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風の少女と呪いの絆2  作者: たき
3/5

(3)

 数日後、四限目の演習が終わって闘技場を出たソールは、親友のカルパ・ウォークと中央棟一階廊下に入ったところで、風の法専攻一回生の集団を見つけた。

 リリーと一緒に中心にいるのは、たしか一回生代表のエラルド・ラングだ。

 後ろの生徒が冗談でも口にしたのか、五人が笑い声を立てる。神法学科生はあまり大勢で動くことはないが、風の法専攻生は人数が少ないせいか、よく全員でかたまっていた。

 つと、リリーの視線がソールをとらえた。

「ソール!」

 リリーが笑顔で小走りに寄ってくる。隣のカルパだけでなく、後ろにいた同期生たちも緊張と高揚に気を高ぶらせる気配を、ソールは感じた。

「来週、剣専攻と合同演習をするんでしょ? オルトがね、セピアのお父さんに稽古をつけてもらってるみたいだよ」

 入学式の代表戦前にも指導してもらってたけど引き分けになったから、今度は絶対に勝つってすごく気合が入ってるよ、と言うリリーに、ソールは自分の記憶を探った。

「ああ、あいつの父親は槍鍛錬所の指導者だったな……それはちょっと手強いな」

 オルトは槍との戦い方をしっかり学んで挑んでくるつもりなのだ。どこまでも負けず嫌いだなと半分あきれ、半分感心したソールは、自分を見つめるリリーに気づいた。

「お母さん、時々剣鍛錬所の手伝いに行ってるの。学生の頃はオルトのお父さんにも教えてもらってたみたいだし、もし必要なら頼んでみるよ?」

 大丈夫かとも、ソールなら勝てるよとも口にしないリリーに、ソールは思わず笑みを漏らした。安易な心配や励ましの言葉は、場合によっては相手を軽んじているように聞こえる。

 ただの雑談で流さない姿勢が嬉しかった。きちんと自分を気にかけてくれていることが。

「そうだな、それは助か……」

「リリーのお母さんって剣士?」

「あ、俺、こないだのカルタ先生との勝負見たよ」

「俺も見た! すげえ強かったよな」

「どこの鍛錬所に行ってるんだ?」

「ていうか、家どこ?」

 返事をしかけたソールの背後から、槍専攻生たちがのしかかってくる。たじろいだ様子のリリーを質問攻めにする同期生に、カルパが注意した。

「お前ら、うるさいって。ソールがつぶれてるじゃないか。リリーだって、そんなにまとめて話しかけられたら困るだろう」

 悪い悪いと照れ笑いながらのけていく槍専攻生の一番下にいたソールは、ようやく自由になれて首と肩を回した。

「とりあえず、このまま一度戦ってみる。歯が立たないくらい向こうが強くなってたら、また相談させてくれ」

「うん。じゃあ、頑張ってね」

 きびすを返しかけたリリーに、「またな、リリー」と槍専攻生たちがブンブン手を振る。それに遠慮気味にお辞儀をして、リリーはまた風の法専攻生の輪に戻っていった。

「はあ……ソールにはにこやかに駆け寄るのに、なんで俺たちには頭下げるだけなんだよ」

 不満を垂れる槍専攻生たちに、ソールはあきれた。

「顔見知りでもないのに愛想よくしろというのは、無理があるだろう。しかもこの間、武闘学科生の集団に追いかけられたんだ」

 話しかけても逃げられなかっただけましと思えとソールが言うと、同期生たちはきまり悪そうに互いを見合った。

「じゃあさ、今度リリーにちゃんと紹介してくれよ」

「俺も仲良くなりたい」

 俺も俺もと口々に頼まれ、ソールは眉をひそめた。

「一度に紹介しても覚えきれないと思うぞ」

「気にするのはそこかよ」

 ソールの返答に、カルパが突っ込みを入れる。

「今は難しいな。あいつは神法学科に編入したばかりで忙しいし、何よりオルトにばれるとまずい」

 実は剣専攻も弓専攻も同じ状況らしく、フォルマが愚痴をこぼしていたのだ。オルトはもちろん彼らの懇願を突っぱねているが、おかげで最近機嫌が悪い。

「幼馴染といったって、ちょっといきすぎてないか?」

「あの二人、別に付き合ってるわけじゃないんだろ?」

 渋面する同期生たちに、ソールは返事をにごした。彼らが小さい頃からどう関わってきたのかは知らない。ただ、オルトとセピアがリリーの世話を焼くのは、おそらく彼女が風の法を使えなくなった出来事が大きいのではないかと思う。

 あやうく母親を死なせるところだったと、リリーはずっと自分を責めていた。暗く沈んだ顔で毎日を過ごす彼女を、二人は放っておけなかったはずだ。あの日、事情を打ち明けられた自分ですら、どう言葉をかけようか迷ったくらいだから。

 ようやく気持ちの整理がついて、風の法を受け入れるようになったリリーに、セピアは過保護だった手を少しずつ緩めてきているようだが、オルトはまだがっちり包み込んでいる。それはたぶん、オルトがリリーを――。 

「お前らがオルトに勝てば、堂々とお近づきになれるだろうが。男気を見せるいい機会じゃないか?」

 カルパの笑い声に、ソールははまっていた思考からふっと抜け出した。目を上げると、同期生たちがそろって顔をしかめている。

「無理言うなよ。あいつと張り合えるのはソールくらいだぞ」

「まったく、なんであんなやっかいな奴が幼馴染なんだ」

「あーあ、せめて同じ冒険集団だったらなあ」

 ちらちらと刺さる視線が痛い。ソールはぐっと歯がみした。

「……だから、俺に言うな」

 魔物の襲撃のときに協力した七人で冒険集団を結成しようと話をもちかけたのは、自分ではない。もう人数がいっぱいでこれ以上増やせないのも、自分のせいではない。みんなには何度もそう説明しているのに、いまだに何とかならないかと期待されても困る。

 自分とて、あの集団に参加できたのは奇跡のようなものなのだから。

 ふうと息を吐きながらこげ茶色の髪をかくソールに、カルパが「早く飯を食おうぜ」と言って、まだぐずぐずソールにへばりつこうとする同期生から引き離した。



「あれ? リリー、今日はあそこで勉強してるのか」

 昼休み、父でもあるピュール・ドムス教官から、槍専攻一回生に配布する紙を受け取ったソールが二階廊下に上がったところで、隣を歩くカルパが中庭に視線を投げた。

 足をとめて見ると確かに、中庭のすみに置かれた少し大きめの机をリリーとルテウス、レオン、セピアが占領している。

 ペンを持つリリーの横でルテウスが説明しているようだ。リリーの目が教科書と紙を行き来した後、ルテウスのほうを向いて何か言葉を発した。するとルテウスがリリーの手元をのぞき込んだ。

「ルテウス、近すぎないか?」

 近いのは近いが二人とも真顔だし、時々レオンやセピアも教科書を指でなぞりながら口をはさんでいるので、真剣に議論しているだけだろう。

 そのとき、レオンが二階を見上げた。ソールと目が合ったレオンがリリーをつついて後ろを指さし、リリーがかえりみる。

 ぱっと顔をほころばせ、リリーが手を振ってきた。他の人間もいる中で同じように振り返すのは少し気恥ずかしくて、ソールは小さく右手を挙げた。

 よそ見をしている場合かとでも言ったのか、ルテウスがリリーの顔をまたぐりっと紙のほうへ向けさせる。リリーが首を押さえて怒っているのを見て、カルパが吹き出した。

「リリーっておとなしいのかと思ってたけど、けっこう表情が変わるよな」

 そこへオルトとフォルマがやってきた。オルトは当たり前のようにリリーの隣に座り、顔を寄せて話しかけている。笑い合う二人に、ソールは目を細めた。

「お前は行かなくていいのか?」

「別に……今は用はないからな」

「……お前のその一歩引くところは、変わらんな」

 ポケットに手を突っ込みながら、カルパが苦笑する。

「しかし、お前が冒険集団に入ったと聞いたときは、正直驚いたな」

 様子を見て俺が誘うつもりだったのに、あいつらに先を越されるとはと肩をすくめるカルパに、「すまん」とソールはあやまった。

 話をもらってから、だめかもしれないと思いつつ父に相談すると、予想外にあっさり許可が下りた。この時期にできる友人は大切だからと、父は背中を押してくれたのだ。

 それでも急な集会には出られない。妹も手伝えることが増えてきたとはいえ、まだまだ一人でさせるのは危なっかしいため、どうしてもついていてやる必要がある。

 行動に制限のかかる自分を、しかし彼らは受け入れてくれた。参加できなかった話し合いの内容はまた後で伝えるからと。

 今の自分には、それで十分だった。むしろ、もったいないほどの配慮をもらったと思っている。

「それにしても、ずいぶん豪華な冒険集団が結成されたよな。まさかお前とオルトが手を組むとは思わなかったが」

「たまたま魔物退治のときに一緒に行動した連中で結成することになっただけだ。深い意味はない」

「そうは言うが、この前お前がリリーを確保したことが噂になってるぞ。お前とオルトがリリーを奪い合ってるんじゃないかって」

 みんなお前の前では口に出さないが気にしていたぞと、カルパが教える。

「あれは、レオンがよけいなことを言ってみんなを焚きつけたからだ。もし他の奴があいつを捕まえていたら、オルトが怒り狂って面倒なことになっていた」

「だから自分が捕まえた、と」

「他に何の理由がある」

 あいつの足があそこまで速かったのは想定外だったが、とソールは嘆息した。いったいあの体のどこにそんな力があるのかと驚いたのは、自分だけではないだろう。体力自慢の武闘学科生の追撃をものともしない、見事な走りっぷりだったのだから。

「まあ、今はそういうことにしといてやるよ」

 カルパが含みのある笑みを浮かべて、ソールの肩をぽんとたたく。ソールは最後にもう一度ちらりとリリーを見やってから、歩きだした。



 休日、朝からバタバタと準備していたリリーは、玄関の呼び鈴が鳴ったことに気づいて迎えに出た。

 どこかで待ち合わせでもしていたのか、六人全員がそろっている。扉を大きく開けて中へ通すと、オルトとセピア以外の四人は緊張したさまで入ってきた。

「いらっしゃい。みんな、よく来てくれたわね」

 奥からシータが手をふきながら出てくる。フォルマがぴしっと背筋をのばしてあいさつする隣で、セピアとオルトがかかえていたパンの袋を軽く揺すった。

「シータさん、これ、お母さんから」

「ありがとう。そのまま持ってきてくれる?」

 シータに案内され、セピアとオルトが今日のために用意された部屋へ入る。きょろきょろしながら他の四人もついていった。

「うわあ、すごい」

「おいしそうっ」

 大きな長机の上に置かれたたくさんの料理に、六人が目をみはる。シータが笑った。

「今日はファイも手伝って――」

「キュグニー先生の手作りですか!?」

 ぐるんと勢いよくふり向いて迫るルテウスにのけぞったシータは、やがて吹き出した。

「あなたがルテウスね」

「あ、はい。すみません……」

 ルテウスが赤面して小さくなる。

「お父さん、料理が得意なの」

「私もほとんどのものはファイに教えてもらったのよ。さあ、座って。ああ、ルテウスはここね」

 なぜか自分だけ席が決まっていることに、ルテウスがいぶかしそうにしながらも素直に座る。他のみんなも着席していく中、ソールがシータに飲み物の瓶を手渡した。

「これ、父からです。リリーの母さんが好きなはずだからって」

「あら、ありがとう。ピュールってば、よく覚えていたわね……そうそう、ソール、ちょっと」

 シータがソールの耳に唇を寄せる。薄く頬を染めながら何かをささやいたシータに、ソールが苦笑してうなずいた。

「セピアとオルトは、そこの飲み物をみんなに配っておいてくれる? それからリリー、まだ運ぶものがあるから来て」

 シータに声をかけられて、セピアとオルトがコップと飲み物の準備を始める。シータについていこうとしたリリーに、「俺も行く」とソールが手伝いに動いた。

 先に台所へ入るシータを追いながら、リリーはソールに尋ねた。

「お母さん、何て?」

「ああ……成績のことはみんなには秘密にしといてくれって」

「もう、お母さんってば」

 小さく笑うソールに、リリーは口をとがらせた。

 ソールもレオンたちと一緒に座って待っていてくれてもよかったのだが、結局ついてきたソールに助けられた。かなりの大皿に盛られた料理は、リリー一人ではとてもではないが運べなかったのだ。

「お母さん、自分の腕力を基準にしちゃだめって何度も言ってるじゃない」

 代わりに大皿を持っていくソールを見送りながらリリーが文句を垂れると、シータは照れ笑った。

「ごめんね。でも、ソールはよく気がつく子ね」

「うん。ソールの家、お母さんが亡くなってて、ソールが家事をしてるみたい」

 ソールの家庭の事情をリリーが簡単に説明すると、シータの表情がくもった。

「そう……ピュールも苦労してたのね」

 でも、人の成績を勝手に息子にばらしたことは許さないけど、と腰に手を当てて頬をふくらませるシータの横で、「できたよ」とファイが最後の料理を皿に乗せた。

 リリーたち親子が三人そろって部屋に入ると、待ってましたとばかりにみんなが目を輝かせた。

「はい、私、シータさんの隣がいいです!」

 フォルマが手を挙げたので、シータが微笑んでフォルマのほうへ向かう。一方、ルテウスはファイが自分の横に腰を下ろしたので、かちんこちんにかたまった。

「では、学院にいきなりわいた魔物を見事に退治したことと、新しく結成された冒険集団を祝って――乾杯!」

 セピアの呼びかけに、全員がコップを掲げ、口をつけた。それからは、面々が雑談しながら料理に手をつけていった。

 シータは自分の頃にはなかった弓専攻に興味津々で、フォルマの話を熱心に聞き、ルテウスとファイはずっと法術について語り合っている。途中で二人は席を外し、ファイから借りた本を大事にかかえて戻ってきたルテウスが本当に嬉しそうだったのを見て、リリーも笑みをこぼした。勉強で世話になっているお礼としてルテウスの席をファイの隣にしたのだが、喜んでもらえたようだ。

 セピアとオルトはもう何度も来ているのでくつろいでいるし、レオンもよくしゃべっている。ソールはまだ少し緊張ぎみだったので、リリーはできるだけ話しかけるようにした。

 もともとあまりガツガツいく性格ではないのだろう。最後までソールの語り口は静かで、はめをはずすこともなかったが、誰かの話に一緒に笑うソールに、リリーはほっとした。もしかしたら大勢で騒ぐのは苦手かと思ったけれど、楽しいときはちゃんと楽しい顔をするのだと。 

「はあ……幸せな時間だったわ」

 会がおひらきになり、家を出たところで、フォルマがほうっと感嘆の息をついた。

「お前、本当に贅沢な奴だよな。キュグニー先生と一緒に生活できるなんて」

 今日借りた本を返す約束と次に借りる本の予約までしておいて、まだ飽きたらず不満を述べるルテウスに、レオンがにやりとした。

「そんなにうらやましいなら、ルテウスもリリーの家族になればいいんじゃない?」

 ルテウスがぴたりと足をとめる。「その手があったか」と言うなり、ルテウスはリリーの手を両手でにぎりしめた。

「てことで、リリー、俺と結婚し……」

 どかっと横から蹴りが飛んできて、ルテウスは吹っ飛ばされた。

「ルテウス、お前、絶対に一人でリリーの家に行くんじゃねえぞ」

 リリーを背中にかばってルテウスをにらみつけるオルトに、「お前の指図は受けん!」とルテウスが言い返し、またもや喧嘩が勃発する。もはや誰もとめることなく二人を置いて歩きだすと、口論しながらも二人は一応ついてきた。

「いくらなんでも監視の目が強すぎない? あれじゃ、リリーは自由に動けないでしょ」

 実のお父さんより厳しいんじゃないの、とあきれ顔のレオンに、「オルトは昔からあんな感じだよね」とセピアもため息をつく。リリーは眉尻を下げた。

「小さい頃に心配かけちゃったから。オルトとセピアには本当にすごく支えてもらったの。私はもう大丈夫だって言ったんだけど……責任感が強いんだよ、オルトは」

「……そっか。リリーはそう考えてるんだね」

 狐色の髪をかきながら、レオンが空をあおぐ。隣でセピアもきゅっと唇をかんでうつむいた。

 道の角まで来たので、見送りに出てきたリリーはここで別れることになった。ルテウスはまだオルトと言い争っていたが、最後にリリーをふり向いた。

「リリー、ありがとな」

 出会ってから初めてではないかと思うほどの笑顔で言うルテウスに、リリーも「うん」と笑い返した。

「気をつけて帰れよ」

「大丈夫だよ、オルト」

 家はすぐそこなんだからと苦笑して、リリーはみんなに手を振って身をひるがえした。

 その様子を、近くの木にとまっていたハヤブサがじっと見つめていた。足に虹色の輪をはめたハヤブサは、七人が完全に去ってから、静かに空へと飛び立った。 

 


「おかえりなさい、お兄ちゃんっ」

 帰宅するなり、ソールは妹のペイアに出迎えられた。台所から父も顔をのぞかせる。

「帰ったか。夕食はどうする?」

「少しだけにしとく。向こうでけっこう食べたから」

「そうか」と笑ってピュールが引っ込む。二階の部屋に荷物を置いてから手を洗い、ソールは食卓のある部屋へ入った。

「楽しかったか?」

 答えがわかっている聞き方をしてくるピュールに「うん」とうなずいて、ソールは食器棚から皿を出しはじめた。

「いいなあ、私も行きたかったな」

「さすがに今日は、ペイアを連れて行くのは無理だったからな」

 悔しがるペイアをピュールがなだめる。

「だって、やっぱりお兄ちゃんがいないと退屈なんだもん」

 それでなくともゲミノールム学院に入学してからソールは帰りが遅くなったのに、冒険集団に加わったせいでこれからもっと一緒にいる時間が減ることに、ペイアが頬をふくらませる。

「暇ならじいちゃんのところに行けと言っているだろう」

 皿に盛りつけた料理を食卓へ並べながら勧めるピュールに、一番に座ったペイアはますますむくれた。

「おじいちゃんのとこは嫌。勉強ばっかりさせようとするから」

「勉強は大事だぞ」

「嫌なものは嫌なの。ねえ、お兄ちゃん、今度はうちにみんなを呼んでよ」

 席に着いて取り皿におかずを乗せていたソールは、眉をひそめた。

「まともなもてなしができないのに、呼べるわけないだろう」

 沈黙が落ちる。間をおいてピュールがため息をついた。

「やっぱり母親がいたほうがいいか」

「父さん、俺はそういうつもりで言ったんじゃ……」

「だが、お前たちに不自由させているのは確かだろう」

 うまい言葉が見つからず、ソールは黙った。しんみりしてしまった空気の中、おかずを口に放り込む。 

「新しいお母さんはいらない。私はお姉ちゃんが欲しいから、お兄ちゃんのお嫁さんになる人と仲良くなりたい」

 酸味のきいた肉がのどに詰まり、ソールは咳き込んだ。

「お兄ちゃん、誰かいないの? できればきれいで優しい人がいいな」

「おま……そんなのいるわけ……」

 むせて涙目になるソールに、ピュールが瞳を細めてにやりとした。

「当てがありそうな顔だな」

「父さん!」

「本当? 誰? 誰?」

 ペイアが身を乗り出して食いつく。

「だから、いないって言ってるだろう」

「嘘。お兄ちゃん、顔が真っ赤だよ」

「これはのどに詰まったからだ。それより父さん、ゲミノールム在学中に女になったって?」

 今度はピュールが酒を吹いた。

「誰が……シータか!? あいつがしゃべったのか!」

「成績をばらされたお返しだって」

 めったに見られない父の動揺する姿に、形勢逆転とばかりにソールが攻める。

「けっこう美人だったって聞いたけど」

「そんなわけあるか! まったく、あいつは……!」

 余計なことを教えやがって、とぶつぶつ言うピュールに、ソールは笑った。

「でも、父さんがいたから自分はずっと総代表でいられたって言ってたよ」

 体格差の影響が年々ひびくようになって、総代表の座も危ない時期があったが、ピュールと対戦するには総代表でいないとだめだから代表戦を必死に勝ち抜いたと、帰り際に話したシータは当時をなつかしむように微笑んでいた。

「……あいつは、女としても小柄なほうだったからな。よく踏ん張っていたと思う」

「正直、父さんと互角だったというのを疑ってたんだけど、魔物退治と、この前のカルタ先生との勝負を見たとき、本当だったんだってわかった」

 現役を退いたとはとても思えないほど、見事な動きだったのだ。魔物退治のときはじっくり観察する余裕はなかったが、参観日のときは、その剣の軌跡を思う存分追うことができ、興奮すら覚えた。

「そういえば、リリーもすごく足が速くて驚いたな。この前、俺たちの遊びに巻き込まれたんだけど、みんな追いつけなくてさ」

「お前でも捕まえられなかったのか? リリーは父親似だと思っていたが」

 目をみはるピュールに、最終的には疲れて速度が落ちたところを確保したけど、とソールは答えた。

「武闘学科生を振り切って走る神法学科生など、聞いたことがないな。そこだけ母親に似たのか。性格は? おとなしいのか?」

「最初はそういう印象だったけど、神法学科に編入して明るくなったから、たぶんそっちが素だと思う。会えば普通に手を振ってくるし、わりとよくしゃべるんだ」

 おかげでみんなにうらやましがられて、ちょっと大変なんだとソールはぼやいた。立ち話でもしようものなら、会話に入ろうと同期生たちがわらわら寄ってくるのだ。

 セピアやフォルマ、そして他にも炎の法専攻と弓専攻に男子の間で話題にのぼる女生徒がいるが、やはりリリーの人気が一番高いように思う。

「なるほど、中身は母親寄りか」

 ピュールが小さく笑う。そのとき、ソールは今ここにいるのが自分と父だけではなかったことを思い出した。しまったと内心あせりながらちらりと視線をやると、目があったペイアはにんまりした。

「お兄ちゃん……そのリリーって人が本命でしょ」

 言うと思った。否定しても納得しそうにない妹に、ソールは額を押さえて長大息をついた。

 食後、もっとリリーのことを知りたいとせがむペイアに、洗濯物をたたんでこいと言って追い出してから、ソールは父と食器を片づけた。

『冒険者の集い』への参加を決めたものの、まだ開催日まで日にちはたっぷりあるので、先に『食卓の布』の材料を取りにいくことにしたと報告する。これからしばらくは休日のたびに出かけることになりそうだと、ペイアに聞こえないよう声を落とすソールに、ピュールは「家のことは気にするな」と笑った。 

「ペイアも最近、近所の子達の輪に入るようになってきたみたいだし、三年後にはゲミノールムに入学する。そうなれば、自然と離れる」

 いつまでも兄にべったりということはないと言われ、ソールもうなずいた。

「お前には、ずいぶん我慢させてきたからな。こっちは心配しなくていい。せっかく縁あって出会った仲間なんだ、そっちを優先しろ」

 授業や演習では三回生ですら震え上がらせるほど厳しい父の口調が、今はとても柔らかく、胸に染み込んでくる。最後の皿を洗う父の顔をソールはそっと横目に見た。

 ずっと父の背中を追って鍛錬を積んできたが、まだまだ到底及ばない。それでもいつか越えたい――越えられるよう頑張りたいと思う。

「それから、『本命』のことだが」

 洗い終えた皿をソールに渡し、ピュールが続けた。

「欲しいなら早めに捕まえておけよ。もたもたしてたら他の奴にもっていかれるぞ」

「……なんで話がそっちに飛ぶんだよ」

 せっかく感慨に浸っていたのをぶち壊され、ソールはがっくりうなだれた。

「ん? 俺とペイアの見解は一致してるんだが、勘違いだったか?」

 からかいの笑みを口の端に乗せるピュールに、ソールは返事をしなかった。

 そんなことはわかっている。

 だから、これ以上思いを積み上げてはいけないと予感していた。

 このまま突き進めば、遠からず壊れてしまう関係がある。

 誰かが大事にしているものを、奪うことは許されない。

 あのときとっさに腕の中に閉じ込めた感触とぬくもりを頭の中から追い払いながら、ソールは拭いた皿を食器棚へしまった。

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