第十八話
「ええいっ忌々しいっ!」
ガシャンと陶器や硝子の割れる音が次々室内に響く。
「おい、お前が自分に任せておけば上手くいくと言ったんだぞ! どうしてくれる!」
彼は扉前を陣取る面長の男を睨みつけた。男は烈火のごとく怒り狂う彼の怒鳴り声など、そよ風程度にしか感じておらぬように飄々とした態度を崩さず口を開いた。
「参列途中で奪取し損ねたのは俺のせいではありませんがね。それにあの人達の言う通りにいくなどと最初から期待してませんでしたし」
「あれはわたしが先に見つけた女だぞ! 青二才などにくれてなるものか!!」
「ご心配なく。まだ時間はあります。計画に狂いはありません」
冷静さを保ったままの男に焦燥が感じられなかったからか、彼も落ち着きを取り戻す。
「そうか…そうよな。まだ五日もある」
パキ、と壺の破片を踏みしめる音がした。
ペキキ…バキ…ゴリ…
うっすらと彼の顔に笑みが浮かびあがる。卑下たその表情は欲情にまみれていた。きっと脳内には裸体の美女を組み敷いている自分がいるのだろう。
「あれはわたしの女よ。あの若造などには勿体無い…わたしにこそ相応しい」
半月刀の様に眦と唇をしならせ、不気味に笑う彼を面長の男は無感動に眺める。
「…あやつらはどうしておる」
「あちらも貴方の指示通りに動いておりますよ。今度こそ失態を犯さない為に必死みたいですね。ええ、何も案ずる事はありません。貴方は御望みの品をお待ちしているだけでいいのです。全て貴方が望むように叶いますから」
含みのある、ねっとりとした笑みを面長の男が浮かべる。しかし、暗がりのせいで月灯りが射す窓際に立つ彼からは見えなかった。ただ、耳に心地よい言葉に満足し、あっという間に機嫌を直した。
「そうだ。このわたしが望んで叶わぬ事はない。当然の事だ。しかし、一刻も早くあれをわたしの許に寄こすように。あれがあの青二才の手に触れられていると思うと憎くてたまらぬ」
「御意に」
面長の男はここが宮殿であるかのように仰々しく一礼し、音も無く扉の向こうに消えた。
最近、シルビアと王が隣り合って歩いている姿がよく目にされるそうだ。
“五参式”も半ばにさしかかった今では、食事の席以外でも二人は顔を合わせている。
例えば、王が軍の鍛練場に顔を出す時などには、必ずシルビアは供をしている。シルビアが王の許可も得ず勝手に付き纏っている、というならば即座に王の怒りを買い、打ち切られているのだが、なんとこの随伴が王から直々のお声がかかってなされるものであるらしかった。王自らが進んで妃を傍に置くというのは稀で、すれ違う者達の目を驚かせた。
同時に、やはり彼女が本命なのではという噂の信憑性はいや増した。
当然その手の話題を城の女達は放っておく訳も無く…
「王の御寵愛はいまやシルビア様に一身に注がれてるわよね」
「まぁ仕方ないわよね。あれだけの美姫だもの」
「私こないだお二人を見たわよ。周囲の目があるからか節度ある距離を保って並んでらしたわ。シルビア様のその慎ましやかさには私とても好感を持てたわ」
「私もそれ見たわ。私、夏妃様――メリネス様の所から異動してきたんだけどね。一段下の秋妃様の宮付きにされて、最初は降格になったと思って気鬱だったんだけど…もしかしてこれは昇進?って思ったわ」
「私もよ。ローゼ様の所にいたんだけど…ココだけの話、ローゼ様のところに王が通うのは単に後ろ盾のおかげじゃないかって思ってたのよ。王がローゼ様を召しても事が終わればさっさと帰ってしまわれるそうだし…王が特にローゼ様を気にかけてるそぶりが無くって、夏妃様を持ち上げるのに一苦労だったのよ」
「あぁ分かるか分かる。ローゼ様は美人だけど……ねぇ」
「お家柄もあるし、王に幸されるのは当然だと思ってたけど…」
「もしもシルビア様が本命の方だとしたら、後宮での勢力図が変わっちゃうわね。ローゼ様もそろそろ落ち目?」
周囲の女官達から楽しげな笑い声が漏れる。
「やぁだ、ローゼ様の侍女達に聞かれたら刺されちゃうわよ」
女官ら使用人達の休憩時間には仕事の時には見られない素の彼女達の顔が覗く。
宮付きという事は宮の主である側妃に直接付いている訳ではないという事だ。つまり、その妃に必ずしも忠誠を誓う必要はない。仕える宮が変わってしまうのであれば、いくら尽くしても異動になったらそれで仕舞いになるからだ。下手に特定の妃の腹心という立場を認識されようものなら、新しく仕える事になった宮の妃に警戒されて冷遇されかねない。
賢い女官や女奴隷は、どの妃に対してもそつのない態度を示す。何処に仕えてもそれなりの立場を確保するために。適度にコネを作り、適度に距離を置く。
しかし、多くの者はそうではない。その時に権力を持っている妃には腰の低い態度をとるが、その力が衰えるやいなや手のひらを返す、という場合が多い。彼女達の様に、表面上はともかく、妃やその腹心の耳に届かないのをいい事に、辛辣な言葉やあけすけな物言いを平気で繰り出す。
だからこそ、掛け値なしの本音が漏れる使用人の食堂や控え室での会話では貴重な情報も隠されている。女性が集まれば必ず咲く花は専ら美容、貴人の醜聞、色恋沙汰、特に王や側妃達のもつれ話は恰好の話題だ。根も葉もない低俗なモノも多いが、取るに足らないその会話の中に、彼女達はそうとは知らず、時たま重要な知らせをもたらしてくれる。クレアは極力無邪気に、先輩女官達を仰ぎ見た。
「そう言えば最近のリナ様はいつにもましてお肌の調子がよく見えます。何か特別な事でもなさっているのですか?」
しきりに頬を撫でていた一人の女官に、可愛らしく首を傾げて不思議そうに訊いてみた。
「え、分かる? そうなのよ~シルビア様の御生母のご実家はあの大手商家のノートレスタでしょう?あそこが扱ってる化粧品に替えたんだけど、それがまた良いの!」
振ってほしかった話題だったのだろう。その女官は嬉々として飛びついた。
「えぇ~いいなぁ私はロジェスティのとこなんだけど…最近値は変わってない割には質が落ちてきた気がするのよね。私もノートレスタに替えようかなぁ」
「ああロジェスティって代替わりしたんでしょ? 先代の一人娘が婿取って継いだって」
「最近あんまり良い噂聞かないのよね。そのお婿さん、先代が亡くなってから豪遊してるってハナシ」
「武器商と親しくなったとか聞いたわ。それまで懇意にしてた農商の組合とも疎遠気味だって。営業方針替えたのかしら?」
「ノートレスタとロジェスティって昔っからライバル関係じゃない。シルビア様のお輿入れもあってノートレスタの株は急上昇。ロジェスティも必死なのよ」
「ロジェスティだって高級品じゃない。私の使ってるものなんてさぁ…」
とたんに自分の贔屓にしている化粧品の自慢や不満へと話題が流れていく。
クレアはひとしきり訊くと、仕事に戻りますね、とさりげなく笑顔でその場を立ち去った。
シルビアの許には多く来客が訪れるようになっていた。
子爵である父親と親しい親交がある者であったり、新たに誼を結びたがる者、様々である。それと同時に輿入れ祝いにと、多くの宝石や珍しい品を大量に持ってくる。皆、新秋妃にいい顔をしてやってくるが、その中に、秋妃を快く思わない者もいないとも限らない。そのため、最近のシルビアの宮には、秋妃を害する物でないか貢物の安全性を確かめる女奴隷や、シルビアとの対面を許す人物を選ぶため、協力し合う侍女や女官がそこかしこで見られた。
そんな中、最も足繁くシルビアの許に通う貴人がいた。
「今日も一段と美しいの、シルビア嬢」
「その様な事を言って…奥方がお知りになれば、きっと妬かれてしまいますわ」
「おお、それは恐ろしい。妻には黙っててもらえるかな?」
エーデル公である。
自領内の貴族の令嬢であるシルビアを娘同然といい、何かと気にかけている。それはとても名誉なことで、本来の後ろ盾である実家のポルチェット家よりもずっと大きい。
しかし、同時に過ぎる厚遇は反感を招く。特に叔父と姪の間柄のローゼにとっては身内である自分よりシルビアが厚遇されればいい気はしない。
後宮における力の均衡は王の寵愛の深さよりも、身分による分配が望ましい。後宮には身分至上主義者が大半だからだ。しかし、エーデル公がシルビアを擁護するのはあまり良くない。いくら自領の令嬢とはいえ、シルビアの本来の身分は子爵令嬢。公爵令嬢であるローゼとは雲泥の差である。彼に便乗して貴族達の関心はシルビアに傾いていく。しかし、光栄なことでもあるので、エーデル公を諌める事も出来ない。
そんな使用人達の危惧をよそにシルビアは無邪気とも言える清らかな笑みを向けて、今日も立派な白百合を手に訪れたエーデル公を歓迎する。
他愛のない会話に花を咲かせ、エーデル公の賛辞にシルビアは百合の様な微笑みを返す。
「かつて、己が住んでいた後宮を指して言うのもなんだが、後宮は何かと気が詰まるところだ。百合は囲いの中では十分に魅力を発揮出来ぬ。野の風に揺られてこそ美しく咲き誇るものだ。いつでも我がノノリズの屋敷に息抜きに来られるがよい」
「まぁ…幾重にもなるお心遣い、痛み入りますわ」
「シルビア様、そろそろ…」
侍女の一人が控えめにシルビアに耳打ちした。
「あら、もうそんな時間?分かったわ。…申し訳ありません、エーデル公。これからお約束がございますの。またおいでになって下さいませ」
「陛下とのお約束ですかな?」
軽く揶揄するように問われてシルビアは微かに俯いた。頬が微かに赤い。
「…ええ、そうなんですの。これから軍の鍛練の場に行くから、と」
「おやおや、あてられてしまったな。そんなところにまで共にいようとは。それとも傍に寄せる口実を王がわざわざ作られておられるのだろうか」
エーデル公はくつくつと笑い、恥ずかしそうに俯いたままのシルビアの手の甲に口づけを落とし、立ち去った。
「では、行って来るわね」
エーデル公が去って間もなく、衣装部屋で待ち構えていた女官達にあっという間に外出用のドレスを身に纏わせられ、輝かんばかりになったシルビアは、皆を見渡し声をかけた。
「「「いってらっしゃいませ」」」
皆の声に合わせてレイディアも一礼する。退出間際、部屋の隅に控えているレイディアの傍を通り過ぎようとしたシルビアは、皆に気付かれないように彼女に片目を瞑って見せた。
シルビアの瞳はまさに爽快な青空の様にどこまでも美しく澄んでいた。あれを恋する目と言うならば、あれ以上に晴れがましく甘い瞳も無い。想いはすでに目の前にいない恋する相手の方へ飛んでおり、想う相手の許へ行く時間すら惜しく焦れ、一刻も早く相手に会いたいと逸る気持ちを雄弁に語っていた。その瞳を向けられた相手も同じ思いを抱かずにはおれないと思う程に。
レイディアはそんなシルビアを微笑ましく思いながら、彼女の背中を見送った。
レイディアはここ暫く王城に赴いていない。王に暫く来るなと言われているからだ。
直接的にそう言われた訳ではないが、そう言われたも同然で、最近のレイディアは女奴隷としての務めを果たした後は自室で時間を過ごしている。
何故なら…
「えへへ~ディーアちゃん」
エリカがレイディアの膝の上でゴロゴロしている。日向ぼっこしている猫そのもので、すりすりと頭を膝に擦り、両腕をレイディアの腰にまわしてご満悦である。
「エリカの枕♪」
レイディアはエリカのまくれたスカートの裾をそっと直した。
五参式初日の深夜、ソネットの配下が何故がぐるぐる巻きにされたエリカを護送してきた。
ぐるぐる巻きにしたのは誰なのか一目瞭然だが、配下はレイディアの姿を見るまで緊張の糸を張り詰め、手も足も出ないはずのエリカに対して警戒の姿勢を解こうとしなかった。まるで猛獣を相手にしている様である。いや、それ以上かもしれない。獣は首に縄を繋いでいれば恐れる必要など無いのだから。
レイディアに礼の限りを尽くすと早々に引き揚げていった彼らの後に残されたレイディアはとりあえずぐるぐる巻きを解き、持ってきていた食事の盆をエリカに差し出す。
「どうしてまたぐるぐる巻きに?」
嬉しそうにスプーンを握りしめて頬張っているエリカに問う。
「はぁ? へひか、はばはんほにいほうほひひゃひゃへ」
「散歩に?今度は何処の陸の果てまで行こうとしたんです?」
「ん~あひひゃるほ?」
「アイバルトは今王位争いの内戦中で危ないですよ? まぁ貴女にとっては子供の喧嘩程度でしかないのかもしれませんが。治安が悪い今、女性が一人で歩いていたら売られてしまいます」
「うりゃれへもひゃいじょうぶやよ」
「それはその組織を潰すという意味での『大丈夫』ですか? …お願いですから指名手配されながら帰って来ないでくださいね。…いくら大丈夫と言われても心配になります」
レイディアはエリカの通訳も難なくこなす。口に入れたまま話すのは行儀が、悪いが直す気は一向にないようなので、諦めた故に身に付けた技である。
ちなみにエリカが言った言葉は順に、
「さぁ? エリカ、ただ散歩に行こうとしただけ」
「ん~アイバルト?」
「売られても大丈夫だよ」
である。
夜が明けて、レイディアはエリカを伴って王の許へ行った。
余談だが、レイディアが王の許を訪れる際、直接王の執務室の扉からは入らない。執務室内の隠し扉から入っている。正面から入れるのは相応に身分の高い者か、側近か、そうでないなら面倒な手続きを踏んだ者だけだ。執務室は限りなく王に近づく事が出来るので出入りは厳選されるのは当然と言える。よって、表向き一女奴隷でしかないレイディアが真正面からいって取り合ってもらえるわけがない。それどころかどうして城の表に女奴隷がいるのか問い詰められるだろう。難儀な事である。
「ようやく帰ってきたか、この放浪娘が」
王はエリカを一瞥するなりそう言い放った。
「こんにちは王様。なんだか久しぶりな気がします」
「それはそうだろうな。なんせ最後に顔を合わせてから悠に三カ月以上は経っているからな」
皮肉気に笑ってからエリカの横にいるレイディアに視線を移す。
「…近々エリカが必要になる」
レイディアは居住まいを正す。
「それまでこれに出て行かれても困る。しっかり手綱握っておけ」
「…はい」
そこで一旦切って、今度はこちらから話を持ち出した。
「それで、シルビア様は如何です?今朝も朝食を共にしたのでしょう?」
頬杖をついてこちらを見やっていた王は、片方の口端を吊り上げた。
「お前が選んだだけあるな。あれは中々に面白い」
そうして、新しい環境に馴染もうと、シルビアや侍女達はの女官達の助けを得ながら後宮生活を始めて間もなく、王とシルビアは頻繁に共にいるのを城の者達が見かけられるようになったらしい。
らしいというのはレイディアがその光景を見たわけではないからだ。城に行けばその姿が見られたかもしれないがその暇は無い。何故なら今のレイディアはエリカの相手に忙しい。王からの呼び出しもあれ以降無く、用も無いのに城へ赴く必要など無い。
久々に手にした貴重な自由時間の殆どはエリカの相手に宛がわれる。レイディアに割り振られた――というより割り振ったというべきか――部屋は宮の一番奥の隅。使用人の住居区域は使用人自身で掃除がなされるので人など滅多に来ない。エリカはずっとレイディアの自室にいた。自然、レイディアもそこにいる事となる。
後宮の使用人全てが全日勤務という訳ではない。非番の日も当然ある。また、午後、あるいは午前のみ勤務する半日勤務もあり、今のレイディアはそれに当てはまる。少し前まで、ほぼ毎日終日勤務をしていたレイディアにとって、半日でも自由になるのは吟遊詩人のゼロと街に繰り出した時以来かもしれない。
そんな今の状況に違和感を感じていた。なんというか、落ち着かないのである。
最初は、エリカと日向ぼっこしたりお昼寝したりと、あまりに今までの忙しい日々との落差からくる戸惑いの所為かとも思ったが、それだけではないのかもしれない。
私は王から遠ざけられてる?
特にこれと言って通告された訳ではないから、レイディアの思い違いというのもあり得るが、いつもの多忙とは違う意味で暇がない今、シルビアの傍にもそうそう簡単に行けなくなっている。
その事がいやに引っかかる。意図的に彼らと引き離されているようだ。
あの人は何をしようとしているの?
これまで、レイディアを遠のけようとする時は決まって血生臭い事情が多かった。
仕事の相談相手であるテオールとも会っていない。今のレイディアと打って変わって多忙な彼は今手掛けている仕事で手一杯の様だ。ダイダス大将軍から資料を預けて届けさせた以外にレイディアが手伝ったといえる事はしていない。届けるのだってクレアを通じてだ。今回レイディアの出る幕はないようだ。
それは、レイディアが関与出来るのは本当に限られた範囲内であるから、そんなこと珍しくないのだけれど、今みたいに、レイディアを知る者達と会えない日がある度に思い知る。
「その気になれば、あの人達とずっと会わずにいる事なんて、とても簡単なのよね」
あの人が自分を飼殺す事などいとも簡単にできるという事実。
あの人は王。女奴隷の自分とは天と地ほどに違う。テオールとは違って、彼に呼ばれなければ顔さえ見る事は叶わない最下層にいる自分。彼らは私に優しいが、逆にいえば、彼らに気にかけられなければ、本当にただの一召使として後宮に埋もれるということだ。
自分は人形。彼が望む時に限り、レイディアは彼の傍に侍るだけ。自分の意志で彼の傍に寄る事は出来ない。
そこに思い至ると、微かに心に隙間風が吹いた。
けれど、それを望んだのは自分。これ以上踏み込まない様にするにはいい機会かもしれない。
それに、レイディアにはレイディアの務めがある。あちらとはまた違う問題を抱えている。
仕事の顔つきに戻ったレイディアは、彼女にへばり付いたまま眠っているエリカを起こさない様にそっと立ち上がった。
「どういう事!? お前達は何をやっているのっ!!」
甲高い女の声が庭園の一画に響く。けたたましい弾劾を浴びせられている女官達は身を縮こまらせて嵐が過ぎ去るのを待つ。
「お前達、手を抜いたんじゃないでしょうね!?」
「そ、そんな事は決してございません!」
「でも、どうしても失敗してしまうのです…」
「どうやら、あちらの宮の者達に気付かれて阻まれているようでして…」
「そんなこと知った事ではないわ! それはお前達が無能なせいでしょう!? 使えない者達ねっ!」
女官達は俯く。今の彼女に何を言っても理不尽に責められるだけだ。
「いいこと? 今度のお茶会では絶対失敗するんじゃないわよ!? もし、しくじった時は…分かってるでしょうね?」
「は…はいっ」
「必ず…必ずや、やり遂げて見せますとも!」
「分かったならもうお行き! 役立たずの顔など見たくも無い!」
女官達は湧きあがる苛立ちを抑え、極力従順に、そして無表情に一礼して速やかに下がった。
女官達が去った後も彼女の憎悪は静まらないようで、力任せに引き抜いた庭の白い花をそれが仇であるかのように踏みにじった。
「あの憎々しい女! あの澄ました顔を屈辱の泥で塗りたくってやらなきゃ気が済まないわ!」
「そうですとも。あの様な成り上がりには如何に分不相応か教えて差し上げねば」
「陛下のお優しさに縋ってお気に留めてもらえるのは今のうちなのだと助言して差し上げねばなりません」
腹心の侍女達も彼女に同調する。それも何の慰めにもならかったが、花を踏みにじるのを止め、鼻を鳴らした。
「折角今まで均衡を保っていたのに。一番寵愛されるのはローゼ妃であるならまだ諦めもついたものを…! たかが田舎の子爵家の女に! いずれは夏妃ですって? 次期春妃ですって? 冗談じゃないわっ」
彼女の普段のたおやかさは微塵も無く、足音荒くその場を立ち去る。慌てて後を追う侍女達もあっという間にその場からいなくなった。
レイディアはそっと物影から姿を現した。
先程の女達の会話を思い返す。
儚げな、如何にも男が支えたくなる様な見目のシルビアは、後宮に入るや否や王に最も近い存在として後宮を席巻した。
後宮の側妃達の焦りは至極当然といえる。
このままではシルビアが春妃となってしまうかもしれない。そうなったら自分はお払い箱。実家に帰され、嫁ぐには適齢期を超えた自分は生涯、王のお手付きとして実家に日陰者として閉じ込められる。
よしんば、親の決めた適当に身分と地位のある男に嫁げても、もはや後宮で肥えた目を養ってしまった彼女達が満足できるわけも無い。長い事、国で最高の男を見てきたのだ。どうしても見比べてしまうのだろう。
必ずしも歴代の王が正妃の為に後宮を解散させるとは限らないものの、どのみち、一度冷めてしまった寵愛は、取り戻すのはまず不可能に近い。後宮の隅で王に忘れられて、一人寂しく余生を生きるなど己に自信のある彼女達にとって死に等しい。栄華を極める女と同じ空間にいるだけに惨めさは倍増する。
どの妃も比類なき玉女揃いといわれている。かつて、王は数多の女と関係を持ったが、実際に部屋を与えられ、側妃と遇されたのはほんの一部。“お手当”を貰えるだけでもいいほうで、下手をすれば殺される。だからこそ、今だ側妃として納まっている彼女達は、選ばれた姫だと謳われている。国中の貴族達が王よりの下賜を待望するほどの誇り高い淑女達は、今や進退極まった状態に追いやられていた。
その原因であるのはシルビアと思い、彼女に憎しみともいえる怒りをぶつけてしまうのは短慮とは思うが分からないでもない。
だが、シルビアへ悪意のたっぷり沁み込ませた嫌がらせを自分の手の者に、しかしそうと悟られないように差し向けたが、どういうわけかどの女官達にやらせても失敗して戻ってくる。それに焦れていた一人が先程の彼女。彼女だけでなく、他の妃も似たり寄ったりかも知れない。
妨害が、レイディアが引き抜いた選り抜きの女官と女奴隷達―――ひいてはレイディアの働きによるものだというのは知る由もないだろうが、王の寵愛を独り占めする憎い恋敵に一矢報いたくて仕方ないようだ。
今度のお茶会――明後日の、“五参式”最終日。その夜はついに、シルビアが王と床を共にする日である。
事を起こすには、その日しかないだろう。彼女にとっても……彼にとっても。
思考を一旦中断し、先程まで女達のいた所まで歩み寄り、踏み潰された一輪の花を手のひらに乗せた。
「…」
レイディアは潰れ、萎れてしまった花を見つめ、溜息をついた。
そしておもむろに、花に唇を寄せ、そっと吐息を吹きかけた。
日の当たる庭園の隅に花を置くと、レイディアはそのまま踵を返した。
レイディアが去ったその場には、潰されたはずの花が、地に根を張り、微かに頭を持ち上げていた。