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鈴の音の子守唄  作者: トトコ
56/81

小話集三

2010/10/28と2011/2/16に活動報告に掲載していた小話を加筆修正したものと、書き下ろしです。



~ムーラン様は愉快な日々を送っているようです~


ある日、ムーランは呟いた。




「水気が飛んだら火から離して」

ソネットは鍋をかきまわすレイディアに指示を出した。今は『ミレイユ』の厨房で、簡単な料理を教えている最中だった。

素直に指示に従って鍋を火から濡れ布巾の上に移す。ソネットはその上に蓋をした。

「取っ手を持って回す様に鍋を振って」

レイディアは両手で鍋の取っ手を持ち、言われたとおりにする。

「こんなもんね」

レイディアは蓋を開けた。もわっと湯気が立ち上り、彼女の顔を煙らせた。

「良い匂いです」

ソネットは鍋を覗きこみ、にっこり笑った。菜箸を芋に突き刺し、息を吹きかけ口に頬張った。

「うん。美味しいわ。完璧よ」

レイディアにも口に入れてやる。レイディアは熱い芋を苦労して噛んだ。

「薄すぎないし、塩辛くもないですね」

「粉吹き芋はほんの少しの塩で充分味がつくからね」

皿に芋を移し、完成である。皿は城からレイディアが持参してきた綺麗な深皿だった。

「それ、誰に持っていくの?」

「ムーラン様に」

意外な名前にソネットは目を丸くした。てっきり我儘でも言った王に持っていくのかと。レイディアもよく分かっていない顔をしていた。

「ちょっと、色々ありまして…成り行きで、ムーラン様に持っていくことになったんです」

現在レイディアはムーランの宮に勤めている身だ。彼女は使用人を酷使しない妃だが、たまに使用人を困惑させることでも有名だった。


そしてつい先ほど、彼女は呟いた。庶民の料理を食べてみたいわ、と。


誰かに命じたわけでもなく、ただ呟いただけ。だが呟きだろうが何だろうが主人の望みを叶えるのは使用人全ての職務だ。そこで彼女の宮の女官達は、庶民階級の女奴隷達に、美味しい庶民の料理を持ってくるよう命じた。

同僚達は、すぐさま城の厨房にかけ込み、料理長と交渉を始めたり、自分で作ろうと場所と材料の確保に走った。

当然その中にまじっていたレイディアだが、厨房は彼女らに占拠されてしまったので、仕方なくソネットの店の厨房を借りることにしたのだ。


とはいえ、何を作るかは考えてはいなかった。レイディアは料理の経験がないのだ。そこでソネットに相談したところ、芋の皮むきはフォーリーの屋敷で既に習得済みなんだから芋を使ったら、と言われ、一番基本的な芋料理の粉吹き芋を作ってみた。

「形は不格好ですが、上手に出来て良かった」

短い期間で急に料理の腕が上達するわけがないので、簡単で美味しくて好き嫌いが少ない無難なものを選んだが、果たしてムーランは気に入るだろうか。


ソネットは、生真面目な彼女を微笑ましく眺めていると、裏口から誰かが入ってくる気配に気付いた。ネイリアスが配達から帰って来たのかと思い振り返ると、予想外なことにギルベルトが立っていた。

「…何をしている」

それはこっちの台詞だとソネットは思った。夕方のこの時間、シアだけを護衛にこんな所へ忍んで来るなんて。声の気配がする場所を睨む。

「料理をしていました」

レイディアもギルベルトに気付いた。

「…俺は、お前が出掛けることなど聞いていないが」

「急ぎでしたので」

「出掛ける時は、行き先と帰る時間を言い置いて行けと言ったな?」

「すみません」

やって来て早々、レイディアに懇々と説きだしたギルベルト。

そんなやり取りをしばしば彼らが繰り返しているのをソネットは知っている。そして幾つかの二人の約束事があることも。


街や人混みの中を歩く時は手を繋ぐこと。

レイディアは刃物を極力使わないこと。使用する際は人の目があるところで。

椅子に座る時は必ず隣に座ること。

名前を呼ぶこと。

必要以上に人(特に男)を見つめないこと。触れないこと。

そして今、新たに行き先を告げることが加わった。


…王は、一体どんな理想の夫婦を築きたいのか。


あくまで口約束。命令ではないので強制力はない、というところが重要だ。レイディアが取り決めを破る度に彼はこうして彼女に言い聞かせる。彼女が命じずとも自然に振る舞うまで。過保護な父親とも言える彼に、ソネットは半眼になった。同時に、このくらいは必要な庇護なのだとも思う。


彼は彼女を国から攫った。どう言い繕ったところで彼は侵略者。安全な木の上の巣から落とし、獅子が生きる荒野に連れ帰った略奪者なのだ。ともすれば木の上を見上げそうになる小鳥の気を逸らす為に、獅子は親鳥の真似ごとをしている。

木の実を与え、水を与え、そして枝で作った巣よりも温かくて大きな毛皮で包んだ。


けれど、獅子は親鳥になれるわけでも、なりたいわけでもない。


獅子がなりたいのは小鳥の番。生涯の伴侶。隔たる二人の差異を出来るだけ埋めようと、牙を隠し爪を引っ込め、ぎこちなく微笑むのだ。



「―で、それは?」

漸く説得が終わると、ギルベルトは注意をレイディアの手の中にある物に移した。

「粉吹き芋です」

レイディアは素直に答える。

「…何の為に?」

「ムーラン様の為に」

「………」

「………」

「…俺は食べたことがない」

「庶民の料理だそうですから」

レイディアはギルベルトが言わんとしていることに気付いていない。

ギルベルトは黙って器を見つめる。レイディアは流石に何かあることに気付き、器とギルベルトを交互に見やる。

「…ああ」

ギルベルトが微かに顎を突き出したの見て頷き、レイディアは器から一つ、芋を手に取った。

「…はい」

レイディアは一呼吸置き、ギルべルトの口に芋を当てた。ギルベルトもは当然の様に口を開け、レイディアの指先まで口に含んだ。

「…塩加減はどうでしょう」

「ん、丁度いい」

レイディアの指についた芋のカスも舐め取る。レイディアはぴくりとしたが動かなかった。まるで“待て”の命令を受けているかのようにじっとしていた。

「もう日も暮れる。夕食前に戻らねば煩く騒がれる。帰るぞ」

「はい。…ソネットさん。厨房と、それから料理を教えて下さってありがとうございました」

ギルベルトはレイディアから皿を取り上げ、レイディアの手を引いて厨房から出て行った。


一人取り残されたソネットは、彼らの約束事にもう一項付け足した。

何か作ったら手ずから食べさせること。






その夜、ギルベルトがムーランの部屋を渡ると、彼女は深皿に入った芋を突いているところだった。

「あら、陛下。ご機嫌麗しく」

上品に芋を嚥下すると、優しげに微笑み、王を出迎えた。

「…楽しそうだな」

「お陰様で」

ムーランはギルベルトを席に導き、猪口に酒を注いだ。

「今日のおつまみはお芋ですから、焼酎でよろしいでしょう?」

北方産の焼酎は喉越しがすっきりで、ワインの次にムーランは好きだ。ほのかに甘い香りがするそれを王に差し出したが、彼の目はテーブルの粉吹き芋に集中していた。

「お芋が珍しいのですか?」

彼女の揶揄に、ギルベルトは答えない。無言のまま芋を口に放り込む。

「それはレイディアが、わたくしの為に、作ってくれたのですよ」

芋を噛むギルベルトの動きが一瞬止まった。しかしすぐに動き出した王に、ムーランは楽しそうに微笑んだ。

「なんでも、レイディアは初めて料理をしたのですって。それにしては上手に出来ていると思いません?」

「………」

初めての手料理を捧げられる栄誉をムーランに奪われ、ギルベルトは突き刺すような視線をムーランに向けた。

ムーランの笑みを深め、上機嫌でお猪口を傾けた。






ちなみに、レイディアは何故かギルベルトの為にお菓子を作ることになり、再びソネットに厨房を借りることになったのは、三日後のこと。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




~誰が何を喋っているのか考えてみましょう~


新しい年の始めは何処も浮足立っている。そして人付き合いをするなら避けられない行事がある。その日、レイディアはソネットが主催する新年会に招待されていた。

そして、宴は現在盛り上がりの絶頂にあった。





「ホイップさん、お料理足りません」

「今追加作るね」

「あ、ホイップ、酒と割る水は?」

「はいはい」

「ねえ、エリカの串焼きは?」

「知らねえよ。自分で食ったんだろ」

「えぇっ、エリカ食べた物は忘れないよ?」

「そういえば、さっきユンケが…」

「ディーアちゃんっ楽しんでる?」

「ええ」

「ディーアちゃんそれお酒?」

「いいえ。先程ソネットさんに作ってもらったセミュロンの果実水です」

「一口ちょうだい」

「ユッケちゃん! エリカの串焼きは?」

「知りませんよ? 私お皿の隅に寄せてあったのを食べただけで」

「それエリカのだよ! 馬鹿ぁ!」

「レイディア」

「王…こんな雪の中いらしたんですか?」

「いつまでもこいつらに付き合う必要はない。明日も仕事がある。帰るぞ」

「え、でも…」

「陛下ったらつれないっ。良いじゃないですか、もう少しくらい。ディーアちゃんが疲れてきたらそのまま寝室に連れていって寝かしつけてあげればいいですし」

「今すぐ帰ります」

「それもそうだな」

「……おい、ユンケ酔ってないか」

「んん? ユンケちゃんはいつも元気ですよっ」

「誰だよ、ユンケに酒呑ませたの」

「ゼオ兄、ユンケにはお酒を呑む権利さえないんですかぁ?」

「絡むな。だから嫌なんだ。こいつに酒呑ますの」

「自分が勝手に呑んじゃったんだよ。果実水はイヤだって言って」

「中々強い酒を瓶から直接呑んでおりましたが」

「いいじゃないですかぁ今日はぱあっといきましょう。ぱあっと」

「はい、追加だよ。皆肉ばかり食べてないで野菜も食べな」

「レイディア様。おつぎ致します」

「ありがとう」

「ユンケにはっ?」

「自分で注げ、酔っ払い」

「レイディア」

「召しあがられます?」

「ん」

「…陛下も自分で食べて下さい。ここには長年恋人いない歴を更新している寂しい独り者も大勢…」

「気にするな」

「ディーアちゃん、エリカもっ…王様痛い」

「ホイップ、酒の追加だ。これっぽっちじゃ足りない」

「それくらいにしときなよ。五本も空ければ充分だろ?」

「あんな安酒は呑んだ内に入らん。いいから追加」

「これでも安くない方なんだけどなぁ」

「ユンケ歌いまぁす!」

「レイディア、あれもだ」

「どうぞ」

「ユンケ、ここは劇場じゃない」

「もう固いなぁサリーは。今日は何しても許される日だよ!」

「無礼講にも慎みというものは…」

「……野菜ばかりでは腹に溜まらん」

「まだ少しキッシュが残ってますよ。はいどうぞ」

「ん」

「…これ水じゃねえか」

「お酒はもう終わり。とにかくそれ飲んで」

「ユッケちゃん串焼き返して」

「もう食べちゃいましたよ」

「最後のお肉だったのに」

「ふん…充分食べただろう。俺の分まで」

「エリカのお肉!」

「うわ、ちょ…エリカ、離せっ噛みつくな! 肉を奪ったのは俺じゃない」

「止めろ。グラスが零れて水が陛下方にかかったら如何する」

「じゃあエリカを止めろよっ」

「二曲目いきまぁす!」

「……あれ、ソネットは?」

「もうすぐ材料がなくなるからと買い出しへ…」

「え、こんな寒空の下? 開いてるお店ある?」

「近所の客が集まる定食屋なら開いてるから、料理を貰ってくると…」



「―――ここは託児所じゃないのよ! これ以上わたしのしろをめちゃくちゃにするなら出て行きなさい!」


肩に雪を積もらせた『ミレイユのお菓子工房』店主は、温かい鍋を振り上げた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




~その頃のシルビア達~


それはレイディアが失踪して四日目のこと。


バルデロ国第一軍大将軍ダイダスは、王都に構える自分の屋敷に引きこもっていた。部下を失ったのを己の過失とし、心に痛手を被ったので。

本来ダイダスは身体は昔から頑丈だし、敵にどれだけ罵倒されようが顔色一つ変えないだけの図太さを持っている。が、仲間を失った時の落ち込み様は昔から酷く極端だった。

毎日毎日飽きもせず自分の副官が急を要する書類を抱えて来るから最低限の仕事はこなしているが、それ以外は自室や庭でぼんやりしている。あと、来る来客といえばたまに腐れ縁の第二軍将軍セルリオが怒鳴りこんでくるくらいで、ダイダスの屋敷は静かなものだった。そもそも大将軍ともなれば毎日出仕する必要はない。勿論仕事はあるが、平時はたいてい判子押しだけだ。たまに変な案件を摘まみあげて捨てること以外は単調な仕事である。

「…ふう」

今日は何日だったか。一日屋敷に籠もっていると時間の感覚が周囲とずれてくる。ダイダスの妻は既に亡く、一人息子は自立して滅多に屋敷に帰らない。自分一人が暮らすだけなら屋敷なんて立派なものではなく小さな家でも問題ないのだが、一応、自分は大将軍な訳で、それなりの屋敷に住んでいる。

ああ、剣でも振ろうかな、と思っていると、妻が生きている頃から勤めてくれている老いた召使いの女がやって来た。

「何だ、今は…」

「旦那様。お客様です」

と言葉が終る前にダイダスの後頭部に何やら硬い者が直撃した。

「いっ!?」

召使いを振り向く前だったので頭だったが、これが正面だったら絶対鼻血ものである。いや、それよりも。

ダイダスは自分の足元を見渡して、凶器を見つけた。紅い拳大の宝石。もしかしなくても…

「お前は隠居したじじいか」

ダイダスは声の方を振り向いた。そしてすぐに後ろに飛びのいた。刹那、ダイダスが立っていた場所に金色の杖が突き刺さった。

「はん、若干勘が鈍っているようだが、使えないこともようだな。これは好都合」

「い…きなり何すんですか! ジャスパー先生!」

ダイダスは今は大神殿の頭領を務める元上司に向かって叫んだ。






「で、何しに来たんですか、先生」

「文送っただろう」

「貰いましたけど、文では明日と書かれていました!」

ダイダスは濡れた布を頭の後ろにあてながら文句を言った。長旅を経ての訪問でもあるまいし、早めに着いたという言い分は通用しない。

「明日、儂が来てお前がここにいる保証があればそうしたがな」

ぴく、とダイダスの腕が脈打つ。

「わ、わたしが何処かに雲隠れするとでも? このわたしが?」

戦場で敵兵達を慄かせるダイダスの眼光を、祭司長は流した。

「しないと断言出来んな。少なくとも儂には。…ほお、儂を睨みつけるとは随分成長したものだ」

「…睨みつけたくもなります。いきなり国宝の杖の上に乗っかってる紅い玉を投げつけられれば。しかも…何故シルビア妃までこちらにいらしているんですっ?」

ダイダスは祭司長の隣でちょこんと座っている美姫を見やった。こちらをじっと見つめていたお姫様はダイダスと目が合った途端、ぽっと頬を染めて手を弄りだした。

「あの、ダイダス様…今日はお日柄も良く…」

「天気の話などどうでもいいんです。何故、貴女がここにいるのですか? 妃の貴女が」

シルビアの言葉を遮ると、目に見えてしゅんと肩を落とした。

「申し訳ありません。どうしてもダイダス様にお会いしたいと祭司長様に無理にお願い致しましたの」

妃はよっぽどの理由がない限り王の許可なくして外出は出来ない。だが、神殿へ出かけるとなればその規則は緩む。王に直談判して失敗した過去を持つシルビアは今度は神殿に望みを繋げた。卒倒した侍女を神殿の休憩室に置きざりにして。

「何が御用でも?」

「あの…レイディアがいなくなったのは聞き及んでいらっしゃるかと存じます」

ダイダスは渋々頷いた。今の所、緘口令を布かれレイディアの失踪は上層部に留まっているが、その情報はダイダスに届いている。たまに忘れるが自分は上層部の一員だから。

だが、

「何故貴女がそれを?」

妃達への通達は特になかった筈だが。

「わたくしは…シェリファン殿下からお聞きしました。レイディアと殿下とはお友達ですもの。でも、詳しいことは知らされず。それで、我慢できなくて…」

両手を胸の前に組んで俯くシルビアはさながら祈りの聖女だ。昔、何とかとかいう偉い画家が描いたそんな題の巫女(の想像)を基にした絵を見たことがある。丁度こんな構図だった。…は、どうでもいい。

「わたしにどうせよと」

「ダイダス様はレイディアが心配ではありませんの?」

「それは…」

「ダイダス様も、レイディアとはお友達なのでしょう? なのにずっとお屋敷に籠もりきりで…お身体にも良くありません」

レイディアが消えて、ギルベルトが荒れ、城は落ち着かない空気になった。そんな非常時にも関わらず城にいっこうに姿を現さないダイダスに焦れたのだろう。何よりも彼女の表情が物語っている。素直なのはいいことだ。

「レイディア殿に関しては、まだわたしが動く訳にはいかないのですよ」

大将軍自ら動けば内外にレイディアの価値を知らしめることになる。今の段階ではレイディアの失踪は伏せられているのだ。その身分も。いずれ正式に日の下に曝されてしまうとしても。

「…そうですね。それは分かります」

シルビアは冷静に頷いた。シルビアもそれくらい分かっているのだろう。ただ、何もせずにはいられずにここまで来ただけ。その行動力は称賛に値する。その思いがダイダスの表情に現れた。

「良き友人を持たれて、レイディア殿は幸せ者ですな」

するとシルビアはぱっと顔を上げたかと思えば、すぐに俯いて意味もなくドレスの裾を弄りだした。

「いえ、そんな…わたくしは当然のことをしたまでで…」

行動力がある割に彼女は引っ込み思案らしい。彼女はいつもダイダスに窺うような目を向けてくる。きっと、か弱い御婦人にダイダスのような無骨な大男は怖いのだろう。それを押してここまで来たシルビアの情の厚さにダイダスは感動した。

「…だがお前にはお前の仕事がある。いい加減出てこい」

今度はダイダスが祭司長から目を逸らした。祭司長が来た段階でその目論見はすぐに分かったが、あえて知らないふりをしていた。

「姫様のことはお前の言い分も一理ある。だが城に出てこないことは別の話だ。面倒事を全部儂らに押しつけて自分は休暇か。そうはさせるか」

「いや、ですが、先生…」

シルビアに対する時とは違い、まるで教師に対して悪戯の言い訳を考える生徒のようなダイダスを、シルビアは不思議そうに見た。

「貴方方は、あの…?」

「ああ。儂は元々ダイダスの師故」

「…ジャスパー先生は先々王の傍らで軍師を務めておりまして」

シルビアはまあ、と目を見開く。今は神殿で人々に世の理を説く祭司長が、軍師とは。

「軍師なんて天幕の奥で王に策を献じていればいいものを、本人も無駄に剣の手練で…みっちり扱かれ」

「昔の話だ」

「現在進行形ですよ」

問題児だったダイダスを鍛錬と称して叩きのめしては最前線に送り込み、根性を叩き直しては送り込み…直接の上下関係が無くなっても過去の影響は未だ色濃く残っている。

平時は内政にも関わるのが軍師だが、仕えた王の御世は隣国との小競り合いで始終していた。常に隣国の動きに目を見張り、不穏分子には王の蔭を動かしたものだ。その影響力の強さに軍師の地位は非常勤。今は空位だ。祭司長が退位して以来長らく空位の為、彼が軍師の位に就いていたことを知る者はあまりいなくなってしまったが、今でも古参の臣下達は祭司長に祭司長の位以上の畏敬の念を払う。

「儂のことはどうでもいい。今はお前の話だ。いつ出てくる」

「それは、近々」

「つまりまだ暫く出てくるつもりがないという意味だな」

「………」

「儂らは今日お前を引っ張り出す為に来た。ずべこべ言わずに仕事しろ」

「…どうしても仕事をする気になれんのです」

副官が書類を持ってきてくれる御蔭で軍部に差し当たって問題はない。だが、いつまでも軍の頭が姿を見せないとなると兵は不安になるし、風紀の乱れの下になる。軍部が浮足立つと文官にも影響が出る。諸国に対して隙を作る。大将軍の存在はそれだけで目に見えぬ役割を果たすのだ。いるのといないのとでは全然違う。

「お前は今や責任のある立場だ。甘えるな」

師の叱責にダイダスは目を下に落とした。シルビアはそんなダイダスを見ていられず、つい口を出してしまった。

「あの、その、ダイダス様の大事な部下を失ってしまって落ちこむのは分かります。わたくしも、大事な方達を失えばきっと平静ではいられませんもの」

「………」

ダイダスはそんな在り来たりな言葉はいらないとばかりに反応しなかった。

「ですが、もう、よいのではないですか? 亡き者の死を悼んで、泣いて縋って落ち込むことは良いことだと私は思います。でも、それは明日新たに立ち上がる為の嘆きです。一度地に足を着ける為に底まで落ちるんです。そうでなくてはなりません。底で蹲って泣いてばかりではただの弱虫ですわ」

ダイダスはその言葉に驚いたようにシルビアを見た。すると今さっき口にした勇ましい言葉とは裏腹にシルビアはしどろもどろになった。

「あの、その、えっと、つまり、つまりですね! 貴方が立ち上がるのを祭司長様も、副官の方も心配なさって待っておられるということですわ! ええ、そうですとも」

「………」

「……これは、なかなか」

ダイダスは唖然とし、祭司長は面白いものを見るような目でシルビアを見ていた。年輩の二人にそれぞれ見つめられ、シルビアは居た堪れなくなり二人の顔をまともに見られなくなった。


ダイダス様のお屋敷に乗り込む前の勇気は何処へ行ったの、私!


「だ、だから、わたくしも、す、少しでもお役にたてるなら何でも致しますわ。だから……また最高級のナッツの飴を幾らでも取り寄せますわ!」

シルビアはついに耐えきれず退出の礼をせずに部屋を飛び出していった。


取り残された二人は暫く無言だった。祭司長は笑い出すのを堪えた。何が“だから”なのか。前後の言葉が若干繋がっていない。だが、要は、ダイダスを元気づける為に好物を贈ろうと言いたかったのだろう。

「全く、お前には勿体ない御令嬢だて」

「……何のことです?」

「自分で考えぃ、この朴念仁。…だが、もう目的は達成したようだ。明日、城で待っているぞ」

祭司長はお茶受けに出されたナッツの飴を一つ口に含みシルビアを追うようにして退出していった。




そうして一人になったダイダスは冷めた茶を召使いが下げた後も部屋に留まり、シルビア達が出て行った扉を見つめ続けた。


不思議と、心が晴れやかだ。何だがじめじめして降りそうで振らない曇り空がすっきり夏の風に吹き飛ばされたかのように。その風がシルビアの言葉だというのは疑いようもない。

「今度、シルビア妃には御礼を言わねばな」

しかし、情けないところを見せてしまった。

ダイダスは頭をかきながら立ちあがると、テーブルに残った飴が目に入った。シルビアも飴のことを…


ん、飴?


ダイダスは何となく、収穫祭の日に自分に贈られたナッツの飴を思い出した。



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