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おととい来やがれすっとこどっこい

「今の館長ヒッパリダコスは、当時、不偏不党の大図書館を政治利用してと、散々不平不満を漏らしてたらしいや」

「先生らしいわね」

「だからヒッパリダコスは、エラソーナの奴に辞任を突き付けるつもりだったらしいんだが」

 キンさんのその言葉に、アリスはパッと顔を輝かせ

「もしかしてその前に辞めちゃったとか!」

 そう口にした。

「おっと! その通りだ、兄さん! だからヒッパリダコスは拍子抜けしちまったらしいや」

「まあ! 先生もお気の毒に……そう言えば先生あの頃、何だかガックリ肩を落としてたけど、その所為だったのね」

「おっと! こんな所で長々と立ち話もいけねえな。どうだい、お二人さん? 夕飯がまだなら、おいらがおごるぜ」

「え! 本当、キンさん! じゃあ、是非ご馳走になるわ!」

 こうしてクレオパトラは、遠慮しようとするアリスの手を強引に引っ張り、キンさんと共に王都名物のそば屋に入った。

「この季節にそばと言やあ、ざるに限るぜ」

「ざるそばにはやっぱり、アナゴの天ぷらよね」

 そば屋の奥の座敷に通された三人は、そばの匂いと天ぷらの香りに誘われるように、品書きを見るのもそこそこに、早速ざるそばとアナゴの天ぷら、そして酒を注文した。



「ほら、アリス。どんどんやって!」

 そう言ってクレオパトラはアリスの盃に無理矢理酒を注いだ。

「ちょ、ちょっとクレオパトラ!」

「何、アリス! 私の注いだ酒が飲めないっていうの!」

 久しぶりの酒を浴びるほど飲み、既に目が座っているクレオパトラは、アリスに凄んだ。

「ちょいとお嬢。兄さんも困ってるじゃあねえか。見たところ兄さん酒は弱そうだ。ここはおいらに免じて、勘弁してやっちゃくれねえかい」

「仕方ないわねえ、アリス」

 そう言うとクレオパトラはアリスに空の盃を突き出し

「さあ、じゃんじゃん注ぎなさい」

 そう催促した。

「まるでうわばみだよ」

 ぼそっと呟くと、アリスはクレオパトラの盃に酒を注いだ。

「ところでキンさん」

「何だい、兄さん?」

「キンさんはあのおっさん、エラソーナ・スッテンテンと知り合いみたいな口ぶりだったけど?」

「エラソーナの奴には昔から良く金を貸しててねえ」

「へえ。キンさんまで」

「今まで返って来た試しがねえんだな、これが。参っちまうぜ」

「そりゃまた、難儀な話ですね」

「奴と知り合ったのが運の尽きって奴よ」

「へえ。一体どこで知り合ったんですか?」

「そうだなあ」

 そう言ってキンさんはざるそばを一口ずずっと啜った。

「王都のそばもいいが、そばと言やあ何と言ってもマッシーロだな」

 マッシーロは古くからのそばの産地であり、そば処として有名な地である。

「そうですね。王都の老舗そば屋も、元を辿ればマッシーロのそば職人が王都に出て来て始めたのが多いらしいですから」

「おっ、兄さん物知りだね! 流石ユークリッドの弟子だ!」

「どういたしまして」

「そんでさっきの続きなんだが、マッシーロの領主と言やあ」

「サナディー公ですね」

「その通り、サナディー公よ。しかも先代サナディー公は、あのラッコ―・シラカー公の息子と来たもんだ」

「サナディー家に婿入りしたんですよね、確か」

「そうよ、兄さん。そんでもって、父親のラッコ―・シラカー公の強い後押しもあり、執政官になったって寸法よ」

 先代マッシーロ領主、ユッキー・サナディーは、十数年前、トレミー867世の治世下で執政官を任命された。

「名君としても名高い方ですよね」

「おうよ! 何しろおいらを下町奉行に任命したのも、ユッキー・サナディー公だからな」

「え? そうだったんですか?」

 キンさんは盃の酒をグイと飲み干すと

「おいらとユッキー・サナディー公の出会いも、奴が取り持ったようなもんだ」

 そうしみじみと語った。

「何しろ奴、エラソーナ・スッテンテンは、元はユッキー・サナディー公の宮廷観測者だったんだからな」

 そう続けると

「まあ、一日で辞めちまいやがったが」

 更にこう付け加えた。



「えええ!」

 漸く何かに気付いたかのように、アリスは驚きの声を上げた。流石のアリスも暫くの間、声が出なかったのである。

「まったく、とんでもねえ奴だよ。折角サナディー公が三顧の礼で迎えてくれたってのに」

 そう言うと、キンさんは再び酒をグイっとあおった。

 アリスは開いた口が塞がらないといった顔で、無意識に苦手な酒を飲み、むせこんだ。

「しかしまあ運命って奴ぁ、皮肉なもんだ。そいつが切っ掛けでおいら、下町奉行になれたわけだからな」

「切っ掛け?」

 漸く落ち着きを取り戻したアリスがキンさんの言葉に反応した。

「あれはもう、かれこれ二十年近く前の話だ。その頃のおいらは、正真正銘の遊び人でねえ」

「トーヤマ家と言えば、代々普請奉行の家柄ですよね?」

 普請奉行とは、王都の公共工事を管轄する奉行であり、常時十名以上が任命されていた。

「そうよ。うちは先祖代々普請奉行を仰せつかって来た家柄だ。ただこの普請奉行、大商人との癒着を疑われやすいお役目。だから我がトーヤマ家は、変に疑われねえようにってんで、昔から質実剛健を家訓として来たってわけさ」

 王都の公共工事には莫大な予算が投入される。故にそれを管轄する普請奉行は、公共工事を請け負う大商人と癒着しやすかった。

「そんな先祖代々質実剛健なトーヤマ家だ。金は貯まる一方よ。その金で書画だの壺だのといった面白くもなんともねえ骨董品を買って、家宝にしてたわけだ」

 質実剛健を旨とする者達は、きらびやかな宝飾品を家宝にしたがらなかった。そんな彼らに人気があったのが書画や壺などの骨董品だった。

「ところがそんなトーヤマ家に生まれたひいじいさんは、稀にみる道楽者でねえ。家宝の骨董品を売り払って放蕩三昧。おまけに訳の分からないガラクタを買い集める始末と来たもんだ。おかげでトーヤマ家の台所はあっという間に火の車よ!」

「な、なんか豪快な人だったんですね、キンさんのひいおじいさんて」

「おうよ! そんなひいじいさんのたった一人のひ孫だったおいらは、ひいじいさんに人一倍可愛がられて育っちまったもんだからいけねえや。おやじやじいさんが、家計の傾いたトーヤマ家を昔の姿に戻そうと躍起になってたんだがな。そんなおやじ達に、おいらはひいじいさんと二人、いっつも逆らってたってわけよ」

「いや、でもそれはキンさんのお父上達の方が正しいんじゃ? 家計が傾いてるわけですから」

「それを言っちゃあ、お終いよ! おいらもひいじいさんも、意地を張っちまった手前、後には引けなかったのさ! ともあれ、ひいじいさんとおいらの二人きりの抵抗も、ある日、突然終わっちまった。ひいじいさんが死んじまってな。まあ、歳も歳だから仕方ねえや。一人残されたおいらは、おやじ達に啖呵を切って家を飛び出したって寸法だ」

「おいこらキン公! 家出とは、なにごとらー!」

 しかしその時、酒瓶を片手に酔ってウトウトしていたはずのクレオパトラが、突然声を上げた。そしてそのまま再びウトウトし始めた。

「クレオパトラさんにだけは言われたくないですよね、キンさんも」

「ははは。違えねえ」

 そう苦笑いすると、キンさんは話を続けた。

「啖呵切って家を飛び出したおいらは、それから何年も王都でブラブラしてた。変なガラクタばかりを集めてたひいじいさんのおかげで、ちょいとばかり目利きの腕があったおいらは、金が無くなると馴染みの質屋に手伝いに行ったりしてな。それでなんとか食い繋いでたって寸法だ。そんなある日の事だ。奴がその質屋に現れたのは」

「奴って、もしかして?」

「そのもしかしてよ。奴、エラソーナ・スッテンテンが現れたのよ。よりによってオリハルコンのものさしを質入れしたいと抜かしやがってな」

「えええええ!」

「あん時ゃあ、おいらも思わず言っちまったよ。おととい来やがれすっとこどっこいってな」

 キンさんのこの言葉にアリスは大きく頷いた。



「なんらとー、キン公! このクレオパトラさんに喧嘩を売るとは、百年早いんらー」

 不意に起きたクレオパトラは、そう叫ぶと再び眠りについた。

 アリスとキンさんは互いに顔を見合わせると、何事も無かったかのように話を続けた。

「それでも何か訳ありなんだろうと話を聞けば、奴ぁ、サナディー公の宮廷観測者をやってたんだが、窮屈で性に合わねえから辞めて来たんだと抜かしやがる」

「まあ、後に大図書館の館長を三日で辞める人ですから」

「おうよ! 呆れて物も言えねえとはこの事だ! それでもおいら、根気よく話を聞いてやったのよ。あの頃ぁ、情に厚いキンさんと、下町じゃあちょっとは名も知れてたおいらだ。だからつい、余計なお節介を焼いちまったんだな。ところがそれが運の尽きって奴よ。奴ぁ、おいらにこう言ったのよ。それよりうまい投資話があるから、一口乗らねえかとな」

 ユークリッドと双璧をなす大観測者エラソーナ・スッテンテンは、金運が恐ろしく悪いくせに投資話が大好きだった。故に彼はしばしば莫大な借金を抱え、借金取りに追われまくる始末だった。

「啖呵切って家を飛び出し、遊び人に成り下がったおいらだ。人様に偉そうな事を言えた義理じゃねえってのは百も承知よ。だがなあ、あいつ、エラソーナ・スッテンテンにだけは、説教の一つも思いっ切りしてやらなけりゃ、人としての大事な何かを無くしちまうような気がしてな」

「分かります、思いっ切り。これ以上ないほど、思いっ切り」

「ところが気付いてみりゃあ、説教されてるのはおいらの方じゃねえか。それも思いっ切り上から目線で。最初おいらは、自分の身に何が起きたのかさっぱり分からず、まるっきり狐につままれてる気分だったよ」

「何かもう、歩く災難ってレベルですね、あのおっさん」

「おうよ! 兄さん。うまい事言うね! 確かに奴ぁ、歩く災難だ! 遊び人だったおいらを、下町奉行にまでしちまうんだからな」

 キンさんはそう言うと、ざるに残った最後のそばを取り、たっぷりとワサビの入ったつゆに付け、ずずっと啜った。

「それからのおいらは、何だかんだ言いながらエラソーナの奴とつるんで王都を遊び歩いてたんだが、いつしかそんなおいらの噂が、サナディー公の耳にまで届きやがってな。あのエラソーナ・スッテンテンと連れ立ってる妙な遊び人がいると。そんでよくよく素性を調べりゃ、トーヤマ家を出奔した不良息子と来たもんだ」

「驚いたでしょうね、サナディー公も」

「まあな。尤も、エラソーナの奴が一日で辞めた時点で、サナディー公は驚くのにも慣れちまったそうだ。折からお忍びで下町を見て回りたいと思っていたサナディー公は、おいらに案内役を頼んで来たんだ」

「なるほど! それが縁で!」

「その通りだ、兄さん。サナディー公はおいらとすっかり昵懇になってな。しかもおいらに負けず劣らずのお節介焼きと来たもんだ。頼みもしねえのに、おやじ達に直談判して、おいらがトーヤマ家の後を継げるよう取り持ってくれてね。そんで執政官に任命された暁には、おいらを下町奉行に取り立ててくれたんだ」

 下町奉行は普請奉行よりも地位が高い為、代々普請奉行の家柄の者が下町奉行になる事は珍しかった。

「あれ、でもキンさん。コフウ家とはどういう知り合いなんですか?」

「トーヤマ家は代々普請奉行の家柄だろ? 王都の公共工事を管轄する。だから当時、おやじ達とヒッパリダコスは知り合いだったんだ。ヒッパリダコスは観測者の中でも、魑魅魍魎退治よりは天文と土木建築方面を得意としてたからな。そのヒッパリダコスが、コフウ家の宮廷観測者になった縁で、トーヤマ家とコフウ家の間に縁が出来たって寸法さ。まあ尤も」

 そう言うとキンさんは顔をしかめ

「エラソーナとヒッパリダコスがトーヤマ家で顔を合わせた時には、おいらも冷や冷やしたよ。あの二人、昔から仲が悪くてな」

 そう言って苦そうに盃の酒を飲み干した。

「おいらがお嬢に最初に会ったのは、おいらの下町奉行就任の祝いに、ヒッパリダコスが久しぶりにトーヤマ家に顔を出した時だ。その時、お嬢もヒッパリダコスに付いて来てね」

「へえ、そうだったんですか……って、まさか!」

 急に顔色を変えたアリスを見て、キンさんはニヤリと笑い

「そのまさかよ! 就任祝いの噂を聞きつけ、金になりそうだと踏んだエラソーナの奴が、久しぶりに王都に戻っておいらの所に金を借りに来やがったんだ。その時、お嬢とエラソーナの奴がバッタリとな」

 そう事の次第を説明した。 

「尤もその時は、すぐに王都から行方をくらませちまったがな」

 そしてそう付け加えた。

「以来お嬢は良くトーヤマ家に遊びに来てたんだが」

「良く許可が出ましたね」

 王族や貴族が公式の社交の場以外で顔を合わせるのは憚られた。王に対する謀反を阻止する為である。故に同じ山の手区域に邸宅があったとしても、非公式に訪問する事はなかった。

 例えば王族や貴族がそれぞれの邸宅で社交パーティーを開催する場合、事前に山の手奉行に届け出る必要があった。山の手奉行はこのような届け出があると、警備の為と称して王の親衛隊を派遣する決まりになっていた。これにより、漸くその社交パーティーが公式の社交の場であると認められたのである。

「あくまでヒッパリダコスのお供って体裁さ。お嬢、その為にかなりヒッパリダコスを拝み倒してたらしいや」

「はっはっは。そりゃ、ヒッパリダコスも災難ですね」

「ヒッパリダコスの災難はそれだけじゃねえぜ。暫く王都を離れてたエラソーナの奴が、王都に戻って来て大図書館の館長になっただろ? 館長を辞めた後、奴は暫くほとぼりを冷ました後、再び王都に戻って来てな。当然、おいらの所に入り浸りになったわけだ」

「あ!」

「そうよ。当時はお嬢もおいらの所に入り浸りだ。当然、顔を合わせねえはずはねえ。エラソーナの奴、お嬢を通じて良くコフウ家に投資話を持ち掛けようとしてたよ」

「えええ! まさかコフウ家にまで魔の手を!」

「尤も寸での所で、いつもヒッパリダコスに邪魔されて未遂に終わってたが」

「は~、本当に災難ですね、ヒッパリダコス」

「はっはっは。お嬢のジオメトリーの師はヒッパリダコスだが、悪巧みの師はエラソーナと言っても過言じゃねえからなあ」

「まさかそんな昔からあの二人が意気投合してたとは!」

「まあ、兄さんも災難だったねえ」

「え? 知ってるんですか、キンさん?」

「つい先日、エラソーナの奴から聞いたよ」

「あ! そう言えば、今、王都に来てるんだった!」

「ひゃっはっはっはっは! エラソーナ・スッテンテン、主も悪よの~、ひゃっはっはっはっは!」

 クレオパトラが再び寝言を言った。

「エラソーナの奴と悪巧みをしてた時のお嬢は、本当に楽しそうな顔をしてやがった。後継者争いをしてた時とは、まるっきり別人のようだぜ」

 アリスは居眠りするクレオパトラの顔をじっと見た。

「あの頃以来だな、お嬢のこんな楽しそうな顔を見るのは」

 キンさんはそう呟いた。



「アリス、らーいしゅき!」

 大図書館への帰り道、酔いつぶれたクレオパトラを抱えながら歩くアリスの横で、彼女は突然そんな言葉を発した。

「ク、クレオパトラ!」

 アリスは顔を真っ赤にし、素っ頓狂な声を上げた。

「と言っておけば、アリスのことらー。わらしの下僕として、こき使えるらろー。流石クレオパトラさんらー。ハニートラップの天才らー」

 そう言って再び、クレオパトラは眠りについた。

「おととい来やがれすっとこどっこい」

 アリスは小声で呟いた。

 アリスにもたれ掛かるクレオパトラの寝顔はニヤついていた。

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