遺跡に引きこもりなパンドラの箱入り娘
流砂の海と呼ばれる砂漠の真ん中にそびえ立つ巨石の四角錐は、かつて肥沃な土地だった頃に栄えた古代文明の王の墳墓と言われている。
実際のところは地上部分が氷山の一角で、砂の下に埋まった部分も含めると七階層に分かれていた。
内部は侵入者を惑わす迷宮のように入り組んでいる。
とはいえ度重なる盗掘によって財宝は取り尽くされ、今では魔物の巣だ。
ただ、このピラミッドには“ある噂”がまことしやかにささやかれていた。
「誰にも開けることのできない宝箱が眠っている」
そんな話を耳にすれば、この盗賊王が挑戦しないわけにもいかない。
ミイラ男の群れをやり過ごし、落とし穴を回避し、壁の穴から突然飛んでくる矢の雨をくぐり抜け、一本道の下り坂を巨大鉄球に追いかけられながら俺――ロジャーはついに最下層の宝物殿へとたどり着いた。
暗視スキルを解除して、魔力灯で石室を照らす。
十メートル四方の中心に台座があり、その上に立派な装飾のされた宝箱が、この迷宮の主のように鎮座していた。
ここまで見つけた宝箱はすべて先駆者たちによって開封済みだ。
「さて、この宝箱だけ未開封というのは不自然だな」
独り言である。石室に響くのは砂時計の砂のようにどこからか落ちる砂粒が立てるサラサラという音くらいだ。
徒党を組むより孤高を貫くのも盗賊王のポリシーだ。人付き合いは面倒だし宝の分配で揉めるし罠を外してやっても「役目でしょ?」と感謝の一つもされないし、やばいと思って逃げれば裏切り者扱いされるのだから、やってられない。
だいたいだ。宝探しは探して見つけて宝を手に入れるのが楽しいのであって、見つけた宝で大金持ちになって安楽に暮らすというのはつまらない人間が陥りがちな人生の罠である。
なんてことを考えつつ、台座の周囲に罠が無いか確認する。
が、めぼしい仕掛けは見つからなかった。完全に無防備で逆に引く。
この宝箱、俺を誘っていやがるのか?
「盗んでくれと言わんばかりじゃないか。いいだろうこの盗賊王ロジャーの手に落ちるがいい」
台座の階段を上がり宝箱の前に膝をつく。
視線を落とすと箱の手前の床石に文字が刻まれていた。先駆者が残したものだろう。
「どうやっても開けられなかった……って、それは腕が悪かったんだろうな」
俺は魔力灯を床に置いて、盗賊七つ道具(といっても七種類以上あるが)を展開した。
宝箱には鍵穴がある。
ピッキングツールを差し込んで穴の内部を撫でるようにすると――
「あっ……んっ……」
奇妙な声が部屋に響いた。振り返り腰の裏にマウントした双短剣を逆手持ちで抜き構える。
気配探知スキルで常に半径十メートルほどなら暗闇でも侵入者に気づくことができるのだが、魔物が襲ってくる様子はない。
「なんだ……気のせいか」
相手が俺より格上の気配遮断を使っているなら、とっくにバックスタブを決められて葬られていたところだ。
とかく宝箱を前にすると、そちらに集中しすぎて背中がおろそかになってしまう。
双短剣を鞘に収めて再び宝箱に向き直った。
「待たせたな。この鍵穴からプンプンと宝の匂いがしてくるぞ。いやらしい穴をひくつかせやがって」
再びピッキングツールで鍵穴を撫でていく。耳かきのようなものだ。強すぎず弱すぎず穴の中をなめ回すように、コリコリと反応のある部分を突いてひっかく。
「ひゃんっ……らめ……らめぇ!」
再び立ち上がって周囲を見回しつつ双短剣を抜き払った。
「誰だ! 出てこい! 俺のお楽しみタイムを邪魔しやがって!」
声は響けど返事はない。王家の墳墓だけあって呪いか何かだろうか。
魔物が跋扈するこの世界で、呪いだの悪霊だの怨霊だのがなんぼのものであろう。
「いいか作業の邪魔をするなよ。今度奇妙な声を上げてもスルーするからな」
きっちり断りを入れてから俺は宝箱の解錠作業を再開した。
「んんっ……そこっ……き……きもちよくなんてないですから……あっ……だめ……だめらめらめぇ……穴がバカになっちゃううう」
まさかこの幻聴のせいだろうか。
集中力をかき乱すことで、これまで幾人もの盗賊を退けてきたのかもしれない。
「本当にだめなのか?」
俺は鍵穴に潤滑油を垂らして、クチュクチュと穴をならすようにピッキングツールでなじませた。
「んあっ……なにこれぇ! 奥まで……奥まで入ってきちゃううう」
「特級の超高性能潤滑油だ。しみるだろう? こいつを鍵穴に塗りたくられたら(俺の指先の)感度が三千倍になるんだ。おっ……どうやらここがイイみたいだな」
ピッキングツールでトントンと鍵の敏感な部分を小突く。
「あっ……あっ……そこはらめって……ひゃん!」
「良い子だ。そのまま素直にしていれば、もっと気持ちよくしてやるぞ」
「イッちゃう! 開いちゃうぅ! くぱぁしちゃううう!」
まやかしの声に適当に合わせつつ職人芸的神業で、俺は鍵を開けた。
カチャリとロックが外れる音がして、鍵穴からピッキングツールをズルンと引き抜く。
潤滑油が鍵穴から糸を引く粘液のようにしたたり落ち、だらしなく開いた穴はヒクヒクと痙攣していた。
おかしい。鍵穴がこんな生物的な動きをするなんて。
「はぁ……はぁ……」
部屋に響く声は荒いと息だけになった。
俺はピッキングツールについた潤滑油を布切れで拭き取り、七つ道具をしまうと宝箱の蓋部分に手をかける。
「ご開帳といこうか」
「あ、開けちゃらめれすぅ……恥ずかしいぃよぉ」
どうやらというかやっぱりというか、声の主は宝箱らしい。
「本当は見られたいんだろ? 身持ちの堅い宝箱ほど一皮むけば中身はアレだっていうしな」
重たい蓋だが鍵はすでに役目を果たしていなかった。
「お願いだから開けないでください! は、恥ずかしくて死んじゃいますから!」
「このままずっと誰にも開かれることがないなんて、宝の持ち腐れはもったいないだろう。さあ、拝ませてもらおうか」
箱の上蓋が開かれると、隙間からまぶしい光が溢れた。
「開いちゃう! 開いちゃうううう! くぱぁいやあああ!」
宝箱の悲鳴とともに光が止んだ。
「空っぽ……だと」
大きな箱の中には何も入っていなかった。二重底になっていないか確認するが仕掛けは無い。
「あああああ……まさぐらないでくださいぃ。そんな隅々まで指で撫でないでぇ。うう、宝箱なのに中身がないの見られるなんて……もうお嫁に行けませんからぁ」
「安心しろ。宝箱は嫁がない。しかしまあ……あれだな。ご愁傷様」
魔力灯で箱の隅々まであぶり出すように照らしたが、宝石の一つも金貨の一枚すらも入っていなかった。
「ハズレだな」
「は、ハズレってひどくないですか!?」
上蓋を口のようにパカパカ動かして宝箱は抗議する。
「というか宝箱よ。前に誰かに中身を持ち出されたんじゃないか? 空にしたあといちいち施錠していったやつがいるなんて、ちょっと意地悪すぎるぞ」
「そんな人……いません……えっと、記憶はおぼろげだけど……たぶんきっとあなたがわたしの最初の人です」
なぜか宝箱が赤く光った。赤面でもしているかのようだ。
気持ちが悪いので俺は立ち上がると背を向けた。
「じゃあな。まあ、なかなか複雑な穴でやりがいのある仕事だったよ」
「ちょ、ちょっとちょっとどこに行こうというのですか? あなたは王の間の宝箱の前にいるんですよ?」
「それがどうした。いいか宝箱よ。もし俺が財宝目当てなだけの粗野で野蛮な冒険者だったなら、空っぽのお前に失望し怒りをぶつけてたたき壊していたかもしれない。が、俺はそうしない」
「な、なんでですか?」
「この盗賊王ロジャーにとって、財宝は次の冒険の資金だからな。それが手に入らなかったのは少々残念ではあるが、今日の冒険とお前みたいな宝箱を開けた興奮はプライスレスな価値のある経験だ」
「わ、わたしで興奮したんですね。あんなに執拗に鍵穴をまさぐって興奮したんですね。鍵穴を執拗にこねくり回して宝箱の大事な秘密の花園を踏み荒らしたあげく、くぱぁさせちゃったんですよ! 成人男性としての責任を問いたいです!」
「知った事か。ともあれ一度開いてしまった以上、もはやお前は俺にとって“過去の宝箱”でしかない。というか“宝箱だった存在”だ。というかただの空箱だ。そのままだらしなく口を開きっぱなしにして、次にもし迷ってここにやってきた人間がいても『あ! なーんだ開封済みかぁ』とがっかりされ続けるだけの背景になるがいい」
「ちょ、それひどくないですか?」
「まあ、もうここを訪れる人間もいなくなるだろうけどな。オアシスの町から徒歩五分だし」
「そんなに近くに町があるんです?」
「あるとも。そこでお前はちょっと噂の宝箱だったんだぜ。町の連中はきっとがっかりするだろうな。中身が空っぽだったなんて。けど、これで妙な噂を聞きつけて挑もうとする冒険者もいなくなるな。寂しくなるなぁ……達者でくらせよ?」
そう言い残して俺は台座を降りる。
と、その瞬間――
「ま、ままま待ってください! おいていかないでください!」
何かの気配がスクッと俺の背後で立ち上がった。
恐る恐る振り返ると、そこには――
「開けた責任とってくださいロジャーさん!」
人間の……それも少女の手足の生えた箱が立っていた。
「いやいやいやいや。なにそれ気持ち悪い」
「そんなこと言わないでくださいよ」
胴体とも言える箱の上蓋がパカパカと口のように動く。
「お前まさか、ついてくるつもりじゃないよな? よかったな手足があって。さあ、お前は自由だ。こんな薄暗い墓の中で終わる宝箱じゃない。広い世界に旅立つがいい」
「どうしてロジャーさんと道を分かつみたいな言い方するんです?」
あっ……こいつついてくるつもりだ。
「それにお前じゃないです。わたしにだってちゃんと名前があります」
「妖怪手足付き宝箱とか?」
「ちがいますー! ミミックのミミッ子ちゃんです!」
あながち間違っていなかった……って、み、ミミックだと!?
ミミックといえば擬態を得意とする魔物で、宝箱になりすまして冒険者を襲う超危険なやつじゃないか。
俺はうっかりミミックを開けてしまったようだ。だが、噂に聞いていたミミックとはずいぶん違うな。
「お前がミミックなら、なんで俺に襲いかからないんだ?」
後ろに手を回し双短剣の柄を掴もうとすると、ミミックのミミッ子は恥じらうように膝をもじもじとすりあわせた。
「そんなの……い、言わせないでくださいよぉ……初めてであんな風に気持ちよく開けられちゃったら……す、す、好きになっても仕方ないと思いませんか?」
思いません。いや、俺も悪乗りがすぎたが。
短剣ではなく俺は腰のベルトの煙幕弾に手をかける。
「そうか。ではさらばだ!」
俺は煙幕弾を石床にたたきつける。
白煙が一瞬で部屋を埋め尽くした。俺は来た道を駆け抜け逃亡する。
「あ! ちょっと待ってくださいよぉ!」
気配遮断スキルを使いつつ曲がり角の物陰に身を潜める。白煙の中から見事なフォームでミミッ子が飛び出し、ピラミッドの出口に向かって駆けていった。
「ロジャーさああああん! ミミックからは逃げられないんですよおお!」
そんな逸話を冒険者の間では耳にする。噂は本当らしい。
ミミックの移動速度はものすごい速さだ。もし、普通に逃げていればあっという間に追いつかれていただろう。
「箱の中身も頭の中身も空っぽで助かった……」
待つこと三十分――
ミミッ子は戻ってこなかった。ピラミッドで迷子になったか砂漠に出たか、ともあれ俺を完全に見失ったことだろう。
帰り道に出くわさないことを祈りつつ、オアシスの町――ナールに戻るのだった。
ナールの町の酒場兼宿屋にて、俺はくたびれもうけの逸話をウエイトレスの少女に語った。
「で、まあ開けてみれば中身は空っぽな上に、噂の宝箱はなんとミミックだったんだよ」
「きゃー! 怖いですねお客さん」
白にも近い銀髪に紫色の瞳をした長い髪の巨乳美少女なウエイトレスが、麦酒のジョッキを俺のテーブルに置くと悲鳴を上げた。
「しかも頭のおかしなミミックで、俺を追いかけようとしてきたわけだ。だが、盗賊王ロジャー様の煙幕爆弾で文字通り煙に巻いてやったってわけだ。煙幕を炊いて近くの暗がりに隠れただけで、間抜けなミミックはどこかに行っちまったからな」
ウエイトレスはムッとした顔になった。
「頭がおかしいとか間抜けっていうのはひどいんじゃないです?」
「ああ、そうかもな。空っぽだ。頭空っぽなミミックだったんだ。俺がピラミッドに隠れてているとも知らずにどこに行ったんだか。まあ、きっと今もあのピラミッドの中をぐるぐる回っているんだどうな」
「不思議なんですけど、ロジャーさんどうやってミミックから逃げ切ったんです? 普通に隠れていても気配とかでバレちゃいませんか?」
「そりゃ気配遮断スキルを使えばばっちりだよ。物陰に隠れてやりすごすって寸法さ」
ウエイトレスはペロンと舌を出して唇を舐めながらニンマリ笑った。
「なーるほどぉ。けどその可愛い上に健気なミミックちゃんは、もしかしたらロジャーさんのことを追いかけて町まで来てるかもしれないですよぉ?」
「んなわけないだろ! あんな箱に手足の生えた魔物が町に入れるわけないって」
町の門は屈強な衛兵に守られている上に、大神樹の加護によって普通の魔物が侵入できないよう結界が張られていた。
まあ、時々、ツボに化けて搬入される魔物だの井戸に住み着いていた魔物だのが出てくることはあるのだが……。
ともあれ人間世界を護る大神樹の芽を欺くほどの魔物は、そうそういないのだ。
銀髪巨乳のウェイトレスが俺に訊く。
「それで盗賊王のロジャーさんは次はどんなお宝探しをするんです?」
酒の酔いもほどよく回って俺の口は滑らかに言葉を紡いだ。
「次はそうだな……ここから南にあるっていう密林の奥地にあるっていう遺跡の水晶ドクロあたりを狙ってるんだが……」
「わぁ! 素敵です! きっとロジャーさんなら見つけられますよ!」
やけに俺を応援してくれるウェイトレスだが……はて、昨日もこの酒場兼宿屋を利用したが、こんなにグイグイくる女の子はいただろうか?
三日後――
砂漠の乾いた空気から一転して湿った密林の奥地に分け入り、そこにあった古代の遺跡に潜り込むと、俺は地下深くでついに遺跡の最奥にある宝物殿に到達した。
仲間がいれば恐らくは途中で引き返していたであろう秘境である。なにせ罠に次ぐ罠で、俺でなければ負傷者多数といったところなのだ。
ボッチ……もといソロ万歳。単身乗り込んだからこそ、この高難易度な遺跡の迷宮を踏破できたことは間違い無い。
とはいえ、噂ほどの高難易度ではなかったな。まあ盗賊王の俺にかかればこんなものか。
てなわけで――
迷宮の最奥に到着した。そこには十メートル四方の部屋の中心に祭壇のような台座があった。
暗視スキルを解いて魔力灯で照らすと……なぜか三日前のピラミッドの石室を思い出す。
台座の上に宝箱があるのはそのままだが、これまた普通の宝箱とは違っていた。チョウチョのような形の大きなリボンでラッピングされているのである。
ここまでめかした宝箱を俺は見たことが無い。
そして、なぜか台座から転げ落ちるように宝箱があり、蓋が開いてそこから水晶ドクロがこぼれおちていた。
まるでリボンつきの宝箱によって、元からあったそれが台座から追い落とされたかのようだ。
俺は祭壇の上に鎮座する宝箱を華麗にスルーして、落ちた宝箱から水晶ドクロを拾い上げた。
「お宝は手に入れた。ではさらばだ」
「待ってくださいよおおおおおお! どうみてもこっちの方が期待感高いじゃないですか!? フリフリリボンのラッピング宝箱ですよ? トレジャーボックスどころかプレジャーな体験までできちゃうかもしれないのに!」
聞き慣れた声を上げて鎮座していた宝箱に手足が生えると立ち上がった。
ミミックだ。例のミミックとそっくりのちょっと頭が空っぽ系なミミックだ。
「こんなところにもミミックが。というか開けてもいないのに起立するな」
「もうわたしの心はオープンなんですロジャーさん!」
この喋り方……間違い無い。この前ピラミッドで開けたミミックと同一個体である。
「おい、なんでお前がこんなところにいるんだ? 持ち場はピラミッドだろ」
「持ち場とかそういうのありませーん! 自由なんです自由に生きろって大切な人から教わったんですー!」
くそ、こいつ頭空っぽのくせにへりくつばかり言いやがって。
「そうか。じゃあ引き続き自由に生きろ」
「そのつもりでロジャーさんをお待ちしてました。さあ、その手で可愛いリボンラッピングされた迷える野生のミミックを好き放題してください♥」
「断る。というか……なんで俺なんだ?」
「そんなの決まってるじゃないですか! ロジャーさんにもう一度開けてほしくって、ミミッ子はこうして待ってたんですよ。他の魔物とか超怖かったけど、勇気を出して皆殺しにして、命からがら祭壇にスタンばってたんですから」
道理であっさり奥地まで攻略できたわけである。
カパカパと上蓋を開閉してミミックは喋る。
「ガバガバじゃねぇか開いてるだろ」
「そ、それはそうですけど鍵穴をもっといじってくれませんか?」
「断る! というかお前……申し訳ないと思わないのか」
俺は水晶ドクロを掲げた。この迷宮のお宝の総大将的な存在を、こいつは蹴落として祭壇に登ったのだ。
「ぜーんぜん思いません! ロジャーさん……あなたはぁ……とんでもないものを盗んでいきましたぁ……わたしのハートです♥」
「なにを名作風にまとめてるんだお前は」
箱に手足の生えたミミックは、その少女のような手足をバタつかせた。
「事実ですから本当ですから! さあ、ロジャーさん観念してこれから毎日わたしをかわいがってくださいね。この箱入り娘のわたしを!」
「箱入りじゃなくて箱だろ! というかお前……女なのか?」
「そうですよ! どこからどう見ても女子じゃないですか?」
見た感じ手足は少女だが箱である。
祭壇から飛び降りた彼女は俺に迫った。
「あのロジャーさん。ミミッ子のこともしかして嫌いですか? お宝ハンターのロジャーさんには、宝箱系女子が相性ぴったりって思うんですけど」
「悪いが鍵の開いた中身も空っぽな宝箱には興味ないんだ」
「でしたらロジャーさんの愛で空っぽなわたしを満たしてください。わたしの中に思い出とか甘酸っぱい青春の一ページとか若い男の欲情とか吐き出してたぷたぷにしてくださいってば」
じりじりと距離を詰め俺を壁際まで追い詰めるミミックに恐怖を覚えたが、こちらには煙幕爆弾がある。
とんずら実績100%の俺にかかれば、再びこの頭が空っぽな魔物から逃げ切るのは難しくはない。
あと一メートルの距離にまでミミックが近づいた。
「ロジャーさんロジャーさん。でしたら一度鍵を閉めてください! そしてまた、最初にお会いした時みたいに穴をいじくり回してください。あ、あの……もう正直に言いますね。ちょっと乱暴にされるの好きなんです。壊してくれてもいいですから!」
こいつ、ヤベーやつだ。
煙幕爆弾を手にして俺は口元を緩ませた。
「悪いが水晶ドクロはいただいた。そしてお前に用はない。さらばだ!」
ボフン! と白煙を巻き上げる爆弾で視界を奪うと、俺は祭壇の裏手に身を潜めた。
これで“俺が逃げた”と思い込んだミミックは、前回と同じように出口方面へと俺を探しにいくはずだ。
俺は気配を遮断した。
ミミックが悲鳴をあげる。
「あー! ちょっと逃げないでくださいよー! ミミックから逃げることはできないんですからね!」
そう言いながらミミックは白い闇の中に消えた。
煙幕が段々と薄らぎ、俺は祭壇の影でほっと息を吐く。
「バカで助かった。しかし偶然とはいえこんな場所で出くわすとはな」
灼熱の砂漠を抜けてミミックは密林の奥地にまで入りこんでいたらしい。
俺が密林遺跡に出向くと知っていない限りは、こんなことは万に一つの可能性だ。
「さて、もうしばらく時間をおいてから密林の開拓地に戻るか」
今回は秘宝も手に入れて大もうけである。
これは新しいピッキングツールや冒険道具一式を買い換えができそうだ。
と、ほくそ笑んでいると――
「ようやく白い煙が止みましたねロジャーさん」
「ああそうだな」
「で、これからどうするんです?」
「開拓地から船便で王都に抜けて好事家か考古学博物館にでも水晶ドクロを売りつけたあとだな……って」
振り返るとそこには手足の生えた宝箱がいた。背後から俺に抱きついて宝箱は呟く。
「それでどうするんです? あ! えっと……胸のあたりを押し当ててるんですけどわかりますかロジャーさん?」
「板だな」
「板ですとも」
「お前、俺を追いかけて部屋から出たんじゃないのか?」
「気配遮断スキルって便利ですよね」
「というか煙幕が切れるまでお前の気配に気づけなかったんだが」
「気配遮断スキルって便利ですよね」
繰り返したッ!? つまりこいつは……このミミックは俺の気配探知スキルより高レベルの気配遮断スキルを使えるということだ。
「どうして……お前みたいなヤツが気配遮断をマスターしてるんだ」
「なりすましや擬態やおれおれ詐欺は得意ですから! さあロジャーさん! 今夜はわたしを隅々まで宝探ししてくださいね! 寝かせませんから!」
ミミックの腕を振り払うと同時に俺は走り出した。
「あっ! 待ってくださいロジャーさん! ミミックのミミッ子は立ち上がると仲間になりたそうにロジャーさんに熱い視線を送ってるんですよ!」
「知るか! 俺は人間とだって馬が合わないんだ!」
「なら魔物のわたしにはワンチャンあるってことですよね?」
ポジティブに叫びながらミミックが追走してくる。
その速度は俺を凌駕しており、逃げ切れないと悟った俺は双短剣を抜き払い迎撃に切り替えた。
「ロジャーさああああん! ミミッ子の穴という穴をネバトロオイルで責め立ててください~!」
箱の突撃は猛牛の突進すら生ぬるく感じさせるほどで、俺の身体はミミックのタックルによって軽々と跳ね上げられ通路の天井に叩きつけられた。
おーっとロジャーくん軽量級の盗賊だから吹っ飛ばされたー!
ミミックの特徴は様々なものに擬態できるばかりではない。
その攻撃力たるや並みの魔物を遥かに超えて、時には相手の急所を突き防御を無視したような強烈な必殺必中の一撃を放つのだ。
防御系スキルを回避に振っている俺である。死ぬ時は実にあっけないものだった。
大神樹の加護によって王都の下町にあるこぢんまりとした教会で復活したのだが、ここの神官はひどい男である。
「ではロジャーさんの所持金を全額寄付していただきます。所持品にある金目の物……もとい、この水晶ドクロもこちらで恵まれない子供たちへの支援金にさせていただきますね。いつもご利用ありがとうございます」
銀髪の青年神官は目を細めた。
「普通の冒険者でも所持金半分だろ!? なんで俺は全額なんだ? つーかお宝まで没収だなんておかしいだろ!」
銀髪の青年は目を細めた。
「ロジャーさんは死にすぎて復活保険の等級が最低ランクなのですから仕方ありません」
盗賊王になるまでの道のりは険しく、普通の冒険者の三倍以上は死んでしまった。
復活する度に保険の等級が上がってしまい、今では復活ごとに所持金全没収だ。
盗賊という稼業というか屋号を掲げているのもよろしくない。
せめてトレジャーハンターだったなら、死亡時七割没収程度で済んでいただろう。
反社会的とされている職業で、こうして復活させてもらえるだけありがたいと思え――というのが、教会様のご意向である。
銀髪の青年は俺に告げた。
「次は装備品……いきますからね? くれぐれも死なないように立ち回ってください」
「うるせーこの守銭奴! 庶民の敵! 鬼! 悪魔! サディスト!」
「次は復活できないかもしれないですね」
「ごめんなさい……って謝るかバーカ!」
神官に罵声を浴びせて教会を出たところで、見覚えのある銀髪の巨乳美少女と出くわした。
「う、うう、うわあああああん良かったああああ!」
少女はいきなり俺に抱きつくと、べろんと舌を出してほっぺたをなめ回してくる。
「お、お、おおおおおいやめろ! なんだお前は!」
俺の頬を舐めるのをやめると、少女は上目遣いで真剣な眼差しを俺に注いだ。
「お忘れですか? あの時、あなたにイかされてからずっと一途に想い続けていたものの、再会した時にあなたを殺めてしまったミミックです」
「いやいや何を……って俺を殺した」
「ミミックのミミッ子です! 人間に擬態してこうしてまた会いにきました。仲間になりにキマした。空っぽのわたしを満たしてくれるのはロジャーさんしかいませんから! ふつつかものですが、どうかよろしくお願いいたします」
どうやらミミックから逃げられないという噂は本当のようだ。