第十三話 新しい側妃様の噂
「お初お目もじ仕ります。ノアリズ地方リヴェラ領領主ポルチェット子爵家が一の娘、シルビアにございます」
新しく側妃として後宮に参じた黄金の令嬢は、天井高い謁見の間で臣下の居並ぶ様々な視線の中、優美な所作で王に拝謁した。
「…歓迎しよう。リヴェラの白百合」
王は無表情とも言える態度で己が側妃を迎えた。
――――時は遡って一月前。
ベリーヤを制圧してから少し経った頃、後宮に、一石が投じられた。
新しく側妃が後宮へやってくるという報せである。
後宮一同が集められた広間にて、何事かと女官長からもたらされたその報せを受けた側妃を始めとする女達は戸惑いを隠せなかった。
王は即位前には多くの側妃を迎え入れていたが、即位後はぱったりと無くなってしまった。元々自発的なものではなく、周りの薦められるままに受け入れていたものだが、即位してからは何故かどれだけ周りの重鎮たちが強く薦めても、のらりくらりとかわして妃を娶る事は無かった。
それが、即位五年目にして王はついに一人の妃を迎え入れる事に同意したのだ。驚くなという方が無理な話だ。
「へ…陛下が…妃を迎えるですって?」
ローゼは扇を取り落とした。慌てて傍の侍女が拾って差し出すも、彼女の目には入らなかった。
「左様でございます。これはもう決定事項でございますので、これより一月後に迎える準備を始めます」
「で…でもこれまで誰も迎えなかったじゃない!それを今更…」
簡潔に要件だけを話して進めていこうとするフォーリーを遮る様に叫んだのは秋妃の一人、ソラーナである。
「何か問題でも?」
「問題って…それは」
「これは議会の、ひいては王の決定でございますよ。側妃様方といえど異論を挟む余地はございません」
変わらぬ優しげな表情ながらも譲らない姿勢で話す彼女にソラーナは唇を噛み締める。
他の妃達もけたたましくフォーリーに捲し立てるも女傑と名高い女官長はその態度を崩す事はなく、一礼をして下がって行った。
「ローゼ様…」
「きっと王の気まぐれですわ。それに与えられる位も秋だというではありませぬか。ローゼ様への御寵愛が薄れる事はございませんわ」
「そうですわ。聞けばたかが子爵家。それも当主の奥方は商人の出だとか」
「まぁ、財産目当てかしら。もしかしたらポルチェット子爵が王に取り入ったのかもしれませんわね」
「底が知れますわね」
口々に女官や侍女達が慰めたり新しい側妃を蔑む。しかしローゼはそんなもの聞いてなかった。
位など身分など問題ではない。王が、妃を迎えるという事が重要なのだ。
この間、王がまたもや戦を始めた。そして帰って来て間もなくこの報せが入った。普通後宮入りともなれば最低三月前は間を開ける。それが一月後という短さ。つまり後宮入りは戦の前には内定していたのだ。そしてその支度はすでに済んでいるとみていいだろう。そう言えばこの間、いつの間にか宮の人員が少し変わっていた。
この手際の良さ、きっと女官長自らが支度の指揮を執ったのだろう。普通は上級女官が数人で手分けして行うものだというのに。
もしや…その女が王の想い人…?
新しく入る女を何処で知ったのかは知らないが、王が後宮入りを認めたのである。それも信任厚い女官長の手ずから準備にあたらせるほどの。即位してからというもの、一人の側妃も迎えなかった王を見て、皆は今いる後宮の側妃の誰かを皇后に召し上げる気なのではないかと噂しあった。とすれば王の子を誰よりも早く産めばその位が手に入るのではないかと考え、いっそう王の寵愛の奪い合いが激化した。
しかし、それを覆しての後宮入りである。これはただの後宮入りではない。これまで拒んできた後宮入りを王が認めたという重要な事項が根底にあるのである。臣下も注目するであろう。下手をすればいづれは皇后として召すつもりなのではと。
どれほどの女なのか…
「…ダリア」
パチンと扇を閉じ、自分の腹心である侍女を呼ぶ。すぐ側に控えていた彼女はスッとローゼの御前で跪いた。
「シルビアという女について出来るだけ情報を集めてきなさい」
恭しくダリアは頭を下げた。
ローゼは詳細を調べようと、手駒を動かし始めた。
レイディアはその様子を女官らより後ろで静かに控えながらずっと見ていた。
ローゼがどれだけ調べようとシルビアは文句のつけようもない立派な淑女なのはレイディアが調べ済みだ。実際皇后に立っても立派に務めを果たすだろうと判断したのは彼女なのだから。
今現在、後宮中の女達が集ったこの広間はもの凄い騒ぎである。フォーリーが退出した後なのでもう各自下がってもいいのだが、興奮冷めやらぬのか側妃達は部屋に戻ろうとせずそれぞれの意見を交換しあい、それに追随する侍女女官達も同様だ。シルビアという名の令嬢について多少なりとも知っているらしい女官達が話題の中心となって得意顔で情報を披露している。
「はぁ~すごい…ねぇレイディア、シルビア様ってどんな方かしらね」
同僚である女奴隷が唯一騒ぎに参加していないレイディアに話しかけた。
「…さあ、よく知らないわ」
「…レイディアってこういうのにホント興味無いよねぇ」
「噂ではリヴェラの白百合とあだ名される程、地元で評判な美しい方だそうよ」
「そうそう、それでとても教養高い方だとか」
「楽の名手とも聞いたわ」
「きっとそんな噂を聞きつけて王がお気に召したのよっ」
「ポルチェット子爵が取り入ったって聞いたけど?」
「あちらの方は特に取り柄のない地方だから王に気に入られて領土を豊かにしたいのだとか」
あっという間にレイディアの周りで情報交換という名の捲し立てが始まった。王の寵愛など関係のない女奴隷達にとってはそれが真実だろうが否だろうが関係ない。自分達の恰好の娯楽なのだ。誰が一番の寵姫か、噂しあって喜んでいる。此度シルビアが加わる事でいっそう盛り上がりを見せるだろう。
逆に妃達には笑い事ではない。新しく来る側妃と自分を比べて何処が自分より劣るかを荒探しに必死だ。自分より王に愛される理由を潰して安心したいのだろう。
「………」
そんな様子を見るともなしに眺める。誰も彼もが王に振りまわされている。あの人の考えを読もうとしても無駄なのに。そんな事をぽつりと思う。
「あ…そういえば」
レイディアが何か思い出して思わずつぶやくが周りはレイディアの事など注視していない。
「何よっシルビア様はこの国じゃ珍しい金髪でいらっしゃるのよ!」
「だから何よ! 金髪な女なんていくらでもいるじゃない! ローゼ様の薔薇色の方が高貴で素敵じゃない!」
「唯の金じゃないもの! お・う・ご・ん! なんだから!」
「実際見た事無い癖に自慢げに言わないでちょうだいっ」
議論はますます熱を帯びてきた。しかも変な方向に流れつつある。
これ以上騒ぎが続くと侍官が場の平定にかりだされるだろう。なので放っといても大丈夫だろう。
レイディアはそっとその場を辞そうとした。
「レイディア様」
と、その時、レイディアのすぐ脇から彼女を呼ぶ声がかけられた。
「…クレア。帰っていたの」
「はい。ついさっき帰ってまいりました」
ふわりと微笑んでレイディアに抱きついてきたのは十くらいの後宮の女官見習いのお仕着せを着た少女だった。
後宮は妃、侍女、女官、そして女奴隷で構成されているが、もう一つ、女官見習いというものがある。見習いは六歳から十三歳までの少女で構成されており、女奴隷や侍女女官達の仕事を実地で学ぶのである。見習いという立場上、正式な後宮の構成員として括られてはいないが、将来女官となって後宮を支える立場を約束されている。実際、最初から女官として上がる者よりも、見習いからじっくりと研修を積んできた少女達は実力派として上級女官となり、後宮で実権を握る事が多い。
目の前の少女はそんな見習いのお仕着せを着て、橙の幅のある髪紐で髪を括っている。
「だめよ、ここでそんな事をしては」
「大丈夫ですよ。皆新しい秋妃様の事で頭が一杯なんですから」
すりすりと擦り寄る仕草が甘えん坊の仔猫の様でとても可愛い。レイディアによく懐き、慕ってくる彼女にはレイディアもつい甘やかしてしまいがちだ。
「仕方ないですね…でもこれからあの人のところへ行かなければならないから、」
離してください。と言う前にクレアが顔を上げた。
「じゃあ一緒に行きましょう。僕もあの人に報告しに行かなきゃいけないんで」
あの人とはこの国の王のギルベルトである。
「…報告もしないでこっちに来てしまったの?」
「怒らないでください。真っ先にレイディア様にお会いしたかったんです」
クレアは悪びれなく笑い、溜息をついて仕方ないというふうなレイディアの腕を引いて騒ぎが未だ収まらない広間を出ていった。
シルビアが後宮へ輿入れする事が公になった現在からはすでに、ベリーヤとの戦から一月、“鷹爪”の彼らといざこざがあってからはさらに三月が経っていた。
そう、王はベリーヤと戦を起こしたのだ。そして王は僅か二月でベリーヤを制した。それも殆ど血を流さずに。
王はベリーヤが王城襲撃に関わっていると判明してから、すぐに王は動き出していた。
まず、ベリーヤに入る物資を密かに制限しだした。
ベリーヤは傭兵国家であった。その昔、ある国で多大な功績を残した傭兵が拝領した土地に建てた国で、そんな経緯からその国において傭兵の地位は高く、国民の男子は殆どが従軍経験を持つ。諸国では一般的に女性が武器を持つ事を忌まれている中、女子までも男に交じって何かしらの武技を身に付ける風習があるというのだからその徹底ぶりが伺える。小国ながらも国民の一人一人が屈強な兵として動かせるその国を、各国は陰で蛮国と嘲るも恐れてもいた。ギルベルトもその勇猛ぶりは当然知っていたので正面きって戦うのは避けることにした。強さこそ正義を国風とするその国と戦う事は長期戦は必至。粘り強い抵抗にあい、泥沼戦になるだろう。たとえ勝ちを得たとしてもバルデロの被害は多大なものになると予想したからだ。
そこで、物資を制限して国民の不満や不安がじわじわ現れ出した頃、こんな噂を流した。曰く、
「国が困窮しているのはベリーヤの上層部は物資を独占しているからだ」と。
元より、国政が安定していなかった。何の証拠も無い虚言ではあったが似たような不正はあったに違いない。そんな時期であったことも幸いして、その噂は瞬く間に信憑性を伴って広まった。
何度も言うが、ベリーヤは傭兵国家である。農耕に従事する人間は少なく、食糧の殆どは他国に依存していた。それもあって早々と国民は困窮し、王家への不満を募らせている時にバルデロ軍との戦闘を強いられた。唯でさえ国内が不安定な今、ベリーヤの街は悉く落とされて、ついに首都の門の前までバルデロ軍は到達した。しかし、攻めこむ気配を見せず、籠城したベリーヤの民達が訝しんだ頃、バルデロ軍から使者が現れてこう言った。
「城門を開き、ベリーヤ王を差し出せば民の命は保証し、食糧を提供しよう」と。
バルデロ国は多くの国を蹂躙しているが、他国と違って略奪行為を慎ませる国でも有名だったのでその言葉は信用できるものだった。実際落としてきた街での被害は少なかったためバルデロへの怨嗟の声は小さい。
効果は覿面だった。
この策によって、ベリーヤの民を立ち上がらせ、民自身に王家を攻めさせる事が出来た。そして、王を始めとする、王家の直系血筋の三代までの者達のみの犠牲で済んだ。ついでに言えばベリーヤの兵を傷付ける事無く、バルデロの傘下に収まった事で、バルデロはそっくりそのままベリーヤの兵力を手に入れた事になる。傭兵国家の国であるベリーヤの戦力は一兵で他国の兵の五人分と謳われる程で、この一件で、それを殆ど損なわずに手にしたバルデロの軍事力はますます強まり、暴虐の印象が強かったギルベルト王を見る目が変わった。
今、レイディアの目の前にいる人物こそがそれを成し遂げた人物なのであるが…。
「…いい加減そこからどけ」
ギルベルトは青筋を浮かべてレイディアを、正確にはその膝に纏わりついているクレアを睨みつけている。
「何故ですか? レイディア様、僕邪魔でしょうか…?」
お仕着せを来た少女がレイディアを無邪気な顔で見上げた。
「…いいえ」
「ほら、レイディア様もこう言ってますよ」
「……このクソガキ」
「レイディア様ぁ、陛下がいじめます…」
「陛下、クレアは帰って来たばかりなんですよ。まだ小さいのですから…」
「だからなんだ?これが寂しがるようなたまか」
ギルベルトが何をそんなに怒っているのか分からない。しかし前からこの二人はどうにも折り合いが悪いようなので仕方ないのかもしれない。ともあれこれ以上は手がつけられなくなりそうなのでさっさと本題に入る事にした。
「先程、女官長が後宮の皆にシルビア様の件をお伝えしました」
「みぃんなあり得ないって顔して。嫉妬に歪んだ顔って面白いですよね」
きゃははと笑う少女の頭にポンと優しく手を置いた。
「こら、そういうんじゃありませんよ」
「はぁい」
へへ、と甘えるように擦り寄るクレアにレイディアは苦笑して頭を撫でてやった。
下を向いているため勝ち誇った表情のクレアと忌々しい顔をしたギルベルトが火花を散らしているのに気付かない。
「ふん。で、女共は姦しく騒ぐだけでなく何か起こしそうか」
「いえ、今のところは様子見といったところでしょうか。シルビア様の資質を見極めようとしているだけだと。彼女の性情が後宮に知れ渡れば…分かりませんので楽観は出来ませんが」
レイディアが選び抜いた令嬢だ。後宮において側妃達の脅威になりかねない。妃の懸念は王の寵愛に尽きる。恐怖にかられた彼女達からシルビアを守らねばならない。
「後宮の女共がどう動こうが大した事にはなるまい。後宮の事はお前に一任していることだしな」
「…」
「当然ですよ。レイディア様自らがシルビア嬢の宮に移られるんだもの。滅多な事は起きないですよ」
「クレアにも期待していますよ」
「任せて下さいっ」
クレアはレイディアの信頼を嬉しく思い、誇らしげに笑ってみせた。
「それでは、仕事がございますので、失礼します」
その言葉にギルベルトがぴくりと眉を動かした。
「……誰かに会うのか? 男か?」
「ええ。ダイダス大将軍のところへ」
さらりと答えてレイディアは軽く一礼するとクレアを残して執務室を出ていった。
その瞬間、ギルベルトとクレアの間に銀色の陰が行きかった。
「あっぶねぇなっ俺の綺麗な顔に傷が付いたらどうしてくれんだよ」
声音はそのままだが口調ががらりと変わった言葉がクレアから発せられた。
「ああ、目障りな虫が不快でついな」
「気をつけてくれよ。俺は後宮の女官見習いなんだぜ?後宮は顔が命なわけよ」
ふてぶてしい目を王に向けて、むき出しの剣をくるくる回し、容赦なく投げつけてきたギルベルトにぽいっと返す。
「クレア…王に対してその態度は何だ。いつもいつも言っているだろう」
声が天井からクレアを叱責するも、クレアはどこ吹く風だ。
「俺は蔭は蔭でもレイディア様直属でいるつもりなんでね、長。レイディア様の命が第一だ」
「任務で長い事レイディア様から離されたからといってそうむくれるな」
「むくれてなんかねぇよ。俺ばっか遠くに行かされんのが気にいらねぇだけだ」
それをむくれると言うが、いかんせんまだ幼い歳といえるクレアには通じない。
「ま、今回は後宮勤めだし、暫くはレイディア様とずっといられるからいいけどよ」
お仕着せの服の裾を引っ張って見せる。
「…今度はイーア地方にでも行くか?」
仕事に戻っていた王はクレアの方を見もせずに言った。
「思いっきり西の端っこじゃねぇかっ! 冗談じゃねぇ!」
「嫌ならづべこべ言わずにきりきり働け」
「っ分かったよ。きっちり任務は果たす」
口調は変わらなかったが真剣みが加わったのを見て、王は紙から目を離さず軽く頷いた。なんだかんだ言いつつも蔭には任務に関して手を抜く奴などいない。
「レイディア様が決められた令嬢なんだ。ちゃんと守るさ」
クレアは自分の用である報告を済ませ、さっさと執務室を出ていった。
一体誰が知ろうか。この後宮入りは誰もが王がその令嬢を気に入ったからだとか、気まぐれだと思っているが、実際のところは王はシルビアなどに興味も無いし、後宮入りしてからすぐに死んでは困るがその死で心が動かされる事はない。あくまで政略の一環のために娶るに過ぎない。レイディアが手ずから調べ、認めたからこそ後宮入りを認めたのだ。ギルベルトにしたらシルビアの価値などその程度である。
そのシルビアにレイディアはとても気を遣っている。与える宮、勤める女官、奴隷、侍官達を彼女に合わせて入れ替えた。さらにレイディア自身もその宮に移るという厚遇ぶりである。
〈きっとお気に召しますよ〉
シルビアの後宮入りが決まった後、レイディアがぽつりと言った事を思い出した。
ギルベルトは少し気分を害した。まるでシルビアを寵愛する事を示唆する様に聞こえたからだ。
ギルベルトは、レイディア一人がいればそれで満足なのである。逆に言えばレイディアでないなら他の女がどれだけ多くいようとギルベルトは満たされる事はない。
それを知ってか知らずか、レイディアは自身を遠ざけようとするかのように、ある時後宮に迎えるに足る令嬢を調べだした。
そしてギルベルトの指令に待ってましたと言わんばかりにシルビアの調書を差し出したのだ。
声にも聞こえない程、彼は小さく呟いた。
「…好きにすればいい。だが、いつか必ずお前は俺に請うだろう」
ぎりぎりまでレイディアが逃げ続けるのをギルベルトは傍観しているつもりだ。彼女が耐えられなくなるその時まで。
額を覆う手で彼の表情は、見えなかった。