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鈴の音の子守唄  作者: トトコ
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第七話 ミレイユのお菓子工房

ローゼの部屋に籠った熱が身体を火照らせる。


部屋の主である彼女は汗ばんだ裸体を寝台に預けていた。隣には同じように何も身につけていない王がいる。王の美しい横顔をうっとりと眺める。精悍な顔に浮かぶのは冷徹とさえ思える表情。寝所にあってこの王はいつもと変わらない。この王は笑みを滅多に見せない。そのことは王宮では皆が知っている事。

幸せだと思った。彼を一人占めできるこの時間を愛しく思う。王は滅多に通って来てはくれないが、それは最近戦に忙しいからだろう。その証にこうして一段落ついた頃に来てくれる。他の妃達の存在は目障りだが、凱旋から初めての訪いはこうして妃の筆頭である自分を選んでくれる。ローゼの矜持は保たれた。

つい先程までしていた情事を思い出す。相変わらず荒々しい営みに翻弄されつづけ、身体は疲れ果ててしまったが、これも愛された証と思えばその疲労は心地よいもので、ローゼは満足げな笑みを浮かべてまどろんでいた。


甘い香りのするこの部屋に王と二人。その至福を抱いたまま眠りにつこうとしていたローゼはふと目を覚ました。王が寝台から抜けだし服を身につけだしたからだ。

「王よ、何処(いづこ)に…」

軋む身体を懸命に起こして問いかける。

「帰る」

簡潔な答えにローゼは戸惑う。

「え、それは…もう夜も更けております。どうか今宵はこのお部屋で…」

「もう用は済んだ。帰って寝る」

もう完全に衣を身に付けた状態になった彼はローゼの引き留めには目もくれず扉に向かって歩き出していた。

「王っ…お待ちくだ…」

全てを言う前に王の姿は扉の向こうに消えた。男女が交わった後の熱が残るこの部屋にローゼは一人取り残される。

ローゼは掛け布を握りしめた。その顔は抑えきれない嫉妬に染まっていた。

王は自分を含め、妃の部屋に泊っていったためしが無い。それはいつもの事で、今まで残念に思いながらも諦めてもいた。しかし…

(誰…誰なの?王の心にいるのは…)

それは女の勘が告げる確信。今の王の発言の中に隠されたもの。王の心に誰かがいるという。

凱旋先で女を寵愛したという話は聞かない。では街…でも王は忍びで花街などに通っているという噂はない。となると後宮…しかし、他の妃を初め、特定の侍女・女官を贔屓しているという訳でもない。そうであれば一日の内に噂になるからすぐわかる。

ローゼには思い当たる節など無い。しかし、女の勘というのはこういう事に関しては外れる事はない。

この名門の公爵家の姫にして筆頭側妃である自分を差し置いて王に愛される女の存在を容認できるはずはない。


まだ見ぬ女に暗い嫉妬の炎を(くゆ)らす。


手掛かりが無いなら見つけるまで…。

一つの思惑をはらみ、夜は更ける――――。






王が最近、定期的に後宮へ来る。そのおかげでレイディアの仕事は他の者達とは違い軽くなる。女官達は自分の仕える妃へ興味を向けようと、またあわよくば自身も王の目に止まろうと精力的に動いてくれるので、仕事を押し付けられる回数が減るからだ。つまりレイディアは女奴隷としての簡単な仕事のみに従事すればいいだけで済み、そんな仕事はすぐに終わる。それは大変喜ばしい事で、こうして、街に出掛ける時間もとれるというものだ。


そんなわけでレイディアは約束通り吟遊詩人と街に出掛けていた。

「あ、あっちで人形劇をやってるよ。見に行こうか」

吟遊詩人は楽しそうにレイディアの隣を歩く。こんな地味でぱっとしない女の相手をして何が楽しいのだろうかと思う。相変わらず俯きがちで、積極的に口を開こうとしない彼女に気にせず話しかける彼をいっそ感心した。

吟遊詩人に導かれて劇をやっているあたりに近づいていった。

客層は子供達が中心で、昼休みついでなのか軽食を手にした人達もちらほら見えた。

座ろっか、とレイディアを促して開いてる席に腰を下ろす。

「そうでした…」

唐突に呟いたレイディアに、吟遊詩人は不思議そうに首を傾げる。

「地味な女性でも嫌な顔一つせず相手に出来ることです。さすがだと思いまして」

「…もしかして、まだ僕の事誤解したままなのかい?僕はタラシなんて言われた事無いのに…」

「でなければ、こんなつまらない女を相手に出来ませんよ」

「君は地味なんかじゃないよ。つまらなくもない」

「でも、私は気の利いた事なんてしゃべれませんよ?」

こないだ好きだと言っていた城の芸術鑑賞中らしい彼を見かけた事があった。その時何人かの女官達と一緒だったのを思い出す。

彼も人目を引く容姿だから女官達が早速誘いかけたのだろう。吟遊詩人の顔は見えなかったが世事に長け、教養高い女官達に彼も悪い気はしなかったはずだ。レイディアは若い男女が好む話題が豊富というわけでもないし、一般に男性が好む華やかな女性でもない。

だから、こういうのにだって彼女達の様な華のある女性を連れた方がよっぽど楽しいはずだ。

「そんな事無いよ。君といると楽しいし、落ち着く」

「ありがとうございます」

完全に世辞ととられてしまったようだ。吟遊詩人は苦笑する。

「君、男性に鈍いとか言われた事無い?」

「さあ、無かったと思います」

そもそも女だらけの後宮にいる事が大半なのだ。男性と話す機会もそうある訳ではない。知り合いは城にも街にもそれなりにいるが、話す事は仕事関係が殆どだ。艶めいたものなど微塵もない。

「へぇ…でもそれにしては、周りの視線が…いや何でもない。あ、でも最初は仕事だとしてもそこからそういう仲とかに…」

「遊びじゃないんですよ? そんな不謹慎な」

じゃあ、職場結婚とか頻繁にあるのはどうしてなのか。その事を失念しているのか、自分に限ってはあり得ないと思っているのか…。恐らく後者だろうと彼は思った。

それはともかく折角こうして出掛けられたのだから楽しまなきゃ損だ。気を取り直して話題を変えた。

「それよりもさ、劇見ようよ。これアルフェッラとこの国が戦争を起こした時の話だね」


この国が神国を滅ぼした当時は災いが降りかかるとして王に非難が殺到した。しかし、いつまで経ってもそんな兆候は訪れなかったため、だんだん王は見直され、神をも凌ぐ者として盛名をはせるようになった。そんな経緯から、アルフェッラとこの国の戦争の話の劇は人気のある見世物の一つだ。

これは人形劇だが、当然役者達が演じるものもあって、たいてい同じような筋書きと衣装だ。巫女は白い巫女装束。バルデロの王は赤銅色の髪に黒い軍服。黒と白の対がよく映える二人の対面の場面は、一番の見せ場だ。今この人形劇もその場面にあるらしく、人形劇の舞台には白いヴェールを被った黒い目の人形と王を模した赤銅色の髪の人形二体が向き合っていた。


『この国を滅ぼせば貴方のお国は不幸に見舞われるでしょう。諦めてお帰りなさい』

『巫女よ。神の支配する時代は終わったのだ。神に依存しない国を私は築き上げて見せる―――』


レイディアは暫く黙って劇の展開を見守っていた。この話の舞台を見るのは初めてではない。

劇である以上、誇張や脚色は付き物だが、実際にあった事はそれなりに忠実に描かれる。しかし、そのせいで、戦争に参加していない民衆には実際あった事と、作り話の境界は曖昧になる。今の巫女と王の二人の場面も真実が定かでないのに、巫女は王の手に、王は神をも恐れぬ王者として描かれている。それが真実とはいかないまでもそれに近い形で国民に受け取られる。巫女の生存説が絶えないのもこの舞台も原因の一つだろう。

「巫女はこの国にいらっしゃるのだろうか…」

吟遊詩人は誰に言うでもなく呟いた。真相は誰も知らない。王宮の奥にいる王と、何処にいるとも生死さえ定かではない巫女以外は。

「…」

レイディアは前を見つめたまま黙っていた。

「何処の国だってその真相を知りたがってる。巫女は王が宣言したように本当に亡くなられたのか、この劇のように連れ去られて、密かに神の加護さえ届かない何処かに囚われているのか」

戦争があってからすでに四年の月日が流れている。巫女の死、すなわちアルフェッラの滅亡の知らせが世界に広がり世界中が驚愕の嵐に見舞われたのは記憶に新しい。その記憶を過去にするには四年は短い。バルデロの王は巫女は死んだ、と一言告げただけで、詳しい事は何も言わなかったから謎は謎まま。各国は巫女の行方を今も探っている。

「巫女は…生きていらっしゃったら今、どんな気持ちなんだろうね」

彼は詩人らしく感傷的に呟いた。

劇も終焉に近づいている。王が巫女を連れ去り、巫女を閉じ込める事で幕を閉じる。


「囚われの巫女は何を思う…か」


唄うように吟遊詩人は呟いた。国を奪われた巫女はどんな思いでいるのか。

レイディアはその横顔を盗み見る。一瞬だけ、いつもの柔らかい雰囲気の彼からは信じられないほど真剣な表情を見た気がした。しかし目があった次の瞬間には、もういつもの柔らかい笑顔に戻っていた。

「もう行こうか」

ここにいる理由もなかったので大人しくレイディアは立ちあがる。

「次は何処へ?」

「そうだな…そうだ、人から聞いたんだけど、評判のお店があるらしいんだ。ここからそう遠くないし、そこに行かないか?」

「いいですよ。どんなお店なんですか?」

「お菓子屋さんだよ。持ち帰れるし、お店で注文してその場でも食べれるって聞いたんだ。確か…『ミレイユのお菓子工房』とかいってたっけ」

その手の情報は女官達の得意とする分野だ。この間一緒にいた女官達にでも聞いたのかもしれない。

「名前は聞いた事があります」

「そうなの? まぁ有名な老舗らしいからね」

後宮の舌が肥えた女達を満足させられる店など数えるほどしかない。そのひとつである『ミレイユのお菓子工房』はお菓子界の大御所と言っていいだろう。

今は三代目が店主を務めている老舗。その店には何度か後宮から遣いで行った事があるのだが。

レイディアは野暮な事は言わず、吟遊詩人の後ろを付いていった。






「いらっしゃいませ〜」

甘い香りが漂う可愛らしいお店に足を踏み入れると、店に似合いの可愛らしい服を着た少女達がレイディア達を出迎えた。

「二名様で?」

「こちらでお召し上がりですか?」

彼女達は完璧な笑顔でにこやかに接待する。

「こちらへご案内いたしまぁす」

席に着いたレイディア達はお品書を眺めた。

「沢山あるね。あ、ここお菓子以外にもあるよ。麺物とか」

「先程、別のお店で昼食を食べましたよ…」

見た目に反してこの吟遊詩人は大食漢のようだ。

それぞれ注文した後、レイディアは店の外を眺める。普段と違うこの状況は構えていた程気詰まりじゃなかった。不思議と落ち着く。こんな感覚は久しぶりだが、嫌いじゃなかった。

「良かった」

吟遊詩人の方を向くとレイディアを見つめる優しげな彼の目とぶつかった。

「…何がですか?」

「楽しんでくれているみたいで」

「楽しい…?」

レイディアは瞬いた。

「うん。今笑ってたよ。気付いてなかった?」

「私、が…?」

「君は…確かに感情を顔や態度に表すのが下手かもしれない。だけど、その心にはちゃんと感情があるんだ」

「…」

レイディアの掌がテーブルの下で無意識に服を握る。

「…どうして、いつも顔を俯かせているのか分からないけれど」

吟遊詩人はレイディアを見つめたまま続ける。彼の紫の髪が頭の揺れに合わせてさらりと流れる。

「出会ったばかりだけど、どうしてか放っておけない君に、顔を上げて少しでも笑ってもらいたいと思ったんだ…」

「……」

レイディアはじっとして聞いている。握るこぶしが微かに震えているのにも気付かない。

「…僕はどうやら君に惹かれているようだ。まだ名前さえ聞いていない君に」

照れくさそうに笑う吟遊詩人。そう言えばレイディアも吟遊詩人の名前を知らない。知ろうとしなかった。

「それで…君さえ良かったら…」

「お待たせいたしましたぁ。コーレルブリュレとセミュロンゼリータルトでっす」

可愛らしいおさげな眼鏡の娘が注文の品を運んできた。吟遊詩人が言おうとした言葉を見事に遮る絶妙な間だった。

「それで…」

おさげの娘はレイディアを満面笑顔で振り返った。

「あっただいま期間限定企画を催しておりまして、店主オリジナルブレンドティーをおまけしております。是非ご賞味くださぁい。このお茶は美容効果がありまして、特に女性に是非お勧め致しております。それではごゆっくりどうぞ〜」

「…」

「…」

「……食べようか」

「ええ」

吟遊詩人は何となく挫かれた気分だったが、気を取り直し、綺麗に盛りつけられたブリュレにスプーンを刺し入れた。

レイディアは知らず止めていた息を吐き出し、同じようにお菓子を口に運んだ。









店裏に戻ったおさげの娘にツインテールの娘が不思議そうに聞いた。

「あれぇ? 店主ぅ〜そんな企画やってましたっけ?」

「さっき始まって、今終わったとこよ」


茶目っ気たっぷりに三代目店主(ミレイユ)は片目を瞑ってみせた。

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