全ての終わりは日常の合間に
その少女は里のみんなから尊敬されていた。
この里は動物が大好きな人間のみが集められている。人間賛歌の思想が強まり、動物が迫害され始めたこの世の中で自分の好きなことを貫く心強き者たちが集う小さな里だ。
その少女、名はコハク。先祖代々、動物と心を通わす秘術を継承する一族の娘で、コハクは齢10にして既にその秘術を完璧に継承し、自分の飼い犬、セレナと完璧に心を通じ合わせ、すでに人生最高の相棒となっている。
セレナの犬種はウィペット。毛色は薄茶色に白。すらっと長い手足に流線型を描く背中が特徴で、時速80kmもの速さで走ることができる「走りの天才」とも呼ばれる犬種だ。穏やかなで飼い主に従順で愛情深い性格で、コハクと一緒にこの世を生き抜く大切な存在だ。
この里では狩猟や山での採集、農業が盛んに行われている。住民で協力し合い、互いに助け合いながら生きている。貧しく原始的ながらも、精神的に豊かで楽しく生活を送っている。コハクはセレナの世話をしながら、自分で木を加工し弓矢を作成し狩猟の手伝いをしたり、耕作を手伝ったり、コハクよりも小さな子供たちにとっては頼れるお姉ちゃんとして慕われている。この里きっての将来を支える大事な存在とされている。
そんな生活が続く折、コハクとセレナが山に赴き山菜の採取などを行っていたところ、山に突然の銃声が響き渡った。この里の掟にて山での狩猟は銃類の使用は一切禁止されているため、銃声が響くのはありえないはず。そして動物たちの様子もおかしい。山中の動物たちが大慌てである一点から逃げようと大急ぎで走っている。山の生命に感謝し、せめて苦しまないように逝けるように特殊な技法で狩猟されているこの里山においては有り得ない状況だった。
コハクは大慌てで飛んできたキジバトと心を通わせ、事情聴衆を図った。キジバト曰く、里の者とは違う人間たちが急に山に入り込んできては目についた獣たちを片っ端から銃殺し始めているとのこと。山の動物たちは銃を相手にはどうすることもできずただただ逃げ惑うしかなかった。
コハクはそれを聞くと激昂した。いったい何が目的なのだと、徒に命を奪うことがどれほどの大罪か分かっているのかと、コハクは狩猟用の弓矢を手に取るとキジバトが飛んできた方へ急いで向かって行った。当然、一緒に行動していたセレナもコハクの後を追う。向かっている最中にも銃声はなんども響き、動物たちの悲痛な鳴き声が聞こえてくる。
そして木々が疎らにやや開けたスペースに行き着いた。そこで体に小さく穴を開けられ倒れているシカを見つけた。
コハクが慌てて駆けつけ容態を診るが、既に死亡していた。コハクが周りを見渡すと同様に銃殺されたシカ、イノシシ、猛禽、リスなどがあちらこちらに倒れ伏していた。
「な、なんで…どうして…。ただの動物達にどうしてここまで酷いことができるの…」
コハクは瞳に涙を貯めながら小さくつぶやく。そこに
「お、まだ動物がいるじゃねーか」
と、男の声が響いてきた。コハクが慌てて振り向くと、シカの生首を左手に、立派なライフルを右手に持った若い男がにやにやとした顔つきで迫ってきていた。
「じゃ、殺らせてもらうぜ?」
男はシカの生首をそこらに抛ると、慣れた手つきでライフルを構える。狙いはコハクの傍らに佇むセレナ。
「ま、待って!止めて!!」
その様子を見たコハクは慌ててセレナの前に仁王立ちで立ちふさがった。
「なんだよガキ。どけ。俺は人間は撃ち殺す趣味は持ち合わせてないんだよ。怪我したくなけりゃあっち行って遊んでろ」
「行かない!どこにもいかないよ!!どうしてあなたはそうやって動物を殺そうとするの!?動物があなたに何かしたとでもいうの!!?」
コハクは銃口を向けられながらも懸命に言葉を紡いだ。恐怖で震えそうな脚に鞭打ち、必死の形相で男を睨みつける。
「どうしてってんなもん決まってんだろ。暇つぶしだよ」
「ひ、暇つぶし…?」
コハクは男の言葉を信じられないといった風に反芻する。
「ああ、暇つぶしだ。ただの暇つぶしじゃねーぞ?とびっきり楽しい暇つぶしだ。人間様の技術力に為す術もなく逃げまどうしかないゴミどもを撃ち殺す最高の娯楽だぜ?」
男はあえて心底楽しそうに顔面を歪ませながら言葉を紡ぐ。
「わかったらその場から離れな。その犬っころの死にざまをさっさと見せろ」
「ひ、暇つぶしなんかで!動物の命を奪っていいなんて、ほ、本気で言ってるの!!?」
コハクはそう叫ぶと弓に矢を番え、力強く引き絞った。
「絶対に許さない!この私があなたの蛮行を食い止めてみせる!」
「んだと?おめーもその弓矢で獣を殺してんだろ?俺らとなにがちげーんだよ」
「違う!私たちは娯楽で殺すなんてことはしない!一緒にしないで…」
コハクは鋭い目つきで反論している途中で気が付いた。
「…『俺ら』?もしかして複数でこんなことやってるの……?」
「あん?今さらかよ。こんな楽しいこと、ほかの人間もやってるに決まってんだろ」
男が言うと同時にまた別の場所で銃声が響き渡った。
「……そ、そんな…」
「万が一にでもお前がその弓で俺を止めたとしてもまだ何人も俺と同じようなやつがいるんだぜ?お前みたいなガキ一人に何ができるっていうんだ?」
コハクの顔が絶望に染められる。だが、コハクは引き絞った矢の力を抜くことはなかった。
「…止める。絶対に止めてみせる!私の命を懸けて、この蛮行をとめてみせる!」
「…そうかよ。じゃあ死にな」
男が冷たく吐き捨てるとコハクに向けた銃の引き金を躊躇いなく引いた。甲高い銃声と共に、コハクの脚が打ち抜かれる。
「ああああっ!!」
コハクは弓矢を手放し、激痛が走る右足を慌てて抑える。
「お前みたいな人間も獣と変わりねえゴミだ。今すぐこの世から消してやるところだが、お前はなんか腹立つからゆっくり苦しませながら殺してやるよ」
男はそういうと無事だったコハクの左足も打ち抜く。コハクの全身に激痛が走り、堪らず地面に倒れ伏す。
「どうせなら絶望させながら殺してやるか」
男はそういうとセレナをコハクの目の前で撃ち殺してやろうとするが、すでにセレナの姿はその場になかった。
「あれ?てめーの犬っころ、ご主人様を置いてさっさと逃げちまってるぜ?」
男が嘲笑する。
「所詮てめーと犬っころの絆なんてそんなもんなんだよ。さっさとこっちに差し出しておけば、てめーがそんな痛い思いもせずに済んだのにな?」
「……セレナ…」
コハクは苦痛に顔を歪ませながら小さく呟く。
「おっと、お前の仲間たちが駆けつけてくれたみたいだぜ?」
コハクがハッと顔を上げると里の住人たちが荒縄に縛られた状態で集められていた。みんなの表情は悲哀に満ちている。
「み、みんな…!」
「コハクちゃん…」
里の子供の一人が大きな瞳に涙をためながらコハクを見入る。そして大量出血しているコハクの足に目をやり、さらに瞳を涙で濡らす。
「コハク、本当に申し訳ない…。私らが弱かったせいで…こんなことになってしまって…」
里の長が別のほうに目をやる。コハクが其方を見ると、息を飲んだ。そこには里で飼われていた動物たちの死体が一塊になっていた。今朝、元気よく散歩していた犬も。コハクが秘術を継承した際、セレナの次に心を通わせた猫も。昨日の昼に肩に載せて遊んでいた鳥も。全て等しく生命を絶たれていた。
「あーあ、おめーら俺の分も残しておけよな」
コハクの脚を打ち抜いた男は里人たちを包囲している十数人の男女に笑いながら話しかける。
「いやだってさあ、こいつらが思いのほか抵抗してくるからな。手っ取り早く絶望させる最善の手なんだよ」
「まあいいぜ。許してやるよ」
男たちはゲラゲラと汚く笑いながらコハクに向きなおす。
「さてとここからは惨殺ショーだ。お前は最後に殺してやるから安心しろよ?」
そういうと男は里の長の頭を打ち抜いた。里人の間から大きく悲鳴が上がる。コハクの顔も絶望に染まる。
「こんなもんは序の口だぜ?これからお前にはもっと地獄を見せてやるからな?」
「……ど、どうして…」
「あん?」
「ど、どうしてこんな残酷なことするの!?私たちがなにか悪いことしたの!?」
「んなもん決まってんだろ。暇つぶし。それ以上でもそれ以下でもない」
「そ、そんな…。でも、私は絶対絶望しない…!絶対あなたたちの思い通りにはさせない!!」
「相も変わらずうるせえやつだな。なにに希望もってやがるんだ?」
「まだ里にはセレナがいる…!あの子が生きている限り私は希望を持ち続ける!」
「セレナ?あーあの犬っころか。どうせ今頃死んでるだろ」
「えっ」
「俺の仲間はここにいるだけの奴らじゃない。山にもまだ大量にいるんだよ。そいつらにとっくに殺されてるだろうな」
今度こそコハクの顔は絶望に染まる。
「じゃ、そろそろショーを再開させるぜ」
その後はコハクの目の前に一人ずつ里人を座らせられ、そしてコハクの目の前で撃ち殺される。里で仲良くしていた子供たちも、里で会うたびに作物をくれたおばさんも、コハクの目の前ですべて奪われていった。
「はあ…はあ…」
コハクの表情は既に消え失せ、流す涙も枯れ果て、コハクの最期の瞬間が訪れようとしていた。
「いい表情を見せてくれてありがとうな?悪くない暇つぶしだったぜ」
男がコハクに声をかけるがコハクに応える気力は残ってなかった。もうすでに足の痛みも感じない。廃人のように黙ってその場に倒れ伏している。
「…まあせめてもの報いだ。最期は楽に送ってやるよ」
男はそういうとコハクの髪を引っつかみ、持ち上げて顔を上げさせる。そして呆然と開かれた口に銃口を突っ込む。
「あばよ。愚かなゴミ」
そして里に、最後の銃声が響いた。