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鈴の音の子守唄  作者: トトコ
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第三十四話

その日、ラムールはメネステ国王太子シェリファンを訪ねることを予定していた。

彼が入城して既に一週間になるが、王城への滞在を請う書状は事前に送っておくのが常であり、諸々の事情からそれを怠ったラムールは、それ故、王との面会は未だ叶わない現状も甘んじて受けなければならない状況だった。とはいえ、王との面会の約束を三日後に取り付けることに成功したので今のところ大きな不安は無い。


王に謁見するまで、他の貴人との交流を持つべきとマシューに進言され、毎日誰かしらと会う忙しい日々を過ごしていたが、ふとした拍子に街で見つけた少女を思い出しては物思いに耽るという調子で、伝手を広げる任務に身が入らない。そんな主人をマシューは嘆き、今日も今朝から彼に外交官たる者、という訓戒を長々と述べていた。

「よろしいですか? 本日はシェリファン殿下とお会いするのですぞ。くれぐれもぼんやりなさって殿下を御不快になさいませぬように」

「ああ、分かってるよ…」

ラムールは朝食のベーコンを突きながら適当に答えた。

「なぁ、マシュー」

「なんでしょう」

一瞬、街で見かけた少女の話題を出しかけたが、しかし昨日それで窘められたばかりだったことを思い出して、当たり障りのない話題を持ち出した。

「シェリファン殿下はまだ八つでいらっしゃったな。幼くして祖国を離れることは、さぞ心細いことだろう」

「ええ、そうでしょうとも。その上、王太子として次代の王として国を背負う御身であらせられます。よほどの覚悟をなされたのでしょうな」

「そうだな。そのお歳で既にそんな心根をお持ちとは。その頃のわたしは気楽なものだったのに」

素直に心情を述べたラムールにマシューは満足げに頷いた。外交にようやく興味を示してくれたことが余程嬉しいらしい。

「はい。なんでも、メネステ王たっての願いで、王太子を託したとか。二国が懇意にしている証でもあります」

当初、王子は人質としてバルデロに引き渡されたという噂が立ったが、王ギルベルトの王子への対応から、今ではそんな噂は完全に消えていた。

「たった一人の後継者を預けるくらいなのだから、信頼関係が無ければ無理だろうしな」

メネステ国の王は警戒心が強いと定評のある君主だ。その王の信を得たバルデロの王はよほど誠実な賢君なのだろうか。ラムールは未だ顔も知らぬバルデロの王を想像してみる。だが国内で圧倒的な支持を誇る王。一方で他国からは侵略者と恐れられている冷酷な王。印象が一致せず想像が追いつかない。

「王とはそういうものです。一面だけを見て判断出来るものではありません」

そう諭され、ラムールの君主である兄王もそうであることを思い起こし、納得した。







その日、レイディアは朝からシェリファンの居住区をうろうろしていた。勿論迷ったのではない。朝起きて、ピアスが無いことに気付いたシェリファンに頼まれて、彼が失くしたピアスを探しているのだ。


彼がピアスを身に付けるのは国の風習柄なのだが、今回失くした虎目石のピアスは彼のお気に入りだ。レイディアも何度か見たことがある。縞模様の奇麗な金褐色のピアスだったと記憶している。

シェリファンによれば、そのピアスはどうやら昨日、レイディア達とかくれんぼしていた時に落としたかもしれないとのこと。捜索範囲はこの広い居住区全域。そのくせ使用人の数は王太子としては少なく、探し手が足りない。なにせ、主な使用人はレイディアを含めても四人しかいないのだ。骨が折れる仕事だが、一番時間のある侍女のレイディアが一人で探すしかなかった。


そういうわけで、レイディアは廊下をゆっくり歩いて見渡したり、庭の植木の下を覗いたりして午前中を過ごした。一つ一つの客間を覗き、カーテンの影や、テーブルの下も確認した。

「無い…」

居住区の半分を探し終えた頃、昼休みの時間が近づいてきたため、一旦休憩にしようと腰を上げた。

その時、部屋の扉が開いた。







ラムールは予定通りにシェリファン王子を訪ねた。

「殿下が来られるまでこちらでお待ち下さい」

貫禄のある女官に客間の一室へ案内された。部屋に足を踏み入れようとした時、目の端に影が走った。

「…?」

そちらに目を向けても何も無かった。しかし、一瞬誰かがそこの角を曲がって行ったような…。

「どちらへ? 余所のお住まいをうろうろするのは無礼ですよ」

「すぐ戻る」

マシューをその場に残し、すぐに帰ってくると告げて影を追った。


「……何処だ?」

シェリファン王子の居住区域は広い。手入れの行き届いた居住区は、幼少の殿下に合わせて調度品も小さめに作られている。壁の色も明るい色が基調となっているため、その様相は何処か子供らしく愛らしい。

しかし、人が少ない。王太子ともなれば何十人も使用人がいるものなのに。さっきから誰ともすれ違わない。

目の端を走った影は、もしかしたら気のせいかもしれないと思い始めた頃、壁に並ぶ扉の一つが僅かに開いていた。

俄かに胸が騒いだラムールは、覗き見など無作法とは知りつつも、そっと扉を開けた。

「あ…」

室内には一人の使用人がいた。彼に気付くと静かに跪いた。

「……え、と」

彼は言葉に詰まった。人を探してはいたが、かける言葉は考えていなかった。

装いからして侍女だろうか、先程から一言も発しない彼女を見下ろす。

「…貴女は、シェリファン殿下の侍女殿だろうか」

「はい」

何処かで…聞いた覚えのある声。

「わたしは、ノックターン国より遣わされたラムールという。失礼だが、貴女は」

「本日お伺いになられることは存じております。案内の者がおりませんでしたでしょうか」

「あ、いや」

「申し訳ございません。今すぐご案内致しますので」

静かに立ち上がった彼女にまたも既視感を覚える。ラムールは彼女を引きとめ、会話を引き延ばそうとした。

「いや、案内は良い。貴女は、メネステから殿下と共に来たのか?」

「いいえ」

頭を覆うスカーフの所為で顔が分からないのが口惜しい。口数も少なく、身動ぎ一つしない。模範的な使用人だが、何処か引っかかる。もう少しで何か思い出せそうなのに、喉に小骨が引っかかった様に落ち着かない。

「それは珍しいな。バルデロの使用人が侍女となるのは」

「殿下が、お引上げ下さいました」

ということは彼女は王子のお気に入りか。奴隷や使用人、さらには愛妾でも、元の主人の承認の下で彼らのやりとりはよく為されるが、使用人は珍しい。侍女や女官と言った役職はある意味最も本人の意思が尊重される地位だからだ。それとも、彼女場合、王子がバルデロに滞在中の仮の侍女ということだろうか。

「何をしているんだ?」

「探し物をしておりました」

「何を?」

「殿下のピアスを」

彼女は聞かれたことしか答えない。言葉を投げたら投げられた分しか返さない。客人を迎える使用人の態度としては正しい。正しいのだが、彼女に関してはもっと話してほしいと思う自分がいた。

ラムールは次の言葉を繋ぐことに苦心した。女使用人といえば、彼から話しかけずとも必要以上に喋りだす者が殆どだったから。

「…手伝おうか?」

「有り難いお申し出ですが、高貴な方のお手を煩わせるわけにはいきませんので」

当然の返答だった。手伝おうと言い出した自分も分からない。ただ、会話を終わらせたくなかった。

どうしよう。後で話すことは出来ないだろうか。咄嗟に口をついて出た言葉を、彼はすぐに後悔する。

「名前を…聞いてなかったね」

「フロークと申します」

有名な小鳥の名前だ。彼女に似合いの。

「あ、後でわたしの部屋に来ないか?」

「謹んでご遠慮申し上げます」


即答だった。


「あ、いや、そういう・・・・意味ではなくっ……!」

我に返り、慌てて否定した。

「その、ただ話を…」

「どうかなさいましたの?」

突然第三者の声が割り入りラムールは驚いて振り向いた。

「何だお前は…」

「ナディアと申します。いえ、こんな何も無い所で如何なさったのかと思いまして」

入口に立っていたのは成熟した美女。彼女も王子の侍女だろうか。すっと姿勢を正し、鷹揚な笑みを浮かべ立つ姿は、背後にいる少女とは似ても似つかない。

「いや、わたしは…」

「ラムール殿下ですわね? 本日シェリファン殿下とお会いする予定でしたわね。殿下はこちらではありませんわ。わたくしが御案内致します」

そのまま流されそうになり、彼女の申し出を断った。

「いや、いい。彼女に案内してもらう」

「彼女?」

そこで初めて彼女に気付いた様に室内を見やる。

「あら、貴女。そこで何をしているの?」

「殿下の御命令で探し物を」

「そう。なら、それをお願い。わたくしが殿下をご案内し」


「その必要は御座いません」


さらにもう一人第三者が加わった。先程ラムールを部屋に案内した貫禄あるの女官だ。女官は至って冷静な態度だったが、何処かナディアを警戒しているようだった。

「ラムール様。間もなく殿下がいらっしゃいます、こちらへ」

「ああ、分かった」

ラムールはほっとした。彼女達の間に流れる空気が妙に居心地が悪い。

「ああ、そうそう丁度良かったわ」

去ろうとした女官をナディアが引きとめた。

「シェリファン殿下はどんな御様子かしら? 何か不都合なことは?」

女官は目を剣呑に細めて振り返った。

「殿下は何不自由なく、お健やかにお過ごしでいらっしゃいます。貴女が態々気にかける必要も無く」

「あら、わたくしが殿下のご様子をお訪ねして、何か不都合なことでも?」

「殿下のお世話は私達の仕事です。まるでわたくし達の仕事に不備があるような言い方ですね。…それとも、王が、貴女に殿下のご様子を伺うように仰ったのですか?」

「でなければここを警備している兵がわたくしを通すかしら」

女官は流石熟練といおうか、顔色を変えることはなかった。

「…休み時間にまで仕事をするのは御苦労なこと。お倒れにならなければ、よろしいのですが」

「ええ、お気遣いありがとう」

彼女は鷹揚に頷いた。まるでここの監督者の様に。



「災難だったわね、レイディア」

ようやく一人になったかと思うと、またもやレイディアに声をかける者がいた。振り向くと、シェリファン付きのもう一人の女官だった。

「さっきのナディア様でしょう? まるで本物の女主人ね、態々来るなんて。わたくし達の働きぶりを確かめに来て下さったのかしらっ」

掃除の途中だったらしい、年嵩の女官は顔を顰めて雑巾を捩った。だが怒りの中に、僅かに不安の色が見える。

「…噂は本当なのかしら」

「さぁ」

「彼女の余裕たっぷりな様子を見ると、嘘とも思えないけど」

王城に来たばかりのラムールには知りようが無いが、女官がナディアの態度に不愉快を感じつつも真っ向から反抗しなかったのは、例の噂の為だ。噂通りに彼女が王に後宮を任された“影の女主人”なら、不用意に立てつくことは得策ではないから。

「…誰かお尋ねした方はいらっしゃらないのでしょうか」

「彼女が女主人かって? 無駄無駄。“影”っていうくらいだから簡単に口をわるわけないでしょう」

「けれど、これだけ噂になってしまえば影も何もない気もします」

「言われてみれば、そうね」

最近ますますナディアの威光が高まっている。誰もが彼女を敬い、畏れ初めているのだ。それに伴って彼女の態度も主人として相応しく、堂々としたものになってきている。

「お披露目の意味を込めて巫女役をやらせるという噂もあったわね。城でも彼女の人気は急上昇。巫女役になるのも確定的だというし、もう隠す必要も無くなってきたということかしら」

普段、後宮の噂などに左右されない老練の女官も今回ばかりは噂に振り回され気味だ。早くも彼女に遜る者も出ていることも、いっそう噂を助長している一因でもある。


女官に相槌を打ちつつも、レイディアはピアスの行方の方が気になっていた。

ピアスは何処だろう? …掃除用具の中?

「王は本当に彼女の何処をお気に召されたのかしら? 確かに無能ではないけど、特に際立って美人でも有能だというわけでもないというのに」

「………壺とか」

「いい、レイディア? ナディア様には注意するのよ? 目を付けられないように。貴女はよくやってるし、物静かな子だから大丈夫だとは思うけど、一応ね」

「あ、はい」

「じゃ、わたくしはお昼ご飯の準備してくるから、クレアにも伝えておいて」


女官が立ち去ると、今まさに探しに行こうとしていたクレアが駆け寄ってきた。

「レイディア様ぁ、洗濯終わりましたー」

袖をまくったままのクレアは細い腕を広げてレイディア腰に抱きついた。

「全員分の服って重いですね。物干し竿の位置も高いし、大変でした」

「お疲れ様」

クレアの袖を直しながら労った。クレアはレイディアが溜息を吐いたのに気付き、顔を上げた。

「どうかしたんですか?」

「ちょっとね、さっきナディア様がいらっしゃったの」

「うげ、あの人来たんですか。何で?」

「さあ」

「…レイディア様は、何もしないんですか?」

「する必要がある?」

「……」

クレアは少し訝しがったが、何も言わなかった。

「ねぇレイディア様。歩き回っても、もう足は大丈夫なんですか?」

「ええ、もうすっかり良くなったわ」

すると、クレアは甘えた目でレイディアを見た。

「じゃあ、もう街に出掛けられますよね。約束したんだもん。ねぇいいでしょう?」

「そうね。今は祭前で沢山の芸人の旅団も来ているし、今度行きましょうね」

「やった」

クレアを撫でながらレイディアはラムールが去って行った方を見やった。

「………今のは、不意打ちでした」

「レイディア様?」

「いいえ、何でもないのよ」







「御機嫌よう、陛下」

午後、執務をこなしているギルベルトの許にソネットが現れた。今日の彼女は紺色の髪を側面の髪を後ろで簪で纏めるハーフポニーテールにしていた。纏う白いドレスは襟が高く袖が無い。絹のストールでその白い腕を覆っている。奇麗に化粧も施し、完全な装いだが、彼女は国内に留まらずあちこち飛び回って帰ってきた来たばかりだ。漸く王に見えることが出来た彼女には少々疲れが見える。


予め訪う旨の手紙を受け取っていたギルベルトは、隠しドアから滑りこんできた来訪者を一瞥しただけで出迎えた。

「首尾は?」

「一先ずは、一段落かと。でも、まだ見通しが立っていない所もあるので何とも言えませんけど」

ソネットは簡単な報告をした後、より詳しいことが書かれた報告書を提出した。今朝ソネットの前に訪れたユンケに渡された物だ。逐次自分で書いた報告書の草稿を送り、ユンケに纏めさせていた。

片頬をつき、それを読み上げながらギルベルトは次々質問を発した。それにソネットは淀みなく答えていく。

「城に入ってきた各国の客の顔ぶれは?」

「一応頭に入れてありますが、それはホイップに言って下さいな。流石にそこまで手が回りません」

「その使用人達も視野に入れているだろうな?」

「え、そこまで入れなきゃいけませんでした?」

「当たり前だ。テオールに言って顧客が連れてきた者達のリストを貰ってこい」

「でも使用人まで入れたら三桁に上りますよ。諜報部隊わたしたちはただでさえ人員を割いているわけですし」

「目星は既に付けておいた。特に注意するのは数名だけでいい」

ギルベルトは報告書から目を離さずに、引き出しから取り出した紙束をピッとソネットの方へ弾いた。

ソネットは真面目な顔をして紙を捲った。そこには数人の簡単な履歴が書かれている。

「王自らですか?…理由は?」

「顔が気に食わん」

お前の好みなど知った事か。

ソネットはつい出そうになった言葉を呑みこんだ。大丈夫。王には王の考えがあるはずだ。決して個人的な感情で捜査を乱したりはしないはず。そもそも顔なんて…

「…ん?」

顔?

「……」

ソネットは絵姿をまじまじと見直す。絵姿に視線を落したまま数秒黙った。

「ふーん…」

ソネットは鼻を鳴らした。紙を手早く丸める。

「御意に、陛下。ユンケが適任でしょう」

ギルベルトは頷いた。


それから暫らく沈黙が続いた後、ギルベルトはおもむろに言った。

「…ところで」

「はい?」

「エリカにちゃんと食事は与えているのか?」

ソネットは言われている意味が分からなかった。

「あげてると…思いますけど。店をホイ…ネイリアスに任せてありますから、怠ることは…」

「だが、エリカは不満の様だぞ」

ギルベルトはそう言って報告書をエリカに差し出す。訳が分からないまま報告書を受け取ったソネットは己の筆跡で書かれた文面を見て呻いた。何故ならそこには、ところどころに自分以外の筆跡で文字が書かれていたから。しかも、その文字は落書き以外の何物でもなかった。


そして最後、報告書の締めくくりの下に、『なんてね』というふざけた文字を見つけた時、ソネットの何処かが切れた。

「――エリカァッ」

ソネットは疲れを忘れ、王に対する礼も忘れ、報告書を投げ出して入ってきたばかりの扉から再び勢いよく出ていった。



「全く…忙しない」

静かになった執務室で、何事も無かったかのように仕事を再開したギルベルトの邪魔にならぬよう現れた声は、ソネットが落としていった報告書を拾った。

「…相当鬱憤が溜まっているのでしょうか」

「報告書に落書きする程度にはな」

ギルベルトは報告書をもう一度読むと声に報告書を投げ、燃やすよう指示した。

「…レイディア様と遊ばせてやっては?」

「あれは俺のだ。エリカに与える気はない」

ギルベルトは立ち上がり、窓の外の美しく整えられた庭を見下ろした。眼下に椿が植えられていた。椿は、彼女の花だった。

「…あれはな、望む者に、望む物を、望まれるだけ与えるだけだ」

「といいますと?」

「その育ち故に、あれは与えることしか知らない」

彼女が望まない性格なのは知っている。アルフェッラがそう育てたのだ。


しかし、鈴持ちの愛し子が巫女や神子と崇められる様になったのは、いつからなのか。昔から当たり前に受け止められてきたが、よくよく考えてみればおかしい。

「元は、アルフェッラの奴らの為に存在している訳ではなかったのだろうが」

アルフェッラの民を守り、大地を豊かに保ち、向けられる刃を防ぐ“みこ”。民は当然のように望み、享受してきた。“みこ”達は、それに応えてきた。与えて与えて、そして次代に繋いで人生を終えてきた。まるで、搾取される為だけの存在だ。そして、その一人となるはずだったレイディア。


四年前、神殿奥の花畑でレイディアと言葉を交わした時、彼女はギルベルトに忠告した。止めておけ、と。それが俺の為だと。

その忠告を跳ねのけると、レイディアは呆気なくギルベルトの条件を呑んだ。兵力差は歴然としていたこともあり、国の被害を最小限に留める為でもあるだろうが、あの時も、一度だけ忠告をして、彼女はいとも簡単に己を与えたのだ。ギルベルトが望んだままに。巫女として。己の心は晒さないまま。

ギルベルトは無意識に拳を握りしめた。

「言われるがままに与える? それではレイディア様は擦り切れる一方ではないですか」

「それこそが、アルフェッラの民が望んできたものだ」

飽くことなく望まれ、もっと、もっとと際限なく。そのくせ、次代に代わればその“みこ”は顧みられることはなくなるのだ。


声はその意味を噛み砕いて考えた。

「…では、一つしかない物を、複数から望まれた場合、どうなさるのですか?」

ギルベルトは声を振り返った。

「潰し合いが始まるか、あれが潰れるか、二つに一つだろうな」







「エリカ、いる?!」

「あ、おかえり」

勢い込んで帰ってきたソネットをネイリアスが出迎えた。その手には、珍しく泡立て器ではなく箒が握られている。

「いやあ! 何これっ?」

挨拶を返さずにソネットは叫んだ。ネイリアスは気まずそうに頬を掻いた。

「エリカがね、ぶう垂れてたから」

ソネットの自宅の中は散らかり放題だった。普段から小まめに掃除を心がけていたソネットにとって自分の城の惨劇は衝撃的だった。

「ちゃんと毎日四食あげてたのっ?」

ネイリアスは箒を意味無く弄る。

「あげてたよ。でもね、おれらも街のワル達の相手で忙しかったし? エリカが暴れた後始末まで手は…」

「掃除よ、洗濯! あとゴミ出し!」

裏社会の人間だって自分の生活がある。ふんぞり返っている巨大組織のボスだって掃除のおばちゃんを雇っているのだ。諸国の情勢を探り、裏組織と日々戦う蔭だって掃除はする。汚い部屋に住むのは嫌だから。

「で、エリカは?」

「ユンケと一緒に見せ物を見に行ったよ」

逃げたな、あいつ。

「何? また新しい仕事?」

「うん」

「急ぎなら、おれやるよ」

「ううん、あんたは私の留守を守ってて」

「エリカの機嫌とるより、徹夜で敵と戦った方がマシなんだけど」

「じゃあ、エリカを敵の陣中にでも放ってくればいいわ。エリカの鬱憤も晴らせて一石二鳥」

「え、いいの?」

「働かざる者食うべからず」

「でも、エリカは自分から手は出さないよ?」

こっちが手出ししない限り、エリカは拳を振るわない。戦えと言っても、その気にさせなければ動かないから厄介でもある。

「向こうから手出ししてくれるから問題ないわね」

「まぁ、そうだね」

ネイリアスは思い出した様に切り出した。

「ああ、そうだ。何か城の方でもちょっとおかしなことになってるよ」

ソネットはうんざりとした。

「はぁ? もう、忙しいんだから城の奴らは大人しくしてろっての。ディーアちゃんは?」

「うーん。あまり動いてないみたいだけど」

「じゃあ、大したこと無いんでしょ?」

「そうでもないと思うんだけど、どうなんだろ」

ネイリアスが首を傾げたのを見て、ソネットは掃除の手を休めた。

「…ディーアちゃんが何を考えてるか、分かる?」

「え?」

突然の切り出しに、ネイリアスはきょとんとした。

「あの適当に愛想の良いゼオがね、やたらディーアちゃんに突っかかるのよ」

レイディアが人の世に降りて僅か四年。ギルベルトに守られて世間を見てきただけの無力な娘に過ぎないというのに。


最初は、ゼギオスもレイディアに対して適度に愛想よく接していた。いや、寧ろ一際気にかけていて、優しかった筈だ。

いつから…ああ、そうだ。

「クレアの件以降だわ」

「そういえば、そうかも」

当時、ある裏組織の殺戮人形だったクレアが、レイディアに刃を向けた以降、ゼギオスの態度は一変した。

「何があったんだろう?」

「関係があるのかは、分からないけど…」

クレアの一件は、ゼギオスだけでなく、レイディアにも変調をきたした。

ソネットがそれに気付いたのは偶然。フォーリー女官長の屋敷で療養していたレイディアを訪れた時だ。庭で涼んでいた彼女がふと虚空に瞳を彷徨わせ、そっと寂しそうに目を伏せたのだ。

一人でいる時に、ほんの一瞬だけだったけれど、しかし、だからこそレイディアの心に触れた気がした。

「…あの子がぴよぴよ鳴いて、親鳥を捜してるちっちゃな雛鳥に見えたの」



あれが本音なら、レイディアにはソネット達にまだ見せていない札がある。もしかしたら、ゼギオスはその一端を知っているのかもしれない。


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