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鈴の音の子守唄  作者: トトコ
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第四十七話

歯車が回り出したのは、いつからだったのだろう。

いつであろうが、回ったことに気付くのは、既に回り始めてからなのだけれど。






年が明けてまもなく、レイディアの身体に変調が訪れた。

女性として生を受けたものに必ず訪れる、初潮が始まったのだ。

「おめでとうございます」

「これで巫女様も立派な女性になられましたね」

朝のあいさつもそこそこに、レイディアに訪れた成長の証に気付いた侍女達が口々に祝辞を述べ始める。彼女達は手慣れたようにレイディアに処置を施し、温かい飲み物を差し出した。

「これでいよいよ巫女様は御夫君をお選びになられるのですね」

「立派な次代様をお産みになれますよう、神にお祈りいたしましょう」

悦びに満ちた笑みに囲まれて、レイディアは不思議な心地を味わった。

いつかこの日が来ることは分かっていた。覚悟もしていた。けれど、書面で学ぶものとは全く違う。

「伴侶選びは、冬明けになるでしょうね」

神子には特に時期は設けられてはいないが、巫女の場合は子を産めるようになった身体なると伴侶を娶るのが通例である。

「さしあたり、まずは上位三名が選ばれるかと。巫女様はいずれの方がお好みですの?」

「どの方も素敵な殿方ですわ。しかも巫女様を一途に想われ、巫女様の愛を請われる方ばかり。巫女様は本当に幸せですわね」

レイディアは窓に目を向けた。

「……少し、気分が悪いわ」

「まあ、大丈夫でございますか? すぐに毛布をお持ちいたします」

レイディアは侍女達が動くのに任せ、窓の外に広がる庭園を眺め続けた。


昼近くになると本当に体調が悪くなった。鈍い痛みとも、だるさともとれぬ疼きが等間隔で訪れ、その波が来る度にきちんと座っていられず、脇息に凭れかかった。同時に初潮が訪れたと嫌でも意識させられ、レイディアは憂鬱になった。同じ女として月経の辛さを知っている侍女達は、レイディアが少しでも楽に過ごせるよう心を砕いた。午前の責務を免除され、レイディアは午前中いっぱいはゆっくりと過ごすことができた。


そして午後、レイディアの気分が落ちついたのを見計らったように、婚姻を司る神官がレイディアの許に訪れた。

「今春までに正式な御伴侶の決定がなされます。御伴侶の宣誥は、雪解けが始まる初春に公布致します。第一夫の婚姻の儀式は慣例に基づき一月後。第二夫以下の夫君に関してはその後時期を見て順に簡略に行うことになります。既に我々は厳選に厳選を重ね、御夫君候補の中から第一夫の最終選抜に入っております。万事滞りなくことは進んでおりますれば、巫女様におかれましては、どうぞ御心安らかに御自愛下さいますよう」

祝辞を述べ、恭しく低頭したまま婚姻の告げた神官の言葉におざなりに頷き、早々に下がらせた。

憂鬱だった。






「調子はどうだい?」

神官との謁見後、居室に引いたレイディアの許にユリウスがやってきた。けれど鈍痛が再開したレイディアは彼に歩み寄り歓迎することが出来なかった。今は冬だというのに、汗が出てくる。嫌な汗だ。

「…平気です」

「そうは見えないよ」

言うなり身体を丸めたレイディアに苦笑し、ユリウスは蹲る妹の背を撫で、肩に打掛けをかけた。

「…すぐに、良くなります」

「機嫌も良くないみたいだね」

ユリウスはレイディアに体重をかけないように覆いかぶさり、うなじに口付けた。侍女に指示を出し、火を増やして室温をあげた。レイディアを宥めることに関してはユリウスの右に出る者はいない。体も温まり、少しずつ痛みが引いていくのを感じた。

「…多くの女性が通る道だそうですから」

「個人差があるみたいだね。大巫女様は調子の良い時とそうでない時の差が激しかったと聞いているよ」

「………」

「顔色がよくないね。白湯を飲むかい?」

「…はい」

ユリウスは汗で額に張り付いたレイディアの髪を払いのけた。

「今日はゆっくりしていようね。わたしの可愛い小姫のご機嫌が治るような物を後で届けさせよう」

「…ありがとうございます」

自分が女であることを忘れたことなどないが、突然の変化に必要以上に神経質になっているのかもしれない。女の証が訪れた今の自分に居心地が悪い。周囲の労わりが妙に気恥ずかしいのだ。だから今はあまり男性と接触したくなかった。なのに、朝からお祝の品と言葉をもって臣下達がひっきりなしにやってくる。今はどうでも良い社交辞令に付き合う気力などなく、どうしても仕事で必要な要件をもった者だけを許可して出向いた。

本心でいえばユリウスに関しても同様だった。初潮が訪れることのない兄に、この変調が知られただけでも決まりが悪い。

自分に近く、自分の心が分かってくれる人に傍にいてほしかった。

「………」

無性に、シェイゼラに会いたくなった。






三日後、シェイゼラの目通りが叶ったレイディアは彼女の居室に参じた。

「体調はもうよろしいのですか?」

「ええ。今はとても気分がいいの。お互いに落ち着いて良かったわね」

シェイゼラもまた暫く気分が悪く臥せっていた。レイディアはまだ初潮は終わってはいないが普段通りの生活に戻っているけれど、彼女の方は今も本調子とは言えないのだろう、顔色は青白かった。けれど、とても三十を超えている様には見えない可憐な容貌に喜色が浮かんでいるのを見て、レイディアは小さく安堵の溜息を吐いた。

「報告が来たのだけど、春には夫を娶るそうね。表では雪も深いというのに皆汗を流して大忙しだそうよ」

「民にとっては一大行事ですから」

「貴女にとってではなく?」

「私が選ぶ訳ではありませんから」

「それもそうね」

シェイゼラは肩を竦めた。

「…いよいよなのね」

「ええ」

「貴女は今年、幾つになるんだったかしら?」

「十四にございます」

「私がユリウスを産んだのは、ひとつ上の歳だったわ。もしかすると、私が生きている間に新しい鈴持ちが生まれるかもしれないわね」

「第一子でそれが叶えば、恐らくは」

「…でも、難しいでしょうね」

若年で子を産むと、たとえ無事に出産出来たとしても、それから暫くは子が望めない場合が多い。成熟しきっていない身体には過ぎる負担なのだ。さらに歴代の“みこ”は男女問わず小柄な者が多い。巫女の場合は、自身が産む立場にある為、尚更危険を伴う。

暫し、二人の間に沈黙が流れる。

「…ねえ、レイディア」

「はい」

「…いつまで、続くのでしょうね」

「………」

「いつまで、私達は紡いでいかなくてはならないのでしょうね」

そう言って、シェイゼラは淡い光の降り注ぐ天窓を仰いだ。遠い目をして、空に焦がれるように。

「……母上様」

シェイゼラの細い頤がゆっくりと下がり、白魚の手がレイディアへと伸ばされた。レイディアは膝で数歩進む。シェイゼラの手が頬に届く。

「貴女は私、私は貴女。“みこ”は皆、同じ。私達は」

レイディアは(かぶり)を振った。

「いいえ、皆違います。私達は人です。名が違うように、別々の人間なのです」

シェイゼラは娘の言葉など聞こえていないかのように、己の腹部を優しく撫でた。

「私の役目は終わったけれど、それは次に移っただけのこと…鎖は続く」

「母上様」

シェイゼラは耳に触れた。片側だけに飾らされた耳飾り。それは小さな彼女の鈴。

「でもね、いいの、もういいの。死ぬまで鈴から解放されなくても、得られるものはきっとある。だから今度こそ、私は」


シェイゼラの言葉は、それ以上続けられることはなかった。


「何…?」

俄かに部屋の外が騒がしくなったかと思うと、勢いよく部屋の扉が開かれた。大きな音を立てて開かれた扉から現れたのはイーニス。レイディアの実父。

「…イーニス」

「シェイゼラ…さま」

「イーニス様、お留まり下さい! たとえ貴方でも無礼は許されません。ただ今巫女姫様と…」

彼の血走った目は真っ直ぐにシェイゼラを見つめていた。彼を制止しようとする使用人らは彼の周りを取り巻くが、使用人もレイディアの存在も何も目に入らぬ様子で、彼女だけを射抜く。

「シェイゼラ様…」

「あらイーニス。何しに来たの? 私は呼んだ覚えはありませんよ」

イーニスは痩せ衰えた身体を、縺れそうになる足で懸命に運んだ。だんだんと近づいてくる異母弟であり夫でもある彼をシェイゼラは泰然として見つめ返した。自分を見てくれるシェイゼラに、イーニスの瞳が仄かに輝いた。

「シェイゼラ様。嘘だと仰って下さい」

「何のこと?」

「…御子を…他の男の身籠っていらっしゃると」

レイディアは目を眇め、シェイゼラは溜息を吐いた。

「誰かしら。貴方に余計なことを耳に吹き込んだ者は」

「誰でもいい。嘘だと仰って下さい。どれだけの男が貴女に侍ろうとも、貴女には、わたしと…わたしとの間にだけ」

「ええそうね。これまでは」

シェイゼラは腹に手を添えた。僅かに膨らんだ腹を。

「やっと、子が持てるの。私の手で育てられる子供が」

始めて産んだ子は“みこ”でないからという理由で手元から奪われた。

二人目の子は“みこ”だという理由で奪われた。

シェイゼラの責務の中に、子育てという項目はなかった。

「だ、誰の子なんです! もしやあの中の…」

「いいえ。適当に選ばせた者の子よ。多分、地方の下級貴族なんじゃないかしら」

新しい巫女レイディアがいる今、神殿はシェイゼラに対して殆ど干渉してこない。伴侶ではない男の子を身籠ろうとも自由にさせるほどに。

シェイゼラに与えられた伴侶達との子は欲しいとは思わなかった。新たに産むのは自分だけの、自分が導くべき子供。そう決めていたから。


二年前にも別に選んだ男の子を身籠った。けれど、神殿を離れ出産に備えたが、死産に終わってしまった。落胆はしたが諦めも付いた。珍しいことではないからだ。ユリウスやレイディアを産む前後にも何度か流産している。

自分で育てる子供を諦めきれず、もう一度男を呼び、再び妊娠することが出来た。恐らくこれが最後だろう。シェイゼラの身体は度重なる妊娠と流産の繰り返しで限界を迎えようとしている。小柄な体格では二人の子を産めたことさえ奇跡といわれるくらいだ。


義務ではない、自分の意思で望んだことだ。どうしても、叶えたい。


「そんな…どうして何処の者ともしれない、それも愛してもいない男に身を委ねることが出来るんです!」

「あの夫達と床を共にするのも、似たようなものだから」

「わたしでは御不満ですか? 貴女の為なら何でもします。家や国の為にここにいる他の者とは違い、貴女だけを見てきた。わたしは貴女しかいないのに。それとも…わたしのことなど、もう愛してはいないのですか?」

「ちゃんと愛しているわ」

「ならば何故、わたしだけを見てはくれないのです!」

「愛している者を見ていたら、私の目がいくつあっても足りないわ」

イーニスは目を見張った。シェイゼラの言葉の意味を悟り、頭を抱え激しく震えだす。

「許さない…こんなの、裏切りだ…」

「…イーニス?」

「わたしのものだ…わたしの……誰にも渡すものか!」

イーニスは使用人の手を振り払い、シェイゼラに向かって走り出した。

レイディアは明らかに常軌を逸した父に不安を感じ、咄嗟に母に走り寄ろうと腰を上げたがイーニスの方が早かった。

イーニスの叫びだけがレイディアの鼓膜を響かせる。追い縋る使用人の声は遠く、動きが酷く鈍い。


レイディアの頬に水がかかった。


濡れた頬をなぞる。指先が赤い。

「母上様…?」

目を上げたレイディアの目に映ったのは、イーニスに抱きしめられている母の姿。腰のあたりから突き出ているのは、赤く染まった銀色の…

レイディアの伸ばした手の先で、イーニスは哄笑した。

「ははははははははははははは! わたしのものだ、わたしのものだ! 漸く手に入れた!」

赤く染まった手を広げ、背を仰け反り高らかに笑い続けた。その手には、彼と一体化したように固く握りしめられた短剣。

「子など産ませない! 貴女が産む子はわたしの子だけでいいんだ! ねえそうでしょう、姉上! 他の男の子など産む価値なんて無いでしょうっ!?」

シェイゼラの腹が赤い。足を伝って流れる赤い血が、見る見る間に床に広がっていく。血の流れはレイディアに届き、彼女の裾を染めていく。

「わたしは貴女のものなんです。ですから貴女もわたしのものであるはずだ。これで…貴女はわたしだけを見てくれる」

勢いよく引き抜かれた反動で揺らいだシェイゼラの上半身が、ゆっくりと後ろに倒れた。同時に、イーニスは短剣を自分に向け、シェイゼラと同じ場所に突き立てた。


「――きゃああああ! 大巫女様、大巫女様ぁ!!」


シェイゼラ付きの侍女が叫ぶ甲高い声を切っ掛けに、レイディアの周囲に音が戻った。

「急げ! 侍医を呼べ、早く!」

「イーニス様がご乱心なされた!」

イーニスやシェイゼラの使用人達が、主の血を止めようと懸命に動き出す。

「巫女様っ、御無事ですかっ? 血がっ…お怪我を?」

レイディアの侍女が駆け寄って、己の主を引き摺るように部屋から連れ出そうとした。

荘厳で静かな神殿奥の大巫女の間は、一瞬で混乱の渦と化した。連絡が上手く伝わらず何も出来ずにうろうろする者も多かった。

レイディアの脇を侍医が走り去っていく。それを追う様に、扉をくぐる間際、レイディアは室内を振り返った。

そして、シェイゼラと目を合わせた。





痛みは一瞬だった。

視界が暗い。何も見えない。周囲に人がいる気配がするのに、何も聞こえない。

お腹が、熱い。なのに、身体は寒かった。

自分が脈打つ度に、子が流れていくのが分かった。自分の状況さえ分からない癖に、知りたくないことばかり敏感に感じる。

子供、産みたかった…

苦笑しようとして、身体が動かないことに気付く。全ての神経が焼き切れたように指一本自由に動かせない。

…これは、罰なのだろうか。己が望みをもってしまった自分への。

諦めに似た思いがシェイゼラを眠りに引き摺っていく。暗闇に堕ち切る前に、少しだけ目を開いた。白いはずの衣が赤かった。その先に、自分を振り返る我が子がいた。感情の薄い瞳と、目があった。

レイディア。私が繋げた鎖の一環。

貴女に言わなければならないことが、もう一つだけあるの。

届くだろうか。この声が。


けっして 望んでは いけない 望んでも うばわれる だけ

だって  わ た した  ち   は









「レイディア!」

部屋へ戻り、着替えを済ませたレイディアの許に、ユリウスが駆けこんできた。

「レイディア、怪我はないかい?」

レイディアを見つけるなり抱きしめてきた兄に大人しく身を委ねる。

「私は何も…でも」

「ああ、聞いているよ。何も言わなくていい」

レイディアを抱き込み、香りを吸い込んで漸く安心したユリウスは、額を付けて鼻を擦り合わせた。

「お兄様、母上様は」

「怖かっただろう? 今日のことは忘れなさい。君の為にならない」

「…イーニス様も」

「二人とも今は治療中だ」

「助かるでしょうか」

「分からない」

ユリウスはレイディアに優しい口付けを落とした。

「さあ話はこれくらいにして、少し眠るといい。わたしがずっと傍についているから。夕餉には起こすよ」

「食欲はありません」

「食欲がないのも無理はないが、少しはお腹に入れておいた方が気分も落ち着く。今の君は、自分で思っている以上に気が立っているからね」

「あの…ユリウス様」

レイディアを抱き上げ、寝室に連れて行こうとしたユリウスは、剣呑な顔で侍女を振り向いた。

「何だ。後にしろ」

「バロム神官が…巫女様へお目通りをと請うておりますが」

「今のレイディアと話をさせろというのか? 明日にしろ。気遣いの欠片もない神官の話など聞くつもりはないと伝えておけ」

それきりユリウスは侍女の声に耳を貸さず、レイディアと寝室に入った。

「…急用だったのでは」

「君が無理をしてまで出向かなければならない用件なんてないよ」

「母上様達の容体の報せでは」

「今の君は平静とは言い難い。そんな状態で何を聞くの? 今はまず気を落ちつけて、会うのは明日でも遅くはない。今日はずっと傍にいてあげる。何も考えなくていい。少しお休み」

レイディアは促されるまま、兄の腕を枕に横になった。


薄暗い室内で身体を横たえると、その気がなくても睡魔が訪れるようだ。次第にレイディアの瞼は重さを増していく。兄の優しい腕の中でまどろんだ。

けれど、何も考えていない訳ではなかった。

レイディアの脳裏にシェイゼラが貫かれる瞬間が焼き付いている。次いで流れ出す赤い血。倒れる母の身体。己を突きさすイーニス。叫ぶ使用人。最後に見た、母の眼差し。

その目に、望んではいけないと言われた。

レイディアはきつく目を瞑った。

どうしてですか?

答えはなかった。




その夜。大巫女シェイゼラ、そしてその第一夫イーニスの崩御の報がレイディアの許に届けられた。






お知らせ


次回も鈴唄本編を更新します。


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