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鈴の音の子守唄  作者: トトコ
46/81

第四十二話

少し加筆修正しました。(12/12)

テオールは分厚い書類を自室の執務机に置き、肩を回した。軍務関係の書類が大半を占めるそれは、その責任の重さに実質以上の重さを感じた。

テオールは一枚の紙を束から掬いあげた。唯一、戦とは関係のない辞令。

「………」

レイディアが失踪した。

その報せを王から齎された時、テオールは暫く口が利けなくなった。彼女が…いなくなった? あり得ない。そう思ったが、王がそんな冗談を言う筈もなく、彼は認めるしかなかった。

テオールら王の側近は、冬明けにアルフェッラとの開戦を控え、秘密裏に準備を進めているところだった。しかし、レイディアが消えたことで影が差した。

彼女が戦に巻き込まれる恐れがある限り、戦を容易に始められなくなった。

レイディアの兄、今はアルフェッラの総督であるユリウスが、レイディアの前に現れ、王と剣戟を交わしたことは聞いている。それからだ。彼女の所在が分からなくなったのは。

「やはり、レイディア殿は…王の部屋にいたのだね」

祭の日より、王の様子は何処かおかしかった。いつも通りと周囲には見えていただろう。しかしそれは見せかけだ。夜遅くまで仕事を続けたかと思えば、日が暮れる前に自室に戻った日もあり、気もそぞろな様子でいることもしばしばだった。それでも、荒んではなかった。


彼女が彼の前から消えたと分かったその瞬間までは。


テオールがそれを知ったのは王に執務室に呼ばれ、その場で彼女の捜索を命令された時だった。慌てて事情を聞いたが、王にとても近づける状態ではなかった。部屋のようにめちゃくちゃにされない為には、ただ黙って命令を拝するしかなかった。

それからの王は睡眠をまともにとらず、ひたすら、取りつかれたように戦の準備を進め、それ以上に、八方手を尽くして彼女を探し求めた。

「今のままでは、まともに戦など出られるわけがない。…誰かが、宥めないと」

戦という、興奮しやすい環境で、王は道を外した行動を起こしてしまうかもしれない。彼には落ち着かせてくれる存在が必要だ。それが可能なのは、あの少女以外になく、しかしその少女の存在が、王を今度の戦に駆り立て、同時に留めようとしている。こちらが出来たことといえば、フォーリーが辛うじて王に僅かばかりの食事をとらせている程度だった。

「城も落ち着かせないと」

三日前のこと。王は消えた女を探す指令を出した。いつになく表情が抜け落ち、張り詰めた静けさを湛えていた王に、臣下の一人が訝しりながらも何故たかが一人の女の為に兵を動かすのかと問うた。


突如、彼の瞳が燃え上がり、俺の妻だと、叫んだ。


突然宣言された正妃せいひの存在。誰にも気付かれずに、いつの間に誓いを交わしたのか。そもそもそんな秘密裏の存在を公に妻と認められるのか。臣下は王を問い詰めたが、王は答えず命令を下すと己の仕事に戻った。

充分な情報のない中、上層部が混乱したのは当然だった。事情の知らない者達も、それが伝播したのか何処か落ち着かない。

指標を求めて当てにならない王の代わりに、テオールやフォーリーに問い合わせの声が殺到し、テオールは一々あしらわねばならぬ状況に疲れていた。王はもとより一々説明をするような性格ではなく、自らの頭と足で考え行動し、王の命令の意図を探らねばならないから、説明不足に対する不満はそれほどではない。


そして、聞くだけで何も考えていないわけではない証拠に、彼らは一つの仮説に辿り着く。

まず、レイディアが収穫祭の巫女に選ばれ、表舞台に立った。

彼女の登場は、事情を知らない者にとっては霧の中から現れたように突拍子もないものだったに違いない。実際、これまでどうやって隠れていたのだろうと思う程に、祭での彼女の美しさは際立っていた。

そしてその直後にフォーリー以外の王の部屋の立ち入りを禁じられ、祭の後、彼女が城で見かけなくなった。

彼女の髪の色。舞の素晴らしさ。そして、四年前からずっと囁かれ続けてきた、あの噂。

それを以て一つの結論に思い至らない者は城にはいない。

「レイディア殿。わたしは置いてきぼりにされた気分だよ」

彼女の失踪には箝口令が敷かれている。彼女がいなくなったことさえ殆どの者は知らないが、上層部の空気は伝わって、見えない真実に憶測を飛ばした。それを知る僅かな者にしても、彼女が何者かに攫われたと思い、その不届き者をつきとめ、彼女を取り戻すという命令に従っている。誰かが彼女を連れていったのは間違いはないだろうが、彼女の意思でもあることは、誰も思い至っていない。

もし、レイディアの目的が開戦の妨害だとしたら、今回の戦に関して、彼女を向こうに回すこととなる。それだけは避けたかった。彼女の素性故でもあるが、彼女は元より事態を思うように収める才能があった。

「…王は、以前の王に戻られてしまった」

冷厳な王の眼差しは彼の前に立つ者を威圧し委縮させ、邪な思いを抱いていた者は見透かされる恐怖に慄き、降伏した。彼女がいた時も、それは変わらなかったが、今の比ではなく、温かみの欠片もなくなっている。テオールでさえ、今の王の前に長時間立つことはできない。

違うのは、今すぐ城から飛び出して自ら彼女を追いたいと、身の内から滲み出る衝動を、テオールにも察せられることだけ。


筆を休ませ、背もたれに身を預けた。

「…これからどうなる」

答えを求めて、何度目か分からない、彼女と共有する記憶をあさった。テオールの知る彼女が、彼女のままなら、バルデロを裏切る筈はない。戦を邪魔するのも、何か抜き差しならない理由があるのだ。その理由が、自分には分からない。相手が故郷だからだろうか?

「彼女は…何処へ行ったのか」

「忙しそうだな、テオール殿」

はっとして、咎める顔をして前に戻したが、扉の隙間からノックする姿勢のままで立つ人物に肩の力を抜いた。

「なんだ、貴方でしたか……驚かさないで下さい」

「不用心だぞ。城では何時誰が何処で何に聞き耳を立てているか、分かったものではないのだぞ」

老人は矍鑠かくしゃくとした足取りで中に入ってきた。

「こちらにおいでになるとお知らせ下されば、こちらからお伺いに参りましたものを」

「なに、すぐ帰る。儂の部屋に煩いのがようけ来てな。こっちに逃げてきた。匿ってくれ」

テオールは苦笑した。王の正妃問題で矢表の立つのはこの老人。

「仕方ないでしょう。貴方の最大の権威は王の婚儀を司ること。貴方が容認していたのなら、臣下は文句も言えない」

「とっくの昔に誓われていた。あの方が我が国にいらしたその日に、深夜に老い先短い儂の安眠を妨害してな。だが、それは来たる時まで秘すべきものだった。今がその時だとはとても思えんが、仕様がない」

若い者は忍耐というものを知らん、と老人はテオールの筆ペンをとった。

「…何を」

「紙を貰うぞ。ダイダスの阿呆を呼び出す」

「しかし…今の大将軍は自主謹慎中で、誰が呼びに行っても城に出てきません」

ダイダスは部下を死なせてしまったと言って引き籠ってしまった。友人であるセルリオ将軍の言葉さえ、彼は聞き入れない。副官が過労で倒れないか心配だ。

「だから儂が呼ぶ。この老体がきりきり舞いしているというのに、体力が有り余っている奴を家でごろ寝させる手などない」

ダイダスは、部下を死なせるなら、意味のある戦で死なせてやりたいといつも言っていた。その責任を感じるのは結構だが、家で腐らせておくよりも、仕事でもさせて気分転換させた方がいい。

「やはり、元は部下なだけあって、あの方のことをよくご存じの様ですね」

「あいつは、昔と何も変わっとらん。いつだって真っ直ぐ走って障害に行きあたったら取り敢えず拳で壊す。鳥頭加減は健在だ。増えたのは皺と財産だけだな」

テオールは彼の口の悪さに苦笑した。彼も、昔からこんな感じだったのだろう。

彼になら、聞ける気がした。

「…人生の先輩として、貴方に相談したいのですが」

「姫様のことか?」

「…そうです。よく分かりましたね」

「散々姫様のことをやいやい聞かれ続ければ、反射的にあの方のことを連想してしまうさ」

当然のように敬称を用いる彼に、やはり彼女は彼の巫女姫だったのだと改めて思い知らされる。


夕陽に赤く染まる彼女の横顔。赤に染まって消えてしまいそうな姿。眩しげに細められた目の奥に何を思ったのか。


四年、彼女と付き合って知ったのは、彼女の静かな雰囲気に惑わされがちだが、彼女がただの少女だということ。

綺麗な装飾品に目を引かれ、子供が好きで、生真面目で、甘い物に目を輝かせるただの女の子だ。

そんな彼女は、何を考え、何を望み、何を背負っているのか。王の腕の中でまどろむことを拒否して、彼女はなにがしたいのだろうか。

「…終わりのある始まりを、そうと分かっていても、なお始めてしまったら、何処に行き付いてしまうのでしょう」

後悔がテオールを苛んだ。彼女が消える前、シルビア妃が王の許に怒鳴り込んだと聞いた。忙しさにかまけて、いや、それを言い訳にしていたテオールとは大違いだ。彼女のように、行動に起こせていたら、もっと、レイディアの気持ちを知ることが出来ていたなら。彼女は出て行かなかったのかもしれない。少なくとも、やってみる価値はあった。

「質問が抽象的すぎるな」

「…すみません。でも」

老人は手を振った。

「いい、いい。お前さんの真面目な顔には、自分もよく分かっておらんと書いてある」

老人は、筆を走らせながら答えた。

「終わりのある始まりとはいうがな、どんなものにも終わりはある。違いは、先が見えているのか、いないのか。自分が望んだ最後に変えられるか、否か。それだけだ。悲劇の結末に向かって始めてしまったのだとしたら、そいつは阿呆で我儘な奴か、それがどうしても手放せない大事なものを見つけたかのどちらかだ。尤も、若い奴は向こう見ずに突っ走って先のことなど考えもせずに馬鹿を見るものだが」

「それは」

老人は筆を置き、机に両手をついてテオールの顔を覗きこんだ。

「聞け。厄介なのは後者の方だ。ただ我儘なだけなら拳骨食らわせて現実を見せてやればいい。若気の至りなら放っといてもいづれ勝手に気付く。だが」

老人の灰色の瞳がすっと、細められた。

「後者の場合。その結末は、最悪、己の身さえ滅ぼすぞ」

テオールは唸った。テオールは言葉を続けようとしたが、老人はさっさと書き終えた書状に息を吹きかけ、くるくると丸めだした。

「思い悩む暇があるなら身体を動かせ。でないと、全てを知った時、既に終わっている、なんてことになるぞ。動くなら今からだ。普段大人しくてあまり動かない奴ほど、いざ動いた時何をしでかすか分かったのモノではないからな。王然り、姫様然り」

テオールは眉間に中指を伸ばした。

「…流石に、お見通しですか。……祭司長」

「無駄に生きとらんよ」

老人―祭司長が呵々として笑い、颯爽と出ていくのを見送る間もなく、テオールは立ち上がった。







「…あの娘」

後宮の一際豪奢な宮の奥、主人の部屋では、ローゼは不機嫌も露わに悪態をついていた。

「やはりあの娘だったのね…わたくしを謀るとは、なんて無礼なっ」

ダリアは茶を注いで主人の前にそっと置いた。

「しかし、彼女が既に正妃の地位を獲得していたとは、流石に予想外でした」

「それよ。何故? わたくしという者がいながら、他の者を春の宮に入れるなんて…」

「けれどあの娘の正体は」

「お黙り! 巫女が何? 国を失った女王にどれほどの価値があるというの。後ろ盾さえ無いのに、巫女という立場を持っているというだけで諸国に狙われる。陛下のお慈悲に縋らなければ生きていけないお荷物なだけじゃないの」

「―それはどうでしょう?」

ダリア以外の声を聞き、ローゼは扉を振り返った。

「ムーラン様…」

「ご機嫌麗しく、というわけではなさそうですわね、ローゼ様」

くすくすと笑われ、ローゼは一つ咳をした。

「お見苦しいところを。それより…如何なされました? わたくしの所にいらっしゃるなんて珍しい」

「ローゼ様がお悩みのようだと伺いましたので、気晴らしに、ご一緒にお庭に散歩へ行こうかとお誘いに参りましたの」

「いえ、わたくしは」

断ろうとしたが、気を変えた。落ち着いて言葉を交わせる相手としてムーランは最適だ。

「……ええ、是非」

ダリアが素早くローゼに上着を羽織らせる。ローゼはムーランを伴って外へ出た。


ローゼは暫く黙ったままだったが、会話が他に漏れる心配のない庭の奥まった場所まで着くと、漸く口を開いた。

「……ムーラン様。貴女はご存じでしょうか」

「どんなお話し?」

「レイディアというシェリファン殿下の侍女が…」

「実は巫女で伴侶だったと? あら、何故ローゼ様がご存じですの」

「わたくしには優秀な右腕がございますから」

「ああ」

ムーランは訳知り顔で背後に目を向けた。

「…他に何かご存じではありませんか?」

「何故わたくしに?」

ローゼは腹に力を込めた。

「貴女ならば、何かご存じではないかと」

曖昧な問い方を、ムーランは軽く首を傾けて流した。

「さあ。わたくしにもさっぱりですわ」

「本当に?」

「随分高く買って頂いているようで恐縮ですが、ローゼ様はわたくしにどんな答えを求めておりますの?」

「…先程、貴女はわたくしがレイディアを詰った時、それはどうかと仰いました」

ムーランの優しげな表情は揺らがない。

「…ムーラン様、貴女は何をご存じですの? あの娘について」

「わたくしもそれほど知っているわけではありませんわ」

「…ですが、わたくしよりはずっと知ってらっしゃると拝察致しますわ」

「ご期待に添えますかどうか」

「わたくしは知りたいのです。影の女主人の正体。側妃を裏で支配しているというその権限。そして、アルフェッラ陥落後に囁かれた巫女がバルデロにいるという噂の真相を。彼女は時を前後して後宮入りを果たしている。それら全てが彼女が春妃で影の女主人だと示していますわ」

矢継ぎ早に紡がれた言葉を、ムーランは遮ることなく黙って聞いた。

「それが今、最有力情報ですわね。よくぞそこまで調べられました」

褒めるようにムーランは小さく頷いた。やはり問う相手はムーランで正解のようだ。

「違うものもあるのですか?」

「ええ、あります。尤も、全てが嘘という訳ではありませんが」

ローゼは、ムーランがやはり何か知っているのだと確信し、希望を見出した。

「では何が間違っているのです」

「レイディアは後宮を支配しているのではありません。管理していただけです」

「管理?」

「ええ。規制していたのではなく、管理です。摩擦がおこらないように潤滑油を差していただけ」

「では…やはり彼女が女主人であることは間違いないのですね。あの娘はやはりわたくしに嘘を」

「彼女は嘘は言いませんわ」

ローゼは肩をいからせた。

「ですが、わたくしは以前彼女に問うたのです。影の女主人かという問いに、あの娘は否と言いました」

「それはそうでしょう。彼女がそうだと名乗ったわけではないのですから」

ローゼは虚を突かれた様に目を丸くした。

「だってそうでしょう? 彼女は一度だって表舞台に立ってはこなかったのに、いつ誰に己の正体を語ったというのですか?」

「それは…それは詭弁だわ。自分がそうだと言われていると知っていた筈なのに、わたくしにそのことを言わないなんて」

「言う必要を感じなかったのでは?」

「そんなわけないわ。わたくしは筆頭側妃。後宮のことを知る権利があります」

ムーランはゆっくりと隣の女と向き合った。

「…彼女が正妃だとしたら、貴女には無くて彼女にはある権利があります」

「それは」

「公の地位です」

ローゼは息が詰まった。

「正妃にだけは、政に関与する権限があります。彼女が言わなかったのは、側妃の持つ権利を超えるものだと判断したのだとすれば、貴女が彼女に権限を振るうことは出来ませんわ」

たとえ後宮を代表する筆頭側妃としても、国内で一、二を争う権勢のある家の姫としても、所詮は側妃。政に関わる権限を持たず、肩書きは妾だ。

だが。

「そもそも彼女が本当に正妃というのは疑問ですわ。正妃は王の子を授かって初めてその地位を受ける権利を得るのですから」

「もう一つの噂がそれを解決致しますわ。彼女が巫女だとすれば、その限りではなくなるのですもの」

ローゼは曖昧に笑った。

「それはあり得ません。いくら巫女とて敗戦したからには、王の下に降った臣下となるのでしょう? 法に従う義務があるわ」

しかし、ムーランは首を振った。

「いいえ。アルフェッラの敗戦と、彼女の地位は関係ありませんよ」

それは誰もが知りながら、誰もが忘れている建前。


「お忘れですか? “みこ”はアルフェッラの王ではないのですよ。善意・・で国を守ってくれる、神の愛し子です」


ローゼの目が零れんばかりに見開かれた。

「便宜上、“みこ”はアルフェッラの代表として“王”と例えられますが、厳密には王ではないのですから、本来ならアルフェッラの未来に何の責任も持たないのです」

「では…では、形としては、“みこ”は守護する国を変えただけだと…?」

ムーランは答えず、空を仰ぎ、鳥が軽やかに旋回しているのを見つけた。

「……風も出て参りました。そろそろ中に戻りましょう」

突然話を打ち切られ、納得できないローゼはムーランを引き留めた。

「まだお話は…」

「今日のところはここまでに致しましょう。ローゼ様も少し気持ちを静められた方が良いかと。…では、御機嫌よう」

立ち竦むローゼに、優しげな笑みで会釈したムーランは、生け垣の向こうに消えていった。




ムーランは宮に戻る道を辿りながら先程の続きを考えた。

巫女を縛る法など何処にも存在しない。それは同時に、レイディアを守る法も存在しないという意味でもあった。

アルフェッラで至高の位に座っていた間はその体制が出来上がっていたから安定していたが、ギルベルトがその均衡を崩した。ローゼが言っていたレイディアの身の上は事実かもしれないが、王の庇護下で生きていくよう望んだのは、他でもない彼自身だ。

大陸を制する野望を特に持っていなかった癖に、態々安寧を崩してまで彼女を攫ったのだ。

「…だからこそ、あの子の存在如何によって、簡単に崩れる」

彼女が消えたことは、今はまだ上層部に知られているだけで済んでいる。女が王の寝室にいたという噂は王付きの侍女から流れたが、それがレイディアだと、そしてそれが正妃だという真実に行き着いてはいない。

だが、もし巫女がバルデロにいたことが明るみに出て、更にその巫女が外に出たと知られたら、彼女を己の国に招こう・・・と考える権力者達が必ず動き出す。それが分からないレイディアではない。

「貴女はいつだって承知の上で動くものね」

ムーランはもう一度空を見上げた。雲が映るその目には、うっすらと好奇心が滲み出ている。

「…どうするの? 貴女が一番嫌いな争いが起こっちゃうわよ」









「ここまで来れば、一先ずは安心か」

深い深い森の中、ドゥオは馬の手綱を引き、後ろを振り返った。

「疲れただろう? 少し休むか、お嬢ちゃん」

「…ええ」

ゼロと同乗していたレイディアはドゥオに少しだけ目を向けた。レイディアが頷いたのでゼロは素早く降り、レイディアを抱き降ろした。

「すぐに火を焚きます。そこの岩に座っていて」

レイディアは言われるがままに大きく平らな岩に座り、彼らの作業を見守った。


レイディアは三日前、王宮の庭に現れたゼロの手をとり城を出た。ドゥオと彼の手下三人と合流し、その日一日ひたすら歩いた。その翌日には移動手段を馬に変え、またひたすら走った。夜も殆ど眠らず移動に費やし、そして今日、漸く一息吐けることとなった。

疲れたかと聞かれれば、勿論疲れている。馬に長時間乗った所為で臀部も痛い。青痣になっているかもしれない。

しかし、それ以上に痛いのは…

「………」

レイディアはそっと溜息を吐いた。しかし、これは自分が望んだこと。彼らに感謝の念を抱きこそすれ、恨めしく思うわけがなかった。

「無理をさせて悪かったな、お嬢ちゃん。流石にあの王の追手を振り切るには、正規の道は使えなかったし、一刻も早くバルデロの国境を抜ける必要があった。よく頑張ったな」

温かい飲み物を手渡しながらドゥオがレイディアを褒めた。

「いいえ。無理を言ったのは私ですから」

レイディアはふぅっと息を吐いた。カップの上で湯気が乱れた。

「いや、元々お嬢ちゃんを連れていくつもりだったんだ。お嬢ちゃんが抵抗しないでくれて好都合だった」

「…そのようですね」

ゼロが迎えに来てくれた時、盗まれてくれるかと、盗品に頼むなんて何だかおかしな盗賊だ。

「しっかし、お嬢ちゃんを見つけるのに随分かかっちまったよ。一月だぜ? 一月」

レイディアのカップを口に運ぶ動きが止まった。

「…一月?」

「ああ。祭の日から隙を伺っていたが…ん、どうした」

「……いいえ」

レイディアの日時計では精々十日だった。その理由を思い出し、息を詰まらせた。取り敢えず湯を呑むことでその場を凌いだ。

「…では、急がなくてはなりませんね」

ドゥオはこめかみを掻きながらレイディアの呟きを聞いた。

「なあお嬢ちゃん。お嬢ちゃんは何が目的で城を出たんだ?」

「貴方方が気になさることではありません」

「何を気にするかは、オレ達が決めることだ」

ドゥオは己のカップを地に置いた。


「…そろそろ、その重い口を開こうじゃねえか、お嬢ちゃん?」


その音にレイディアは顔を上げ、ドゥオと目を合わせたが、すぐに降ろした。

「人ってのはな、いつまでも溜め込んでおけない生き物なんだ。何処かで吐き出してすっきりしねえと、疲れちまうぞ」

「…知れば、気にしてしまうでしょう」

ゼロがゆっくりと近づいてきて頷いた。

「僕達は国に縛られない盗賊ですよ。世俗と一歩離れた僕らなら、貴女の話を聞けませんか?」

「どの道、オレらは晴れて国賊になっちまった。今更、重荷の一つや二つ、どうってことねえよ」

今のところは『鷹爪』がレイディアを攫ったと確信には至ってはいないだろう。なにしろ候補者が多すぎる。だが、あの王のことだ。すぐに勘付く筈だ。

バルデロは今後、本格的に鷹狩・・に乗り出すだろう。

「それに、オレ達日影者が何より恐れるのは不確定要素だ。だから、お嬢ちゃんの隠しているモノが何なのか気になって仕方ないんだ」

法が無法者を駆逐しようとする分、自分の身は自力で守らなければならない。命の為に、周囲を探る。それが、たとえ暴かれたくない秘密だとしても。

「………」

レイディアは己の顔が映る水面を見下ろしたまま、数秒の間微動だにしなかった。


「…そうですね…私がこれから向かう所へ連れて行ってもらう運賃代としてなら」

とうとう口を開いたレイディアは一つ白い息を吐き、足を揃え、座りなおした。

「…私に、大事な人がいると言ったら、驚きますか?」

ドゥオは目を少し丸くし、顎を引いた。

「確かに意外っちゃ意外だが、妙に納得というか…ああ、分かったぞ。これからそいつに会いに行きたいんだな。で、その男は?」

「殺されましたよ。バルデロ軍にね」

空気が固まり、その場にはレイディアの湯を啜る音だけが残った。

「…どういうことだ」

ドゥオは掠れた声しか出した。ゼロも目を細めた。

「彼は先の戦で亡くなったのですよ。それだけです」

とてもそうは思えず、彼らは続きを待った。

「…彼の名はエリック。私の、初恋の人です」


レイディアは目を閉じ、静かに語り始めた。


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