少年の出会いと父親の憂い
「ヤァ!ハッ!」
綺麗に整えられた芝生の上で刀のようにも見える金属の棒を上下に何度も振る少年。遠目で見れば一見洗練された動きにも見えるが、よく観察すればかなりぎこちない事が伺える。しかし、三時間以上振り続けていることを考えれば、五歳児のか細い腕がまだ頭上に上がっている事だけでも驚嘆に値するだろう。事実、その少年の周囲には制服姿の男女が数人集まっており、心配そうな表情で少年を見つめている。
「ハッ!ふぅぅ〜」
限界を迎えたのか、鉄棒を手放し、芝生に座り込む少年。
「もう体が動かないや…あー楽しいなあ?でもこれじゃあ全然足りない。お父様とお母様が安心して僕を送り出せるようにしなきゃね…この大陸だけでも龍山、精霊の里、大陸樹のダンジョン、霊峰…ふふっ…絶対に全部見てやる…そしていつか他の大陸も…せい、は…」
少年は言葉の途中で夢の世界へと旅立ってしまう。辛うじて起こしていた上半身は鈍い音を立てて地面を打つ。
「「「あっ!」」」
周囲で小さな主君の鍛錬を見守っていた大人達は一斉に情けない声を漏らし、動き出した。
「「坊ちゃん!」」
急いで駆け寄る使用人達。そんな彼らを抜き去り、真先にディランに到達したのディランはディランよりも体躯の小さい、エルフの幼女だ。そしてそのエルフの幼女は、ディランを肩に担ぐとそのまま屋敷へと駆け込んでいってしまう
今までそのエルフの幼女を見たことがない使用人達は一瞬呆けたのち、大慌てで屋敷に向かった。幼女がディランを狙った賊の可能性もある。そうして屋敷に雪崩れ込む十人弱の使用人軍団であったが、当然エントランスで止められる。
『執事長!通してください!坊ちゃんが!』
群勢に詰め寄られた初老の執事長は首を横に振る。この仕草を見た慌てふためいている連中は一瞬で静かになった。彼らにとって執事長、メイド長は絶対の存在なのだ。与えられた条件を無条件で信じるように調教されている。
「ディラン坊ちゃんは大丈夫ですよ。先程お見えになられたのは騎士爵の家の子です。旦那様が坊ちゃんの遊び相手兼従者に、とお呼びなられたんですよ。」
そう説明されてしまえば使用人達は引き下がるしかない。爵位持ち、及びその親族とは平民である使用人達にとって絶対の存在なのである。相手がそのような存在で、更に仕えている家の当主が許可を出したのであれば異を唱える事はできない。こうしてこの小さな騒動は収まりを見せるのであった。
♢
「あぁ…ん…ぁっ……」
綺麗な紫色の髪を短く刈り上げている少年が眠るベッドの上で、艶のある声を上げているのは金髪の幼女だ。彼女は少年の横に添い寝をしており、一見寝ているようにも見える。
「ぁん!ひゃっ!」
そして響き渡る一際大きな喘ぎ声。さすがにこの音は寝過ごせなかったのか、少年がパチリと目を覚ました。キョロキョロと周囲を見渡す少年。やがて、自分の右隣で寝ている幼女と目が合う。
「うわっ!」
少年は情けない声を上げてベッドから転げ落ちる。そして床の上を後退りながら、幼女に素性を尋ねた。
「だ、だれ!?」
「…リア・メイヴィルです。ディラン様に全てを捧げに来た、です。八歳です。どうか優しくして、です。」
聞かれた少女はベッドの上で正座し、綺麗なお辞儀をする。ディランは思わずその仕草に見惚れるも、すぐに首を横に振る。
「ど、どういうこと!?」
「…ガーネット侯爵家に仕える騎士爵家のものだ、です。行くところがないので仕えさせて、です。」
「あっ。」
ディランはそこまで聞いて数日前の母親との会話を思い出す。遊び相手兼模擬戦相手兼従者を付ける、と言われていたのだ。
「思い出した…わかった。よろしくね?リア、さん?」
「…リア、です。」
「わかった。じゃあリア。よろしく。」
「よろしく、です。」
「その…ですって付けなくていいよ?」
「いいの!?あっ…」
無理やりな敬語をやめるように言われ、思わず喜びの声を上げたリアであったが、すぐに口を塞いだ。ですを付けるな、と言われただけで敬語をやめていい、とは言われていないのだ。
「タメ口でいいよ。これから一緒に過ごすんでしょ?なら固いのはいらない。どうせ僕はいつか冒険者になるんだしね。」
「わかった!ありがとうねディー!」
「ははっ、どういたしまして。よろしくね、リア。」
タメ口を通り越して愛称で自分を呼ぶ年上の幼女に苦笑いを浮かべるディラン。しかし、これまで気さくに話せる同年代の者がいなかったので、内心では喜んでいたのであった。
♢
「それでお父様、どうなさったんですか?」
リアとの出会いから五日、ディランはボラスの執務室に呼びつけられた。ここ数日間顔を合わせていなかった父親との対面にディランは期待を隠し切れていない。鍛錬やリアとの出会いに対する感謝、ディランには父親と語りたい事がたくさんあるのだ。しかし、浮かれているディランと違い、ボラスは苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべている。
「うむ…その、な。第四王子がダメだったのだ…」
「ダメだった、とは?」
捻り出すかのようにか細い声で呟いた父親にディランが首を傾げる。
「前世に意識を乗っ取られていた…」
「っ!」
父親の発言にディランは顔を痙攣らせる。実はディラン、全ての転生者が自分のように己を保っていられるのかもしれない、と言う淡い期待を抱いていたのだ。その考えが甘かった事を知り、その幼い顔が苦痛に顔が歪む。
「…そう、ですか。第四王子殿下は今どのような状態に?」
「幽閉されている…」
「幽閉!?いくら中身が別人になってしまったとはいえ厳しいんじゃ」
「いや、これはしょうがなかったのだ…」
「なぜ、とお聞きしても…?」
ボラスは息子の問いに小さく溜息を吐く。
「殿下の前世が選んだ加護スキルの中には魅了Ⅹ、詐欺術Ⅹがあった…彼は加護の儀の後、城の侍女に無作為に声がけをしていたそうだ…」
「…」
声が出ない、といった様子のディラン。真司の記憶によれば、魅了とはNPCの好感度上昇率に影響するスキルで、詐欺術とはNPCの知能低下を起こすスキルであったはずだ。第三王子の中の者が明らかに良からぬことを考えていた事が窺える。
「その、城の者は…」
「ああ、それは大丈夫だ。城で働く侍女ともなれば全員が魅了スキル、しかもサキュバスやインキュバス族のものに対する完全耐性を獲得させられている。被害は皆無だったそうだ。」
「そうですか…」
「だが、陛下は乱れている。人格を取り戻せる方法を探し回るそうだ。それまでは第四王子に魔封じの腕輪を付け、幽閉すると決められた…そこでダメ元なんだがお前は何か心当たりはあるか?」
期待を若干込めた眼差しで最愛の父親に見つめられたディランは葛藤する。真司の知識の中にないことはないのだ。だが、手に入れるためのリスクが高すぎる上に確信は一切持てない手法である。故に覚悟を問うてみることにした。
「その、お父様。」
「なんだ?」
「もし僕がその殿下のようになっていたとしたらどこまで手を尽くされましたか?」
「愚問だな。命ぐらいは簡単にくれてやっていた。」
「そうですか…国王陛下も同じ覚悟がおありと?」
「ああ。」
「わかりました…では、一つだけ前世の知識に可能性のある物が…」
「そうなのか!」
ボラスの表情が明るくなる。
「ええ…二つ隣の大陸に意思の大陸樹、と呼ばれている大陸樹があり、その大陸樹のダンジョンの制覇報酬が最初に手にした者の願いを叶える効能を発揮する薬だと…」
「そうか…大陸樹ダンジョンの制覇報酬か…」
ボラスの表情が沈む。大陸樹ダンジョンとは二百年に一度制覇されれば上出来と言われているダンジョンである。しかも一度制覇した者は二度と潜れない、と言う制約がロゼリアには存在しているため、既存の制覇者に頼ることもできないのだ。落ち込んでいるボラスにディランが更に追い討ちをかける。
「ええ。しかも薬の性質上、多分親族の者が潜る必要があるでしょう…その上手に入れることができたとしても殿下を取り戻せるかはわかりません。僕の前世の知識が通用するとは限りませんから…」
「そうか…わかった。一応奏上はしてみよう。俺としてはあまり伝えたくはないがな…さて、話を変えよう。実はな、今の所我が国で見つかった転生者は7591名となっている。その内貴族は短命種が61人、中命主が4人、長命種が3人だ。それでな、貴族の方には国の暗部を監視に付けて人格の入れ替わりを見極めることなった。当然お前にもつく。現時点ではなんともないしこれからも何もないと願ってがいるが…念のため、と言ったところだな。ま、ディランは俺の能力で確認出来てるから大丈夫なのは知ってるがな。」
「ええ、必要なことだと思います。前世の記憶を持っているだけでも不安ですから…」
「ディラン…ふぅ…それで申し訳ないんだが、俺はこれから大陸を回らねばならない。転生者子息を一人一人俺の能力で視て回ることになってな、すまないがこれから七ヶ月程度は家を開ける。そこで、だ。お前はどうしたい?ガーネットの領都に最初に寄るんだが、そこまでついてきて待つか?それとも王都で過ごすか?」
ボラスは真剣な表情で息子に問う。が、当の息子は難しそうな表情を浮かべている。
「どうした?」
「そ、その…王族の方がダンジョンに向かうのであればついて行きたいなあ…なんて」
「は?」
ボラスは予想外の返答に思考が止まる。
「大陸樹ダンジョンに行きたいなあ、なんて…」
「ならん!」
執務室に怒声と机を叩く音が鳴り響く。ディランはそれに怯え、体が縮こまってしまった。
「あっ、いや…すまん、取り乱した。がディランもわかるだろう?お前はまだ五歳だ。加護の儀を終えたばかりで鍛錬の途中だ。お前じゃ足手纏いになるぞ?」
「ええ…それはわかってるんですが…僕の前世の彼はそのダンジョンを制覇したことがあるんです…それも複数回。転移スポットや出てくる魔物の種類と弱点の知識があるんです。それにアイテムボックス持ちですから戦力じゃなくてポーターとしていけばいいですし…」
「…」
ディランの提案にボラスは黙り込む。確かにディランの言っている事が本当ならばあって使わない手はない。が、それは使われるのがディランでなければ、の話だ。まだ五歳になったばかりで数時間の鍛錬で意識を失ってしまうような愛息子に危険を犯させるわけにはいけなかった。
「やはりダメだ。お前を失うリスクが高すぎる。」
「…そうですよね。では諦めます。」
「だが、一つだけお願いしてもいいか?」
「なんでしょう?」
「お前の記憶にあるその転移場所や階層の情報などをもらえないか?勿論報酬は陛下に出させる。」
「はい!やらせてください!」
実はディランが今回の提案をするに至った理由は父親のボラスにある。ディランは物心がついた時からボラスに国王陛下の素晴らしさを聞かされており、ボラスがどれだけ陛下を敬愛しているかは知っているのだ。故に国王陛下の憂いが取り除かれなければボラスの鎮痛な表情が消える事はない、と判断し、内心承諾されてしまったときの恐怖に震えながらも任務に志願したのだ。その結果、自分が危険を冒さず、ボラスの助けになれる最善の方法を提示されたのだから喜びの声を上げないはずがなかった。
「では、それは後ほど頼むな。で?先ほどの問いの答えはどうだ?」
「そうですね…領地に行きたいです。」
「ふむ。それはなぜだ?」
「物心が付いてから一度も行っていないからです。僕は将来十二で王立学院に入学することになります。その前に自分を支えてくれている領地を見ておきたいんです。そして出来れば少しでも恩返しがしたい。」
ディランのこの返答にボラスはつい涙ぐむ。前世の記憶が多少は影響しているのであろうが、しっかりと自分たち貴族が領民に支えられていると言うことを理解し、恩返しをしたいとさえ言って見せたのだ。父親としても民を尊ぶ国王派の筆頭貴族としても感動しないはずがなかった。
「わかった。ならば一緒に戻ろう。出発は四日後だ。いいな?」
「わかりました!それと、お父様。」
「ん?なんだ?」
「その、先ほどおっしゃっていた報酬なんですが。」
「ほう。何か欲しいものがあるのか?」
「ええ。件の大陸樹ダンジョンの八十二層で獲れる素材なんですが。」
「なんだ言ってみろ。」
「はい。実は八十二層にはエメラルドスネークと言う魔物がいまして、その魔物の皮が欲しいんです。」
「ふむ。それは最短の攻略ルートの途中で通るのか?」
「はい。通ります。いくつか転移の組み合わせを提示しますが、一番楽で時間のかからないルートで遭遇出来るはずです。」
「わかった。なら成功の暁にはお前に届くように手配しておこう。攻略書は今日明日で仕上げておいてくれるか?明々後日には陛下に奏上したいのでな。」
「はい!がんばります!」
そうしてディランは父親に小さく頭を下げ、ソファーから飛び降りて部屋を出て行ってしまった。その後ろ姿を確認したボラスは、テーブルの上にあった鈴を小さく鳴らす。
そしてどこからともなく現れる普通の村人にしか見えない青年。ボラスはその青年を一瞥することもなく淡々と話す。
「領都にいる馬鹿息子にディランとエレンが行くと伝えておいてくれ。」
「はっ。」
青年を短く返事をすると、その場から霧散するかのように消えてしまった。
「本当にディランが乗っ取られずに済んでよかった…あんなおぞましいものにあの子が変わってしまっていたのかもしれないと思うと…」
ボラスは腕に表れた鳥肌を摩る。実は件の第四王子は、色魔なだけではなかったのだ。王族であるのだから自分が最も偉い、と言わんばかりの高慢な態度を見せ、自分の地位ではないにも関わらず罵詈雑言を人々に浴びせていた。貴族及び王族とは常に民を一番に考え、奉仕するべきである、と言った考えを持つボラスからすれば嫌悪感が募るばかりであった。更に、その転生者と同じような考えを持つ貴族派の者達がボラスよりも先に接触をしていたのだ。その影響で宰相であるボラスが処理しなければならない仕事が増え、息子以外の転生者に対する感情はもはや憎悪にまで至っていた。
「もしディランがいつか乗っ取られてしまった時は…いや、言ってしまったがために本当になってはたまらないな…さて仕事に戻るとするか。」
そうしてボラスは机の上に溜まっていた書類に手をつける。先ほどまで見せていた表情はいつの間にか消え、真剣な表情で机に向かうのであった。
短命種は60-90年、中命種は90-200年、長命種は200-?だと思ってください。この世界では魔物との戦闘や流行病でバタバタと死ぬので寿命関係なく、天寿を全うできる者はごく僅かです。
よければ評価おねげえしますだ。