第十七話 甘い話にはご用心
「なぁ、いい仕事ねぇかな?」
太陽が眠りにつき、月の支配する時刻、その酒場は開かれる。
「あぁ? 仕事ぉ?どんな仕事でぃ」
酒場の店主はグラスを磨きながら適当に客の相手をする。
「仕事は仕事だよ。出来るだけ簡単で、割のいいヤツ。あ、短期間ならなお良しっ」
「ナマ言ってんじゃねぇ。そんな都合のいい仕事、そこらに転がってるわけねぇだろうが」
情報屋でもある酒場の店主はその腕を活かし、依頼があれば職業の斡旋もこなす。しかし、目の前の客は愚痴を言いたいだけのようだ。客は見知った常連客ではない。店主の裏稼業など知らないただの一般客だ。店主の斡旋する仕事は――必ずではないが――大半は裏仕事である。
カウンターでちびちび安酒を呑んでいた胡麻髭の男は顔をしかめた。
「だってよぉ…折角遠いとこからはるばる荷を運んで来たってのに値切られてよぉ…もう少し稼いでかねぇと家に入れてもらえねぇ…」
「俺もさ…かぁちゃん麺棒持って追っかけてきそうだ」
ぶるぶる震えだした二人の客を店主はしみじみと眺めた。いつの世も、男は女房には頭が上がらないようだ。
「まぁよくある話だな。田舎もんだと見くびられて最初に提示した金額からさっ引かれるなんてザラだ」
諦めな、という店主に男達はうなだれる。本当ならいくら安くとも、この酒代だって惜しいはずだ。こんなとこに金を使う余裕など無いはずだろうが、今は呑まねばやってやれない気分なのだろう。決して身なりの良いわけではない二人の客は、取引先や妻の愚痴を肴にヤケ酒をあおっていた。
この戦乱のご時世に臨時で募集される仕事の殆どは軍事関連だ。しかし目の前の男達の体躯じゃ精々使いっぱの捨て駒兵にしかならないだろう。かといって、仕事の斡旋などいくらでも出来る彼だが、世帯を持つらしい彼らに、店主が流す様な二度と抜け出せない泥沼の仕事に引きこむ事は出来ない。
それでも、この店に来たのも何かの縁と思い、たまたま思いついた、賃金は高くはないが簡単な雑用の仕事を紹介してやろうと口を開きかけたその時、ふいに声がかかった。
「お仕事をお探しなんですか?」
鬱々していた男達はその声にうっそうと振り返った。そこには細身の小奇麗な身なりをした面長の男が立っていた。
「何だおめぇ…」
「話しかけんな…」
男達の警戒心に怯まずに面長の男は笑みを絶やさず続けた。
「私めはただ今仕事を引き受けて下さる方を探しておるところでして」
仕事、という言葉に男達が少し反応した。面長の男の話を訊こうとする雰囲気が滲む。しかし、一般人である彼らにもある程度は持ち合わせているなけなしの警戒心が男への態度を固いままにさせた。
「仕事って…そりゃ探してはいるけどよぉ」
「こんな俺達に頼む様な仕事なんてどうせ怪しい仕事なんだろ?ってかだれだおめぇ」
男の身なりは貴族と言うにはお粗末で、庶民と言うには上等だ。庶民の小金持ちというのがしっくりくる。貴族が下町の者に頼む仕事は汚れ仕事ばかり。でも、中途半端な立場の人間が依頼する仕事の方が性質が悪いのを店主は知っている。
店側の人間としては客の素性を荒探しするのはご法度だが、情報屋としての一面が店主に覗く。
「いえいえ、全く怪しい仕事なんて滅相も無い。あ、申し遅れました。私、ゼオと申しまして、私は今仕事に適任そうな…ええ、そうです、まさに貴方方の様な誠実で善良そうな方を探しておりました。貴方方をお見かけし、丁度貴方方もお仕事をお探しのようでしたから――あぁっとすみません、お話を聞いてしまいました――声を掛けさせていただいた所存です、はい」
胡散臭いことこの上ない。手揉みをする勢いで猫なで声で語りかけるのを店主は知らぬふりをして聞いていた。しかし、やはり褒められて悪い気のする奴などいない。胡麻髭男と痩身の男は少々態度を和らげた。
「そ…そりゃよ…俺らはこれまで仕事に一切手抜きせず精一杯やってきたさ」
「俺らの仕事に落ち度はなかったってのに…あいつら何のかんのと難癖付けやがって…」
それを聞いた細身の男は大げさに嘆い てみせた。
「なんとっそれはひどい!貴方方の仕事ぶりは寧ろ二倍の賃金ををお渡してもまだ安いほどでしょうにっ」
実際に見ていない癖に。おい、いいのか?口車に乗せられそうだぞ、お客人。しかし、そんな心の中の忠告は残念ながら男達には届かなかった。
「分かってくれるか? そうなんだよ。俺達の仕事はいつだって完璧なんだ!」
「でもよぉ、地味だからかその苦労を認めてもらえねぇんだ…世知辛ぇ」
ぐずっと鼻を啜る男達。悪酔いもあいまって男の思うがままに転がされようとしている。
だが、店主は口を出さない。こちらに話題を向けられるまでは手を出してはならない。綱渡りの裏世界を生きる人間にはおせっかいは命取りだ。
「今までさぞやご苦労なさってきた事でしょう…そんな貴方方にとっておきの仕事をお頼みしたいっ」
客の男達は心が揺れた様だ。しかし、まだ微弱に残っていた怪しむ心が最後の抵抗を試みる。
「でも…よぉ。そう長い事王都にいられねぇし…」
「俺らあまり他の仕事した事ねぇんだ…やっぱ難しいんだろ?」
男達の抵抗は寧ろ安心して仕事を引き受けられる情報を聞きたくて、その為の念押しに聞こえた。そんなものはいくらでも甘い言葉を吐けるものだというのに。
「いえいえそんな事ありませんよ! 専門の知識などいりません。貴方方の誠実な心を私めは求めておりましたので。そして雇用期間も短期間です。報酬は貴方方が先程おっしゃられていた仕事の報酬の10倍出しましょう!」
悪党にとって善良な人間ほど良いカモはいねぇ…。
男達は色めきたった。それだけの報酬があれば今年の冬は楽に過ごせるばかりか、女房や子供達の新しい服の為の布地を買ってやれる。新しい農具を買うのも良い。男達の脳裏には新品の家具や上等な肉、そして薪が沢山くべられた暖かい暖炉で一杯だった。我が意を得たりと言った風な面長の男の蛇の様な笑みを、客の男達は気付かなかった。
「さぁ、そうと決まれば私達は同士です! 私達の永劫の友情を記念に一杯交わしましょうっ。ここは私もちですのでご遠慮なく」
「おぉ? 悪いなぁあんた」
「良い奴だなぁあんた」
胡麻髭男と痩身の男は二人の間を空け、にこやかに面長の男を招き入れた。
ああ、もうダメだな…。店主は僅かに首を振り、磨き終わったグラスをグラスハンガーに吊るした。
王城の宴から帰宅したソネットはさっさと重装備な衣装を脱いだ。いつもより厚塗りの化粧も落とし、普段着に着替えたところで自室の戸が叩かれた。
「お入り」
許可を得て、戸の隙間から滑る様に配下の蔭達が闇に紛れて現れた。一人の女性を伴って。
「ちゃんと連れてこれたみたいね。お疲れ様」
「あの…」
配下達を労うソネットを女性は不安そうに見つめた。女性の瞳は怯えるように揺れていた。とりあえず付いては来たがソネット達の事を信じ切ってはいないからだろう。不安の隠し切れていないその表情を察したソネットは営業用に使う警戒心を呼び起こさせない笑みを見せた。
「長旅お疲れ様。私の事はソネットと呼んでちょうだい。このコ達にいたずらされなかった?」
不安を煽るほどに近づきすぎず、堅苦しく思わせるほどには遠すぎない絶妙な距離を置きつつ、しっかりと女性と顔を合わせる。
「い、いえ。彼らはとても親切にしてくれました…」
「美人に鼻の下伸ばしていただけよ」
おどけた様に言うソネットに女性はいくらかほっとしたように肩の力を抜いた。少なくとも自分に危害を加えようとする類の人間ではないと納得してくれた様だ。
「こいつらから聞いてると思うけど、暫くはここに身を寄せてもらうわ。不自由しないようちゃんと計らうから」
「え? でもここは何処なんですか…?」
「お菓子屋さんよ。私の自宅でもあるから、遠慮しないでね」
「そうなんですか。道理で美味しそうな匂いが漂ってくると思いました」
店に染みついた甘い匂い。無条件に世の女性の心をほぐす特効薬。
女性はここにきて初めての笑みを見せた。やはり目の前の女性も例に洩れず甘いものには目が無いらしい。
「あ、申し遅れました…私オーロラといいます」
「よろしく、オーロラ嬢」
ようやく空気が柔らかくなってきたところで…
「ふわぁ~~」
ソネットの後ろの布が蠢いた。ぎょっとして、驚いたのは女性だけではなかった。
「ソネット様…?」
蔭が警戒する様に問いかけた。無理も無い。仮にも蔭である彼らがずっと同じ部屋にいてその気配に気づかなかったのだから。
とっさではあるが、一般人の前でミレイユと呼ぶのは思い留まれたくらいには冷静のようだ。
「あ~…ちょっと拾ったのよ」
顎でしゃくって蠢く毛布を示す。
「ん…なんか暗いよ?ん~~??息苦しいよぉ」
「エリカ。毛布をとりなさい」
エリカ、という名を聞いた途端、蔭達の肩が張った。一同の視線が集まる中、毛布からにょっこり頭だけ出したエリカが部屋の者達を順繰りに見渡した。
「…あぁ、おはよう~」
オーロラは無害そうな女性と見て、安心した。しかし蔭達はとてもじゃないが力を抜く事は出来なかった。
「今は深夜よ」
「じゃぁおやすみ…………あれ?今起きたのにもう寝るの?」
「あんたが寝たいなら寝ればいいじゃない」
寧ろ寝ていろと言わんばかりにつっ返す。
「もう眠たくないもん…。…――その女の子は?」
エリカが女性を見た。凝視するといった方が的確なくらいじぃ~~っと見つめた。
「今回保護する事になった娘よ。あんまり見ないの。怯えるじゃない」
「ふぅん…」
「よ…よろしくお願いします」
初対面の人間に見世物よろしくじろじろ見れらて、訳も無くいたたまれなくなった女性はうろたえながらも挨拶を述べた。
「うん……よろし、く?」
寝っ転がったまま挨拶を返す彼女の態度を失礼だと咎める者はいない。彼女にはさせたいようにさせておくのが一番なのだ。
「エリカ。明日あの人のところへ行ってきなさい。こいつらに付いて行かせるからね」
「あの人?」
「……あんたの雇い主」
「ああ…うん、おうさ…」
光の速さでエリカの口を塞いだ。
「分かったなら良いわ」
もがもが言うエリカを解放してやる。今ので目が覚めてきたのか彼女はゆっくりと身を起こした。
「じゃあ…ちょっと行ってきます」
「待ちなさい」
ソネットは即座に首根っこを掴んだ。扉に向かっていたエリカの足は否応なく留められた。
「あんた私の話聞いてた?じゃあって何よ」
「聞いてたよぉご飯貰いに行くんでしょ?だから、それまでちょっと散歩を…」
全然違う。その場の誰もが思ったが言わなかった。言っても無駄だからだ。しかしソネットは流石と言おうかきっぱりと言い放った。
「違うわよ! あの人が呼んでるのよ。だから大人しくここでごろごろしてなさい」
「ちゃんと帰ってくるよ?」
「分かったものじゃないわよ。いつだったかちょっと行って来るって言って半年帰って来なかったのは誰?」
「あれはちょっと太陽を追っかけたくなっちゃったんだもん。しょうがないじゃん」
危うく世界一周するところだった。三日で飽きてまた別なものに惹かれてうろうろして腹を空かせて帰って来なければそれが実現していただろう。
「手ぶらで世界一周する馬鹿が何処にいるのっ?」
ここにいる。気が向きさえすれば絶壁の谷にだって素手で登るだろう。
やりたい事を邪魔されてぶうぶう唸るエリカを無視して、適当な配下三人に見張りを命じておく。連れて行くだけで三人という大人数からしてエリカへの警戒度が伺える。
「いい? ちょっとくらい怪我させてもいいから。ふん縛ってでもあの人の所に連れて行くのよ」
「…御意」
配下は無表情をとり繕って一礼した。しかしソネットにはそんな配下の不安はお見通しだった。
「あんた達にエリカに手を出す度胸が無いのは知ってるわ。大丈夫。ディーアちゃんに伝えておいたから」
その言葉に明らかに配下はほっとしていた。城に運んだ後は彼女が何とかしてくれるはずだ。
翌日、ソネットは宣言通り、性懲りも無くふらふら散歩に行こうとしたエリカをふん縛って配下に王城に送らせた。
王には後宮に正式に入った妃に五日間通う義務がある。“五参式”と呼ばれるその儀式は、王と妃を打ち解けさせるためというのが建前で、妃の殆どは深窓の姫君なため、親族以外の男性に免疫がない。そこで、儀式の期間中に免疫を付けさせるため、王と床を共にする前に朝と夜の食事を共にするという慣例が生じた。
その時の王次第では“五参式”をすっ飛ばしてさっさと寝所に呼ぶ場合もあるが、原則妃を慮る意味も込めて五日間は身体の繋がりを強要してはいけない。今の王は好色ではないらしく、“五参式”の間は妃に節度のある距離をもって接している。夜毎別な女性と床を共にしていた王太子時代であっても同様であった。
そして、その“五参式”。その期間中はその宮の女官達も大忙しである。
何故なら新しい妃の宮は儀式中、内外を美しく飾り立てられるからだ。
その準備は“五参式”当日から始まる。前もってしないのは、儀式本番前に天候に不具合が生じた場合、外に飾られた装飾品が、汚れてしまう可能性がある他に、他の妃の手の者が飾りを破壊して式を台無しにしてしまった事件が一回や二回の話ではないという事情が裏にある。
女官達は女奴隷に指示を与える一方、自身も慌ただしく動き回る。
シルビアの宮に配された女官や女奴隷達はレイディアの選り抜きである。
シルビアの性情や嗜好を考えて、彼女付きの女官や女奴隷を念入りに選んである。それだけあって質の良い顔ぶれが多い。いちいち指示を仰がずとも自分から仕事に向かえる者が大半だ。
しかし、この入れ替えには他にも目的があった。長い事務めた妃には情が移るもので、宮に仕えているはずの女官達はいつしか妃個人に仕えるようになってしまうのも珍しくないのである。そうなった女官や女奴隷は率先して妃の手足となって他の妃を害することもある。それを未然に防ぐためにも度々機会を見つけては女官達の入れ替えをしている。
そんな目的をもち、なおかつレイディアの指図によるものだと知る者は少ない。
そんな宮中が浮足立った雰囲気の中、当の妃であるシルビアは打って変わって暇を持て余す事になる。新しい妃を祝う宴は三日三晩続くが、王や妃の出席義務は初日のみで、あとは参加したい貴族達が盛大に飲み明かすいわば無礼講のようなもの。今夜の王との晩餐まで時間はたっぷりとあった。
準備に加わらず傍に付いている侍女達が主人を退屈させぬよう何かと話しかける。シルビアはそれに一つ一つ答え、共に話に興じていた。
初めて見た王城の壮麗さ、新しい宮の素晴らしさ、遠目で仰いだ王の精悍な容姿、等々。
侍女達がそんな話題で盛り上がっているのをのんびりと眺めていた。
「そろそろ、お茶のお時間ですわ」
未だ興奮冷めらやぬ様子ではあるが侍女の一人がそう彼女に切り出した。
「そうね…今日は良いお天気ですもの。折角だからバルコニーの方でお茶がしたいわ」
「かしこまりました」
侍女達が一礼すると、滑る様に動き出す。あっという間にテーブルの上にティーセットとお茶請けのお菓子が並んだ。
「それじゃ、貴女達はお下がり」
「…え?」
侍女達が主人の唐突な命令に戸惑った顔をした。自分達がいなくなったら給仕する者がいなくなってしまうではないか。
「後宮に入る為に長い旅をして、さらに王の御前に参り、盛大な宴と立て続けに色々な事があったもの。少し一人でゆっくりしたいわ」
少し顔を俯けてこぼした彼女に侍女達ははっとした。そうだ、この姫はとても繊細な方なのだ。この慌ただしい中にあってとても疲れているに違いない。
そう思い至った彼女達は自分の迂闊さを呪った。自分達はただただ故郷とは比べ物にならない王城の豪奢さに、そしてこれからそこの住人の一人となる事に浮かれ、主人の気苦労を慮ってやれなかった。
「そ…そうですわね。これまで何かとお忙しかったのですもの」
「そういう事でしたら、どうぞごゆっくり…」
一様にしんみりしだした侍女達はシルビアに労わる様な笑みを見せて静かに退出していった。
陽光がまぶしい午後の温かさはつい眠気をもよおすもので、のんびりと腰かけに座ったシルビアは、うっとりと目を閉じた。
太陽の光に反射して輝くシルビアの髪は息をのむほど美しく、白い肌は雪の様。甘そうに熟れた唇は優しげな笑みに形作られ、詩人がいたら何篇でも詩を詠むだろうが、生憎今は彼女一人だった。
シルビアはお茶に手をつけず、背もたれに身体を預けてただじっとしていた。
少しして、シルビアの部屋の扉が叩かれた。シルビアの目がすっと開く。
「…どうぞ」
音も無く開かれた扉の向こうから入ってきたのは二人。
「ようこそ、待ってたのよ」
シルビアは歓迎の意を示して立ち上がり、腕を広げて招き寄せた。
「新秋妃様にはご機嫌麗しく…」
二人は礼儀として格式ばった礼をするも、シルビアに止められた。
「そんな堅いのは無しよ。お茶でも頂きながらお話いたしましょう」
クスクスと楽しげに笑ってシルビアは目の前の待ち人――レイディアとクレアをバルコニーへと誘った。
こんばんは、トトコです。
いつも感想&評価ありがとうございます。読者様の足跡を見つけるたびに言いようのない喜びがこみ上げてきます。それらは全て執筆の力になっています。
これからもがんばりますので応援よろしくお願いします。