小話集二
上二本の小話は2010年8月28日と10月4日に活動報告にて掲載したものを修正して再掲載しました。書き下ろしあり。
~レイディアが刃物を持たせてもらえない訳~
レイディアがギルベルトにバルデロへ連れて来られた当初、レイディアはフォーリーの屋敷に身を寄せていた。
既に女官長として確固たる地位を築いているフォーリーは滅多に自宅に帰れないが、主人の留守を守る使用人がいる。彼らは皆長年この家に仕える信頼出来る者達ばかりであるから、フォーリーは彼らにレイディアの世話を言いつけたのだが…。
「今日はどうだった?」
「いや、今日もさっぱりだったよ」
彼女はここへ来て以来、与えられた部屋から出ようとしない。運ばれた食事はきちんと食べてくれるし、声をかければ返事も返ってくる。部屋から出ない以外は全く普通なのだが、だからこそ、戸惑う。
「…これじゃあ、まるで俺達があの方を軟禁しているみたいだ」
勿論、部屋に鍵など掛かっていない。つまりレイディアが自分の意志で出ないだけで彼らに何の非も無い。彼女は部屋に閉じこもって何をしているでもなく、ただそこに在るだけ。あれでは人形と変わりない。とはいえ、彼女に何らかの責務が課せられている訳でもなく、最上級の賓客として扱っているので、彼女がどのように過ごそうと自分達使用人風情がとやかく言う筋合いはない。
ないが、どうにも気になる。
「そりゃあ、ここはあの方にとって居心地がいい場所ではないかもしれないが…」
だが、レイディアが仇敵として彼らを疎んじる様子は全くない。嘆くでもなく、怒るでもなく、ごく自然に受け入れて、静かにそこにいる。
「表面的なものだけかもしれないと、探った奴もいたが…」
ある日、レイディアの様子を一日中探った者がいた。もしかしたら本音が覗けないものかと。その行為は決して褒められたものではないが、その気持ちが分からないでもなかった。だが、その懸命の努力は報われなかった。
「…本気で一日中静かに過ごしていたそうだぞ…」
本を読んだり、うたた寝したり、花を生けたり。それだけをして過ごしていたそうだ。目を向けなければ彼女の存在を確信出来ないほど、静かに。
「…もしかしたら、それが当たり前なんじゃないか?」
「何が?」
「日常がだ。あの方は神殿の奥深くにおいでになられ、民の安寧を願い続けてきた方だぞ。もしかしたら俗世の事なんて知らないんじゃないか?」
「なるほど。深窓の方なら外に出て、何をしていいのか分からなくても頷けるな」
一日中部屋にいるのも、彼女にとっては当然の毎日なのかもしれない。それなら部屋から出ないことに懸念を抱くのは筋違いだ。そう思い至り、彼らは一応の安堵を得る。
「しかしだな。やはり世俗に降りられたからには、そのまま、というわけにはいかないだろう」
「だな。いずれ、後宮か何処か然るべきところへ行かれる方だ。まず外の空気を知らなければ、後で苦労なさる」
「そこでだ、こういうのはどうだろう?」
彼は同僚に顔を寄せた。
トントン、コトコト
レイディアは簡素な椅子に腰かけ、目の前の光景を注意深く眺めた。
レイディアをここへ連れてきた使用人の男がいうには、ここは厨房だそうだ。レイディアは厨房という言葉を知っていても、実際にどういう現場なのかは見たことがなかったから何もかもが目新しい。
「………」
火が焚かれているのは窯。その窯の上に乗っている銀色の器。あれが鍋。脇にあるのが水の溜め桶。篭の中に入っている色々な食材。毎日市で買ってくるのだそうだ。それから、少し離れた所に立つ人の、野菜を切る作業。調理器具は包丁。鈍い光を放つそれ。見る見る間に野菜を奇麗な形に切り刻んて行く。その鮮やかな包丁捌きは特にレイディアの興味を引いた。
「………」
「あの、」
「………」
「…あの、」
「………」
「……あの、すみません、あんまり見ないでくれませんか?」
じっと見詰められた厨房の男は気まずそうに言った。
「……すみません」
「あ、その、謝られるなんてとんでもない…ただ、おれ、あまり人付き合いが得意でないから…ああ、その、つまり…」
「レイディア様。この者は照れ屋なだけです。気にしないでやって下さい」
「…つい、初めて見るものですから」
やはりそうか。彼は自分の予測が当たった事に満足した。
「それに、野菜も、あんな形であんな色をしているんですね」
感心したように呟く彼女に彼は目を丸くした。…何だって?
「……レイディア様は、その、野菜をご覧になられたことがないのですか?」
「見たことはありますよ。…膳に乗った物なら」
彼は愕然とした。それほどまでとは思わなかった。いや、よくよく考えてみれば、それも道理かもしれない。彼女はただの姫ではない。神国では神と等しく崇められた方なのだ。想像以上に窮屈な身の上であったとしても何ら不思議ではない。
そんな考えごとをしていたら、恥じたように俯いた彼女に気付き慌てた。流石に不躾だったかもしれない。
「いえ、知らぬならこれから知っていけばいいのです。これから色々な事に挑戦して、覚えていけばいいのですよ」
彼は努めて冷静に言った。彼女が必要以上に気に病まないように。
「あ、それなら、試してみますか?」
人はいいが機微に疎い厨房の男が、珍しく気を利かせて言った。レイディアがぱっと顔を上げる。
「芋の皮むき。挑戦してみます?」
男は下女の仕事をさせるなんて、と思ったが、何事も経験だとさっき自分が言ったばかりなので何も言えなかった。
レイディアは暫し考えるように間を開けた後、こくりと頷いた。
そろそろと近寄ってきたレイディアに場を開けた男は包丁を持って手本を見せた。
「えっと…まずはこう持って…で、こう切る」
芋の山から適当に選び、手本に厨房の男はしゅるしゅると皮を剥いてみた。刃の角を使って器用に芽をくり抜く。レイディアは感嘆して溜息をついた。
「凄いですね」
簡素だが、心からの賛辞に男は顔を真っ赤にした。
「あ、その、こんなの毎日やってるので、全然普通のことで、凄くなんか…」
「私にも出来るでしょうか?」
「え、ええ。こんなの、慣れればすぐに出来ますよ」
はい、どうぞと手渡された包丁を丁寧に両手で受け取る。先程見せられた手本を真似て片手で持ちなおす。左手で芋を持ち刃を当てた。
すると包丁が手の中から忽然と消えた。
「………」
レイディアは包丁を持ったままの形を保った手を見た。それからゆっくりと右上斜め後ろを振り向いた。
「………」
「………」
後ろに立つ人物と目が合う。目を水平に戻すと包丁を見つけた。
「………」
レイディアが手を握々させると、彼は首を振った。返してくれる気はないらしい。彼は胡乱な目でレイディアを見下ろした。
「死ぬ気か?」
「…いいえ」
「だが今、手首を切ろうとしたではないか」
レイディアの瞼が、そうとは分からないくらい僅かにピクリと動いた。
「……お芋の皮を剥こうとしただけです」
その答えに、ギルベルトはレイディアの手にある芋を認めた。
「何故そんなことを」
「経験を積もうと」
ギルベルトは後ろで真っ青になってる使用人達を振り返った。
「唆したのはお前らか」
「も、申し訳…」
「レイディアが怪我をしたらどうしてくれる?」
「ひっ…し、しかし」
冷やかな王の怒りに彼らは今にも卒倒しそうなほどに震えていた。そこにレイディアの声が割って入った。
「それよりも、どうしてここにいるんですか?」
今の時間は執務中の筈だ。
「…所用で近くを通ったついでだ」
ギルベルトはそっけなく答えた。屋敷近くには王が赴く必要のある所など無いことを知らないレイディアはその言葉を疑わなかった。
ギルベルトは包丁を俎板の上に置き、レイディアの頬に手を当てた。
「お前の好きにすればいいが、刃物は駄目だ」
「………」
「いいな」
「……はい」
その場はそれで収まったが、よっぽど心臓に悪かったのか、その後もレイディアに刃物を近づけることに敏感になったギルベルトは護身用の武芸も禁じた。
しかし後日、レイディアの元を訪れ、その事情を知ったソネットが、出来るようになれば危なくないじゃない、という主張の下、こっそり色々と教え始めた。
それを知ったギルベルトと、ソネット以下『ミレイユ』一派が、レイディアへの技術の伝授を巡って一悶着起こすのはまた別のお話。
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ただのギルベルトの過保護の所為でした。
2010/7/28
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~甘えたい日もある~
婚姻を交わしていることは内密にしているレイディアとギルベルトだが、一緒に眠ることはさして珍しいことではない。
その夜もギルベルトはレイディアの待つ寝室に向かった。夜遅くまで執務を取る彼だが、レイディアの方も、残業を先輩女官らに押し付けられる日もあり、結局彼の部屋に訪れるのは深夜近くが多いので、ギルベルトの方が先に部屋に来ることもあった。
「お勤めご苦労さまです」
その日は先に仕事を終えていたレイディアは、既に夜着に着替えており、椅子に座って本を読んでいるところだった。
「お夜食の用意はしてあります」
机に並べられた皿には、腹に優しい果物。マイヤの実や林檎が切ってあった。
「…お前が切ったのか?」
「それが何か?」
「刃物を使っただろう」
「当たり前です。ソネットさんに、怪我をしない為にも慣れておいた方が良いと教えて頂きました」
あの女…。ギルベルトは内心舌打ちした。ソネットは彼の目を盗んではレイディアに色々なことを吹き込む。教える内容が包丁捌きだけならまだしも、余計な事まで吹聴して、レイディアにいらぬ知識を植え込むから厄介だ。
しかし、世間に目を向け始めた彼女を思えば、ソネットの邪魔をすることは出来ない。与える情報も、決してレイディアの毒にならぬように気を使っているのを知っているから、ギルベルトは何だかんだ言って容認してきたが。
「…何を考えていた」
「…いえ」
婚姻を結んで早一年。漸くレイディアはギルベルトが傍にいることに慣れてきた。ギルベルトの部屋だけでなく、レイディアの部屋でも眠ることで、彼女の領域に彼の存在がちらついて、いつしか彼がいても気にならなくなった。
でも、彼に心を見透かされているような目を向けられるのには、いっこうに慣れそうもない。
「…そのお酒…」
「ああ、お前の故郷でも呑まれる火酒だ。お前は呑んだことは無いだろうが」
ギルベルトが手に持っている酒は北方の方で良く呑まれる火酒だ。寒い地方で広く呑まれている。価格も安いというので特に庶民の間で呑まれるものだが、貴族も普通に口にする。レイディアは一度も呑んだことはないが、その威力は聞き知っていた。
「………」
「気になるか?」
レイディアの視線に気づき、ギルベルトは苦笑した。故郷を思い出させる品をレイディアが意図して避けているのをギルベルトは知っている。レイディアの瞳が一瞬だけ揺れるのを、ギルベルトは確かに見た。
「…あまり呑まれるのは良くないですよ」
お猪口一杯であっという間に腹を熱くする酒を、グラスになみなみと注ぐのを見て、レイディアは一応忠告した。
「知っている。お前も呑むか?」
ギルベルトは一口呑んだグラスを、気まぐれを起こしてレイディアに差し出した。
レイディアは酒は呑まない。ギルベルトも本当に呑ませる気はないだろう。しかし、この時のレイディアはそのグラスを受け取った。
「…おい」
「………っ」
ほんの少し舐めただけで痛い程に喉を焼く熱さ。それだけで頭がくらくらした。辛い。
レイディアからグラスを取り上げたギルベルトはグラスを置き、レイディアを抱き上げた。
「言わんことではない。どうした? 何かあったか?」
「……」
答えたくないのか、答えられないのか。レイディアは口を押さえたまま悶えている。ギルベルトは机を見下ろした。皿には瑞々しい果実。ギルベルトはマイヤの実を一つ摘みレイディアの口に押し当てた。
「…んぅ」
指先まで口内に押し込む。レイディアは大人しく指を咥え口をすぼめて果実を嚥下する。まるで嘴から直接餌を与えられる雛の様で、ギルベルトは二つ三つと、実を同じようにして与えた。
「もう寝るか」
漸く喉の熱さが引いたレイディアを抱いたまま寝台に乗ると、レイディアは何かぼそぼそと呟くのに気付いて耳を寄せた。
「…い」
「ん?」
「少しだけ…じっとしてて下さい」
ギルベルトが諒解する前に、レイディアが自分からギルベルトの背に腕を回した。
漸くギルベルトが傍にいるのには慣れてきたが、まだ触れられるのには慣れていない筈のレイディアからギルベルトに触れてきたことにギルベルトは驚いた。
酔っぱらったのか? いや、舐めただけだ。いくらなんでも…
微かに呻くレイディアを見下ろし、彼女の要望通り、暫しじっとしていたが、柔らかい感触に耐えられずギルベルトは抱きしめ返して、寝台に倒れ込んだ。
「ふぅ…」
口付けたい衝動にかられたが、いやいやと首を振ってギルベルトの胸から顔を離さそうとしない。背に回った腕に力が籠り、身体がぴったりと合わさった。いつになく幼げな仕草にギルベルトは箍が外れそうになる。
泣いているのだろうか。故郷を思い出したのか。それとも…
「レイディア…」
何にせよ、初めてレイディアから甘えてきてくれたのだ。嬉しくない訳が無い。
部屋に入った時から、レイディアがまた鈴が無い自分を心許無く思っているのに気付いていた。そしてその揺れを、酒で紛らわそうとしたことも。
皮肉なことに、却ってレイディアの忍耐を崩してしまったようだが。
この分なら、次の段階に進めそうだな。寄り添うだけでなく、男に触れられる快感を。
ギルベルトは艶めいた笑みを浮かべてレイディアの髪を撫でてやった。
2010/10/4
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~あの方には“悪戯”という選択肢しか無いようです~
「菓子を子供達に配る祭を知っているか?」
「私達が降臨祭を行うと同時期のお祭りですね。西方の一部の国の伝統行事だったと記憶しておりますが」
「そうだ。だがな、教科書通りの説明を求めているのではなくてだな?」
「はい」
「その祭には興味深いしきたりがあるらしい」
「何ですか?」
「菓子をくれ、と言われ、すぐに菓子を渡さなければ、悪戯をされるらしい」
「可愛らしいしきたりですね」
「じゃあ、俺に菓子をくれ」
「どうぞ」
「………」
差し出された栗色の飴を反射的に受け取った。
「何で持っている?」
普段レイディアは菓子を持ち歩く習慣など無い筈である。
「先程頂きました」
「…誰に?」
「シルビア様です」
なんだ、とギルベルトが肩の力を少し抜いたが、レイディアの話はまだ続きがあった。
「何でも、ムーラン様が妃の方々に贈られたそうで、沢山貰ったからと、私にシルビア様がお裾分けを…どちらへ?」
無言で立ち上がったギルベルトを呼びとめる。
「…女郎蜘蛛退治」
「城にそんな恐ろしい妖怪がおりました?」
「いるとも」
蜘蛛よりもずっと性質が悪い者が。
書き下ろし
彼女はフェイントを利かせるという小技も持ってました。