マウンテンマーダー
夜が明け朝日が昇ってきたころ、セレナが目を覚ました。そしてセレナは全身に違和感を感じた。明らかに今までの体の感覚と異なっている。地面から起き上がろうと両手を地面につけるとセレナは驚きで目を見開いた。地面に着いた自分の手はウィペットの細長い手ではなく、人間の手だった。白く細い、幾度となく頭を撫でられたコハクと瓜二つな手だった。
セレナは周りを見渡し、近場に池を発見する。そしてそこに向かおうと立ち上がるときに自分の足を見た。白いスニーカーに白いスパッツが目に入った。前の姿のときの白い脚をそのまま人間の服として再現したような感じだ。そして腰からは白く細長くしなやかな尻尾が生えている。前と同じように動かすことができる。お腹を見ると白いカッターシャツに薄茶色のベスト、真っ赤なネクタイに黒いハーネス。セレナは喉が圧迫されるような感覚が気持ち悪く感じ、首元のネクタイを少し緩め、ハーネスを外そうと手をかけるが、少し考える。
『私がこの姿となったのはきっとコハクの思いがそのまま形になったと思う。だからあの子の思いを大切にするためにはあまり弄らない方がいいのか…な』
ハーネスはきっとセレナが飼い犬であった名残だ。ならばこの姿はコハクの形見でもあるわけだ。一生を賭して大事にしていかなければ。セレナは緩めたネクタイをまた絞めようとするが、いまいち勝手がわからず取り敢えずはそのままにしておくことにし、池に向かって行った。
初めて人間の姿で歩いたはずだが、ずっとこの姿で生きてきたかのように馴染んでいる。その感覚に戸惑いながら池に到着し、水面を覗き込む。水面に反射し、自分の顔が明らかになる。その顔はコハクと瓜二つ、コハクよりややくりっとした瞳。前の姿のおでこの模様をそのまま髪にしたように真ん中分けの髪型。だがその瞳は血のように真っ赤に染まっている。恨みの念を一身に受けた影響だろうか。
セレナは自分の姿を確認すると、次に自分の声を確認する。
「あー、あー。…この声、コハクの声そっくり」
声を出すことも今までずっとこの体で生きてきたかのような感覚で行うことができる。体は慣れてるのに心がそれを拒絶するという不可思議な境遇に陥っているセレナ。これも全て妖怪と化した結果なのだろうか。
「さて、これからどうしていこうかな…」
セレナは秋でもないのに赤くなってる山に佇みながら次の行動を考える。
「まあまずは自分のことをしっかりと知らないと。妖怪化した結果なにがどうなったのかとか…」
セレナは独り言を呟くと、近場の叢に飛び込んだ。研ぎ澄まされた五感でいち早く山に潜入した人間を感知したのだ。サイトハウンドの視力がさらに強化され、今では数キロ離れた山の入り口まで見渡すこともできた。さながら千里眼だ。この山中ならあらゆる場所で起こっていることを手に取るように把握できる。人間たちは相変わらず目についた動物たちを撃ち殺しているようだ。その中には昨日コハクに状況説明をしたキジバトも混じっていて、翼に怪我を負ったようでずんずん接近してくる人間たちに必死に翼をばたつかせ少しでも距離を取ろうとしている。
その光景を見たセレナは豪速で現場へと向かった。もともと速かった脚の速さが更に強化されたセレナは、音をその場に置き去りにし、体に触れた倒木を真っ二つにしながら薄茶色の風と化しながら山の中を疾走した。
一方、人間たち。銃を片手に動物たちを殺して回っていると、地に伏しているキジバトを発見した。
「お、ボーナスだぜ」
人間は躊躇いなく銃をキジバトに向け、照準を合わせる。そして引き金を引こうとした瞬間、突風が吹いた。あまりの強さの風に一瞬怯んだが、特に気に留めずに銃を持ちなおそうとして気が付いた。銃が真っ二つになっている。
「んなっ!?」
「…ん?どうした?」
思わず声を上げた人間に、もう一人の人間が近寄る。
「変に風が吹いたと思ったら銃が真っ二つになりやがったんだよ!」
「はあ?っておいおい、なにがあったんだよこれ」
真っ二つになった銃に目を落としながら二人で立ち尽くす。そして銃なんてどうでもよくなる位の圧倒的な存在感を感じハッと顔を上げる。そこには薄茶色の髪に垂れた犬耳、そして白く長い尻尾をゆらりゆらりと揺らしている十代前半の少女の姿があった。その少女は恨みに溢れた真っ赤な瞳をこちらに投げかけじっと佇んでいる。
「お、おい…なんだあれ」
「し、知らねーぞおれはあんなの…」
二人は少女が投げかけてくる恨みの念をまともに受け、恐怖で硬直してしまっている。
「……ゆるさない」
少女はひっそりと呟く。そのかわいらしいくも恐ろしい声が耳に届くと同時に、銃を折られた方の人間があわてて山を駆け下りていく。少女から投げかけられた殺気は人間には耐えられないほどの圧となっていた。そして躓きそうになりながら山を駆け下りていく男に少女は目にも留まらぬ速さで追いつくと、人間の目の前に立ちはだかる。
「ひっ!な、なんなんだよお前!」
「わたしは…お前らを絶対ゆるさないだけ…!」
少女…いやセレナは呟くとその姿がぶれた。次の瞬間、男の腹がセレナの腕に貫かれた。なにが起こったのか、なにをされたのか分からずじまいのまま、男は生涯を終えた。
そしてもう一人の男は震える手で銃を支えながらセレナに尋問する。
「お、おい!撃たれたくなければ大人しくしろ!お、お前はなんなんだ!何が目的なんだ!なぜそいつを殺したんだ!」
セレナは銃を向けられながらも冷たく男を見据える。少し前まではこれ以上ない恐怖を感じていた銃だが、今では全く脅威に感じない。発射される弾よりもこちらのほうが速く動ける自信があるからだ。さっきの人間を殺した時も、自分は瞬時に距離を詰めて腹を殴るだけのつもりだったところ、腕が腹を突き破ってしまっただけだからだ。人間の体の脆さを知ってしまったセレナは、もう人間なぞ怖くも何ともない。さっきみたいに瞬殺してやってもいいが、せっかくだから対話を試みることにした。なにかあっても瞬殺してやればいいだけの話だ。
「…言ったでしょ。私はただ復讐するだけ」
「ふ、復讐だと?俺たちがおまえに何をしたというんだ!」
「何をした、だと?お前たち人間は、我々動物に何をしてきた?」
「……はぁ?我々動物?」
「お前たちがいつまでもそんな態度を崩さないのであれば、私はお前たちを滅ぼすぞ」
セレナは言うと、またもやその姿がぶれた。次の瞬間、男の両腕が消え去った。
「うわああああ!!!」
あまりの痛みに男は地面にひっくり返り、もがき苦しむ。
「その痛みは我々が受けた痛み苦しみよりもまだまだ易しいのだぞ。私が歩む道がどれほどの茨の道だろうと、私はお前たちに復讐してみせるからな。覚悟しろよ」
セレナはゆっくりと男に歩み寄ると恐怖に彩られた男の顔を見下す。
「お、おまえは…何者なんだよ…!!」
「私は、お前たちに殺された存在の恨み。それ以上でもそれ以下でもない」
セレナは冷たく吐き捨てると人間の顔面を蹴っ飛ばした。人間の顔は胴体から千切れ、生首となって遥か遠くまで飛んで行ってしまった。
「……これはあれだ。思った以上に私が強くなっちゃってるな」
首から先が無くなった死体を眺めながらひとりでに呟くセレナ。そしてセレナの垂れた耳にほかの人間の草をかき分ける音。そして真っ赤な瞳には遥か彼方まで飛んでった人間の首を見つけて慌ただしく騒いでいる人間たちの姿を認めた。
「とりあえず、この山に侵入してきたゴミを掃除してからこれから先を考えようかな…」
セレナは人間たちの姿を認めたとこへ風よりも早く駆け抜けて行った。