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鈴の音の子守唄  作者: トトコ
40/81

第三十七話

少し修正しました。(10/4)

彼女と初めて会った日を、俺は鮮明に覚えている。


物静かな佇まい、涼やかな眼差しは、俺の大切な人を彷彿とさせた。

守りたいと思った。今度こそ、守れなかった人の代わりに。

だけど、あの時、彼女に裏切られて…俺は――







投票日の翌日から、レイディアの周りは騒がしくなった。

収穫祭の主役ともいえる巫女役に彼女が選ばれた為、何かと視線を向けられるようになった。女性陣からは羨望と嫉妬の念を、男性陣からは絶好の縁談相手として。

そのせいで一人で出歩くことが出来なくなり、さしものレイディアも辟易していた。とはいえ、今のところ彼女には実害はなかった。周囲は騒がしいが、レイディアまでその声は届いていないからだ。彼女には強力な防壁が張り巡らされているので。


「レイディア、この薄絹なんか素敵だと思わない?」

「ええ、とても」

「じゃあ、これはどうですか? 蔦模様が入ってて、光に当たるととっても綺麗ですよ」

「ええ、綺麗ね」

「クレア。そんなものよりこっちの方が、上等だ。レイディア、ほら光沢があって綺麗だろう。金糸で刺繍もしてあるよ」

「極上の品かと」

布から目をあげたシルビアは頬を膨らませた。

「もぅっ、そんな他人事みたいにっ。レイディアはどれが気に入ったの?」

レイディアの周囲を固めているのは主にシルビアと、主であるシェリファンだった。

シェリファンは居住区にまでやってくる人々を追い払い、シルビアは好き勝手に飛び交う噂を尾ひれが付き纏う前に摘み取ってくれた。

「シルビア妃、レイディアは謙虚なのだ。そう急かさなくても良いではないですか」

レイディアが巫女役に選ばれたことを、シェリファンは我が事の様に喜んだ。その上、リクウェルと共に祭の成功を願って、時間を作っては手伝いに来てくれる。巫女役に選ばれたせいで落ち付かなくなってしまったシェリファンの居住区だが、シェリファンを始め、年嵩の女官達もめでたいことだとレイディアを祝福してくれた。

「レイディアの晴舞台だもん。絶対に成功させてみせるんだから」

拳を握り、使命感に燃えるシルビア。ノノリズ地方のリヴェラ領領主ポルチェット子爵令嬢という由緒正しい姫君。後宮で秋妃の位を賜わっている彼女は、貴婦人らしからぬ自ら積極的に動く快活な性格で、レイディアとも親しくしている少女だ。

レイディアが巫女役に選ばれたと聞くや、翌日から早速いそいそと大量の布地を抱えてシェリファンの許にやってきて、以来毎日ここに通っている。


よって、シェリファンの居住区から殆ど出なくなったレイディアは始終彼らの傍にいるようになり、祭の打ち合わせや舞の稽古などで、街に出る際はクレアが付いてきてくれるので、少なくともレイディアの耳に雑音は入らなかった。


「それにしても…たった数日でよくこんなに集めましたね」

リクウェルは高く積まれた赤い布地を見上げた。部屋にある布の色は全て赤だった。シルビアがレイディアの衣装は絶対赤だと言い張った為だ。レイディアが異存を申さなかったので、流れ的に決まってしまった。

濃淡さまざまな赤色、生地の種類も多種多様だ。赤だけでこんなに種類があるとは。

女性の衣服の型が無限にある訳である。

「シルビア妃、気合を入れるのは結構なのですが、急ぎませんと本番までに衣装が縫い上がりませんよ」

投票日の翌日からシルビアは布地を持ってきたが、日が経つごとにその数は増え、今では客室を一室埋め尽くす勢いだ。

巫女の衣装はその年の祭の為に仕立てられる。その衣装は選ばれた娘や周囲の女性達が衣装作るか、金銭に余裕があるならば仕立て屋に依頼する。レイディアは後者だった。

明日までに使用する布地を全て決め、さらに意匠についても粗方話し合っておかなければ、間に合わなくなるかもしれないのに、未だ生地選びの段階だった。

「あら、心配には及びませんわ。わたくしには頼もしい親友がいるのですよ、殿下」

「親友?」

「ええ。大商家の娘で、今は彼女が跡を継いで店を切り盛りしているのです。これらの布地も彼女に集めさせました。実は今日呼んでいるのですよ。もうすぐやってくるはずなのですが」


「もう来ているわ」


シルビア達が振り向くと、扉の前にはシェリファン付きの女官と、彼女に案内されて来た女性が立っていた。簡素なドレスを纏い、実用的な大きい鞄を持っている。

「オーロラッ」

「相変わらずね、シルビア」

シルビアは親しみの籠った手で彼女の頬を撫でた。

「久しぶりね」

「貴女がしゅっちゅう手紙をくれるから、あんまり離れている感じはしなかったわ」

「…大分立ち直ったようね」

「あのくらいで、いつまでも塞ぎん込んでいたら時間が勿体無いでしょう」

シルビア自ら駆け寄って抱きしめられた女性をシェリファンは不思議そうに見た。

「…シルビア様、その者は?」

シルビアはパッとシェリファンを振り返って詫びた。

「あら、申し訳ありません。ご紹介しますわ。彼女はオーロラ・ロジェスティ。ロジェスティ家の当主ですわ。わたくしの幼馴染ですの。オーロラ、彼はメネステ国王太子シェリファン様よ」

「オーロラです。この度はロジェスティ商家に御注文下さいまして真にありがとうございます」

帽子を持ち上げ、きびきびとした礼をする。オーロラは王太子と聞いてもシェリファンに過分な遜りは見せなかった。

「ほう、女性が一家を率いているのか」

「ええ。直系に男子がおりませんので」

異性を感じさせない態度にシェリファンは鷹揚に頷いて応えた。王城に多い淑やかな女とは違う、如何にも自立した女性という雰囲気のオーロラに、人見知りしがちな彼はほんの少し、警戒を解いたようだ。


クレアに気付いたオーロラは少しだけ唇を緩ませた。

「クレアも、お久しぶりね」

「…ども」

「して、巫女役の方はどちらに?」

オーロラはあたりを見渡した。

「もう、オーロラったら。何言ってるの、目の前にいるじゃない。彼女はレイディア。殿下の侍女をしているの」

シルビアはレイディアの傍に寄って肩に手を回した。

「あ…これは失礼」

少しだけ驚いたように一瞬だけ目を開いた。


…今の今まで気付かなかった。商人として、素早く周囲に目を走らせる自分が?


しかしシルビアにオーロラの耳に口を寄せられ、物思いは霧散した。

「レイディアは私達の事情を知ってるから、安心して」

「え…?」

「なんたって私達の苦境を抜け出す救いの手を差し出してくれたのがレイディアなんだから」

理解したオーロラは、あ、という顔をして、まじまじとレイディアの顔を見入った。レイディアは気を悪くした風もなくオーロラの視線に応じた。

「…それでは、レイディア様、これからよろしくお願い致します。早速ですが、生地選びに参ります。新しく持ってきた布もどうぞ見て下さい。他に何かご要望があればなんなりと」

すぐに商い用の顔に戻ったオーロラは、流石に大商家の主なだけあるとレイディアは感心した。レイディアがただの使用人ではないと悟っても、客の情報は他言しないのが一流の商人だ。

「私の方からは特に要望はありません。仕立て屋の方も、そちらが紹介してくれると伺っております」

「はい、こちらもそのつもりで既に何人か候補を揃えております。いずれも依頼が絶えない程の腕の持ち主ばかりですので、最高のお衣装をお届けするとお約束しますよ」

「人気ならば、突然依頼をしても断られるのでは?」

「おや、御存じないので? 巫女役の衣装の依頼ならば上客を蹴ってでも欲しい仕事ですよ。祭が成功すれば、自分の仕立てた巫女衣装の型が大流行しますからね。声をかければ、我こそはと、こぞって私の呼びかけに応じましたよ」

オーロラは周囲に積まれた生地の山を見上げた。

「今日中に生地を決めて頂ければ、明日には針子をそちらに寄こしますが」

「え、そんなに早く決められないわよ」

それに不満を示したシルビアにオーロラは溜息を吐いた。

「貴女が着るわけじゃないでしょう」

「でも、適当に決めるなんて絶対イヤよ。せめて明日まで待って」

「…こんなに生地があっては、却って目移りして迷ってしまいます。候補を絞らなければ」

シルビアは生地の山から一つ取り出した。

「候補ならは決まってるの。ほら、例えばこれ何かどうかしら?」

シルビアに生地を見せられたオーロラは再度溜息を吐いた。

「まるっきり貴女の趣味じゃないですか。…レイディア様の趣向を考えて差し上げないと」

「ちゃんとレイディアに似合うものを選んでるわよ」

オーロラは声を顰めた。

「…だいたい、あんたの趣味は人とずれてるのよ」

「ずれてるんじゃないわ。個性的なだけよ」

「よく言うわよ、おじさんが趣味のクセして」

「おじさんが趣味なんじゃないわ。ダイダス様が趣味なのよっ」

そうでなければ、あのエーデル公だって守備範囲に入ってしまうではないか。

シルビアは第一軍の大将軍ダイダスに想いを寄せており、自分の親程も歳の離れた彼を落とさんと後宮に入ったという経緯を持つ。

その想いは実に健気で、ダイダスが香水が苦手と聞けば、持っていた香水類を全て処分、ないしは侍女達に下げ渡し、ダイダスが鍛練場にいると知れば、小細工を弄し部屋を抜け出して、こっそり手ぬぐいと飲み物を差し入れるなど、涙ぐましい努力を日夜せっせとしている。

レイディアとギルベルトはそれを遠目で眺めていたりするのだが。

「いい加減、現実を見なさいよ。あんなに歳の離れた人とうまくいくはずないじゃない。夫婦は共通の話題が無いと一緒にいてもつまらなくなるものよ」

「そんなの分からないでしょう。それに、貴女に男女の仲を語られたくない」

色恋沙汰に興味の薄いオーロラをあてこする。元夫に酷い目に遭ってからはますます彼女は男という生き物に期待しなくなった。しかし、シルビアはそれに倣う気は毛頭無い。

「妃の立場の何が不満なの? 歳だって離れてるし、戦で命を落とすかもしれない軍人より、王の方がずっと魅力的でしょう。大将軍とはいえ身分は高くないじゃない。彼が死んじゃったらどうやって食べていくの? 自分より年上の義理の息子に養ってもらう? 愛でお腹は膨れないわよ」

すると何故かシルビアは頬を染めた。

「やだ、愛でお腹を膨らませるのはパンじゃなくて、子供よ」

「この桃色娘っ。男に尽くして何の得になるのっ?」

「何よ。恋は毎日のご飯を美味しくしてくれるわ」

「いいから、さっさと生地を選びなさいよ」


内緒話のような二人の言い合いが止みそうにない。

レイディアは少し考える仕草をしたかと思うと、おもむろにシェリファンの方を向いた。

「シェリー様。シェリー様のお気に召した生地はどれでございました?」

話を振られ、シェリファンはちょっと考えた。

「えっと。さっきのと…いくつか気になるのがあったんだけど…」

先程示した金糸で刺繍がなされた生地と、格子模様の薄絹、生地と同じ色で花の刺繍がされた絹を見せた。シェリファンは薄絹を重ねた衣装を纏って舞えばどれほど美しいだろうと想像し、同時に彼女と初めて会った時の純白の記憶を思い出し、恍惚となった。

「では、それを衣装に使わせていただいてよろしいですか?」

「えっ、そんなに簡単に決めてしまうの?」

シルビアはレイディアの声が耳に入り我に返った。

「お祭りのお勤めの為に侍女の仕事を疎かにしてしまうので、せめて衣はシェリー様の意向に沿うべきだと思います」

「それは…主人好みの衣を着るのは侍女の役目でもあるけど」

シルビアはちょっと残念そうな顔をしたが、シェリファンは自分が決めた衣を使ってくれることに気を良くしてくすぐったそうに笑った。


と、その時、新たに来客の旨が女官から告げられた。

「誰だ?」

「ローゼ様の遣いの者でございます」

シェリファンは眉を顰めた。何故、今?

レイディアを見て、頷いたのを見てシェリファンは入室を許可した。




「お忙しい中、お時間を頂き恐縮にございます」

部屋に入ってきたダリアは、まずは優雅に一礼して非礼を詫びた。

「いや、こちらこそ、部屋が散らかっていて恥ずかしい限りだ」

簡単に部屋を片付け、ソファに座ったシェリファンは至って平静に応じた。ダリアは少し離れた場所に座るシルビアを目だけを動かして見た。

「シルビア様も、こちらにおられたのですか」

「ええ。殿下とはお友達ですもの。それが?」

「いえ、シェリファン殿下と親しいと伺っておりましたが、真だったのですね」

「殿下とはお話が合いますの」

澄まして答えたシルビアは、話を打ち切るようにカップを口に運んだ。

「それで、用とは?」

「この度、殿下の侍女であるレイディア様が巫女役に選ばれたと聞き、夏妃様は彼女に直々にお祝いを述べたいと思し召しでございます。是非ローゼ様の宮においで下さい」

シェリファンの胸に警戒心がもたげる。シェリファンに阿る為に訪れる客はいくらでもいる。しかし、本人を態々呼びだして言うものだろうか。ましてやローゼとシェリファンは、シルビアとは違い特別親しい間柄でもない。不自然ではないが、何処か違和感があった。

ローゼ妃は誰かを貶めるような人柄ではないのは承知しているが…。彼は意識して笑みを作った。

「それは光栄なことだ。彼女に代わりわたしから礼を言おう。だが、見ての通り今彼女は忙しい身だ」

「夏妃様の為に割く時間も無いと?」

「そうは言っておらぬ。慌ただしい中でまみえては充分な礼も出来ぬであろうと思ったまで。ローゼ妃にはまた後日、日を改めてお伺いしたいと伝えよ」

「しかし、祭に近づくにつれ、ますます時間が無くなってしまいますわ。無理を言っているのは承知しております。ほんの小一時間でよろしいのですよ」

「だが、まだ決めることが…」

シェリファンがなおも拒否しようとするとレイディアがさり気無くシェリファンの視界の中に入り微かに手を振った。

「ローゼ様がそこまで気遣って下さるなんて光栄です。喜んで参ります」

「レイ…」

レイディアは問題無いというように軽く口の端を上げた。

「ですが、少し問題があります。…シルビア様、申し訳ないのですが、衣の意匠や装飾品はシルビア様にお頼りしてもよろしいでしょうか? 私は流行ものはよく分かりませんし」

シルビアは顔をぱっと明るくした。ダリアの手前、優雅な仮面を崩さなかったが、僅かに腰が浮いたのをレイディアは気付いた。

「ええ、勿論よ」

「ありがとうございます。…では、ダリア様」

「ええ」

ダリアに付いて行く際、レイディアは不満顔のクレアを呼んだ。

「クレア、来てくれる?」

「はい、レイディア様」

呼ばれたクレアはさっとレイディアの傍に寄り、彼女と共に部屋を出て行った。



「……流石だね」

仲良く意匠について話し合いだしたシルビア達を、部屋の隅で眺めるリクウェルは、それとなく彼らの顔を立てつつ、夏妃との確執を防いだレイディアに感心した。








レイディア達は後宮の長い回廊を渡り、側妃達の中で最も大きい宮に通された。

ダリアに導かれて入ったその部屋は、後宮で二番目に広く、後宮の主として恥じぬ壮麗さであった。廊下の隅々まで紅の薔薇が飾られており、薔薇の香りがレイディアの鼻を擽った。

その中央にある、ゆうに五人は座れるであろう長いソファに座って、レイディアを待ち構えていた宮の主人は、アーモンド色の瞳を細めてレイディアを歓迎した。

「突然呼びだして申し訳なかったわね」

「いえ」

「丁度お茶の時間なの。貴女もゆっくりしていって」

彼女達が従うのは当然というふうに手前のソファを示す。強い口調ではないが、ごく自然に人を従わせる力を持つ声に、クレアは僅かに顔を固くしたが、レイディアは静かに下座のソファに身を落ちつけた。


すぐにお茶の用意がなされ、あっという間にダリア以外の使用人が退出すると、双方は静かにお茶に手を付け始めた。

「………」

「………」

暫し、部屋には沈黙が降りる。ローゼの視線を時折感じながらも、特に動じた風もなく、レイディアは静かにお茶を啜り、少しだけ菓子にも手を伸ばした。

薔薇の茶は、まるで本当に薔薇を食べているかのように口内で芳香を放つ。ローゼが特に愛用するこの茶は、庶民が一生手を伸ばせない程に高価だ。香りは濃厚なのに反して味はしつこくはなく、意外とあっさりしており、これを淹れたダリアに感謝しながらレイディアは美味しく頂いた。


微かにスプーンを置く音が立った。

「…まずは、巫女役に選ばれたことにお祝いを言わせていただくわ」

「ありがとうございます」

丁寧に寿ぎを受けたレイディアにローゼは続けた。

「…でもね、実は貴女を呼んだのはお祝を言う為だけではないの」

レイディアがカップを置いて居住まいを正した。

「つい先日、愚かな女が一人、後宮を去ったわね」

「…その後、自害なされたと聞きました」

「あらそうなの? まあ、そんなことはいいわ。わたくしが気になっているのは噂の方よ」

「噂とは、あの?」

「ええ、貴女も当然知っているでしょう。随分騒がれたもの」

レイディアは頷いた。

「けれど、結局、その噂は彼女の虚言だったと」

もう王城の中にその噂を掘り返す者はいない。既に旬な噂は次に移っている。

「彼女は“影の女主人”を気取っただけだわ」

「つまり、本物は別にいると?」

「馬鹿馬鹿しい話だと思うかしら? やはりあの女が作り出した妄想だと思う?」

「いいえ。貴女がそう仰るなら、きっと根拠があってのことなのでしょうから」

ローゼはちらりとダリアの方を見た。

「そう…ね。それでね、わたくしはその存在を憂えているの。…またこの間みたいなことが起こるのは防ぎたいから。分かってもらえるかしら?」

「お気持ちは分かります」

「そこでね、貴女の協力を得たいの」

「私が夏妃様のお役に立てますかどうか」

ローゼは皿の菓子を一つ摘み上げた。

「その前に誓いなさい。決して嘘は申さないと」

厳しさを備えた視線に臆することなくレイディアは受けた。

「我が主の名誉に誓って」

ローゼは頷いて質問を始めた。

「この間、貴女はあの女と知り合いだったように見受けられたのだけど」

「はい。顔見知りではありました」

「何処で知り合ったの?」

「ナディア様が、以前殿下の居住区においでになられたことがありました」

「…そう。それから、貴女はあの時、王に呼ばれていったわね」

クレアは菓子を食べて表情を誤魔化したが、レイディアには何の反応もなかった。

「ええ」

「…そういうのは、よくあるのかしら?」

「私は殿下の侍女ですので、時たま、あのように報告の為に呼ばれることはあります」

「やはり、殿下のことで呼ばれるのね?」

「やはり?」

ローゼは一瞬考えるように目を伏せたが、すぐに前に向き直った。

「いいえ、こちらの話。王はメネステとの絆を大事とお考えの様ですから、殿下のご様子を気にかけるのは当然よね。殿下の許にもよくいらっしゃるの?」

「ええ、お時間がある時などは昼食に招かれることもございます」

「…そうなの」

ローゼは新たに注がれた茶で口内を潤した。

「貴女は、そう、王とよくお会いするの?」

「お会いする?」

「寵を頂いたことがあるのかと聞いているの」

ローゼの目は真剣だった。レイディアもその真っ直ぐな目を見つめた。随分直球でくるものだ。

「貴女はテオール殿とも親しいそうね。王に近い彼と親しいなら、王の覚えも良い筈」

「テオール様はお優しいので、同郷である私に何かと気遣って下さるのです」

「…同郷?」

「ええ」

「貴女はアルフェッラ出身なの? どうしてここにいるの?」

「…先の戦で、帰る家を失くしてしまいました」

「そう。それは悪いことを聞いてしまったかしら」

ローゼはレイディアの頭部を覆うスカーフを見た。

「…そういえば、女奴隷でもないのに、どうしてそんな物を被っているのかしら」

「以前女奴隷であった時分の習慣がまだ抜けないのです。御不快にさせるようでしたらお取りしますが」

「そこまでは言わないわ」

頓着なく問われ、ローゼは拍子抜けしたように肩を上下させた。


「…では、率直に聞くわ。貴女は“影の女主人”?」


返ってきた答えは。

「いいえ」

躊躇いなく。淡々と。この部屋に入る前から何ら変わりなく。

ローゼはじっとレイディアを見つめた。僅かな変化も見逃すまいというように。




「………そう」

長い沈黙の後、ローゼはソファに深く身を沈めた。その顔には安堵と、失望の交じった表情が浮かんでいた。

「このことは忘れなさい。念の為に聞いただけだから」

「御意」







レイディアを退出させた後、ローゼは疲れたようにソファに何個も重ねられたクッションに背を預けた。

「如何でしたか?」

「…余計に分からなくなったわ」

ローゼは正直に答えた。こんなに混乱するのは初めてだ。

「あの娘…」

結局最後まで情報らしい情報を出さなかったと語るローゼにダリアは共感して頷いた。


普通、貴人に唐突に呼ばれたら、使用人が見せる反応は驚きや喜び、不審といったものだ。

ダリアが突然現れ、半ば強引に連れ出された際も、あの少女は少しも慌てることなく素直に従い、ローゼの宮へ行く道中でも、ダリアにローゼの真意を問おうとはしなかった。

少しでもこちらの顔色を伺うようなそぶりを見せたなら、ぴしゃりと突っぱね、彼女の本音を引き出す切っ掛けになったのに。


出来た使用人といえばそれまでだが、こちらがそういう反応を予想していただけに、寧ろこちらの調子が崩された。

「…かといって嘘を付いているようには見えなかったわ」

後宮生活が長いローゼは、相手が真実を言っているか否かはすぐに分かる。

何かを偽る者は、挙動不審になったり、極端に口数が少なくなったり、逆にどうでもいいことまでぺらぺらと喋りだす。しかし、レイディアからは、何の後ろめたさも感じられなかった。

そしてその通りに、ダリアが調べた彼女の情報とに矛盾は無かった。


ローゼと相対しながらお茶を飲んだ時の静寂。殆どの者はその無言に耐えられず、ローゼに呼びだした意向を問うものだ。ローゼもそれを期待して、レイディアが隙を見せて付け込みやすくなるのを待ったのに…。


しかし、結局、沈黙を破ったのはローゼの方だった。


あの娘は、聞かれたことを必要な分だけ答えた。何の心の準備も無く、貴人の前に出されて、ああも落ち付いていられるものだろうか?

静かに座り、静かにお茶を飲み、聞かれたことにのみ口を開いた。

出しゃばることなく、先走ることなく、臆病風に吹かれて逃げ出すこともなく。

大人しく、無口で、引っ込み思案な娘。そう聞いていた。けれど実際の彼女はただ、静かなだけだった。無愛想というには、その空気は柔らかく、地味というには希薄過ぎて、大人しいというには動じなさ過ぎた。

彼女が本物だと言われたら、納得してしまうくらいには、ローゼは彼女と対等に言葉を交わした。


ローゼが口を開かなければ、そのままお茶だけを飲んで退出しそうな雰囲気だったのに負けて、沈黙を破ったことに対して、微かな敗北感を味わった。だが、不思議なことに別の感情も呼び起こした。

あれは、白か黒か、どちらかでしかない。関係者だとか、事情を知る者などという間接的な関わり何かではあり得ない。

あの娘が“影の女主人”であってもなくても、あの娘はいずれ台頭してくるだろう。そんな確信があった。ローゼの唇が、微かに持ち上がる。


「…いい女は、いつだって、対等な好敵手を求めるものなのよ」


ローゼが欲しいのは足を引っ張り合い、貶めあう敵ではなく、互いを高め合える好敵手。

ローゼは、レイディアがそうなるのではないかと予感した。








「あぁ、緊張しましたっ」

クレアは誰もいないのを確認するや、へたり込んで溜めこんでいたものを吐きだした。

「クレアが緊張することはないのに」

「でも、あの威圧感は半端ないですよ」

クレアは座っているだけで精一杯だった。気を紛らわそうとお菓子を齧っても味なんか分からなかった。勿論口を開けるわけもない。

「ローゼ様だもの」

名門デノスリット公爵家令嬢。生粋の貴族。気高い本物の姫君だ。王に寄り添うべく育てられ、その誇り高い自尊心は、大勢の女達がいた時代でも失われることはなく、醜い争いが繰り広げる中にあって一人堂々と立っていたのだ。

ムーランとはまた違う、独立した妃。万人が傅くのに相応しい筆頭側妃。

「レイディア様は、よく平然とお茶飲めますね」

「どうして緊張することがあるの?」

ローゼは気高く、真っ直ぐだ。

卑怯な手段を用いることなく後宮での地位を保った。それを貫けるだけの家柄であってこそだが、それに見合う美貌と聡明さを兼ね備えた賢妃なのだ。

しかし、だからこそ、姑息な行為を嫌悪する。色々調べ回りはしても、不意を打って、影から追い落とすことが出来ない。それは弱者のする事だと思っているから。

だからレイディアの敵になり得ない。緊張する理由が無い。

「そりゃ…レイディア様は平気かもしれないですけど…僕は駄目です。ああいう雲の上の人は」

「ローゼ様は、ただ後宮を無難に治めていたいだけ」

「…まぁ、潔癖なお妃様ですからね」

クレアは髪をかきあげた。クレアには、レイディアの様に貴人を前にして自然体を保つのは至難の業なのだ。あの薔薇色の髪をした美女の目力は特に。向こうに咎める気はなくても、縮こまってしまうのだ。

「僕にはとても無理です。何処かで絶対ボロが出る」

レイディアはローゼには何一つ偽らなかった。あの瞳に全身を見つめられながらも、なお平然とし、かつ何一つ嘘を吐かずに、ローゼを納得させてみせた。


ギルベルトと一線を越えたことがないのは事実だ。

シェリファンの件で呼ばれることもある。

戦で帰る家を失くしたことも、間違ってはいない。

“影の女主人”がレイディアではないというのも嘘ではない。レイディアが名乗ったことなど一度もないのだから。


そう、何一つ、嘘は言っていない。



「でも、もう少し不安げにしておくべきではありませんでした?」

レイディア達は普通の・・・使用人の反応くらい、承知している。もう少しそれらしくしていれば、ローゼの疑いを完全に払うことも出来ただろうに。

「あの様子じゃ、まだレイディア様の監視をやめませんよ」

「構わないわ」




レイディアは胸の中で呟く。


もう、隠す必要もないでしょうし。


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