、花瓶を避難させる時間がなかったのだ。


 花瓶が置かれていた場所に視線を移し、その横にある物が無事であることを確認する。

(アロマオイルがまき散らされるよりはまだマシ)

 自分を宥め、今は部屋がぐちゃぐちゃになっていく様子をため息を殺してただ黙って見るしかない。


「三十歳なんておじさんじゃない!気持ち悪い!!覇王なんて呼ばれて、絶対に粗野で下品な大男に決まっているわ!最悪!最悪!!あぁっ!なんとしてでもこの結婚は阻止してやるのだから!!」

「さ、最近は穏やかになったと聞きますが……」


 無謀にも最近入った若い侍女が口を挟む。

 キッと睨まれた瞬間に、まだ熱い紅茶が入っているカップが飛ぶ。

 隣で気配を消すように小さくなっている別の侍女が、そっと体を寄せてきた。

 ちらりと見れば、顔が引き攣っている。


「副侍女長。私、掃除用具を取りに行ってきます」

「わ、私も……」


 若い侍女らがこっそりと掃除用具を取りに行くと言い出したのは、この場から逃げる口実。わかっていても、ディートリンデはそれを駄目だと言えない。

 この場に留まれば、いつこちらに矛先が向くかわからないのだから。

(本当は私だってこの場から逃げたいのだけど……)と思いながら、この後必要になる物の用意を頼む。


「ありがとう。お湯の用意とネイルセットも用意しておいて。それと、昨日衣装部に確認したらドレスが明日には仕上がるって言っていたのよね?それ、絶対に今日中に仕上げてってお願いしてきてちょうだい」

「承知しました」

「あっ。後ね、姫さまスペシャルセットの用意をって。料理長に伝えたらわかるから。よろしくね」


 あれこれと先回りして用意するのは、何もディアーヌのためではない。

 少しでも早く機嫌を回復させなければ、後が大変になるから。

 暴れている理由が理由なだけに、今までと同じやり方をしてもあまり意味がないかもしれないが、ないよりはマシだと信じて用意するしかない。


(それにしても、まさか大国スヴァルトから姫さまに縁談がくるとは……)


 大陸の北の端からすぐの海に浮かぶ小さな島に、ファンデエン王国はある。

 寒くて資源も乏しく、誇れるのは何十年と争いのない平和度合いだけの小さな国。


 兄たちとも年が離れて生まれた唯一の王女ディアーヌは、大層甘やかされて育ち、わがままで、苛烈で、少々お転婆な性格に成長した。

 周辺諸国にも噂が回り、縁談がこないことが両陛下の密かな悩みだった。


 ディートリンデは、王女ディアーヌに侍女として仕えている。ディアーヌに縁談が来ないことで、いつまでこの我儘な姫に振り回され続けるのかと憂いていた。


 しかし、ある日突然降ってきた良縁。

 ディアーヌに、この世界で最高クラスの大国スヴァルトの国王から婚姻の申し出があったのだ。


 スヴァルトとは、武を持って国々を呑み込み、在位から十五年で倍以上の大きさにまで国土を広げた強き王が治める国。

 そのスヴァルト国王は、神をも恐れぬ覇王との異名を世界に轟かせている。

 そのような強国からの申し出を断る理由などなかった。


 おねだりしていた宝石を買う許可をもらえると思っていたディアーヌは上機嫌で王の間へ行き、輿入れを申し付けられて激昂して帰ってきたのだ。


 ディアーヌは年の差があることを嫌がっているが、王族同士の政略結婚では年の差婚も珍しくはない。親子や孫ほど年の離れた婚姻もある。

 スヴァルト国の王エドムント、三十歳。

 ファンデエン国の王女ディアーヌ、十七歳。

 十三歳差なら、まだいいほうだろう。


 その後もディアーヌは父王に「覇王には嫁ぎたくない」と訴え続けた。

 これまで相当に甘やかされてきたが、こればかりは覆ることがなかった。



 ――――ディアーヌの御輿入れの朝。昨日と変わらぬただ冷えた朝なのに、ベッドから抜け出して窓を開けると、いつもよりも凜と空気が澄んで感じる。

 高い位置に取り付けられたステンドグラスから廊下に色を差し、教会にいるような厳粛な気持ちにさせた。

 一歩一歩とディアーヌの私室へと足を進めるたび、ディートリンデは仕えた十数年の歳月を思い返していた。

 散々酷い目にあわされていたのに、別れが近いと思うと感慨深くなる。


 しかし、それもすぐに消え去った。


「え……」


 控えめにノックし、そっと扉を開ければ、いつもならまだ寝ているはずのディアーヌと目が合った。

 ディアーヌは、獲物が来るのを待ち構えていたのだ。


(ま、まさか……)


 起こすよりも先に起きているときは、大抵、従者――ディートリンデに災難が降りかかるとき。

 無意識にディートリンデの足が一歩下がるが、駆け寄って来たディアーヌに力強く両手を掴まれて、そのまま室内に引き込まれる。


「いいことを思いついたのよ!ディートリンデ、あなたが私のフリをしたら良いのだわ!身代わりになりなさい!ね?名案でしょう!」


 あんまりな提案に、言葉を失う。

 そんなことをしたらどうなるのか。

 ディアーヌの輿入れにさいし、すでに莫大な婚資の提供を受け、申し出からこの日まで僅かな日数で決まった。それだけ覇王がディアーヌを欲している証。

 それなのに身代わりを送ったら、覇王を怒らせることは間違いない。

 ディートリンデの命だけでは足らず、この国ごと未来がなくなる可能性すらある……。

 こんな簡単な答え、子供でもわかることなのに。


「さ。イサベレ、支度をしてちょうだい。早くね」


 イサベレとは王女宮の侍女長のこと。

 侍女長とは名ばかりで、いつもディアーヌの対応を部下に押し付け、自分はいつも与えられた部屋でお茶を飲んだりお菓子を食べたりしているだけ。

 都合のいい時だけ上の言いなりになる人だ。


 力一杯振り払えば、ディアーヌの拘束など簡単に解ける。

 しかし、そんなことをしてしまえば酷い癇癪や折檻が待っている。


「やっぱりどう考えてもこの私がおじさんに嫁ぐのはあり得ないでしょう?毎日のように恋文まで送ってきて。気持ち悪いったらないわ」


 ディアーヌの愚痴を聞き流しながら(どうしよう……)と葛藤している間に、イサベレにお仕着せを脱がされる。

 決断できぬ間に、サイズの合わない純白のウェディングドレスが身を包み、視界をほぼ遮断するほどしっかりした生地で作られたベールを頭に乗せられた。

 そして、ディアーヌによって輿の中へと押し込まれる。


 花嫁は花婿以外の男性に見られないように輿に入って嫁ぐ。輿には外から鍵をかけ、花婿が鍵を開けて迎え入れる――という輿入れの習わしがファンデエン国にはある。

 さらに、スヴァルトでは花嫁は厚いベールで顔を隠さなければならないという決まりがあるらしく、彼の国から婚礼衣装一式が送られてきた。

 それらがスヴァルト王に嫁ぎたくないディアーヌの思いつきに味方をしていた。


「それじゃあ、うまくやりなさい。大丈夫、案外きれいよ」

「ひ、姫さま……。これはいくらなんでも。城下へ遊びに行くのとは違いますし――」

「ディートリンデはいつも上手に私のフリをしてくれるじゃない。今まで身内にだってばれたことがないのだから大丈夫よ!」


 ディアーヌは思いつきで城を抜け出して城下に遊びに行くことがあった。そのとき、いつもディートリンデがディアーヌのふりをさせられていた。

 もちろん、皆知っているが知らないふりをしていただけである。


(本気で私が姫さまのふりを完璧にこなせていたと思っているのね……)


「この豪奢なドレスと厚手のベールが隠してくれるから、ばれないわ。髪の色だって同じ金色。私の輝く金とディートリンデの薄ぼんやりとした金では大違いだけれど。でも、姿絵なんて本人と似ていないものだから大丈夫よ」

「騙せても時間の問題かと……」

「知らない。黙っていつも通り身代わりになれば良いのよ。私ならこれから旅でもして、暫く身を隠すから心配いらないわ」


(これは私に死ねと言っているようなものなのに……)


 実際、侍女の命などどうでもいいのだろう。

 少しでも人の心があれば、神をも恐れぬ覇王と呼ばれている男の花嫁の身代わりを、侍女に命令するはずがない。

 ただ自分が逃亡する間のわずかな時間稼ぎのためだけに、侍女の命を、国民の命を差し出すも同義なのだから。


「姫さまと私では年齢も体型も違いますし、国民にまで迷惑が掛かる可能性が!」


 声を張り上げ必死に抵抗すると、輿の中へと押し込む力が一瞬弱まる。

 しかし、思いを改めてくれたわけではない。

 ディートリンデの言葉は、ディアーヌにとってはただ呆れてしまう言葉だったというだけ。


「何をわかりきったことを。だけど、ディートリンデは幼く見えるから大丈夫じゃないかしら。体型は、そうね。国を離れることが不安で食べ過ぎたとか、いくらでも言い訳できるでしょう?頭を使いなさいよ」

「そんな見え透いた嘘で誤魔化しようなどありません!」

「まるで私の頭が悪いみたいな言い方ね」

「い、いえ。そういうわけでは……。ただ、本当にこれは無謀だと――」

「いいからやりなさいよ!どうでもいいけど、手を挟むわよ。ディートリンデ、私の代わりに幸せになりなさい」

「待って――っ!」


 扉を閉めさせまいと枠に手を掛けていたが、ディアーヌならば本当に閉めかねないとの思いから、手を引っ込めてしまう。

 次の瞬間にはガチャンと外側から鍵が掛けられた音がした。


「そん、な……――――――」


 最後にベールを下ろされる直前に見た悪い顔を、一生忘れないだろう。

 約十年間、自分なりに頑張った結果がこの仕打ち。

 ディートリンデは惰性で生きていたが、わずかな気力さえも叩きのめすには充分だった。


「声を出したらどうなるかわかっているわね。それじゃあイサベレ、後で落ち合いましょう」


 ディアーヌの弾んだ声がディートリンデの耳に残る――――





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