第十五話 少女(?)と少女が王都に到着
「くそっついてねぇ!」
一般的な平服を着た胡麻髭男は毒づいた。
荷を運んでいる道中、荷車が泥濘に嵌ってしまったのだ。もう王都まで数里もないというのに。
「おいおい、勘弁してくれよ。期日までもう日が無いんだぜ」
御者席にいたのっぽな男が胡麻髭男に叫んだ。
「わかってら! 仕方ねえだろ、こんな道のど真ん中に泥濘があるなんて思わなかったんだからよ」
思えば、近道しようとしたのが運の尽きだった。予想外に運送に手間取り、早く着こうとして、少々道は悪いが、上手くすれば数日短縮できる道を選んだのだ。その結果がこのざまだ。この道は昼間でも薄暗く、じっとりとしている。三日も前に降った雨の影響が残っている程に。
王都とは目と鼻の先ではあるが、それでも人の足では一日かかってしまうくらいはある。ちょっと王都まで行って、人に助けを求められる距離ではない。しかもこの道は通常使われる道ではない。人通りは皆無だった。
さらに、男とはいえそうがたいの良い方ではない二人では、このかなりの重量のある荷馬車を、泥濘から持ち上げる事は難しそうだ。
気は進まないが、ここはどちらかが王都へ歩いて行き、向こうで待ってる依頼主に救援を頼むしかあるまい。そしてその役は体力的には勝る自分が適任だろう。夜をここで一人で過ごす事になる相方には気の毒だが、獣除けに一日中火を焚かせておけばいいだろう。幸い今は冬ではない。飲み水はあるし、一日くらい何も食べなくても死にはしない。走れば明朝には戻って来れるはずだ。よし。
そう数秒の間に考えた胡麻髭の男は、相方に荷物番を頼もうと顔を上げたその時だ。
「ふわあぁぁあ~~~」
暢気な欠伸が深い森のど真ん中で響いた。それは男達のものではなく、明らかに第三者のもの。
「な…何だこの女」
二人の男は欠伸の音源へと首を巡らして固まった。
口に手を当て、いかにも寝起きですといった風に佇んでいるのは小柄な女だった。
顔立ちは幼いが、体つきは幼女のそれではない。肉感的というわけではないが、女性らしく円やかな丸みを帯びている。顔と身体がちぐはぐではあるが、それがまた絶妙な魅力を違和感なく醸し出している。なんというか年齢が読めない女だった。
「ん~、おはよぉございます…何か食べ物ありませんか?」
鈴が鳴る様な可愛らしい声。しかしこの状況でその声に鼻の下を伸ばす程、ふ抜けてはいない。
いきなり何を言い出すのか、この女。二人の男は互いの顔を見合わせた。
「何か食べ物ください。おなかへって死にそぉです」
元気に欠伸をしておいて死ぬ訳あるか。とは元々気の良い彼らは言わないでやった。
「ずっと前からおなかへったんですけど、食べる物がないから仕方なく寝てたんです。今まで」
意味が分からない。というか言葉が変だ。空腹を感じたら寝るよりまず食糧調達に奔走するべきであろう。
「仕方ないじゃないですかぁ。動く物体追いかけるとますますおなかがへっちゃいますもん」
動く物体? 動く物体? 動物の事か? いや、それならそこらに実っている木の実とか採ればいい話だ。
「誰かが剥いてくれなきゃ食べれないじゃないですか」
他力本願。何処までも自分では動かない気だ。いや、そんな事よりもどうして俺達は見知らぬ不審な女とこんな会話をしているんだ。あまりに変過ぎて思わず話に乗ってしまったではないか。
「ええいっ腹が減ろうが俺達の知ったこっちゃねぇ。それに俺達だってもう食いもん持ってねぇんだ」
事実だった。都には今日中に着く予定だったので、食糧は今朝ちょうど尽きた。
「そんなぁ~もう歩けないですよぉ。何か採って来て下さいよぉ」
はの字に眉を下げ、情けない声を出す。その声があまりに切なげな声だったので、もう少しでほだされて狩りの為に森の中に突っ込んで行きそうだった。
「はっ…いやいや俺は何しようとしてんだ。おい、お嬢ちゃん。飯食いてぇならあと一日頑張れば王都に着くぜ」
少女は首を傾げた。
「おうと? おうと…王都、か。それって何処の王都ですか?」
男達はいよいよ呆れた。こいつもしかして迷子か?とするならお腹が減っているというのも頷ける。しかし、それならどうして焦っている気配も無くこんなにのんびりとしているのか。図太いのか? なんだか色々変過ぎて一々不審がるのも面倒になってきた。
「お嬢ちゃん。もうここはバルデロ国の首都、ヴォアネロの圏内だ」
それを聞いた少女はぱちぱちと目を瞬かせた。そして、じわじわと顔じゅうに笑みが広がっていった。男達はまるで花が綻ぶような笑みに思わず見とれた。
「そっか、ここバルデロなんだぁ。ふふ、じゃあご飯貰いに行かなきゃ」
うふふと顔に手を当てて微笑んでいる様子は、まさに恋人に会いに行こうとしている乙女のそれ。ただし今は飯の話だ。男達は微妙な顔になった。
「おにぃさん達、教えてくれてありがとぉね」
変な女だが、素直なお礼に気をよくした男達は笑顔になって、気にするな、と腕を上げた。
「あ、そうだ」
そしてそのまま立ち去るのを見送ろうとした男達を振り返った少女は、何故かまたこちらに戻ってきた。
「親切してくれたら親切を返さなきゃいけないって言われてるんです」
そう言って首を傾げる男達を尻目に、彼らが引いてきた荷馬車に手をかけた。
彼女が何をしようとしているのか悟った男達は慌てて止めようした。こんな細腕で荷馬車を持ち上げるなんて無理だ。腕がイカれてしまうと思った。
が、
ぼこぉっ、ガン!
少女の腕は軽々荷馬車を持ち上げ、そのまま固い地の上に車輪を乗せた。
「これで、よし」
「……………………ありえねぇ」
「……嘘…だろ…………」
満足げに頷いて荷馬車を見る少女。そしてそんな少女を引き攣った表情で凝視する男二人。
「これで、お礼したから。もう行くねぇ」
じゃあ、と笑って去ろうとする男達は慌てて少女を呼びとめた。
「お、おめぇ何もんだっ」
もうすでに離れた所にいた少女は振り返った。
「エリカはエリカっていうんだよぉ~~!」
満面笑顔で手を振りながら答えた少女――エリカはまもなく男達の視界から消えていった。
目的地が一緒なら、お礼ついでに乗せてやればよかったと気付いたのは、少女と別れて一刻が経過した頃だった。
五年ぶりに後宮入りが行われるというので、王都ではちょっとしたお祭り気分で賑わっていた。
市には色彩鮮やかな装飾品や絹、精緻な彫刻の施された家具などが溢れかえっている。そしてその買い物客のすいた小腹を狙った露店もあちこちに点在していて、いい匂いが目映りを促す。
王の妃というのはいわば流行の最先端を担う。王都の女達は妃の装いや宝飾品を真似ようと流行の風を聞き逃すまいと耳を澄ましている。
より、斬新に。より、優美に。他の誰とも違う美しさを競いあいながら、洗練された都の文化というものが形成されていくのだ。そして今、民衆の最大の関心事は新しい側妃、シルビアである。彼女の故郷で主流の装いや、彼女と同じ色の付け毛までが店頭に並んでいた。
さらにそれに便乗して、あまり関係ないはずの品までここぞとばかりに大きな顔をして軒並み並ぶ。少しでも新側妃に関係する要素があると、そこばかり強調して他のものより少しばかり値を上げる。流行物は多少値が張ろうとも客はその品を喜んで買っていく。いつもの事ながら競争相手に事欠かない市の商人達の商売魂には恐れ入る。
そんな賑わいの中、煌びやかな品物などを、気ままに冷やかしながら歩いている女性がいた。日よけにスカーフを頭に覆い、萌黄色の髪を二つに結んでいる。可愛らしい装いの彼女は人ごみを器用にするするとすり抜けて悠々と闊歩していた。
「やっぱ活気があるのがいちばんよね。ローゼ妃の時よか劣るけども。…あの時は凄まじかったわ」
彼女――ソネットは、買い物ついでに市を散策している最中だった。いつもなら店の買い物には従業員の誰かを行かせるのだが、今日はこの賑わいを味わいたくて店主自ら買い物に出掛ける事にしたのだ。
「よぉねぇちゃん! このブレスレットどうだい?綺麗な青だろう? そんじょそこらにはない極上の青玉だ! 安くしとくよ」
「そうねぇまた今度にするわ」
「また贔屓になっ」
そんな感じで商人をあしらったり、時に足を止めて、見るだけで楽しめる商品達を覗き込む。従業員達への土産などを見繕いながらこの平和な騒々しさを楽しんでいた。
そんな時だ、前方に何やら人だかりが出来ていた。周りとの違う種類の騒がしさ。何か問題でもあったのだろうか。
仕事柄、事件という言葉に敏感なソネットは職業病とも言える好奇心から人だかりを掻い潜って問題の発生した中心地へと歩を進めた。
「おい、誰か医者呼んだ方がいいんじゃねぇか?」
「やぁねぇ生き倒れ?」
「まだ若いじゃねぇか。可哀相に」
人ごみから聞こえてくる言葉にソネットは嫌な予感がした。嫌な予感というか自分と関わりそうな気鬱な予感である。しかし止まりそうになる足を叱咤して、人だかりを抜けていくと、前方が開けた。
そこには少々薄汚れてはいるものの、まだ若そうな女が俯けになって倒れていた。ソネットからはうなじしか見えないが、その姿形は見知った人物に見えてしょうがなかった。
…引き返そうかしら。
そう思ったその時、問題の少女ががばっと身を起した。
「あっ、みっちゃんだっ」
件の生き倒れ少女が息を吹き返した。きらきらとした目と、ソネットの何とも言えぬ感情がない交ぜになった目とがばっちり合ってしまった。
引き攣りそうな口元を精一杯引き締め、平常心の顔で同僚と相対した。
「お腹すいたよぉ。なんか食べさせて?」
「相変わらずね……エリカ」
同じ蔭の一員であるエリカが鈴蘭の様な笑みを見せた。
シルビア嬢を迎える日がとうとう前日まで迫ってきた。それまでには後宮も一応の平穏を取り戻していた。シルビアへの好奇と嫉妬が渦巻いていようと、それを表だっていう者が少なくなったというだけではあろうが。
「お疲れ様、ベル。少し休憩しましょう」
「ああ、レイディアか。お疲れ様」
レイディアの方も普段通りの日常を送っている。今日も先輩女官からいくらか雑務をいいつかっているから、この後も後宮中を慌ただしく行き来することにはなるが。尤も、シルビアの迎える準備の最終確認は、レイディアが行う訳にはいかないので、代わりに女官長が執り行ってくれるからそれを思えば忙しいうちには入らないだろう。
「ついに明日だな」
ベルの複雑そうな顔を見て少し首を傾げた。
「久しぶりに新しい風が入って良いでしょう?」
ベルはレイディアに手渡された茶を啜って一拍置いてから口を開いた。
「そうは言うがな。お前は知らないだろうが…王はご即位前はそれはご容赦のない方でな、多くの御妃方が陛下の御怒りを買ってはお手打ちにされてたんだぞ」
ベルは声を潜めて躊躇いを見せながらレイディアに耳打ちした。まるで誰かに聞かれたら、自分の首が飛ぶとでも思っている様に。彼はどうやらその激しい気性が、シルビアに向かないか気がかりなようだ。ベルの優しい気遣いに、レイディアは表情を緩めた。
ベルは知らないと思っているようだが――確かに実際に見たわけではないが――そういう事実がかつてあった事は知っている。後宮ではその手の話は禁忌とされてはいるが、噂好きの女官達の口に戸は立てられないという事か、だいたいの事は聞いていた。
「でも今はその様な事はなさっていないでしょう?」
「…そうだな。即位してからはとんとそんな話は聞かなくなったな…。まあ王も御歳二十五になられるし、血気盛んな時代は通り過ぎて落ち着かれたんだろう。でも本当に凄かったんだ。治まった頃に入っていてよかったな、レイディア」
「……そうね」
レイディアはそれだけ返した。
「それじゃもう行くわね」
「もう仕事に戻るのか?レイディアはいつも駆けずり回っているな。同僚の奴はどうした。またお前に頼ってるんじゃないだろうな」
「そんなことないわ。心配しなくても大丈夫。…働くの、好きだもの」
いつもそうやって気遣ってくれるベルにレイディアは微かに苦笑した。
「そうだ、これ」
そう言って裾から可愛らしく色紐で包まれた焼き菓子を取り出した。それをベルに差し出す。
「…お前が?」
反射的に受け取ってベルはレイディアと菓子を交互に見やった。
「いいえ。厨房の子が貴方にって。よく知らないけど、こないだのお礼ですって」
「…ああ、あの時、か?」
ベルは困っている人を放っておけない優しい心根を持つ男だ。その義侠心から年下の者によく好かれている。だからか、友人とも言えるレイディアが、たまにこうして橋渡しをしていたりする。ベルの顔は少し無骨で、表情に豊かさを見せないせいか、憧れはするものの、近寄りがたいらしい。
一度話してみればいいのに。そう思ってもベルに気をもつ娘は遠くで見つめているだけで満足するような子ばかりなのか中々ベルに春が訪れない。
「…まあ、ありがとうな。大事に食べさせてもらうと言っといてくれ」
…他人に対して仏頂面なのは単に緊張しているだけなのに。
苦笑しながら頬を掻くベルに和やかに頷き、仕事の再開に後宮へ戻っていった。
しゅす、とドレスが絨毯を擦る度に立てる音がひどく大きく聞こえる。
ついに、シルビア嬢が後宮入りを果たす当日がやってきた。儀式に相応しい突き抜ける様な青空が祝福するかのように広がっていた。
大きく開かれた観音扉の向こうから一歩一歩ゆっくりと赤い絨毯の道を歩いてくる絶世の美女に皆は恍惚とした眼差しで姫を眺めた。
「―――お初お目もじ仕ります。ノノリズ地方リヴェラ領領主ポルチェット子爵家が一の娘、シルビアにございます」
新しく側妃として後宮に参じた令嬢は、王の間の中央にて、優美な所作で恭しく王に拝礼した。
荘厳な王の間に降り注ぐ陽光がシルビア全体に降り注ぎ、まるで彼女自身が光り輝いている様だった。
黄金を糸に引きのばした様な髪は目映いばかりに煌めき、その髪に覆われた肌は白くきめ細かい。花びらの形をした唇から紡がれる声は、蜜の様に甘い。氷蒼の瞳は湖の様に瑞々しく湛えられ、たおやかな体躯の彼女を春風の様な印象を与えた。身に纏う、繊細な刺繍の施された絹のドレスも、一流の細工師達がこしらえた珠玉の宝飾品達も、彼女の美貌の前には引き立て役にしかならなかった。
居並ぶ臣下は感嘆の溜息をついた。そして誰もが納得した。
これほどの美姫を王が気にいらぬはずはなく、さんざん渋っていた輿入れを承諾したのも頷ける。王はこの美貌を愛したのだろうと。
皇后でもないのに、このように大掛かりな儀式を執り行うことはあまり例にない。側妃にその栄誉を授けるのは王にとって重要な姫君に限られる。ローゼを始めほんの数人にしか与えられていない誉れを、子爵令嬢でしかないシルビアに与えたのだ。
――シルビアを皇后に召し上げるというのもあながち単なる噂という訳でもないかもしれない。
早くも臣下達はシルビアが王の一の寵姫となる事を予想し、シルビアに阿る手立てを模索し始めた。そこここで様々な思惑を含んだ視線のやり取りが水面下で行われる。
「…歓迎しよう。リヴェラの白百合」
遥か高みに泰然と鎮座する王の言葉にシルビアはさらに深々と一礼し、それに続く様に居並ぶ百官も一斉に頭を垂れた。
その圧巻な光景にしかし王は無感動にそれを眺め、それだけ言うと、皆を解散させて、自身も奥に去って行った。
レイディアは後宮の隅にある池の前に佇んでいた。
今頃、王宮では後宮入りの儀式が執り行われていることだろう。レイディアの表向きの身分は女奴隷にすぎないので出席は認められていない。
微かに金管楽器の強く明快な音が耳に響いた。おそらく儀式が滞りなく完了した合図だ。この後、女官達は歓迎の宴の準備に忙しく立ちまわる事になる。三日三晩続く盛大な宴だ。その裏方に当然レイディア達女奴隷も駆り出される。また、宴の招待客もそれぞれ衣装替えに慌ただしくなるだろう。国内の貴族は元より、近隣諸国からも多数参加している。貴人達の衣装の世話も一部は後宮の女官、女奴隷の仕事だ。今から目の回る様な忙しさが容易に想像できる。
しかし今は、池の静謐な空気に包まれていたかった。ほんの瞬きの間だけでも。
「まずは…一石」
レイディアは指の先を池に浸した。
すると滑る様に泳いでいた鯉達が口づけする様にレイディアの指先をそっと突いた。まるで気遣う様に。
その様子にレイディアはほんの少しだけ、口端を吊り上げた。