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妖犬の復讐譚  作者: ショウ
3/10

紅い山に燻る復讐の炎

セレナは山の中を全速で駆け回っていた。銃声があちらこちらで鳴り響く。銃殺された動物たちの死体がそこら中に転がっている。緑豊かだった山は所々赤く染まり、セレナの敏感な嗅覚を生々しい血の臭いが刺激する。

それでもセレナは足を止めない。あちらこちらから人間の気配を感じるからだ。下手に立ち止ってしまうと射殺されかねない。たとえ見つかっても照準を合わせてやらないようにとにかくとにかく早く動きまわる。

実はセレナはコハクが右足を撃たれた瞬間、ほんのわずかな時間にコハクから目だけでこんな意思を受け取っていた。


『今すぐここから逃げて。私がどうなろうとあなただけは絶対に生き残ってね』




「お、あれじゃないか?」


「いたぞ!撃ち殺せ!!」


銃を構えた人間二人がセレナが走っているのを捉えたが、照準までは合わせることはできない。二人がスコープを覗きながらわなわなやってる間にセレナは豪速で二人の間を駆け抜ける。呆然と、駆け抜けて行ったセレナを見つめている間にもセレナはどんどんと二人と距離を放していく。


「あいつ、脚はええな…」


「あんなん撃つの無理だろ…」


どんどん遠ざかっていくセレナを眺めながら男たちは呟いた。



夢中で走っているうちに木が疎らになった草原に出た。コハクが銃を持った男に撃たれた場所だ。様子を窺ってみると両足から大量の血を流しながら倒れているコハクと、両手を縛られコハクの目の前に座らされているコハクの母親の姿が目に入った。コハクの親はセレナにとっても親と呼べる人物で、昔からともに過ごしてきた家族そのものだ。セレナは丈の長い叢に伏せ、休憩しつつコハクたちを見守る。


「コハク…。守ってあげられなくてごめんね…」


「お母さん…」


コハクは大きな両目に涙を貯めながらじっと親を見つめる。親も力なく顔を伏せる。その蟀谷にはぴったりと銃突きつけられていた。


「いやだよ!ねえ!せめてお母さんだけでも見逃してよ!!私ならなんだってしてもいいから!」


「なにバカなこと言ってるの…!あなたが死んで私が生き残るくらいなら私が死んだほうがマシよ!」


「いやはや、けっこうな自己犠牲精神旺盛な親子じゃねえか。泣かせるねえ」


銃を突きつけている男はわざとらしく目に手を置いて涙をふくような演技をする。そしてコハクはそれを忌々しく睨みつける。


「さてはて、『私が死んだほうがマシだ』なんて口走ったんだ。その通りにしてやるよ」


男は言うと躊躇いなく引き金を引いた。乾いた銃声が響き渡り、顔に穴が開いたコハクの母親はそれっきり一切動かなくなった。


「…そ、そんな!お母さん!!いやだよ!!おかあさん!!!」


コハクは動かない足を精一杯引きずり、両腕の力だけで母親の元へ近づいていく。そしてだらりと脱力した手を握る。その手からは既に生の暖かみは失われ、真っ赤に染まった顔を覗き込んでみれば命が失われた瞬間の衝撃が刻み込まれたように酷な表情をしていた。母と子の一生の別れは別れの言葉を交わす間もなく唐突に訪れた。訪れてしまった。


「…お、お母さん…!ひぐっ…!うぐっ…!おかあ…さん!!」


母の遺体を力なく握りしめながら静かに嗚咽を漏らすコハク。そして叢でその一部始終を見ていたセレナは、今すぐ飛び出してあの男の首を食いちぎってやりたい衝動に駆られていたが精一杯堪えた。コハクからの命令は絶対に生き延びること。今飛び出して行っても即座に撃ち殺され、コハクに余計な悲しみを与えるだけになってしまうと理性に働きかけていた。


その後も虐殺は続いて行った。里の仲間たちが次々とコハクの目の前で殺され続ける。そのたびにコハクの悲痛な叫び声が銃声と共に木霊する。セレナは感情を押し殺しながらじっと見守る。何度も飛び出したくなった気持ちを堪えつづけ、そしてついにその時を迎える。



「さて、いよいよお前の番だな」


男は涙も枯れ果て、表情も消え失せ、憔悴しきったコハクに銃口を突きつける。コハクは光が消え去った瞳で全ての仲間の命を奪い去って行った狂器を見つめる。その目に怯えは存在しない。もとより感情が存在しないかのような様子でじっとその場に静止する。


「いい表情を見せてくれてありがとうな。悪くない娯楽だったぜ」


男はコハクの前髪を掴み、顔を持ち上げる。


「…まあ、せめてもの報いだ。楽に逝かせてやるよ」


そして男はコハクのだらしなく開かれた口に銃を突っ込む。


「あばよ。愚かなゴミ」


そしてセレナは見た。コハクの命の灯火が消え去る一瞬前、コハクはこちらに少しだけ目線を送り、目だけで意思を伝えてきたこと。


『よく飛び出して来なかったね。あなたは本当に優秀な私の相棒だよ。私が居なくなっても、力強く生きていくんだよ』


そして最後の銃声が響き渡り、コハクは短かったその生を終わらせた。




セレナから全てを奪い去って行った男たちが立ち去って行ったのはそれからすぐのことだった。男たちは叢にセレナが隠れていることなど微塵も気づくことなく、汚い笑い声を響かせながら、血に染まった山を下りて行った。

セレナはゆっくりと叢から立ち上がるとのろのろとコハクのなれの果てのに近付いて行った。



…どうしてこんなことになってしまったのだろう。少し前までは一緒に歩いていた最高のパートナーが、今は一切動かなくなってしまっている。生まれた時から一緒に育ってきた仲間が。辛いことも、悲しいことも、苦しいことも、嬉しいことも、楽しいことも、幸せなことも、すべて一緒に過ごしてきた相棒。その命が一瞬で奪われ、血の海に沈んでいる。里で一緒に過ごしてきた仲間たちも。一緒に育ってきた動物たちも。全てまとめて殺されてしまった。

自分たちがなにか悪いことでもしたのだろうか。自分たちがしたことといえば、思想を同じくした仲間たちと、貧しいながらも豊かな生活を送ってきただけじゃないのか。少し考えが違っていただけで、同じ人間じゃなかったのか。少し姿かたち、そして生態が違うだけで同じ生き物じゃないのか。何を以てこのような蛮行が行われるとこが許されるのだろうか。


セレナは犬だ。ヒトと比べると感情表現に乏しいが、その心は仲間の全てを喪った喪失感が深く支配していた。群れで過ごすことが多い犬にとって、この感情は心臓を内側から壊しかねない自我崩壊の引き金になる。

それでもセレナはすっかり動かなくなってしまった最愛の友に寄り添って寝転がる。

ねえ、どうして動いてくれないの。いつものように私を呼んでよ。いつものように撫でてよ。

どうして、なんて言ってもその理由は全て黒く丸っこい円らな瞳で見届けていたが、その現実を受け入れられずにいる。そしてセレナはすっかり静かになった里山に哀しみの遠吠えを響かした。その声に応えてくれる仲間たちは、もうこの世には一人もいなくなっていた。





すっかり日が落ち辺りが暗闇に支配されたころ、セレナの感情はようやく落ち着いてきた。一通り悲しみに明け暮れた末、セレナに残った感情は怒りだった。どうして私たちばかりこんな目にあわなきゃいけないのか。考えれば考えるほど、ドス黒い感情がセレナの内面を支配する。


『復讐してやりたい。我が身がどうなろうとも私たちが受けた感情の全てを何倍にもしてぶつけてやりたい』


そんな思いがセレナを支配する。そしてその折、セレナの脳裏にある言葉が過った。生前のコハクが、自分にこんなことを言い聞かせていたのだ。


『動物は人間の肉を食べると妖怪化し、人間はもちろん、他の動物達よりも何倍も強い力と長い寿命を手にすることができるんだって』


セレナは倒れ伏すコハクの死体に目を向ける。コハクの死体は顔面が崩壊し、既に生前の面影は欠片も残していないが、この死体は間違いなくコハクだ。理不尽な理由でこの世から去ることになった最愛の友だ。そしてこの死体からは無念の思いが滲み出ていることを肌で感じた。コハクの死体だけじゃなく、そこら中に転がる数々の死体から無念の思いが溢れ出ている。

どうしてこんな目に合わなきゃいけないのだ。自分たちが何をしたというのだ。という怒りや恨みがそこら中から湧き上がる、そしてそれがセレナの心に深く入り込んでくる。

そしてセレナは、コハクの死体に齧り付いた。コハクが残した無念をその身で全て受け止めるように。

コハク。セレナの最愛の最高のパートナー。動物と心を通わし、里の人間たちにも、里の動物達にも、全ての存在から親しまれていた小さな女の子。優しく誰にも平等で、幼いながらも狩猟・耕作の手伝いを請け負い、自分より小さな子供たちを導くリーダーのような存在だったよくできた少女。そんな素晴らしき少女は理不尽な人間の手によってこの世から去った。その理不尽さに対するコハクの憎しみと、目の前で家族や友達や仲間を撃ち殺されたコハクの恨みがセレナに蓄積されていく。

そしてその恨み憎しみは、セレナが持っていた怒りと合わさり、セレナの精神と肉体に異様な力が満ちるのを感じ取れた。やがてセレナは、コハクの想いと肉体全てを食べ切り、その身に復讐の炎を宿す。その炎は恨みや憎しみ、怒り、悲しみの感情によってより大きく燃え上がる。セレナは里山中の死体の恨み憎しみ哀しみ怒りをその身に宿し、負の炎をさらに大きく燃え上がらせる。


『みんなの思いは私が受け継ぐよ。絶対にみんなの死を無駄になぞしてやらない。この私が、腐りきったこの世を壊して見せる』


その決意と共にセレナはその場に倒れ伏した。溢れ出る力をその身で使いこなすため、体の作り変えが行われているのだ。尋常じゃない痛み苦しみに襲われながらセレナは必死に耐えた。この苦しみも、人間を殺すための力になる。自分にそう言い聞かせるが、セレナはやがて意識を手放した。


しかしその瞬間、人類にとって最悪の、最強の、最恐の、最凶の、最狂の殺人鬼が爆誕したのだった。

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