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鈴の音の子守唄  作者: トトコ
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第一話 最下層の使用人

―――吟遊詩人は、唄う。



〈―――アルフェッラは神の国 神が愛した子の揺り籠


彼の国に魔の手は届かぬ 彼の国に数多の不幸は降りかからぬ


地上の楽園 愛し子の揺り籠


愛し子はその漆黒の瞳を証にして神の恩恵を一身に受ける


しかし世は戦乱 ついに魔の手が揺り籠に伸びた


その国は揺り籠を壊し 王は神の加護を否定した


そして謳った 人の世を―――〉




ざわざわとした市場のざわめきの中に、吟遊詩人の唄が交る。

聴衆に囲まれて歌う声は、この俗世な市にも神聖な響きとなって道行く人の足を止める。


レイディアも多くの聴衆に埋もれながら、人だかりの後ろの方で静かに耳を傾けていた。

ここからでは姿まで見る事は出来なかったが、届く唄は誰もが聞き惚れる美声だった。高すぎず、低すぎず、耳に心地よい。どうやらこの吟遊詩人は当りのようだ。


やがて唄い終わると、一瞬の間の後、割れんばかりの拍手が沸き起こった。

銅貨――気前のいい人は銀貨――をその唄い手の前に置かれた帽子の中に次々投げ入れた。


レイディアも前に出て、そっと銅貨を入れた。

吟遊詩人は人の良さそうな笑顔でコインを投げ入れる人々に応えながら、その時貨幣を入れたレイディアに目を向けた。


「聴いてくれてありがとう。…おや、君は深緑の髪なのだね。という事はアルフェッラの方の出身なのかな?」

フードから覗く髪を見て吟遊詩人はレイディアに話しかける。


話す口調も唄うようだ。穏やかな口調に浅く頷く。


先程も唄われていた、アルフェッラという国は北方の古豪だった。その地域に住む人は特徴として白い肌に、深い色合いの髪を持つ者が多い。藍色だったり、黒色だったり、レイディアの様な深緑だったりと様々だが、色素が濃い事では共通している。


そういう吟遊詩人も黒に近い紫だった。


この市が開かれている国の名はバルデロという。

近隣諸国に比べ歴史の浅いこの国は、しかし今一番勢いのある国でもある。

栄える国には人が集まる。その首都ではより顕著で、様々な色合いの髪や瞳がそこかしこで見られる。が、アルフェッラの者ほどに色素が濃い者は珍しい。

だから外套から、ちらと覗いたレイディアの髪がより目に着いたのだろう。


「そっか、僕も御覧の通りあっちの出身でね、こんなとこで同郷に会えて嬉しいよ」

この国でアルフェッラ出身はあまり見ないしね、と笑った。


唄っていたのはアルフェッラの事。

神秘の国と、古くから謳われてきた、吟遊詩人達がよく好んで唄う国。

そして今唄われたのは、その国が滅んだ時の歌だった。


そしてその国を滅ぼした国が、どこであろう、この国、バルデロだ。


滅んだ国を滅ぼした国で唄う。

よく考えなくても一歩間違えば投獄ものだ。


しかし、この世界において、吟遊詩人を名乗る者の身分は低い代わりに、ある程度の自由を与えられてもいる。

何故なら吟遊詩人は大事な情報伝達の役目を担っているからだ。

街から街へ、国から国へと自由に旅する吟遊詩人は、訪れた先、道行く人に情緒的な異国の物語を伝えるだけでなく、国にとって時に重要な情報をもたらしてくれる。


少し気に入らない事を唄われたからといって、むやみに罰して投獄などしようものなら、あっという間に彼らの間にその情報が伝達して吟遊詩人達がその国に近寄らなくなる。


それは、つまり他国に情報面で後れをとる、という事を意味する。

いち早い情報入手はどの国にとっても最も重要な事柄の一つだ。

よって、よほどひどい中傷でもしなければ、たとえ敵国で敵国の讃美歌を歌っても咎めらることはないのだ。

もっとも、咎められないからと言って、進んでやる者もあまりいないものだが。


その一人である目の前の吟遊詩人を、レイディアは若干呆れ顔で見やる。外套を深く被っているので吟遊詩人からはレイディアの顔は伺えないだろうけども。

見えたところで、レイディアの顔色を読むのは至難の業でもあるが。


その時吟遊詩人は空を見上げ、日の傾き具合を測った。

「おっと、そろそろ時間かな。あ、実は僕城にお呼ばれされてるんだよね。王の急なお帰りのせいで、催される宴で招待する楽団が不足らしくてね、こんな僕にもお声がかかったんだよ。でね、前日には入城しろってお役人に言われて―――」


訊いてもいないのにぺらぺらとしゃべる。嬉しそうにしゃべるので、レイディアは言葉を遮る事は出来なかった。

もうすでに人はまばらだ。

レイディアは立ち去るタイミングを逃し、なし崩しに吟遊詩人の話を聞いていた。


「―――この国の王は戦上手だね。アルフェッラを初め多くの国を手中に収めてる」


ふと、声に嬉しさ以外の感情が交った事に気付いた。

穏やかに語る吟遊詩人にも、故国を滅ぼした王に対して思う所があるのかもしれない。

しかし、次の間にはもうその感情は影を潜めていた。気のせいかと思うほどに、すっかり消え失せていた。


「それじゃもう行くね―――闇が癒しを与えん事を」


それは、久々に聞く、神国独特の挨拶だった。


吟遊詩人は帽子の中の貨幣を麻袋に詰めて、懐に収めた。

帽子をかぶり、自分の相棒たるリュートを担いで最後にもう一度レイディアに笑顔を送ると、彼はその場を立ち去った。


「貴方にも…安らかなまどろみを」


もう聞こえないだろうがレイディアも返しの挨拶をした。

少しの間、夕日に染まるその背中を見送ると、レイディアも同じ方向へ歩き出した。









「ねぇ、聞いた? つい先程、王がお戻りになられたんだって」

一人の女官が仲間の女官に今しがた仕入れたばかりの情報を披露した。

「えぇ本当に? 随分お早いお帰りなのね。まだ今夜の準備が整ってないわよ。出迎えの者はちゃんとやったの?」

「ああ、それはなんとか。―――で、仕方ないわよ、このご帰還も予定より随分早いもの。なんでも突然帰るとかおっしゃられて向こうでの事後処理とか臣下の方に任せて来られたとか」

「まあ、何かしらね。何かあったのかしら」

「さあ。何かお考えでもあるのでしょう。とにかく、厨房や衣装係に急ぐよう指示しなきゃ」

「ああ、衣装の方は大丈夫。もう妃の方々に届けたとこよ」

「そうなの? よかった。じゃあ後は厨房ね。…それにしても王は気まぐれでいらっしゃるわ」

溜息をついた同僚に反論した。

「そこがいいのよっ。きちきちした男のどこが面白いのよ」

「でも、あの方はお部屋をお与えになっても、すぐお通いになられなくなるのも茶飯事だし…」

「繋ぎとめるにはその女の魅力が足りなかったからよ。まあそのおかげで私達にもチャンスはあるわけだけど」

「まぁ」

女官達のクスクスという笑い声が漏れる。

「だから、ねえ今夜の宴、私達にとってもチャンスよ」

「それもそうね。ねえ、もし着飾った私を王が見初められてお部屋を賜っても恨みっこなしよ?」

「あら、そっちこそ、私が見初められたら私付きの侍女にしてあげましょうか?」

「言ったわね」

忍び笑いが漏れる。


「そういうわけだからレイディア、私達これから大事な用があるから、残りの仕事しっかりやっておくのよ」

「そうそう、手を抜いたりしたら承知しないわよ。私達の迷惑になるようなことは止して頂戴ね。厨房への指示も伝えといてちょうだい。どうせ貴女には宴なんて縁のないものでしょう? それ、今日一日かけて頑張ってね」


さっきまでの楽しそうな声が一変、どこか見下すように言いつけた言葉が部屋の隅で一人静かに仕事をしていた少女に下された。

全ての雑用を押し受けられたレイディアはそれまでの作業の手を止めて女官の方を向いた。

「…かしこまりました」

感情の籠らない声で了承の旨を告げるレイディアに冷ややかな一瞥をくれると、あとはもうレイディアなど見向きもせず部屋を出て行った。




扉が閉まると同時に作業を再開したレイディアは、しかしすぐに中断させられる。

ノックされたかと思うと返事をする前に戸が開けられ、別な女官が部屋にずかずかと入り込んできた。

「ちょっとレイディア。これちょっとやっといて。私大事な用があるから。あんた今日暇でしょ」

レイディアの周りの未処理の仕事の山を見て平然と言い放つ女官は、レイディアの前に大量の紙束を積むと、さっさと出て行ってしまった。





「………」

前髪を長く垂らしているせいで顔の表情は窺えない。

ただ、しばし仕事の山を見つめた後、黙々と作業にいそしむレイディアの姿があった。

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