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鈴の音の子守唄  作者: トトコ
57/81

第五十二話

9/7少し加筆修正しました。

それから、どれくらいの時間が経っただろうか。

レイディアは長い時間、祈るように冷たい石に額をつけて目を瞑っている。それを静かに見守っていたドゥオ達だったが、殆ど射さない太陽が西に傾いてきた頃、ドゥオは躊躇いがちに声をかけた。

「お嬢ちゃん…そろそろ、日が暮れるぞ」

今も寒いが、夜から朝方にかけては外に置いておいた物が凍るほどに冷え込む。こんなところでいつまでもじっとしていると風邪をひく。しかし、ゼロが伸ばそうとしたドゥオの手を押しとどめ、自身が前に進み出た。

何をするのかと見ていると、ゼロは黙ったまま、レイディアの隣に直接土の上に腰かけ、リュートを構えた。

「…勇敢に戦った戦士に」

その言葉に顔を上げたレイディアの表情を見て、ゼロは微笑んだ。

「勇ましく戦った者に、称える唄を贈るものでしょう?」

リュートの弦がゼロの指で弾かれ、鼓舞するような旋律を生みだす。



〈彼の戦士は勇ましく 槍の降る草原を駆け抜ける


 彼の戦士は愛情深く 故国に残した人の為 軋む身体に鞭打ち剣を振るう


 彼の戦士は強かで 迫りくる敵陣を軽やかに翻弄する


 彼の戦士は鮮やかに散る 数多の戦士の記憶に遺し


 彼の戦士は今も駆ける 敵陣の中を吹き抜ける風の中で〉



ゼロの歌声が、すんなりとレイディアの胸に落ちていく。ゼロの歌った唄は有名な歌だった。身内に戦死者が出た時などによく歌われる葬送の唄。亡骸の無いまま弔うその虚しさから生まれた唄だ。戦で死んだ者は、故郷で待つ者の許に帰ってくることはなく、僅かな遺留品だけでも戻ってきたら幸運。遺された者はその実感が湧きにくいからと、戦での戦いぶりを称賛しつつ、その死を悼む為に歌うのだが、レイディアの場合、顛末はどうあれ、エリックの亡骸はレイディアの許に戻って来た。まだそこで戦い続けているだなんてとても思えなかったから、その唄を歌ったことはない。亡くした当時はその唄さえ知らなかった。けれど、四年経った今、その唄は不思議とレイディアを慰めてくれた。それはきっと、エリックが宦官だと知っても、他人(ゼロ)が彼を悼む唄を歌ってくれたから。

「ありがとう…ございました」

静かに唄の余韻が消えるのを待ってレイディアは礼を述べた。

ゼロは首を振った。レイディアに感謝されるのは少々心苦しかった。

これまで、宦官についてどうこう思ったことはない。意識したことさえなかった。レイディアが語った女達と同じだ。彼ら一人一人に個性や心があるなど考えたことはなく、無意識に宦官を格下と見做していた。そのことに対する僅かばかりの罪滅ぼしも兼ねての唄でもあったのだから。

「いいんです。それでも、嬉しかったのですから」

「…僕は彼のことを知りませんが、貴女の心に適った人です。きっと、良い方だったのでしょう」

「ええ」

レイディアは微笑んだ。

「彼は、花を世話するのが好きな、普通の良い男性でした」






「さて…」

今日の宿をこの場に設けることにしたレイディア達は、墓石が見える近くの茂みに寝床を作ることにした。彼らはドゥオの手下が素早く木々の間に布を張り巡らして作った、即席の天幕の中にいた。手下達が夕食の準備をしている間、彼らは焚火を囲んで今後のことを話し合った。

「お嬢ちゃんの用事も終わったことだし、明日からは西に向かおうと思う。ここに長居するのはマズイからな」

ゼロも頷いた。ここは一つ峠を越えればアルフェッラ領に入るぎりぎりの国境線に位置している。名目上はバルデロ領となったアルフェッラではあるが、殆ど自治を保っている故にこのあたりは未だアルフェッラの影響が色濃い。山奥とはいえ、安心は出来なかった。また、東はほぼバルデロの支配下にあり、南は紛争地帯で、内紛も頻発しており、東や西の国境を接する国々ともいざこざを繰り返している治安が一番悪い地域だ。良くも悪くも過激な国民性を持つ南国の者達の気質は、余所者を気軽に受け入れる陽気さがある代わりに、問題の解決は力尽く、といった調子なのだ。

西も少々きな臭い時期が続いているが、問題を抱えているのはどの地方も同じだ。彼らが身を潜める先として西が一番安全だ。

「中央の…まだバルデロやアルフェッラの影響が少ない内陸の国を経由して、西を目指す」

ドゥオが地図を取り出して予定する経路を指でなぞって見せた。

「…グラー砂漠を通るのですね」

ドゥオは頷いた。

「それが第一関門だ。規模こそ南を横断するでっかいシャム砂漠と比べれば、水溜り並に小さいが、準備を疎かにすると、三日で野垂れ死にしちまうぞ」

危険だが、身を隠す者達がとる定石の経路だ。ドゥオは元より、レイディアも追われる身だ。出来るだけ痕跡を残さず西に向かいたい。

「俺達は盗賊だからな。世界を敵に回してるも同然。だから出来るだけ、何処の国の影響もない所を通って西国に行きたい。勿論、バルデロの傘下の国も論外だ。分かるな?」

「…ええ」

かつての仲間に追われる。罪人としてではないが、複雑な思いが過る。たが、レイディアは口にも顔にも出さなかった。

「で、砂漠に話しを戻すがな。砂漠には、昔から住まう砂漠の民がいる。余所者には厳しいが、こちらがあちらに礼を尽くせば悪いようにはしないから安心しろ。オレ達と付き合いのある部族もいくつかある。盗賊なんかもいるが、オレらも同じ狢だ、心配するな。それから…運が良ければ西に向かう隊商と合流できるかもしれない」

「砂漠に民は彼ら独自の文化を持っていて、オアシスという、砂漠の癒しの場を縄張りにして各部族単位で固まって生活をしています。注意しなければいけないのは、グラーにあるオアシスはほぼ何処かの部族の物だということです」

そこから勝手に水を汲もうとすれば問答無用で殺されそうになるらしい。飲み水は砂漠では黄金よりも貴重な資源。命の水なのだから、水に関しては過敏な反応を示すのは無理もない。

「ですから、まず部族を探して礼を尽くすことが鉄則ですね。いくらか物資を融通すれば一晩の宿を提供してくれますから、砂漠では、砂漠の流儀に逆らわないことが重要です。僕らは砂漠の民の拠点地を渡り歩くことになりますからね」

彼らがここまで言葉を尽くすということは、それだけ扱いには気を付けなければならないのだろう。レイディアは頷いた。

「西までどれだけの日数がかかりますか?」

ドゥオは上に目をやり指を遣って日数を数えた。

「…陸路なら、順調にいって二カ月。だが、オレは四か月と見ている。これから冬だからな。もしかしたら何処かで足止めを食らうかもしれん。砂漠さえ抜ければ後は比較的楽なんだが…旅人の間にゃ“東から西へは百日旅”っていう言葉があるくらいだ。最短で四カ月、だな」

二か月というのは、順調な行程という前提で、かつ強行軍で行った日数である。今回はレイディアという重しがある。旅慣れしていない少女に襲いかかるのは、賊や肉体疲労だけではない。精神的にも疲弊する。これは男でも同じだ。盗賊はそんな弱ったところを狙って金品を盗む。女なら、その身体も奪われる。その上、旅には不測の事態が付きものだ。旅には多くの危険が常に付き纏うことを考えれば、百日どころか半年もかかる可能性もある。

「ま、日数は心配しなくていい。路銀は心配ない。向こうに無事に辿りつくことだけ考えればいい」

今回は始めから追われているというおまけ付きなのだ。早く着くことよりも、安全に辿り着くことの方が重要だ。

彼らと逸れる可能性に思い至り、レイディアは手を握り締めた。

レイディアは外の地を良く知らない。知識としてはあるが、そんなものは殆ど役に立たないことをバルデロで働く中で学んだ。もし、彼らと離れ離れになったら、レイディアは西に行けなくなる。


でも…


「大丈夫ですよ。離れてしまったら、全力で探します。何処かに捕まってしまっても、絶対、取り戻しますから」

俯いたレイディアが、緊張したと思ったのか、ゼロは勇気づけるようにレイディアの隣に身を寄せた。ドゥオも頷く。そして、ぼぼっと不意に揺れた焚火を見下ろした。

「そうだ。国相手は厄介だが、オレ達は天下の“鷹爪”だぜ? いざとなりゃ…軍隊にだってぶつかるさっ!」

最後の言葉と共にドゥオは飛びあがり、天幕の向こうに熱した木の実を投げつけた。

ドゥオの手下達が木の実を追うようにして天幕の向こうに駆けだす。ばさりと外された天幕の向こうにいたのは。

「探したよ、レイディア」

十数名もの配下を従えた、ユリウスだった。






「お兄様…」

レイディアは震える手を押さえながら呟いた。

「…どうして、ここが?」

崖下に流れる川の轟音が、嫌に耳に響く。

「ネルマにあれの墓を作らせたそうだね。きっと、一度はこちらに来ると思っていたよ。それにしても、こんな所にあったとはね」

その言葉にレイディアははっと顔を上げた。墓については、ネルマとレイディア以外に知る者はいない。

「…ネルマは、今何処に」

「わたしの許にいるよ」

彼女はエリックの墓を作った後、神殿から離れるようなことを言っていたのに。

「…彼女は、無事なのでしょうね」

「酷いな。仮にも君の乳母だった者を酷く扱うはずないだろう?」

レイディアは気を落ち着けるように小さく息を吸った。

「……ならば、よろしいのです」

「ねえ、レイディア。いつまで、意地を張るつもりだい? 君は、もうあの者を何とも思ってなどいないくせに」

レイディアの身体が強張った。

ゼロはレイディアを後ろに隠すようにしてユリウスの前に立ちはだかった。

「随分勝手なお言葉ですね。彼女の想いを、貴方が勝手に判断するものではないでしょう」

ユリウスは目を細め、不快気な雰囲気を湛えた眼差しをゼロに送った。

「小物盗り風情が…。だがね、お前達には感謝してもいい。レイディアをここまで無事に連れてきてくれたのだからね」

「渡すつもりはねえがな」

「たかが一団の盗賊が、複数の国を相手に出来ると思っているのかい?」

「オレらにゃオレらの武器がある。そう簡単に潰されはしない」

「レイディアを渡してくれるなら、ここはお前達を見逃してやってもいいんだが」

ドゥオは鼻で笑った。

「今は、だろ? どうせ、すぐにオレらを消しにかかるつもりなんざお見通しだ」

「…そう、残念だよ。わたしは争いごとが嫌いなのだけどね」

ドゥオとユリウス、双方共に武器を構えた。あちらが二十名近くいるのに対し、こちらはドゥオとゼロ、そして手下三人の五人だけだ。天幕の周囲をぐるりと囲まれてしまってる状態では、レイディアだけを逃がすことさえ出来そうもない。

「…あんまり、使いたくなかったんだがな」

ドゥオはぼろぼろの外套の中に仕舞われていた、不釣り合いな程に立派な剣を鞘から抜いた。ゼロがその剣を眇めて盗み見た。

「へえ…良い剣を持っているね」

ユリウスの配下がまず動いた。ドゥオの手下達が迎えうつ。

ドゥオはユリウスに切りかかりながらも抜け道を探した。この天幕の狭さを利用するにしても勝算は低い。ここは奴らの領土だ。

これからの長旅の為に、あまり体力は使いたくないというのに、そうも言ってられなくなった。おまけにオレの宝を出す羽目になった。それもこれも、ここに着いて間もなくやって来やがったこいつらの所為だ。尾行には十分警戒していた筈なのに。

…そうだよ、何故こんなに早く…

一瞬浮かんだ疑問は、しかしそんな理由は今はどうでもいいと振り払われた。総勢二十名とすると、一人四人相手にしなければならない。いや、ドゥオがユリウスを引き受けたから四人で二十名。レイディアを庇いながら一人で五人はゼロでも難しいだろう。幸い、馬から装備を外していない。隙を狙って馬で逃げれば…

しかし、その思考は中断させられた。ユリウスも気付いた。誰か、来る。


「ディーアちゃん!」


ドゥオとユリウスが同時に飛び退くと、天幕を捲って異分子が雪崩込んできた。

満面笑顔のエリカだった。




「誰だ、お前…」

乱入してきたのが女であることに困惑したのも束の間、さらにもう一人飛び込んできた。

「エリ姉っ、一人で勝手に走りだすな!」

やっとのことで追いついたゼギオスだったが、エリカは応えるどころか振り向きもしない。

「ディーアちゃん、どうしたの? 一緒に帰ろうよ」

ゼギオスもレイディアへと目を向けた。ユリウスでもなく、ドゥオでもなく、まっすぐにゼロの後ろにいるレイディアだけを。

「やっと、見つけた…」

息を切らしながらも、その暗い瞳は揺るがない。レイディアはつ、と目を細めた。レイディアをここまで追ってくるとしたら、ゼギオスだと、レイディアは思っていた。


ユリウスはエリカに注意を向けた。

エリカ。蔭の戦闘部隊の中でも未知数。行動が読めない故に、ユリウスが蔭の中で最も警戒した女だ。女だからというだけで剣を向けることを躊躇するのは、この女に限っては命取りになる。

「………」

彼女に―下っ端とはいえ―配下を三十名も一度に潰されたことは記憶に新しい。エーデル公を利用した時も、大いに邪魔してくれた。この女はギルベルト王の蔭。本人はおらずとも、何処までもユリウスの邪魔をするつもりのようだ。

ユリウスは新しく出来た布陣を確認した。

盗賊“鷹爪”、バルデロの隠密部隊“蔭”、そしてアルフェッラの“お庭番”。三つの勢力がここに揃った。

ユリウスは哂った。見事な三つ巴だ。



レイディアに駆け寄ろうとしたエリカにユリウスが剣を向けた瞬間から、三つの勢力が入り混じる本格的な戦闘が始まった。

ユリウスがエリカとの間合いを詰めると、エリカはその場から飛び退いた。木の幹に両足の裏を踏みしめ、跳躍する。そのままユリウスの配下達の中に飛び込んだ。間を置かずドゥオがユリウスに切りかかり、それをユリウスが受け止める。エリカが投げ飛ばす部下達を避けながら応戦した。図らずもエリカがユリウスの配下を大勢引きつけてくれた御蔭でゼロ達の負担は軽くなったが、ゼロの相手はゼギオスとなった。

「貴様ら、自分が何をしでかしたのか、分かってんのか」

「重々分かっているよ。僕らは大切な宝物を王様から盗んだ大悪党。だろ?」

ゼロの短剣とゼギオスの旋棍がぶつかり合う。

「じゃあ、その悪党の末路も承知の上だな。鼠は鼠らしく、日陰でこそこそチーズのお零れを拾っていればいいものを」

「…君とは会ったばかりだけど、何か通じるものを感じるよ。彼女に何を見ているのかな?」

顔を歪めたゼギオスの蹴りがゼロの鳩尾に入るのと、ドゥオ達の呻き声は同時だった。

ユリウスの剣がドゥオの肩を掠め、ドゥオの宝刀がユリウスの脇腹を掠めたのだ。どちらも掠っただけだが、手加減なしのぶつかり合いによる衝撃は二人の速度を緩めた。

「っ…お坊ちゃんの癖に、実戦を知っているとは意外だねぇ」

アルフェッラは長年戦をしてこなかった為に戦下手だった筈だ。

「…わたしを、他の腑抜けた貴族達と一緒にしないでくれるかい?」

ドゥオは眉を潜めた。

「お前の味方だろ?」

「あんな奴らはただのお荷物だ。わたしがずっと、どれほどの思いでアルフェッラを支えてきたか分かるまい」


戦況は拮抗していた。ゼロとゼギオスの実力は甲乙つけがたく、エリカはドゥオの味方ではなく、彼の手下にも無差別に牙を剥いた。戦闘が長引けば、ドゥオとユリウスの配下達はエリカの餌食だ。そして本当に三つ巴の戦になる。

レイディアを取り戻すまで、誰も引かない。引けない以上、泥沼戦になるのは明らかだった。

どうする。誰もが短期決着を望んでいるが、誰もが泥沼戦を覚悟した矢先、あることに気付いた。真っ先に気付いたのは、初めからレイディアに向かっていったゼギオス。


「レイディア…様、は何処だ」


いつの間にか、この場からレイディアが消えている。

小さな呟きだったが、全員その声に気付いた。息を吐く暇もないほどに入り乱れていた戦闘が突如止まった。








レイディアは凍える風が吹く崖の上で、氷のように冷たい石にしなだれかかる様にもたれ、墓石を撫でていた。

「…ねえ、エリック。私、どうすればいい?」

(いら)えはない。

「あの人は…私から、私を奪おうとするの」

レイディアは構わず話し続けた。

「貴方への思いだけが、私を私にしてくれるのに」

レイディアの頬を突き刺す風だけが、レイディアの呟きを聞く。

「…ねえ、どうして、私が好きなのはやっぱりエリックなのだと、思い出させてくれないのっ? どうして…」

ユリウスの言う通りだ。今のレイディアには、エリックに対する、かつてあった筈の甘い疼きが、殆ど薄れている。恋した記憶も、胸の高鳴りもちゃんと覚えているのに、今のレイディアと同調してくれない。思い出すのは、ぼやけて淡い輝きを放つ、優しい情景。懐かしいだけの記憶を、過去というのだったか。

代わりに……

「………」

レイディアは首を振った。認めない。認められない。そんなもの知らない。


「レイディア!」


その声にレイディアの肩が震えた。

「そんな所にいては風邪をひいてしまうよ。さあ、こっちにおいで」

「…来ないで下さいませ、お兄様」

ユリウスはゆっくりとこちらを向いたレイディアの顔付きに眉を潜めた。暗闇でも分かる、死人のように青白い顔色。虚ろな、瞳。

ユリウスの肩越しに、ゼギオス達が揃って駆けて来るのが見えた。レイディアは黙って彼らを出迎えた。

「…一時休戦していただけたようで」

レイディアは微笑んだつもりだったが、何処か虚ろなのが、ドゥオ達にも分かった。足が、動かない。

「…オレらを止めるつもりであの場を離れたのか」

「…ええ、まあ」

曖昧に答え、レイディアは墓石に目を戻した。

「…やっぱり、駄目なのでしょうね」

態々思い出さなければ会えなくなったエリックの面影。バルデロに来た当初は、常に彼が傍にあったのに。

「“みこ”はそれだけで争いを生む。…分かっていましたけど」

あの人に対して無関心でいることはだんだん難しくなった。彼は優しかった。穏やかな時間をくれた。街を見せてくれた。精一杯の自由を与えてくれた。その代わりに霞んでいく、エリックを恋しがる自分。

彼を想う時程、鮮烈に自分を感じられたことはないのに、その思いがついに消えてしまったら、私は…

「…だから、どうにかしなければ」

あの人が傍にいることが当たり前になったのは、彼の手を彼の物と分かるようになったのは、彼の腕に抱かれて安心出来るようになったのは、いつ。

無意識に口を吐く言葉と、とめどなく流れる思いがバラバラになってレイディアの中に渦巻く。

今なら、まだ、間に合う。大丈夫。まだ…大丈夫。

「お嬢ちゃ…」

レイディアの様子がおかしい。ドゥオが一歩前に踏み出す。それを制するように立ち上がったレイディアが一歩後ろへ下がった。ドゥオは動けなくなった。場の緊張が一気に高まる。

「冗談はよせ」

ゼギオスがぎらぎらとした目でレイディアを睨む。

レイディアはゼギオスの方は見ないで、代わりに空を仰いだ。けれど生憎厚い雲に覆われて、星は見えなかった。つい昨夜は見事な月夜だったのに。

雪が、降りそうだった。

「…私は巫女ではありませんが、巫女は私なのです。どうしたって、それは変えられない。なら、私が決着をつけなければなりません」

「だが、レイディア。それはっ」

皆、レイディアの行動の一つ一つを見逃さぬよう気を張り詰める中、ユリウスの顔に俄かに焦燥が浮かんだ。

「決着…?」

呟いたのはゼロ。レイディアはふっと、息を吐いた。

「…いいえ、貴方方が気にすることではありません」

「決着だか何だか知らないが、貴女が動けば、それだけで世界は振り回される。それをわかっているのか」

レイディアはゼギオスを見た。

「…では、聞きますが、この世に、“みこ”は必要ですか?」

突然の問いの意図を一瞬汲み取ることが出来なかったが、まもなくその意味を悟ると息を呑んだ。

必要と言えば長年“みこ”から“神の加護”と称して搾取してきたアルフェッラの民と同じ。

「卑怯な問いでしたね。忘れて下さい」

レイディアの言葉が上手く耳に入って来ない。必要無いと答えれば、彼女は……

「悲観的な考えは好きではないのですが、仕方ありません」

数多の国が“みこ”を望むのは、如何にも素晴らしい物のように聞こえる加護という言葉の所為だ。確かに“みこ”のいたアルフェッラには、敵兵に踏みにじられることもない。他国の圧力も殆どなかった。飢饉も滅多なことでは起きない。


安寧を得る代わりに、アルフェッラは歩みを止めた。それこそが、“みこ”の弊害。


誰も攻めてこないなら、剣の腕を磨く必要はない。

毎年作物が育つなら、酪農の改善など考えない。

必要もない努力をする人が、この世にどれだけいるだろう。人は、必要だから努力する。考える。前に進む。そうしなければ生きていけないから。

現に、当時のアルフェッラの軍事力は無いも同然だった。数でも土地勘においても圧倒的に不利だったバルデロの軍勢に呆気なく攻め落とされる程に。

確かに安定した生活は魅力的に映るだろう。誰もが一度は夢見る人生だ。だが、“みこ”がいつまでもアルフェッラに在るという保証など何処にもない。“みこ”から得る物が永遠のものではない。失えば、その代償は払いきれない程に高い。その危険性を、バルデロが証明したにも関わらず、今この時も諸国はレイディア(みこ)を探している。そして、見つければ、奪い合うのだろう。たった今見た光景はその縮小版だ。

守るためであろうと、奪うためであろうと、戦うことに違いはない。無血の戦など、殆ど夢物語だ。

けれど、そう言いながらも、戦を厭いながらも、ギルベルトに茨の道を歩ませているのは、他ならぬレイディア。

彼は戦う。レイディアを他国へやらない為に。レイディアも、他国へ行くよりは、とギルベルトの許に留まることを選んでいた。彼の傍は悪くなかったから。


でも、と思う。もし、エリックに出会わなかったら、どうなっていただろう。

エリックはユリウスに殺されることもなく、もしかしたら今も庭の世話をしていたかもしれない。

彼が殺されることがないのなら、レイディアがユリウスに反発することもなかった。

そして、ギルベルトの手を、あれだけ素直に掴むことはなかった。

そもそもエリックとは、鈴が彼の存在をレイディアに知らせたから出会えたのだ。あの時、鈴さえ鳴らなければ、今この状況は在り得ない。

ギルベルトが結果的にアルフェッラを攻め落とし、レイディアを国に連れ帰ったとしても、エリックを知らないレイディアはユリウスから離れることを厭い、簡単にギルベルトの手を取ることはなく、この四年間に築いた関係も築けなかった筈である。

つい二カ月ほど前の祭りの日に、迎えに来たユリウスの手を喜んで取ったかもしれない。

こうして、バルデロの外に出ることもなく、これ以上ギルベルトに戦をさせることもなく、大人しくアルフェッラに戻っていたかもしれない。

鈴さえ、鳴らなければ。

まるで、この道を御膳立てしたかのような…そしてまんまとその道を歩いてしまったかのように感じて、愕然とした。


だから、レイディアは抵抗することにした。


「私が、私である内に…」

「なんだって…」

レイディアの仕方なさそうな、けれど、何かを決めたその表情に、その場の男達の胸が冷えた。

「私がここにいては、貴方方は結局、また先程の続きをなさるのでしょうね」

逃げようかと思ったけれど、レイディアの足では、彼らを撒くことは不可能だ。

レイディアはゼロとドゥオと彼らの手下達を順に見た。

「貴方達との冒険のような旅。少し楽しみだったのですけど」

「お嬢ちゃん…やめろ」

「私は、あの人から自傷行為も、自殺行為も禁じられているのですが…」

レイディアは何かを探すように(くう)を眺めながら続けた。


「事故ならどうでしょう」


その笑みに、ゼギオスの脳裏に二年前の光景が蘇った。崩れる足場から逃れるかのように駈け出したゼギオスの背を、突然発生した突風が追いこしていった。

身を支える場所のない崖の上に立つレイディアの身体が、後ろによろめく。

ユリウスが、ドゥオが、彼らが崖へと集まる。一番に到着したゼギオスの伸ばした手が空を掴んだ。ゼギオスは絶叫した。

「お前は……また笑うのか!!」

レイディアが崖の下に消える間際、ゼギオスは彼女の声を聞いた。


「唄が…」


誰かが叫ぶ。川の轟音が煩い。風が耳元で唸る。それでも、小さな彼女の呟きはそれらを突き抜けて、はっきりと聞こえた。


「鈴の音…の」




唄が、聞こえる。



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