王都と叫び声
ディランがガーネット家の領都に訪れてからすでに一年の月日が経過していた。その間、ほぼ毎日リアやマイルとの鍛錬を行っていたディランは、人間に直せば十二歳に相当する六歳にして筋肉質で精悍な顔付きをした美男子に育っていた。身長は一年間で五十センチも伸び、百六十五センチメートル程度で、紫色の絹のような髪は魔法を発現してから色変わりした青と赤の龍眼オッドアイをよく引き立てている。既にエブレン王国貴族でも上位に入るほど完成されたその美貌は、屋敷にいる侍女のほぼ全てを魅了している、わけではなかった。
絶世の美男子であるディランの隣に常にいる、儚気な雰囲気を纏った銀髪のエルフショタと人気を二分しているのだ。その男の子こそディランの年上の甥であるマイルだ。一年前、ディランと再会したマイルはディランに付き纏うようになり、今ではディランの立派なライバルとなっている。半年前、七歳ながらも大人顔負けの精霊魔法を操っていたその少年は、その非凡な才能を更に開花させると同時に実はハイエルフの先祖返りであることが判明した。その後は伝承に合わせた訓練法を施され、僅か数ヶ月で転生特典を携えたディランとも魔法勝負では互角に渡り合えるようにまでなったのだ。
「リア!!」
大きな屋敷の一角、そこでリアの名を呼んでいる紫髪の美少年がいた。ディランである。
「準備はまだ終わってないのか!?もう高速浮遊艇、出発しちゃうって!」
ディランの声には若干の焦りが混じっており、今にも目の前にある“りあ”と書かれた表札が掛かった部屋に突撃して行きかねないほど、落ち着きがない。
「リアってば!り…」
「もう!ディー!しつこい男は嫌われるんだよ!?」
ディランの執拗な呼びかけに遂に開いた扉から現れたのは、長い金髪を編み込みにした幼い美少女である。ディランやマイルと比べれば見劣りはするものの、十分美少女と形容されるべき容姿を持った少女は、現在腰に手を当て、ディランを叱り付けている。
「で、でも…」
「でもじゃないの!れでぃーには準備があるんだから邪魔はしちゃダメ!」
「でもあと十分で浮遊艇が出るって!リアを呼んで来れなかったらリアだけ置いていくってお兄様が…」
「五分前でも間に合うでしょう!?次からは邪魔しないでね!」
一年前、念願であったエルフ特有の成長期を経験したリア。以前とは比べものにならないほど成長した彼女は、ディランやマイルと比べれば見劣りはするものの、十分美少女と形容されるべき容姿を有しており、ディランの母上型の煽りもあってその美貌を磨くのには余念がなかった。最早同格なのかと錯覚してしまうほど粗暴な言葉遣いでディランと接した彼女は、縮こまってしまっているディランの手を取った。
「ほら、行くわよディラン。」
「はあ…さっきまで五分前でいいとかなんとか言ってたのに急がなくても…うわっ睨まないでよ僕一応リアの主だよね?仕えてるんだよね…?」
リアはそんなディランの呟きは完全に無視し、先を急いでいる。リアの身勝手さには完全に慣れているディランは、小言を言うのを諦め、黙って追従するのであった。
♢
「ふわあああ!すっっっごい!」
仮面を被った子供がはしゃぎ回っている。
「リア!あまり離れるなって!」
その後ろを走って追いかけているのは同じく仮面を付けた紫髪の少年だ。二人は広い貴族街の大通りを、縦横無尽に駆け回っている。本来ならば叱られ、然るべき家に送り返させるであろうこの行為は、今日この日に限ってはそれを咎める事はない。それもそのはず、今日は六百三十二年振りの戴冠式の日なのだ。前回の戴冠時には生まれていなかった貴族達は初めて経験する一大イベントに浮かれて子供達など気にしておらず、長命種で今回が二度目、三度目の戴冠式である貴族達はエブレン王国の平和の象徴である子供達の戯れに温かい目を向けていた。
「ディー!あの装飾すごいよ!」
「リア!止まれって!もうすぐ戴冠式が始まるんだぞ!お父様の晴れ舞台を観に、ん…?」
あっちこっちへと動き回っているリアを捕まえようと追っていたディランは、急にその動きを止めた。リアもその様子に瞬時に気付き、ディランに理由を問う。
「どうしたのディー?」
「シー。今なんか悲鳴が聞こえた気がした。」
「っ!」
リアの顔が急に締まる。彼女はふざけるべき時と真剣になるべき時を理解しているのだ。神龍人であるディランの感覚が何かを拾ったのであれば、それはほぼ確実に正しいことを理解しており、その拾ったものが悲鳴であるというのだからふざけるはずがなかった。
「場所は?貴族街?」
「ああ、しかもこれ、地下だ。」
「そう。で?行くの?」
リアはディランに聞く。これから戴冠式があるのだ。彼女としては行かないで欲しかった。が、同時にディランをよく知っている彼女は自分の願い叶う事はないと理解しており、ディランが答えを発する前にため息を吐いた。
「ハァ…こんな事ならマイルといればよかった…行くなら早くいきましょう。案内は任せたわよ。」
「ごめんって…でも俺ははまだ顔を晒して良い年齢になってないんだ。そしてリアはなってるけど信じてもらうには家格も種族能力も足りない。自分たちで助けにいくしかないだろ?」
返事を言う前に納得されてしまったディランは少し罰が悪そうにそう言った。
「そうね…じゃあ案内は任せたわよ。」
「ああ、リアは道中で風の精霊経由でお兄様にメッセージ送っといて。」
「人使いが荒い…ディーから魔力吸って良いって伝えちゃうからね。」
軽口を叩きながらも精霊魔法を発動するリアにディランは苦笑し、人混みの中を動き始める。
五分後、リアの最大速度に合わせて疾走した二人は、一軒の貴族屋敷の前に来ていた。外見からして全く整備されていない、貴族街の端っこに位置するその屋敷の門の前に立った二人は、これからどうするべきじゃの相談を始める。
「本当にここなの?地下道って言ってたじゃない。」
「地下道の足落ちの反響辿った先がここなんだって。リアはお兄様に場所も伝えて。」
「わかったわよ…あっ、丁度最初の返答が来たわよ。」
リアが何かを指差してそう言う。すると、ディランとリアの耳に聴き慣れた声が響いた。
『ディラン…なんで厄介ごと持ち込んじゃうかなあ…とにかく場所をこっちに伝える事。俺から憲兵に連絡しておく。絶対に動くなよ?見知らぬ者の叫びよりお前のが大事だ。以上。』
声はそこで途切れ、リアがとびっきりの笑顔でディランに迫る、
「ほらケルビンおじさまもこう言ってるんだし場所伝えて戻りましょう?戴冠式よ戴冠式!」
「それもそう…『大人しくしろ!』っ!」
リアの言葉に納得しかけていたディランの耳に、打撃音と男の野太い怒声が届いた。流石に今回の声はリアにも聞こえていたらしく、深い溜息を吐くと共にやれやれと言った様子で首を振った。
「リア、行くよ。」
「わかりましたよマイマスター…」
半ば自棄になり、言葉遣いがおかしくなったリア。しかしディランはその様子を気にすることもなくなく、屋敷の門を一気に飛び越えた。
「全くディーは…初めて二人で来れたお祭りだって言うのに…」
ブツブツと恨み言を溢しながらも、リアも追従するのであった。