第四話 アルフェッラ出身の者達
「あれ、君は…」
廊下を歩いていると、後ろから声がかかった。
振り向くと、リュートを背中に担いだ長身の男が手を振っていた。いつぞやの吟遊詩人だった。
「やっぱり君だ。その髪はかぶりものをしていても目立つからね、すぐ分かったよ」
にこにこと愛想のいい笑顔で近づいてきた。
「…こんにちは」
「こんにちは。君、宮仕えをしていたんだね。お貴族様だったのかな?」
宮仕えする者の殆どが貴族だ。そして王宮への立ち入りが許されているのは上位の女官に限られる。
「…私は貴族ではありません。…仕事で立ち入りを許されているだけです」
「そうなの?まあ、いろいろ決まりごとがあるものだしね、お城って。一般庶民には理解出来ない複雑怪奇」
大げさに首をすくめる様子に思わず小さく笑ってしまった。
「あ、笑った。…ねえ君、いつもそうなの?」
「…え?」
「いやだって、こないだも今もずっと被り物や前髪で顔を隠しちゃってるし」
女奴隷は仕事中、髪を落とさないように覆う。レイディアも支給品をかぶっているが、それに加えて俯いているため前髪が顔を絶妙に覆っている。
そう言って伸ばされた手をレイディアはさりげなく避ける。
「…癖なので。気にしないでください」
身を引いた彼女に彼はさして気にしたそぶりをみせず、ふぅん、と顔を戻した。
「もうちょっと顔をあげて笑った方が可愛いと思うな。女の子なんだし」
「……貴方こそ、いつもそうなんですか?」
「何が?」
「そのタラシです」
「タッ…心外だな、そんなつもりはないよ。思った事をそのまま口にしてるだけ」
唄のようにね、と片目をつむって見せる。
「…宴、成功したみたいで良かったですね」
「全くだよ。気にいられなかったら首がなくなっちゃうかとひやひやしたね」
冗談めかして首に手を当てる。
「こうして、下々の者には一生お目にかかれないバルデロの城の中を見れるのも自分たちのおかげだとか僕達を呼んだ役人達にふんぞり返って言われたよ。まあたしかにこんな機会滅多にないからいろいろ見学させてもらってるんだけどね」
「…そうですか。迷わないようにお気をつけ下さい。広いので」
「そこで相談なんだけど」
いきなり真剣な顔になった男にレイディアは首を傾げる。
「…招待客の滞在する所って何処かな?」
…彼はすでに迷っていたらしい。
「いやぁ実は困ってたんだよね。人に道を聞こうにもうっかりお偉いさんにでも当ったらと思うと訊くに訊けなくて。君がいてくれて良かったよ」
軽く笑いながら話す彼を導きながらレイディアは廊下を進んでいた。
「僕は綺麗なものが好きでね、城に飾ってある物を見て回っていたらいつの間にか道を見失ってしまって―――」
レイディアが特に相槌を打たずとも勝手にしゃべる。
「どうしたんだい?」
いきなり止まったレイディアに吟遊詩人は首を傾げた。
「ここです。この先一帯が招待された方達の滞在するところ」
「ああ、なるほど」
見渡せば見覚えのあるところだったのだろう。ここだここだと頷いていた。
「ほんとにありがとう、助かったよ。あ、でも、君もお仕事中だったよね?ごめんね邪魔をしてしまって」
笑顔から一変、申し訳なさそうに表情を変えた。くるくるとよく顔が変わるものだと感心した。
「…これも仕事ですので」
「そっか、気にするなって言いたいんだね。優しいんだね君」
レイディアのものいいは限りなく事務的な口調だったにもかかわらず、ふわっと嬉しそうな顔をしてそんな事をのたまった。どういう解釈をすればそんな前向きな言葉に聞こえるのだろう。
「……」
「あれ、どうしたの?」
「いいえ、やはり貴方はタラシだという事が確認できただけです。それも天然ものの」
「えっ今の何処にそんな要素があったの?!」
「自覚がないから天然というのでしょう。もういいです」
投げやりなレイディアに吟遊詩人は慌てた。
「そんなっそんなこと言われたの初めてなんだけどっ」
「そうですか。ならいいんじゃないですか。それではこれで」
レイディアは踵を返した。
「あ、待って!」
咄嗟に吟遊詩人はレイディアの腕を掴んだ。
「…まだ何か?」
呼びとめたのは彼のくせに何故か口ごもった。
「…また会えないかな?」
「城内はとても広いですから、そう簡単に会う事は出来ないでしょうね」
こうやって偶然会った事だって奇跡に近いのだ。そして滞在期間を過ぎれば彼とは一生会う事はなくなるだろう。レイディアはここから出る事はないのだから。
「…そうだね…」
吟遊詩人は顔を上げた。
「仕事の邪魔をしてしまったお詫びに街でご馳走でもしたいのだけど」
「…お気になさらず。仕事ですから」
きっぱり言うレイディアに彼は怯まなかった。
「でも、本来の仕事を滞らせたのも事実だ。君は街に出られるんだろう?」
「それは…許可がございますので」
遊ぶための許可ではない。
「じゃあ、仕事の合間の少しの時間でいい。僕に君の時間をくれないか。ほんの一時でも」
「…折角ですが…」
仕事の邪魔をして悪いと思うならこれ以上足止めをしない方がよっぽど善意ではないのか。
「どうしてもかい?それとも…もしかして恋人でもいて、他の男とは出掛けられない?」
「私がそんなものに現をぬかすとでも?」
即座に否定したレイディアには、確かに何処にも恋人の気配は感じられなかった。ただ、これまで淡々とした物言いだった口調が、心なしか語気が強められたように感じた彼は首を傾げた。
一方、レイディアはそんな事を堂々と訊く彼に呆れてもいた。後宮の女達に恋愛はご法度だ。密通がバレれば相手の男共々罰が下る。…守られているとはとても言えないが。
「そ、そっか。じゃあ。都合が付けば大丈夫だよね?」
何故かほっとしたように言う吟遊詩人。どうしても諦める気はなさそうだ。
そろそろ仕事に戻りたかったレイディアはついに折れた。
「…良いでしょう。確かな約束は出来ませんが、もし都合がつけば…」
「ほんとかいっ?!」
レイディアが言うや否や途端に元気になった。
「うんうん。それじゃあまた次に会う時にでも出かけよう。もうしばらく僕はここにいるからさ」
にこにこと笑って吟遊詩人は、レイディアが何か言う前にそれじゃ、と廊下を歩いて行ってしまった。
「……………」
どうやらまんまと約束を取り付けられてしまったようだ。
さて、どう言い繕ったものか…。
レイディアはひとつ溜息をつくと、『彼』への言い訳を考えつつ、今度こそ踵を返してその場を後にした。
「レイディア殿」
前方から聞き覚えのある声がして顔を上げると、案の定テオールがそこにいた。
「今からそちらに行こうと思っていたんだ。入れ違いにならなくて良かった」
テオールはきびきびとした歩きでこちらに近づいてきた。
「すみません。待たせてしまいましたか」
レイディアが城へ赴いたのは彼からの文が着たからだ。つい先日帰ってきたばかりの彼に王はまた何かを命じたらしい。ご苦労な事だと思いつつ早速彼の元に行こうとしたら吟遊詩人に出くわしたというわけだ。
「いや、良いんだ。いつも君が後宮からここに来て大変だろうから、たまにはわたしから行こうかと思ってね」
「まさかとは思いますが…テオール様御自らですか?」
「そうだが?」
「…仕事なんですから、このくらいなんでもありません。まして王の側近たる貴方がわざわざ足を運ばれる必要はございません。せめて人を使うとか…」
自覚のないテオールにレイディアはやんわりとだがたしなめた。女性達からの熱い視線を注がれるこの王の側近が、一介の女奴隷の元に来るなんて知られたら、レイディアに明日の朝日は拝めなくなる。確実に。
「それは王の片腕である貴女も同じでしょうに…」
「片腕?そんな大層な事していませんが」
公には決して出てこない陰なる片腕。最近、一部でだが密かに囁かれるようになったのを知らないのだろうか。苦笑したテオールはレイディアと二人、歩きだした。二人の立ち位置は傍から見たらテオールがレイディアを引き連れているように見えるように。
「この度は無事のお帰り、真に嬉しく存じます」
レイディアは今更だが、凱旋の祝言を述べた。
「ん?ああ、ありがとう。そうはいっても今回わたしは後方にいたからあまり役には立ってはいなかったが」
「ご謙遜を。貴方の後方支援のおかげで危うく難を逃れたと評判でしたよ」
彼は口を噤んだ。機嫌を損ねたのではなく、照れ隠しなのは四年の付き合いであるレイディアは知ってる。
「…後宮は変わりない?」
「ええ。滞りなく。細々した問題は女官長からの報告書に…」
「そう。それで…今回の要件なんだが」
「はい」
レイディアは気を引き締めた。テオールは顔に手をやり考える仕草をした。
「その前に、不審な事が起こりとかは?」
「特には」
「そうか…」
「それと何か関係でも?」
テオールが立ち止まり、振り返ってレイディアに耳打ちしてきた。
「……王がね、勘が働いた、ておっしゃられたんだ」
レイディアは前髪の奥の目を細めた。なるほど、唯事ではなさそうだ。
「あの人の半分は本能でできているようなものですからね。そんな人の勘は、不本意ですが信用出来ます」
たかが勘、されど勘。一笑に伏せないものを彼は持ってる。テオールがこうしているのを見ると、まだ何も起こってはいないのだろう。しかし、王が勘づいた以上、近々必ず何かが起こる。
「そうだ。だからまず何か不審な点が無いか城中を洗おうと思ってね」
「後宮方面からは私というわけですね」
「頼めるか?」
「もちろんです」
「すまない。これから忙しくなるところに」
「テオール様が謝られる事ではありません」
この間の議会で新しい妃についての議論がなされた事についていっているのだ。ついにさんざん渋っていた王が縦に首を振ったのだ。これがなれば王が即位して五年にして初めての後宮入りになる。まだ最終決定には至っていないのでこの事を知っているのは一部の上層部の人間だけであるが。
レイディアは憮然とした。自分の首を自分で絞めた気分だ。
そもそも王に後宮入りの打診をされた女性達を調べて、良さそうな人を見繕ってこないだ王に提出したのは自分だ。
さらに後宮入りに頷いたのも自分だ。これから暫くは追われる対応とこの捜査に忙殺されるだろう。吟遊詩人の為に時間はとれそうもない。それはそれでいい口実になるので問題はないが…。
「…まずは不審な点を洗い出すということですが…」
「分かっている。王宮はそんなのありふれたものだ」
王宮において、変死体やら謎の失踪なんてのは茶飯事だ。事件を事件と騒いでいちいち構っていられない。まずそこから入る事になる。道は長そうだ。
「…王は一体どんな勘を働かせたのだろうか」
まだ起こっていない事について調べるという無理難題を吹っ掛けられたのだ。その王の無理難題に全力で応えるのが臣下の本分なのだが。テオールといえどもぼやきたくなる。
レイディアは最近の出来事を思い返した。ふと、王の旅芸人達の城の滞在を許可したのを思い出す。詰まらないと言っていた彼。にもかかわらず城に滞在させた事が気にかかった。
「今のところは何とも言えませんね。…とりあえず廊下ではいつ誰が聞いているやもしれません。場所を移しましょうか」
「そうだね。気が急いてしまったようだ。…何処か二人になれるとこに行こうか」
単に仕事の話をするために部屋に行くだけなのに…秘め事は秘め事でも何故か違った秘め事のように聞こえてしまうのはどうしてだろう。レイディアは溜息をついた。
極秘云々以前に、王宮ほど噂が立ちやすい所はない。何処で見られているか分かったものではないのだ。
今のやり取りはレイディアがテオールに付き従っているように見せながらしていたのだが、いつの間にか周りを警戒している内に顔を近づけて言葉を交わしてしまっていた。
レイディアが場所を移したい、と言ったのは後宮でも人気が高いテオールと――実情はどうあれ――親密な関係にあるという噂を立てられたくなかったからでもある。
火のない所に煙は立たない、とはいうがここは火の立つ前に煙が先立つような所だ。噂とは恐ろしい。
後宮の様な噂好きで、嫉妬と陰謀に渦巻いた場所でそんな噂の的にされたら仕事にも支障が出るし、不愉快な目に遭わされる。
そういう事に疎いテオールは、そんな事は想像もしていないだろう。
彼の名はテオール・シュバルツ。彼は実はこの国の者ではない。レイディアと同じ、アルフェッラ出身である。
政変があって、親の代にこの国に移ってきたのだ。
まだ少年だった彼は、その利発さを活かしてこの王宮に仕官した。そこをギルベルトが見つけて側近として抜擢した。
その輝かしい出世歴を持つ彼。後宮の女達は鵜の目鷹の目で狙っている。
しかし、本人には浮いた話一つ聞かない。誠実で真面目で王に忠実な男。
だからなのか、年齢の割に幼く見える甘い容姿との差異が女性を引き付けるらしい。
そんな彼だが、同じ出身であるレイディアに、初めて仕事で出会い、打ち解けてから、何かと気にかけてくれるようになった。
それはいいのだが、そのせいでやっかまれたら敵わない。
「はあ」
「どうした?…そんなに疲れてるならわたしから王に言おうか?」
心配げにこちらを覗き込んできた彼に、レイディアは固まった。
彼は王の側近であるが、知らない。
王が、レイディアを他の男が気にかけたと知った時どうなるか、知らない。
側近である彼をまさかどうこうするとは思えないが、機嫌を害するのは避けられないだろう。
自惚れとか、考えすぎだと、思えないだけの過去があるだけにレイディアはもしもの事態を否定できない。
「大丈夫です。一息ついただけですから」
きっぱりと言い放ち、今だ心配そうなテオールをせっついてその場を後にした。