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鈴の音の子守唄  作者: トトコ
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第四十五話

―――レイディアは炎を見つめ、一旦口を閉ざした。


ゆらゆらとゆれる焚火の炎は、炎を挟んで反対側に座る彼らの輪郭をも揺らめかせた。話している間にドゥオの配下に手渡されたスープの器が温かい。

彼女の話にじっと耳を傾けていたドゥオとゼロは、今まで息をするのを忘れていたかのように息を吐いた。

ドゥオは耳を軽くいじりながら口を開いた。

「庭師、か。そりゃまたエライ身分差だな」

神殿で働くには身元が明らかで潔白であると証明されなければならない。だが、所詮庭師。本来ならば巫女の御前に立つことさえ一生ある筈もない最下層。

「確かに、身分云々は、私達を隔てる障害の一つではありましたが、最大の問題ではありませんでした」

「何故。巫女の傍に寄るだけでも、少なくとも貴族以上の身分が必要でしょう?」

「その程度、私が我儘を通せば、少なくとも表向きには彼が咎められることはありません」

「そりゃそうか。『愛し子の望みは必ず叶えられなければならない』だったか?」

“みこ”の為、ひいては民の為。“みこ”らは幸せでなければならない。

レイディアは頷く代わりにスープを口に含んだ。味の薄い汁を啜ってから具を咀嚼し、ゆっくりと嚥下する。中身が半分ほどなくなるまでそれを繰り返した。ドゥオ達も食事に手を付け始めたが、意識はレイディアの挙動に集中したままなのは気配で分かった。

「………」

レイディアは深く息を吸った。覚悟を決めるように。

「彼は……宦官でした」

言って、レイディアは彼らの反応を伺った。そして苦笑した。嘲笑にも、近かったかもしれない。

「…やはり、貴方達もそんな顔をするのですね」

失態に気付いた彼らは慌てて表情を元に戻した。

「いや、すまん。だが…でも…それは」

「宦官…本当に?」

レイディアは宦官という言葉を聞いた瞬間、彼らが眉を顰めたのを確かに見た。世に盗賊として敵視されている彼らでさえ去勢男子は忌むべき存在なのだ。

レイディアの視線は自然と下へと下がっていった。

分かっていたことではないか。どうしてずっと箱に仕舞い続けてきたか。他でも無い自分自身が思い知ったからではないか。

彼には何処にも居場所はなかった。そんなことくらい…




■ ■ ■




エリックと名乗った男と知り合ってから、レイディアに変化が生じた。

周囲の殆どが気付かない程に微かな変化ではあるが、ユリウスは気付いた。


「レイディア。どうしたの?」

レイディアははっとして、ユリウスの気遣わしげな顔を見上げた。

「お兄様…」

エリックと別れた後、レイディアは誰にも知られずに午睡の間に戻ることが出来た。しかし、それからというもの、度々エリックの顔を思い出してしまう不可解な事態に陥った。少しでも時間が空くと彼のことを考えてしまうのだ。彼と交わした言葉は、翌日には忘れてしまうだろう他愛のないものばかりなのに、レイディアはことある毎に一つ一つを思い出していた。

「ずっと上の空だよ。疲れているのかい?」

「いいえ、何でもありません」

レイディアは輪郭をなぞる兄の手に己の手を重ね、微かに頬ずりした。ユリウスは空いている方の手を腰に回しレイディアを引き寄せ、彼の足の間に挟まれる様にして座らさせた。

「きっと候補者達の我儘の所為だね。やはり序列の低い者と会うのは拒否しよう」

「大丈夫です」

「しかしきりが無いじゃないか。序列五位と会うことを了承するれば今度は序列六位がならば自分もと。どこまで彼らは貪欲なのだろうね。レイディアの身体は一つしかないというのに」

「…お兄様」

「嫌なら嫌だと、言っていいんだよ。レイディアは溜め込んでしまうから。わたしは君の兄だよ。わたしの前だけは我慢しないでいいんだから」

ユリウスの気遣いが本物であると分かる。嬉しくてレイディアは腕を兄の背中に回して胸に顔を埋めた。レイディアが一番安心する場所。

確かに彼らと会うのは一々疲れる。通常より規制が緩んだ場で会うといつも以上に彼らの本質が見える。その殆どが綺麗なものとは言い難く、逢瀬の間はレイディアは彼らを無難にやり過ごすことに始終した。

「嬉しいです。でも、本当に心配ありませんから。既に面会に応じるのは十位までと通達もしました。あと数人くらい、どうということはありません」

「本当に?」

「ええ、本当です」

「じゃあ、せめてレイディアの負担が減る様に彼らの要求を値切ろうかな」

冗談めかして言う兄だが、決して冗談ではなさそうだ。ユリウスは言葉通り、候補者達のどんどん過剰になっていく要求に歯止めをかけてくれるだろう。ユリウスは普段どのような仕事をこなしているかは知らない。だが、彼の言動からして交渉術も必要な役職なのかもしれない。


ユリウスがうとうとし始めたレイディアの髪を梳いていると、休憩時間の終わりを兄の部下が告げにやってきた。

「じゃあ、レイディア。わたしは仕事に戻るよ」

「ん…はい、いってらっしゃいませ」

「レイディア、くどいようだけど、無理はしないで。時には気分転換も必要だからね」

レイディアのこめかみに軽く口付け、ユリウスは部屋を後にした。


「気分転換…」

エリックと出会って三月が経過した。あの日から、実はユリウスが神殿を空ける日には午睡の間を抜け出すようになった。

二度目に抜け出した時は、レイディアは単にこの少し落ち着かない気持ちを解明する為だった。単純に一人になることの解放感が彼女を庭へと呼んでいるのだと思ったからだ。しかし、気が付けばエリックを探している自分がいた。会えた時、信じられない程気分が高揚した自分を自覚してしまったのだ。

「…どうして」

けれど、彼はあまりレイディアの訪れを快くは思っていないようだった。何故か常に警戒し、さりげなくきょろきょろしている。レイディアが話しかけて漸くこちらに意識を向けてくれる。

彼が巫女(レイディア)と一緒にいるところを見られるのは都合が悪いことも、レイディアの顔を見ることも本来なら不敬にあたることも理解出来るけれど、レイディアは彼が決して自分と目を合わせてくれないことを寂しく思った。

それを意味する気持ちも分からないまま、レイディアは折を見ては午睡の時間を利用して彼の許を尋ねることを繰り返していた。


このままでは良くないことを、レイディアは分かっている。ユリウスが指摘する通り、レイディアは上の空であることが増えた。今はまだ目の前に客人や候補者がいる時にはそのような失態を犯すことはないものの、自室で過ごす間は、侍女の話も殆ど耳に入らなくなった。幸いレイディアが元々物静かな性格であるので気付く者はいないが。

自分の変化に戸惑い思考が纏まらない。常に落ち着かないというか、浮遊感がレイディアを緩く包んでいる。エリックを知ってからずっと。

今日を加えれば彼に会うのはこれで六度目になるが、態々時間を割いてまで彼に会いに行く理由を未だに見つけられない。何とか理由を見つけて落ち着きたいが為にレイディアは悶々と同じことを考え込んでしまうのだ。

この浮遊感を解消するには、エリックを尋ねることを止めればいいのだろうか。ぼんやりしてしまうのは単なる寝不足なだけかもしれない。兄が勧める通り気分転換でもすれば、エリックを思い出すこともなくなり、すっきりするだろうか。

「………」

けれど、彼と今後一切会わないことを想像しただけで、何故か酷く胸が軋んだ。






その日の午睡の時間、予定通り午睡の間を抜け出した。とはいえ、会える確証などない。エリックとて己の仕事がある。いつも同じ場所にいる訳はなく、そもそも庭にいないかもしれない。いつも次に会う約束などせず、レイディアが不定期に抜け出してくるだけ。


「………」

庭を彷徨って半刻。彼を見つけられなかった。こうして時には捜しても会えない日もある。彼のことを周囲に訊ねることなど出来ないので、未だに彼の名前以外彼のことを知らない。彼が行きそうな場所など見当もつかない。

今日も会えないのだろうか。この間も会えなかった。

「…何処にいるの」

常に共にある首元に揺れる純白の鈴に触れた。始めに鈴がレイディアに彼の存在を教えたのだ。エリックを気にかけるのは少なからぬ縁を感じているからでもある。鈴にもう一度彼の許に導くよう期待を込めて鈴を撫でた。

「………」

暫く待ったが鈴はうんともすんともいわない。やっぱり駄目かと肩を落としかけた。

「……あ」

がさりと葉を掻き分ける音がした。期待を込めて振り向けば、やはり苗を手にしたエリックが立っていた。

「あ…」

レイディアはほっとして息を吐いた。会う約束などしていないから、会えた時は安心する。

「………」

「………」

互いに無言のまま向かいあった。やがて、レイディアはこちらが話しかけなければエリックは動けず話せないことを思い出し、レイディアは小さく咳払いをした。

「こんにちは」

「……今日もいらっしゃったのですね」

「…え?」

「………どうして、いつもここにいらっしゃるのです」

エリックの問いかけの答えを、レイディアは持っていない。

「………」

「巫女姫様。窮屈なお気持ちは分かりますが、貴女様はそれが必要なお立場なのです。ことが起こってからでは遅いのです。どうぞご理解下さい」

そんなことは分かっている。レイディアが勝手な行動の結果、騒ぎが起こったとして、その責を問われるのは周囲の護衛や侍女達だ。けれどエリックに諭されるのは哀しかった。

「分かっています。でも」

「分かっていらっしゃらない。そもそも貴女様はわたしのような者を相手にして、どういうおつもりなのですか?」

「どうって…」

「貴女様は知らないのですね。無理もありません。わたしは神殿の隅で土をいじるだけの取るに足らない男ですから」

「そんなことは…」

「実際そうなのですよ。こんな、滅多に人の目に触れない庭園の隅の管理を任されているというのはそういうことです。…そんなわたしを、貴女様はどうされるおつもりですか。飽きれば捨てる玩具だとでも? ここでこうして貴女様とお会いしていることが知れたら、わたしはこの国に居場所を失くしてしまう」

「………」

いつにない剥き出しになった刺々しい彼の感情が不穏な風をとなって彼女の胸に沁み込んだ。

「わたしの様な人間は、いつも人に見下され、利用され捨てられる立場にある。貴女が気まぐれに情けをかけ、無聊を慰めるのに使って、いつか露見すればオレはお払い箱。違いますか」

「ちが」


「違わなくない。仮に貴女にその気などなくても、周囲が許さない。……オレは…宦官なんですから!」


血を吐くような叫びは蒼穹に吸い込まれていった。レイディアは何も言えず立ち尽くした。そんな彼女から背を向けて彼は自嘲した。

「これで分かったでしょう? オレでは貴女の暇つぶしにさえなれない。黙っていたことで貴女に恥をかかせてしまったことに関しては申し開きもございません。如何様にも罰は受けますから、もうここには」

「どうして恥になるのです?」

エリックは物分かりの悪い生徒を見る様な目でレイディアを振り返った。

「何を当たり前なことを。男である証を持たぬ者は人とみなさない。言葉を交わしただけで穢れとさ」

「何故?」

エリックは尚も疑問符を返すレイディアに苛立ったように顔を険しくさせた。しかし、彼より先にレイディアは口を開いた。

「貴方は、私の言葉が通じないのですか?」

「何を」

「貴方は、何をされても何も感じないのですか?」

「………」

「貴方は、何も考えたりしないのですか?」

「違うっ…そんな訳がないでしょう」

「じゃあ、貴方は何なのです」

「そんなの考えるまでもなく常識です。姿を見ただけで唾を吐きかけても、石を投げつけても、口汚く罵っても誰にも文句は言われない。気まぐれに殺生しても捌かれる恐れのない畜生以下の…」

「…では、私も貴方に石を投げつけることが礼儀に適ったことなのでしょうか」

エリックは言葉を失った。レイディアが答えを待っていると、彼は立つ力を失くしたように、ずるずるとその場に座り込んだ。

「違う…違うよ…オレだって生きてる。痛い…石を投げないで、そんな目で見ないでくれ…」

過去を思い出しているのだろうか。レイディアは俯けた顔を手で覆ったエリックの傍に寄り添う様に近づき、しゃがみこんだ。

「何故、そこまで宦官が忌むべき存在とされるかが分かりません。貴方と言葉を交わして六度目になりますが、貴方自身に何か欠落があるように思えませんが」

「…オレの性格なんて問題じゃありませんよ。宦官でひとくくりにされますから」

「貴方はどうして宦官に?」

「…親に、売られて」

今の境遇は彼が望んだわけではなく、周囲の思惑に翻弄された結果だ。宦官の存在くらいレイディアも知っている。だが、犯罪者でもない者が受刑することもあるとは知らなかった。

「………」

エリックの足元に転がっている苗を見下ろした。

彼が親に捨てられ、世間に疎まれる存在と知っても、レイディアの中に彼を蔑む思いは微塵も湧かなかった。

その変わり…

「…エリック。さっきの答え、やっと見つけました」

「…何が」

彼は鼻を啜り、顔を上げた。

「貴方に会いたかったから」

「……は、い?」

「ここに来れば、貴方に会える。それを楽しみに、どうやら私は午睡の間を抜け出していたようです」

「…本気で仰ってるんですか? オレは宦官なんですよ?」

レイディアは肩を竦めた。彼女にはどうあっても彼を疎んじる理由はない。

「そもそも私は世間知らずです。世間が貴方のような方達を虐げていることも知りませんでした。だから、私は私で判断するしかないんですよ」

「………」

「私からすれば、貴方は普通の人間でした。庭を大切に世話をして、そうやって泣いて悲しんで。私がこれまで出会ってきた神殿の客人達と何ら変わりません」

「…巫女姫様」

苗を拾い上げ、彼の手に優しく押し付けた。

「ごめんなさい。今日はもう戻らなければ」

レイディアは立ち上がった。レイディアは人を慰めたことなどなく、これほど生きてきた境遇が違うとエリックの気持ちを察することは難しい。これ以上彼にかける言葉もなく、午睡の時間もあと僅かだ。万が一、侍女が午睡の間を覗きこみ、レイディアが不在であることを知られては困る。


その変わり。


「………。…また、会いに来てもいいですか?」

「……お待ち、しております」

彼に残す初めての約束を口にした。エリックは応じてくれた。泣き笑いのくしゃくしゃな顔だったけれど、その笑みはレイディアの胸を擽った。




■ ■ ■




レイディアは夜空を見上げていた。

長いこと空を見続けているが、どれくらい経っただろうか。正確な時刻は分からない。今宵は月も見えず、あたりの灯りは獣除けのたき火だけである為、星がとても綺麗だった。

「眠れませんか?」

いつの間にか傍にいたゼロに顔を見ぬまま頷いた。

「今は、貴方が見張り役の当番ですか」

「さっき交替したんですよ。明日も強行軍になります。少しでも眠った方がいいですよ」

「…ええ」

ゼロはレイディアの隣に座った。人一人分の隙間が開いた距離に、レイディアは安心した。

「気になることでも?」

「ええ、まあ」

「王都から追手が放たれているでしょうが、すぐには追いつかれはしませんよ」

「いえ、そうではなく…後宮が気になってしまって」

「最近ではメネステの王太子の侍女をしていたのでは?」

「よくご存じで」

「色々城を探ってましたからね」

ゼロは悪びれない顔で白状した。

「…これでも、後宮を管理することを任されている身ですので」

「管理?」

女奴隷として務めていた間は当然妃からは遠い位置にあり、シェリファン王子の侍女となってからは殆どを城で過ごしていたから後宮からも少し距離を置いていたレイディアが?

「妃方がなるべく快適に後宮で過ごされるようにと」

レイディアは四年間見守ってきた妃の面々を思い浮かべた。冬妃キリエが気に入っている蜜の追加を同僚に渡していなかったことも含め。

「蜜?」

「気分が落ち着くおまじないを施したものです。作るには多少時間がかかります。巫女役も務めたこともあって、作る暇がなくて」

ゼロは興味深そうに笑った。

「へえ、巫女様のおまじないですか。それは良く効きそうですね」






ローゼは落ち着こうと深く息を吸った。すると部屋に飾られた薔薇の香りが濃厚に胸に広がった。しかし、今の彼女に、薔薇の艶やかな姿と香りは、いつものように心に安らぎを齎してはくれなかった。

「………」

先日、久方ぶりにキリエとソラーナが衝突した。元々価値観が違う二人だ。後宮に多くの女がいた数年前は、顔を合わせる度にいがみ合っていた。だが、最近では下火になり、同じお茶の席に着いていても諍いを起こすことはなかった。後宮も落ち着いた今、彼女らも成長して相性が合わないなりに折り合いがついたのだと思っていたのだが…。

キリエの嗜好などローゼが知る由もない。彼女が癇癪を特別な蜜入りの茶で凌いでいたなんて。何より衝撃だったのは、先程ダリアの報せ。その蜜の入手先が、例の彼女であるということ。


ここにも、あの娘の名前。


ナディアの件で初めてローゼは彼女に目を留めたが、既に彼女は四年前から後宮にいたという。フォーリー女官長を後ろ盾にしていることに始まり、王の側近テオールと懇意で、王自身とも面識があり、さらに今ではシェリファン殿下の一番のお気に入り。そしてキリエの件。

今まで気付かなかったのが不思議なくらいに、至る所に彼女の存在が王城の中心部に沁み渡っている。この分では、まだまだローゼの知らない部分が隠れていそうだ。

一月ほども前、レイディアを部屋に呼び、初めて彼女とまともに相対した。あれだけ美しければたとえ庶民出だとしても人の口に上るものなのに、つい最近まで彼女の名前さえ出てこなかった。


収穫祭の巫女役を見事務めあげるほどの娘が。


筆頭側妃のローゼがそうであるなら他の者もそうである筈。しかし、ムーランは彼女のことを良く知っているそぶりだった。彼女の大らかな笑みがまるでローゼだけが無知であるかように感じさせ、更にレイディアについて探らせた。そして見つけたのは点々と散らばったレイディアの軌跡。


そして、もう一つの点。




「ようこそ、おいで下さいました」

「こちらこそ、お招き下さり光栄ですわ」

ローゼは楚々として礼をした美姫を歓迎した。この年後宮に入ったばかりの妃、ポルチェット子爵家が一の姫シルビア。

「急に呼び出してしまって申し訳なかったわね」

「とんでもない。ローゼ様とお茶をご一緒出来るなら、何においても飛んで参りますわ」

「嬉しいわ。今日はゆっくりしていってちょうだい。最近なんだか落ち着かないもの」

「そうですね。冬に備えての準備に忙しいのでしょうか」

「…そうかもしれないわね」

「どうかなさいました? マリア様も気落ちなさっているご様子ですし、キリエ様達は急に反目し合って。ローゼ様まで沈んでしまわれては、後宮は何だか暗くなってしまったみたい」

「そうね。落ち込んでばかりではいけないわね。でも、わたくしも気になることがあるのよ」

「気になること?」

「ええ、レイディアのことで」

ローゼはシルビアの顔をちらりと見た。

「……レイディア?」

「シルビア様、どうかなされましたか?」

シルビアは微笑んだ。

「いいえ。レイディアと言えば今年の収穫祭で巫女役を務めた子ですわね。いきなり思いがけぬ名前を聞いたものですから。その子がどうかいたしまして?」

ローゼは首を傾げた。

「シルビア様は祭を通じて彼女を知ったんですの?」

「どういう意味でしょう?」

「あら、シルビア様はシェリファン殿下と仲がよろしいではありませんか」



ローゼがレイディアについて調べている過程で、シルビアに行きあたった。

シルビアがシェリファンと仲が良いのは誰もが知るところだが、そのきっかけは曖昧だった。親しくなれたのは趣味が合ったからなのだろう。しかし、留学生として来国した王太子と後宮入りしたばかりの側妃。接点などない。どちらかがあえて接触を図ろうとしなければ。唯一可能性があった王子を歓迎する宴には、王子が幼少ということもあって妃が同席することはなかった。

「勿論、殿下とは良いお友達ですわ」

「ならば当然、その侍女とも面識がありますわよね」

「ええ、勿論ですとも」

「けれど、先程の言い方ではまるで祭を機会に彼女を知ったみたい。彼女との接点を隠したように感じてしまいましたわ」

シルビアは苦笑した。

「そんな必要が何処にあります? 考え過ぎですわ」

「そう? では、シェリファン殿下とはどうやってお近づきになりましたの?」

「王城に慣れぬ者同士、仲良くなりたいと思うことは自然なことでは?」

「わたくし、どうしても貴女方の間を誰かが船渡しをしたように思えてならないのですよ」

シェリファンはバルデロに来た当初、使用人に辛くあたる傲慢で我儘な王子と陰口を叩かれていた。同時に彼は自分に近づいてきた貴族達を悉く突っぱねていた。

果たしてそのように評判の良くない王子に態々近づこうとするだろうか。

「わたくし、噂は信じないことにしていますの」

「賢明な心がけですわね。でも、時に噂は真実を孕んでいることもありますのよ」

「例えば?」

「確か、貴女が親しくなられたのは、レイディアが侍女となり、殿下も落ち着かれてからでしたわね」

「あら、そうでしたか?」

シルビアは笑みを崩さずカップを口元に運んだ。

「それで、話は変わりますが、シルビア様は王とはどのようにして出会われたのです?」

「え?」

予想外だったのか、シルビアはきょとんとした。

「だって、陛下たっての願いで貴女を後宮に招いたと専ら噂ではありませんか。戦に明け暮れ、そうでなくとも執務に忙殺されている陛下が、何時何処で貴女と出会われ、見染められたのかと、わたくしずっと気になっていましたの」

「まあ、こんなところでそんなお話しするのは恥ずかしゅうございます」

「でも、以前にお会いしてはいたのですね?」

「…いいえ、わたくしが城に参るまで、直接お会いしたことはございませんでしたわ。きっと、わたくしの過分な噂が陛下のお耳に届き、恐れ多くも興味を抱いて下さったものと…」

「見くびらないで下さいませ」

ローゼは笑みを消した。

「わたくし、十年近く王をお傍で見て参りました。多少なりとも王を理解しているつもりです」

「……ローゼ様?」

「ここ数年、王は決して新しい後宮の住人を増やそうとはなさいませんでした。打診されてもきっぱりと拒否をされておりました。それが、突然覆され、貴女をお迎えなさった」

「………」

「何か理由があるのは明白。貴女を真実見染め、後宮に迎え入れたのなら、急かす様に後宮入りさせたことも、いきなり秋妃の位に付けられたことも納得出来ますわ。けれど、最近の王からは貴女に対して御寵愛の意思が感じられませんの」

「随分なお言葉ですわね。わたくしが至らぬ身であることは重々承知ですが、王はそんなわたくしにも情けをかけて下さいますのよ」

「けれど、元々頻繁に訪れる方ではありませんが、ここのところ特に王は後宮に立ち寄ることさえなさらない。…寵姫である筈の貴女の許にさえ」

シルビアは中身が殆ど減っていないカップをテーブルに置いた。

「まだるっこしいですわね。何を仰りたいの?」


「貴女を後宮に呼んだのは、どなた?」


強い意思の宿ったアーモンド色の瞳に晒され、シルビアは言葉に詰まった。

「貴女のご実家は貴族でありがなら大商家とも血縁にある。権威そのものは強くなくとも各方面に繋がりを持ち、さらに武器の融通など様々利点がありますわ。ええ、後宮に迎え入れる価値は充分にあります」

「………」

「ですが、それだけでなら、冬妃で充分だわ」

それは些細なことかもしれない。だが、冬妃と秋妃の位の差は非常に大きい。今は妃の位を持つ者しかいないが、かつては妃の位を持たない妾も多くいた。冬妃は妃としては格下扱いかもしれないが、決して下層の位ではないのだ。


ローゼの生家である公爵家ともなれば話は違うが、子爵家ならばキリエと同じ冬妃が妥当である。秋妃に上がるのは、その後、家の権勢が増し、王の寵愛を受け続けてからでも遅くはない。

だが、彼らは当初睦まじげではあったが、彼女がエーデル公に攫われるという不祥事が起って以降、彼女を訪れる回数は減っていった。まるで、用は済んだとでも言う様に。ローゼは他の男の手が付いた可能性がある妃に興味を失ったのかと思った。

レイディアの存在を知るまでは。


「貴女を秋妃の位に付けるよう王に進言したのは、どなた?」


ただの女奴隷が、後宮に来て間もないシルビアとシェリファンとの間を取り持つまでに親しくなることが果たして可能か。

レイディアの正体が、影の女主人――事実上の春妃であるなら、全て繋がる。

後宮を管理しているということも、妃の位を左右するという噂も。正妃の意見ならば王とて無視できない。それが、王自ら神国から奪い去ってきたと噂され続けた、彼の君であるなら…

「………」

ローゼは一息ついて、先日交わしたムーランとの会話を反芻した。

レイディアは後宮を管理していた。摩擦がおこらないように。妃の処遇を左右できる正妃。影の女主人。国を善意で守るという特異な存在。

彼女の存在は少しずつ下にも漏れてきているが、現時点でローゼ以上に事実に近づいている部外者はいない。噂が噂を作り、全く統一されずに無責任な噂が飛び交い、結果的にレイディアの存在がうやむやになっている。どれが真実であるのか分からずローゼも翻弄された。そんな中で疑わしい噂を掻き集め、ローゼなりに仮定を打ち立てた。しかし、何一つ証拠がない。

ローゼが欲しいのは、真実。決め手となる一言。




シルビアは暫く無言だった。どう受け流すか考えあぐねているように。

しかし、やがて諦めたように溜息を吐き、居住まいを正した。

「流石はローゼ様ですわね」

シルビアの纏う空気が変わったことにローゼは気付いた。強いていうなれば、笑顔の性質だろうか。

「………」

シルビアは顎に手をあて、顔を顰めた。

「でも、レイディアがいなくなってしまって、何が何やらなのはわたくしも同じなのです。わたくしもいい加減現状を打開したいんです」

親しげに彼女の口からレイディアの名を聞き、ローゼは唾を飲み込んだ。

「では…」

シルビアは頷く。


「ええ、認めましょう。わたくしを後宮に呼んだのは、他ならぬレイディアです」


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