第二十九話
少し加筆修正。
それからのドゥオ達の動きは早かった。
何処に潜んでいたのやら、すぐに現れた手下に命じ、先行してシェリファンが捕えられてる家屋周辺に向かわせ、その内の一人に犯人達の様子を探るよう命じた。
「人数は六名。この界隈のゴロツキかと。いづれも大した者ではなさそうです」
「そうか。だが、気を抜くな。小物ほどいざという時、何をしでかすか分からねぇからな」
「へい。で、そいつらはどうします? 何でしたら、あっしらが…」
「あぁ、いい。オレが相手してやる」
慣れたように指示を出すドゥオをリックは訝しげに見る。
「お前は……一体?」
「通りすがりの好青年だ。ただのな」
レイディアはシェリファンが捕らわれている家を見上げた。廃墟となった小さな工房といったところか。所々ガタが来てるのをみると、使われなくなって久しいらしい。
今にもシェリファンを助けに突入したそうなリックを宥めつつ、レイディアはあたりに注意を払った。
「………誰か来ます」
レイディアの呟きを聞きとったドゥオは続きを促す様に顎を上げた。
「殿下を連れ去った方達が、どなたかを連れて戻ってくるようですね」
「他に仲間がいたってことか?」
「そこまでは…」
「今、そいつは?」
「……もうすぐ、ここに着きます」
「そんじゃ、ま。ゆっくりもしてらんねぇな」
ドゥオは軽く屈伸したかと思うと、いきなり窓を破って中に突入した。
男達は当初シェリファンを担いで裏組織の方に運ぶつもりだった。しかし、仲間の一人が慎重論を唱えた。今はまだ昼間ということもあり、人目に付くのを避けたいと。それに同意した男達は、シェリファンを運ぶのを夕方にまわすことにした。
「それまでに、あちらさんに話つけとこうや」
「ああ、それがいい。いきなり持っていっても受け取ってくんなきゃ運び損だ」
そう言ってシェリファンに向いていた足が止まり、シェリファンは暫くの猶予を得た。とはいえ、一両日中にはシェリファンは外国に飛ばされるかもしれない。
男達が何か話し合っていた末に、二人の男が席を外した。恐らく売りつける店だかに前もって話を持っていったのだろう。
シェリファンは緊張が突き抜けて、力なく床に横たわった。捕らわれてから数分しか経っていないのか、数刻経ったのか。少なくとも、天井から差し込む光は、まだ昼頃だと告げており、まだそれほど時間が経過していないのが分かった。
このまま売られてしまうのだろうか。
それも良いかもしれないという思いが頭を擡げた。
売られるのは嫌だが、それでも、少なくともこれ以上義母上から憎々しげな目を向けられる事はなくなるのだから。
シェリファンにとって母親は眩しい存在だった。生まれて間もなく母を亡くしたシェリファンは、物心ついた頃には既に今の王妃がシェリファンの母だった。だから母と言えば義母である現王妃で、生みの親である前王妃は慕う気持ちはあれど、肖像の中でしか会えない遠い人だった。
義母に好かれたくて頑張ってみたけれど、聡明な王子と周囲から褒められる度憎々しげに見られる事に気付き、どうして良いか分からず、いつの間にか王妃や父と距離を置く様になった。
義母上は、自分が邪魔なのだという事実がシェリファンを打ちのめした。
自分の子を王位に就けたいと思うのは高みにある女性にとって当然の願いで、後ろ盾が弱いとはいえ唯一の後継者であるシェリファンに人望があると、例え自分が男子を産んでも継承権が覆る可能性は低い。シェリファンが何か取り返しのつかない失敗を犯さないか期待する空気を嗅ぎ取った。
そして同時に遠くなっていく父。王妃に遠慮してか、シェリファンを抱き上げる事は無くなった。頑張るほどに遠くなる家族。シェリファンにはどうする事も出来なかった。
ここで、シェリファンが消えれば、義母は喜ぶのだ。それはとても悲しいけれど、いなくなったシェリファンにはその姿を見る事は無い。
だから、もう良いじゃないか。疲れた…
〈何故、王族が豪奢な暮らしが出来るか分かりますか?〉
レイディアの声。毎夜の様に散歩に連れ出してくれた、優しい彼女。
〈王族は生まれおちた瞬間から既に責を担います。王族は国の為、民の為、いつだって公人でいなければならないのです。王族に本当の自由は無い。一生です。一生死ぬまでです。民が税を収めるのも、兵士達が命をかけて殿下達を守るのも、お針子が何日もかけて煌びやかなドレスを仕上げるのも、それを代わりに果たしてもらうための対価だからです。王族は豪奢な生活が出来るのではなく、しなければならないのです〉
自由。その言葉はとてつもなく重くて魅惑的だった。市井の暮らしに興味を抱き、贅沢なんかより、自由がいいと洩らした彼に、レイディアは首を振ったのだった。
〈途中で誰かが代われるならば、誰も殿下達に従ったりはしません。王朝末期、革命でも起こらない限り人々はその血に跪きます。先祖代々その血族に守られてきたが故に敬意を払うのです。ただ昔の英雄や賢君の子孫だからという理由ではありません。そして正統なる後継者は殿下です。貴方の代わりはいません。逃げられないからこそ自由が無いのです。捨てられないから責任なんです〉
厳しいようで、レイディアの言葉はいつだって思いやる気持ちが伝わってきた。それでも素直になれない彼は、王妃の腹に子がいるから代わりはいると答えた。
〈殿下。もし殿下が今消えてしまえば国は乱れます。例えお腹の御子が男子だとしても、貴方の欠落によって歪みが生じます。その御子がすんなり王太子の座に納まったとしても、必ず何処かで歯車は狂います。その狂いを本に戻すにはその御子は並々ならぬ努力をせねばなりません。まだ生まれてもいない御子にそのような重圧を押しつけるのですか? その権力に酔いしれ、当然の如く民を私物と化して虐げる者達を、王族とはいえ幼い御子が抑えきれるとお思いですか? どうか、その様な者達に国の行く末を任せないでくださいませね〉
それらの会話の全てが脳裏に蘇り、彼の意識を覚まさせた。
シェリファンがバルデロから消えてしまえば、それを起こしてしまう。彼の生死は今やバルデロにも影響が及ぶのだ。シェリファンが死ぬか行方不明になれば、その責をバルデロに負わせるに違いないのだから。一人の女の我儘の為に両国の友好を木端微塵にされてたまるものか。
シェリファンの目に力が戻った。何とかして男達を出しぬき、城に戻らねばならない。
身を起して彼らから背を隠す。後ろで縛られた縄の具合を確かめる。きつく縛られているが、何度も腕を動かす内に次第に緩んできた。
腕が自由になる前に、彼らの意識を逸らして逃げ出す隙を作らなければ。相手は大の男四名。天井を見上げる。開放的とは言い難いがある程度天井までの距離がある。周囲を見る。壁には板や杭が立てかけられている。
これらを一気に崩せば少しの間奴らを足止め出来るかもしれない。外は不案内だが、明るい大通りに出れば適当な商店にかけ込めばいい。始めての計画にシェリファンの動悸が激しくなる。失敗したら殺されるか、酷く殴られるだろう。でも、やるしかない。
「おい、あいつ遅ぇな」
「交渉に手間取ってんだろ? すぐ帰ってくるさ」
仲間の男が帰ってくる前に実行しなければ。四人でも厳しいのに、六人に追われるのは絶望的だ。
シェリファンは意を決し、縄を抜けて立ち上がろうとした時だ。
突然、窓が割れて室内に大音響が響いた。
ガシャーンと凄まじい音が響いた。傍にいたレイディアは咄嗟に耳を塞いだ。
硝子が降ってくるのを覚悟して身を縮める。が、レイディアの上にふわりと布が被せられた。見上げると吟遊詩人の外套に庇われていた。
「全くあいつは…。ごめんね、ガラスで怪我は?」
「……ええ、大丈夫です」
「そう、よかった。でも、あいつは無鉄砲過ぎるね。あとでよく言っておくよ」
そしてゼロは割れた窓ガラスの向こうを覗く。おや、と首を傾げた。レイディアもつられて覗いた。
「どうしました?」
「ああ、いや。あの男達に見覚えがあってね」
「お知り合いでしたか?」
「いいや、ちょっとすれ違っただけの赤の他人だよ。少し前にね、彼らは僕達に募金を募ってきたんだけど、あまり真っ当そうな人間に見えなかったし、有り金全部徴収されそうだったから断ったことがあるだけだよ」
「募金…」
だいたい察することは出来るが。
要は誘拐した者達はその日暮らし。そして今日の稼ぎをシェリファンで賄おうというのだろう。だが、いくら困窮していても無力な子供を攫っていい訳がない。
「稼ぎの無い事に焦って、つい人攫いに手を染めてしまったのかな」
それに激昂したのはリックだ。
「殿下をこのような所に連れ込む輩など即刻死刑にすべきだ!」
「まぁこの国では人身売買は禁止されてるし、王子様の身分を考慮すれば妥当だね」
しれっと答えたゼロは、割れた窓に手をかけドゥオに続いた。
突然の乱入者に男達は飛びあがった。
「誰だ、てめぇは!」
男達は立ち上がり床に転がる棒を構えた。
「よぉ、誰かと思えば、こないだの身の程知らずじゃねえか。久しぶりだな」
べきべきとガラス片を踏む音が鳴る。ボロボロの外套を纏う男は、こないだカツアゲしようとして返り討ちにされた男だと気付く。
「あ! てめぇはこないだの!」
男達は一気に尻込みした。ドゥオと、もう一人の優男に叩きのめされたのは記憶に新しい。
「な…何の用だっ。俺達は何も持ってねぇぞ」
「そこの坊ちゃん、返してもらいに来た」
「こ、こいつは俺達の獲物だ。横取りする気か!」
「オレは弱い者から物をぶん捕るなんてセコイ真似はしねぇよ」
「じゃあ、引っ込んでな。俺達の食い扶持だ。てめぇには関係ねぇ」
「ドゥオ、ちんたらしてるんじゃない。さっさと片付けろ」
中に入ってきたゼロは冷めた口調でドゥオに釘をさす。
「へいへい」
男達の方へ足を踏み出す。それを合図に男達はドゥオに襲いかかってきた。
「手を出すなよ。俺の獲物だ」
「最初からお前に任せるつもりだったよ」
「はっ、ありがとうよっ!」
ドゥオは嬉しそうに男達に躍りかかった。
シェリファンは突然の事態に縄を抜けるのも忘れて茫然とした。その為すぐには人が寄ってきたのにも気付かなかった。
「殿下ぁ!」
リックが脇目も振らずに駆け寄ってきた。
「殿下っ…よくぞ御無事で…」
普段シェリファンを気軽に茶化す彼が涙ぐんでシェリファンを抱きしめる。
「リック…」
「わたしは…殿下にもしものことがあったらと…不安で仕方ありませんでした」
普段口うるさいと思っている者がこうも消沈している様を見るのは居心地が悪かった。
「わたしは何ともない。怪我もしていない」
「御無事で、殿下」
レイディアも傍にいた。丁寧に彼の縄を解く。
「レイディア」
乱れた髪を梳く手が優しい。
「すまない。その、勝手に外に出たりして…」
「全くです。殿下、こんなに私達を心配させて!」
リックが顔を上げてシェリファンにお説教を始める。いつもは鬱陶しいが今はなんだか耳に心地良かった。
「お説教は後に。今は早くこの場から…」
レイディアの言葉が途切れる。と、思ったらレイディアがリックごとシェリファンに飛びついて来た。
「な、何だ急に」
驚いたリックが言い終わる前に、すぐ傍の床に矢が突き刺さった。
「なっ……」
それを皮切りに一本二本と絶え間なく矢が降り注がれる。レイディアは板の影に彼らを追いやった。
「こちらにいれば安全です。暫し、そこで…」
「―――ッレイディア!」
しかし、二人を庇うレイディアは矢に晒される状態だった。無防備となった彼女に、矢が降り注いだ。
みすぼらしい男二人は目的地の方向が騒がしくなっているのに気付いて足を止めた。
まさか、警邏の兵達にバレた?
二人の後ろにいる小奇麗な服を着た男がそれを察知して眉を顰めた。
「お前達。これはどういうことだ?」
彼は裏取引を受け持つ組織の一員で、如何にも酷薄そうな彼は、商品となる子供の品定めの為に男達に同行したのであるが、兵達がいるとなればこんな所に長居は無用である。
「ま、待って下せぇ! すぐに片がつきまさぁ!」
踵を返してさっさと帰ろうとする彼を男達は引きとめる。果たしてその足は止まった。
ただし、彼らの説得に応じた訳ではない。
「な…何だ貴様らは…」
突如目の前に現れた男達。如何にも腕っ節が強そうだ。荒くれ者という点では誘拐犯の男二人と同じかもしれないが、こちらは統率のとれた、組織に与する者という雰囲気があった。
男達は後ずさる。が、その後ろにも奴らの仲間が立ち塞がっていた。
「お前さん達にゃ何の恨み辛みもねぇが、頭の命令でね。悪く思わんでくれ」
拳を鳴らし、獲物を構えながら袋鼠と化した男三人に飛びかかった。
レイディアが床に倒れた。足首を射られた。
「レイディア! 矢が!」
「大丈夫っ!?」
矢を切り払い駆け寄ってきたゼロが、レイディアを抱き上げ壁に身を寄せた。
「吟遊詩人さん…」
「…少し痛むけど、ちょっと我慢して」
足首を持ち上げられる。矢を抜かれる瞬間、ずくんと痛んだ。
「矢はすぐに止むでしょう。付近に手下を配置してありますから」
患部に慣れた手つきで包帯代わりの手巾を捲いていく。
「レイディア…」
影から出てきたシェリファンが真っ青になってレイディアににじり寄った。
「…殿下。お怪我は?」
「わたしの事なんていい! レイディア、大丈夫か?」
レイディアの顔色は真っ青だった。スカーフの影になっていても誤魔化しきれない程に。レイディアの冷たい手を握る。
「…顔色が悪い。苦しいのか? 辛いか?」
「命に別状はないよ。少し痺れ薬が塗ってあったみたいだけど」
ゼロの言う通り、手を握り返す力さえ出ない。レイディアは壁に身を預けた。ゼロに頬を撫でられる。レイディアは目を瞑って眩暈をやり過ごした。
「君を守れなくて……ごめん」
「いいんです。私は大丈夫ですから」
何よりもまず守らなければいけないシェリファンが無傷なのだ。レイディアとしては全く問題は無い。
「でも……」
「お嬢ちゃん、大丈夫かっ?」
ドゥオが駆け寄ってきた。
「奴らは?」
「全員縛っといた」
親指で後ろを指す先を見ると、男達全員、素巻きにされ、打ち上げられた魚よろしくもがいていた。
「奴の仲間があと二人いるはずだが」
「まだ帰って来てないみたいだが、まぁそっちは手下達に任せてあ…」
「きゃあーー! 誰かぁっ! 誰か来てぇ! ああっ、兵士様! こちらです! 早く来て下さいませ!」
ドゥオの言葉を遮るように、突然家屋の外から甲高い叫び声が上がった。
ぎょっとしたのは盗賊のドゥオ達。二人は顔を見合わせた。
「うわ、やっべ。なんでこんなに早いんだ」
「出動してから場所を特定するのにこんなに早いわけが……」
と、ここまで呟き、はっとしてレイディアを見た。
「…言っておきますが、私が何かしたわけではありませんから」
「だが、こんなに早く動くなんざ誰かが教えたとした思えねぇだろ」
ドゥオの顔にはレイディアが約束を破ったのか、という疑惑が浮かんでいた。レイディアは短く息を吐き、重い口を開いた。
「……私は彼らに貴方達に手出しさせないと言いましたが、それ以外の彼らの行動に口出しはしてません」
「と、いうことは?」
「彼らが貴方達に兵をけしかけたとしても、私からは何の制約も受けないということです」
蔭自身には“鷹爪”の一味に手出しするのを禁じられても、彼らを邪魔する手段が全て封じられたわけではない。例えば、兵をドゥオ達にけしかけたりとか。
「手は出さない代わりに、口を出したってわけか…」
やられた、という風にドゥオは首を振った。
「…行って下さい。助けて下さった貴方達が捕まるのは見たくないので」
「地区管轄程度の兵士達に、そうそう捕まる僕達じゃないよ」
「言いましたよ? 邪魔する手段が無い事は無いと」
その言葉に、ゼロは諦めたように立ち上がった。
「……帰ったらちゃんと消毒して、良く冷やすんだよ。暫くは歩きまわらないでね」
「ええ、ありがとうございます」
ゼロ達は姿を消した。
「女優になれるよ、ユンケ」
「希代の大女優、アン・バリーにも負けませんよぉ」
何処にでもいるような街娘のなりをしたツインテールの娘はにっこり笑って称讃に応えた。そして、これまた何処にでもいそうな男の隣に並ぶ。
「あぁ、それにしてもガッカリです。折角鷹狩りが出来ると思って揚々とやってきたのに、手出し無用だなんて」
眼下で繰り広げられている、鷹爪の、その子分による、三匹の子鼠のための制裁の一部始終を恨めしげに見下ろす。
ああ、獲物がこんなに近くにあるのに…。
「レイディア嬢の指示だよ」
「そこがずるいんですよ」
娘は不満そうに頬を膨らました。
「ディーアちゃんに直談判するなんて、反則。セコイにも程がありますよ」
「一番話が早いのはレイディア嬢だからね」
そもそもレイディアは“鷹爪”を敵視していない。どころか、その副頭領である吟遊詩人は彼女と同郷なのだ。レイディアは無条件に彼らに甘くなる。
「ディーアちゃんにダメって言われたら何も出来ないじゃないですか」
「でも軍には制限は掛かってないからね。彼らに任せるとしよう」
「臨機応変に欠けた人達なんて信用できませんよ」
娘の機嫌は直らない。
「まぁ、どのみち鷹のところの頭はめっぽう腕が立つっていうし。おれ達だけじゃどうもできないと思うよ」
「エリ姉様を呼んで下さいよー」
「ああ…良い勝負かもしれないね」
彼らが立つそこは廃屋のすぐ隣にある小屋の上。恐らく倉庫として使われていたものだろう。そこからレイディア達のいる廃屋の内部が良く見える。そして足元には折れた弓矢。
屋根に張り付けにされて這い蹲る者などいないかの如く、ネイリアス達は気楽な会話に興じていた。
「おい、何くっちゃべってんだよ」
「あ、くーちゃんお疲れ様」
ツインテールの娘が屋根に降り立ったクレアに手を振った。
「別に」
対してクレアの態度は素っ気ない。いや、怒りを抑えているような静けさがあった。屋根に這い蹲る男を見る。
「こいつか?」
「そうだよ。こないだ使われた毒と同一だ」
ネイリアスは矢じりの先を舐める振りをした。
「で、こいつに何もしてないだろうな?」
「当たり前だよ。まぁちょっと手足の真ん中に穴を開けちゃったけどね」
「暴れるんだもん。それくらい許容範囲でしょ。顔面にナイフを突きさしちゃった前科持ちのくーちゃんとは違うもん」
「あれは手が滑っただけだ」
「…あ、そ」
クレアは刺客を見下ろした。
「なぁ知ってるか? レイディア様に傷を負わせたヤツの末路」
問いかけは、しかし刺客の答えを期待してのものではなかった。何故なら刺客の声を一時的に奪っているのだから。
「アナタ、王子様を狙うなら、もう少し腕を上げてからいらっしゃいな」
娘――ユンケが笑みの中にほんの少しの憐みを交ぜて言った。
「そうしたら、もう少しマシな最期が迎えられたかもね」
「…面倒くさいな。何で態々城に運ばなきゃならないんだよ」
「ディーアちゃんに掠り傷でも負わせた人には、もれなく陛下直々の鉄槌が降るから」
いっそ場違いに明るいユンケの声。そしてネイリアスの呟き。
「王、は容赦ないからね」
ガシャガシャと剣を揺らしながら兵士達が家屋に入ってきた。
「殿下。御無事で」
隊長らしき大柄の男が前に進み出てシェリファンに敬礼する。
「お怪我などは…」
「無い。そんなことよりレイディアを早く手当てを」
「レイディア?」
彼はシェリファンに寄り添われている少女を見て眉を寄せた。
「お前は?」
「…レイディア・フロークにございます」
溜息を吐く様に小さな声だった。
「怪我をしたのか?」
「…はい」
「そんなもの見れば分かるだろう。さっさと…」
「そのなりは…お前、女奴隷か?」
焦れたシェリファンを遮って、隊長はレイディアに問う。そこには咎める響きを含んでいた。
「女奴隷は許可なく外に出てはいけない。それなのに、何故女奴隷であるお前がここにいる? 規則を破った者は罰を受けなければいけない」
シェリファンは愕然とした。
「レイディアはわたしを助けてくれたんだぞ! 褒められこそすれ、なぜ彼女が罰を与えられねばならんっ」
シェリファンの抗議を隊長の男は言い含める様に言った。
「殿下。如何に緊急事態でも女奴隷に何が出来ます? 殿下の不在に気付いたならば、この者は衛兵に知らせれば良かったのです。それを不相応にも殿下を追い、挙句怪我までするとは…」
レイディアとて、その事を失念していたわけではない。
宮仕えの者は街に出るのに例外無く許可がいる。それは人の出入りを制限して警備を厳重にする為だが、女奴隷に対しては殊の他厳しい。女官や侍女に対しては、ある程度身分の高い者――例えば女官長や側妃――の許可、或いは同伴という形をとるのなら容易に外出を許されるが、女奴隷に対してはそれが認められない。本来、女奴隷は貴人に追随する事は無いからだ。
また、女官達の殆どが爵位のある家の出身なので、やはり管理は甘くなりがちになる。
彼女達がお忍びを見つかっても注意されるのみに留まるが、女奴隷の場合、減俸処分か数日の謹慎、ひどい場合は鞭打ちもあり得る。本来なら女官達も同じような罰を受けねばならない筈だが、封建制の障害というのか、それがまかり通るのが現実であった。
王子を追う為だといっても、法に照らしてみればそれは女奴隷の職務でなく護衛達の仕事。男の言う通り、レイディアの行いは不相応という事となる。
さりとて、レイディアはもう口を開くのも億劫だった。どんな罰が降ろうと弁明する気も無い。女奴隷は城の中では卑賤の位。こんな扱いは今更だ。どうとでもなれ、と彼女にしては珍しく投げやりだった。
一方、シェリファンは拳を震わせていた。男のまるで余計な事をしてくれた、とでも言いたげな、頭から彼女を侮る物言いが彼を憤らせた。
「お前には追って沙汰をする。それまで部屋で謹慎していろ。さ、殿下。城へ戻りましょう」
「レイディアの手当てが先だ」
「殿下。この者には後で医務室に行かせますから。――おい、立て」
レイディアが立ち上がるのを手伝おうともせず、麻痺して立てないレイディアをぞんざいに促す。
その扱いに、シェリファンの何かが切れた。
「……違う」
「はい?」
「違う。レイディアは女奴隷ではない」
「殿下?」
「彼女はわたしの侍女だ」
隊長の男は呆気にとられた。
「殿下。しかしこの者は…」
「侍女だ。わたしの傍付きにその態度は不敬であるぞ。控えよ」
「従者殿…」
隊長格の男はリックに目をやる。聞きわけの無い子供を宥めろという顔だった。
「はい。彼女はシェリファン殿下の侍女となった者。相応の対応を要求します」
しかし、リックは澄ました顔で王子に味方した。隊長の顔が渋面になる。しかし、階級で言えばリックにも格下にあたる男は、二人がそう言う以上何も言えない。
「……では、侍女殿。城にて手当てを致しますので、暫し失礼を」
そう言って、レイディアに向かって礼をすると、隊長はレイディアの膝裏に手を差し入れ、そっと抱き上げた。