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物欲ゼロ川さん  作者: 宮田
4/5

あとのまつり④

 結局のところ、シンプルだったシャツは全くの別物として生まれ変わった。


 ゼロ川さんはあたしのハンカチで、破れたシャツの端にはフリルを、コーヒーを零した胸の部分にはコサージュ風の小さな花を縫い付けていた。


 彼女の手際と技術はとにかく凄かった。


 瞬く間にフリルを縫い付けたかと思えば、次に胸付近のシミを備え付けの食器用洗剤であっという間に落とした。そのシャツを「タオルで叩いておいて」とこちらに放り投げ、あたしが湿気を取りきる頃には上品な白い花が完成していたのだ。


 出来事全てが給湯室で完結し、ものの10分もかからなかった。


 作業を終えると、ゼロ川さんはシャツをあたしに渡してこう言った。


「取引先には、これで提案して」


 あたしはすっかり別物と化したシャツを受け取る。

 渡されたシャツは確かに綺麗だ。だが確か、取引先から受けていたオーダーは「デザイン自体はシンプルで、高級感のある生地にこだわったもの」という内容で、今手元にあるものではその要件を満たせていないように思える。


 だからせっかく修復し、アレンジまで加えてもらったのだが、結局は無意味なことのように思えてしまい口を開く。


「……え、でもこれじゃ」


「大丈夫」


 しかしそんなあたしに、ゼロ川さんは強めの、どこか確信めいた口調で語る。

 なんとなく彼女らしくない、鋭い声色だった。

 普通なら当然納得できないのに、あたしは何故か大丈夫だと思ってしまっていた。語気の強さだけで説得力が生まれたのだ。


 ゼロ川さんの言うことを聞けば、上手くいくような気がする。そんな根拠もない、危うい雰囲気に飲まれまいとあたしの理性が必死に働く――が。


「何かあったら」


 どくん、と心臓が跳ねる。

 あたしは、その次に続く言葉があたしの望むものであることを期待した。

 望める立場ではないのに、期待に震え、そして――


「全部私のせいにしていいから」


 その言葉ひとつで、あたしの中で滞っていた気持ちは綺麗さっぱりなくなった。


     *     *     *


 死ぬほど嫌な汗をかきながら迎えたシャツのお披露目会は何故か順調に進み、文字通り滞りなく終了した。


 結果的には何事もなく終わったことになる。


 あたしが唯一怒られたことといえば、ハンカチを携帯していなかったことくらいだ。

 汗をだらだら流すみっともない姿は、とても社風にはそぐわない。


 ただ……本当にそれだけだった。あとは記憶が飛ぶくらい緊張していたためか、何も覚えていない。


 とにかく。

 とにかく良かった。

 これであたしの首は飛ばずに済むのだから。


(……でも、なんでだろう)


 ゼロ川さんがあたしを助けてくれた理由。お披露目会がうまくいった理由。どちらも心当たりは全くない。


 あたしはこの件をネタに見返りを求められているわけではないし、あまつさえ全部ゼロ川さんのせいにしてもいいとまで言われたのだ。普通に考えると、何か理由がなければ説明がつかない。


 ……が、やはりいくら考えても分からない。


(……ま、いっか)


 あたしは深く考えるのをやめた。

 どうしても、流されて生きていく方が楽なのだ。そういう性質なのだから仕方がない。


 あたしはこうしてこれからも生きていくのだろう。


「後野さん」


 なんてことを考えていると、不意に澄んだ爽やかな声があたしの名前を呼ぶ。


「あっ……!」


 思わず体が固まる。あたしだけではなく、どんな女性社員もきっと同じ反応をするはずだ。

 弊社営業部の華であり、容姿、頭脳、人柄どれを取っても百点満点。男女問わずひときわ人気の高い――彼を目の前にすれば。


 秋にもかかわらず、春の日差しを感じさせるような笑顔に思わず目を逸らす。

 彼に会う直前まで、自分の生き方について狡い考えをしていたのが恥ずかしい。


「お、お疲れ様です……!」


 それだけ言うのが精一杯だった。

 目線が定まらず挙動不審であろうあたしに、彼は優しく言葉を続けてくれる。


「商談、うまくいったみたいだね」


「あ、そ……それは……、…………」


 ゼロ川さんのおかげなんです。その一言が、出てこない。

 緊張で思わず俯いてしまう。呑み込んだ言葉は喉の奥でずっとぐるぐるしたままだ。


 しかし、そんなあたしの様子は取引先との会議で疲れたように見えたのか、


「お疲れ様」


 とだけ言い、素敵な笑顔を見せて去っていった。


(はあ……カッコよかったなぁ……)


 いいものを見たおかげか、あたしは春風が通り過ぎた後のようにさっぱりした気分になっていた。


(春……)


 ついさっき、それに似た出来事があった気がする。

 ――が、何だっただろうか。後に残ったの、ちょっとした疲労感が思考の邪魔をする。


 甘いものが恋しくなるような、ちょっとした気怠さだ。


(コンビニで何か買ってこようかな)


 おやつの時間はとっくに過ぎ、午後4時を回っている。

 だがドタバタしていたせいで全く手を付けられていない仕事が、まだまだたくさん残っているのだ。


(首も繋がったことだし……続き、やるかー)


 生きていればなんとかなるものだ。

 だから、もう少しだけ流されて生きていこう。


 ただ、気を抜いてばかりで名前通りの人生を歩むのはもう真っ平なので、先輩に怒られて”後の祭り”になる前に済ませておかなくては。


 あたしはどこか軽い足取りで、秋晴れの空の下へと旅立った。

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