帰郷
「…という訳で陛下、此方がディランの書き上げた攻略白書になります。」
ボラスは目の前に座っている四十代後半程に見える壮年恰幅の良い男性に書類を手渡す。部屋には二人の他にはだれもおらず、聞こえる音は男が紙をめくる音だけだ。どれほどの時間が経ったであろうか、男は十度以上も書類に目を通すと、小さく呟いた。
「本当に、本当にこのダンジョンを儂が攻略すればエルリックは戻ってくるんだな…?」
男は若干声を震わせている。ボラスはそんな男の様子を見て、首を横に振る。
「いえ。確実に、とは言えないそうです。ディラン曰く、最初に触れた者が最も願う事を叶えてくれる薬、という事ですが…なにぶん今回のような事態は初めての事例です。断言する事は不可能かと。」
「だが、可能性はあるんだな?」
「はい。」
「ならば行くぞ。遠征の準備だ。あの大陸の大陸樹があるのはアムリタ帝国だったな?連絡を取れ!」
「お待ち下さい!」
ボラスは大慌てで急激に決断を下してしまった陛下を宥めようと試みる。本来ならば不敬となるような態度でも、宰相として、幼馴染としてとボラスは自分を奮い立たせる。
「まずはこの白書に従った攻略を冒険者に行わせた後に行うべきです!そして、陛下!貴方が行ってもしものことがあったらどうするんですか!私が面談を行いますので他に殿下のお戻りを心の底から望んでいる者を探しましょう!」
鎮痛な沈黙が訪れ、場を支配する。国王はボラスを睨みつけており、ボラスもまた負けじと睨みつけている。その状況が変わることなく、十分が経過した頃、折れたのは国王であった。
「…わかった。一年だ。一年以内に調査と準備を終わらせろ。」
「!」
「ただし!行くのは儂だ。」
「陛下!」
「一年後、カイルに王位を明け渡す。さすれば儂は自由だろ?」
「しかし陛下!それは…!」
「なあボラスよ。御主とベイカーと共に大陸統一を成し遂げてから既に二百年の時が経過している。そろそろ世代交代の時だとは思わないか?」
「それは…その通りですが…」
「御主の息子が言っておったのだろう?世界を前に進めるために転生者は送り込まれた、と。これから確実に時代は動く。その変革が終わった時、中心にいるのは転生者か?それともこの世界で生まれた者か?俺はな、後者であった欲しいんだよ。その為に老骨は身を退け、新たの世代のために裏で動くべきだ。世が動いてから王を変えては遅い。変わる前、直前きの今だからこそ、変わるべきなんだ。」
「陛下…!…わかりました。ではそのように進めさせて頂きます。ですがカイル王太子の説得は陛下が行ってくださいね?」
「なんだと!無理だ!あいつに約束満了前に冒険者を辞めさせるなど…!ボラス!?おい不敬だぞ!勝手に退出をするなぁぁぁ!」
ボラスは縋り付く国王を背に、部屋を後にする。しかしそれは決して王に忠誠を誓っていないからではない。彼は単に幼馴染に涙を見せたくなかったのだ。もう一人の幼馴染と三人で先代の暴虐王から王位を簒奪してから六百年余り、そして大陸を統一してから二百年。遂に自分たちの時代が終わりを迎えるのだ。百年後には三人で笑いながら旅でもできたら、と妄想しながら、ボラスは王の執務室を後にするのであった。
♢
ボラスとディランの会話から五日、ディランの体は今飛行中の浮遊艇の中の質素なリビングにあった。周囲にはボラスとエレンの他に三人の女性がおり、ディランはその全員に猫可愛がりされている。ディランを膝の上に乗せているのは溢れんばかりの母性を振りまいている桃色の髪の女神、ボラスの側室の一人のムランだ。ほっぺで遊んでいるのは気の強そうな金髪の西洋風美人、同じくボラスの側室の一人のライラである。そしてディランの手を握っているのは金髪の美幼女リアさんだ。
かれこれ一時間以上可愛がられているディランはボラスに救援信号の睨みを送っているが、目線が合わない。口元を観察すると“すまん”の言葉を象っている。情けない父の様子に諦めたディランは、リアに助けて貰うことにした。
「ね、リア。お部屋でお勉強教えて」
急に頼まれたリアはにやける口元を隠しながら、少し欲を掻く事にした。
「うーん、どうしよっかなあディーが今晩添い寝していいって言うなら考えよっかなあー?」
「ええ…」
知り合ってから一週間、リアはディランに常にベッタリとくっついていた。エルダーエルフであるリアは成長が遅く、成人するまでは人間の倍以上の時間がかかるのだ。その弊害で、リアは八歳には似つかわしくない容姿から常に同年代から年下のように扱われてきた。故に姉のように頼ってくれるディランが愛おしくて仕方がないのだ。
「わかった…じゃあ今日はリアと寝るよ。だからお勉強に行こう?」
「うん!」
そうして二人は自室に戻っていくのであった。残された大人たちはどこか名残惜しそうにしながらも、久しぶりの余人での会話の時間を楽しむ事にする。
「ディランちゃんは可愛すぎるわね…エレンは本当によくやったわ!」
頬を押さえてうっとりとしながらそう宣うのはライラ。そんなライラの言にムランは頷く。
「本当に可愛すぎる。三十年以上の経験を追体験したとは思えない程子供。これからも私は溺愛する。」
ふんす、と鼻を鳴らすムラン。ボラスの三人の妻の中でいまだに一人だけ子供が生まれていない彼女は、子供が生まれるたびに溺愛する癖があった。結果、ディランの二人の兄と姉は彼女を苦手としているのだが。
「お前らは…しつこすぎる嫌われるぞ?っ!いやディランがお前らを嫌うはずがないな!なんでもないなんでもない」
発言の途中で三対のジト目を向けられたボラスは前言をいとも簡単に翻す。男は逆立ちしても女性に勝てない生き物なのだ。
そうして四人は会話に耽っていくのであった。
♢
約三日間の浮遊艇の旅を終えたディランは、豪華絢爛な馬車に揺られていた。貴族の子であるディランは九歳になるまで家族と家臣意外に顔を晒すことが許されていないので、浮遊艇の中で馬車に乗り込み、かれこれ二時間以上乗車していた。
「リアー後どれぐらいで着くと思うー?」
ディランは唯一の同乗者であるリアに声をかけた。
「うーんわからないけどそろそろじゃない?流石にこれ以上かかるならもっと近くに船を降す場所つくってるよ。」
「それもそうだね…ってちょうど止まったじゃん!やった解放される!」
狭い空間に閉じ込められ、ストレスが爆発しかけていたディランは馬車の扉が開くのを今か今かと待つ。そして、やがてその時はきた。ゆっくりと開く扉。ディランはだらしのない姿を見せるわけにはいかないので、佇まいを正した。しかし、聞こえてきたのはお付きの騎士の声ではなかった。
「ディラン!久しぶりだなあ!」
「ケルビンお兄様!」
扉を開けた人物を視認すると、その者のディランは胸に飛び込んだ。
「おお!大きくなったなあ!いろいろ大変だったんだって?お前がいなくならなくて本当によかったよ。本当に…」
ケルビンは胸に飛び込んできたディランの存在を確かめるように抱きしめる。彼にとって、ディランは最愛の弟であり、息子であり、庇護対象であった。そんな最愛の家族が意識を乗っ取られかけた、と連絡された時は、領地を飛び出そうと試みた程、ケルビンはディランを溺愛している。
「はいケルビンお兄様!一年前からもう三十センチも伸びたんですよ!」
ディランはどこか誇らしげだ。十歳で成長が止まる龍人種にしては些か身長が低いのが四歳のディランの悩みであったのだ。それが一年で一気に伸び、大好きな兄に褒められたのだから浮かれるのは当然であった。
「そうかそうか!よーし!じゃあ家のほうに行くか!マイルもお前と会いたがってたぞ!」
「マイル!また冒険ごっこやりたい…!」
マイル、とはディランの甥っ子にあたる人物だ。まだ六歳と幼く、一年前ケルビンが王都に滞在していた頃はディランとよく遊んでいた少年である。
「じゃあ降すぞーほらよし良い子だ!一緒に邸宅まで行こうなー!」
「あ、あの!」
置いてけぼりにされていたリアが声を上げた。ケルビンは突然馬車の中から現れたリアに値踏みするような視線を向ける。
「ふむ。君は誰だね?」
「リ、リア・メイヴィルです。ディランと一緒に過ごさせていただいています。」
「ほお、メイヴィル騎士の娘か。して、用件は?」
「一緒に連れて行っていただけると…ひっ!」
ケルビンから急に覇気に似た何かを向けられたリアは怯えてしまう。ディランはそんなケルビンを宥める。
「ケルビンお兄様!リアは大事な友達です!威嚇はダメですよ!」
愛しのディランに注意されたケルビンは慌てて威圧を解除する。
「ご、ごめん!侍女が並んで歩こうとしてるのかとかと思ったんだよ!ディラン、ごめんな?」
「お兄様が謝るべきは僕じゃなくてリアだよ。」
「ぐぬぬ…わ、わかったよ。おい、そこのリアとやら。ディランの友人とは知らず、威圧してしまいすまなかった。」
「は、はい。」
ケルビンは心底嫌そうに謝る。彼は自覚していないが、リアに向けている敵対感情は嫉妬からくるものである。常に行動を共にしている侍女かと思いきや、友達だと言うのだ。ディランを溺愛しているケルビンには羨ましい限りの環境であった。
「はい!これでおしまい!じゃあリアも一緒に行こうね!」
ディランはぱんっ、と手を叩くと、リアの手を引いて歩き出した。今度は置いていかれたのはケルビンだ。彼は慌てて二人の後を追いかけた。