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ハルマゲスト

「その事なんだけど、サーニャ。タイロン・イイネ公って、本当に君が言う程の野心家なのかなあ?」

 アリスのその言葉に、サーニャ・ハッシュは見る見る不機嫌さを露わにした。

「この期に及んで何寝ぼけた事を言ってるんだ、アリス! あの男が権力に取りつかれた野心家以外の何者だっていうのさ!」

 いつもの沈着冷静な態度が嘘のように、サーニャ・ハッシュはむきになって捲し立てた。

「うーん……役者?」

 アリスの答えとも言えないような言葉は、思わずサーニャ・ハッシュの失笑を買った。

「はっはっは。はっはっは。アリス、いきなり何を言い出すかと思えば。確かにあの男は元役者さ。五年前にイイネ家を継ぐまではね。でも今や大執政官。事実上、この世界の権力の頂点に立つ者だ。それは君だって良くご存知のはずだろ? 何しろあの男、千年以上もの伝統があるアリマ記念日の開催日を、自分の都合で勝手に変えるような真似までしてるんだから」

「確かにサーニャ、それは僕もやり過ぎだと思ったよ。いくら競馬が好きだからって、いくらアリマ記念日にドラマを感じたからって、自分の都合に合わせて開催日を変えるなんて、そんな権力の使い方があっていいとは僕も決して思わない。でも……」

「でも、何だい、アリス?」

「でもタイロン・イイネ公が自分自身の為に権力を振るったのって、その時だけなんじゃないかな? 後は全部、モッツァレラ・キッシュ君を王の後継者にする為に権力を振るってるんじゃない?」

「それだって結局、自分自身の為さ。だって考えても見てよ、アリス。モッツァレラ・キッシュ君はタイロン・イイネの兄の子。つまりタイロン・イイネの甥だ。自分の甥が次の王ともなれば、タイロン・イイネの権勢はこれ以上ないほど盤石になるだろ?」

「僕が疑問に思うのはそこなんだよ、サーニャ。だって今回、タイロン・イイネ公は大図書館すら敵に回しちゃったわけだし。そんな真似をすれば、いくら甥のモッツァレラ・キッシュ君が次の王になったって、タイロン・イイネ公自身は責任の追及を免れないでしょ?」

「奴の事だ。責任追及なんて、のらりくらりとかわして、いつの間にか無かった事にして、いつまでも権力の座に居座り続けるに決まってるさ!」

「今回ばかりは流石に無理だよ、サーニャ。トレミー868世が、血縁の一番近いモッツァレラ・キッシュ君を後継者にしたいと思うのは人情だけど、タイロン・イイネ公の画策でそれが成就したとしても、王の立場としては公平じゃなきゃいけないから、どうしてもバランスを取る必要が出て来る。だからその為には、強権を振るって不評を買っているタイロン・イイネ公をどうしたって更迭するしかないんだ。そうしなきゃ、不公平だって不満が、他の王族や貴族から次々に噴出する事が目に見えてるんだから。つまりモッツァレラ・キッシュ君が次の王に成る事と、タイロン・イイネ公が大執政官で居続ける事の両方は成り立たないんだ。どちらか片方が成り立てば、もう一方は不成立になってしまうんだよ、この命題は」

「この命題と来たか、アリス・タルタル! 確かにアリス、この命題に関しては、これ以上君を論破する事は出来そうにないね」

 そう言ってサーニャ・ハッシュはニッコリ微笑み

「でもアリス。僕の意見も間違っちゃいない。だって君の命題は、一方が成り立てばもう一方が成り立たないってものだろ? なら逆に考えれば、タイロン・イイネがモッツァレラ・キッシュ君を王の後継者にする事を止めれば、タイロン・イイネはいつまでも大執政官でいられる事になる。つまりタイロン・イイネは、モッツァレラ・キッシュ君を後継者争いから退かせてまで、権力の座に固執する野心家だって言えるわけさ。どうだいアリス・タルタル。君はこの意見に反論できるかい?」

 一気にそう述べた後、不敵な笑みを浮かべた。

「なるほどサーニャ。そう来たか。確かに僕も、タイロン・イイネ公が、モッツァレラ・キッシュ君を後継者争いから退かせるなんて可能性までは、想定してなかったよ。だからそう言われると、なかなか反論は難しそうだな。うーん……」

 僅かの間、アリスは目を閉じると

「あっ!」

 急に目を見開き、大声を出した。 

「でもサーニャ! もしタイロン・イイネ公が君の言う通りの野心家だとしたら、タイロン・イイネ公はなぜ今みたいな事態をしでかしたと? もし権力の座に固執するのが目的なら、むしろ大図書館とはうまく折り合いをつけてるはずだよね? 歴代の執政官達がそうして来たように」

「つまりアリス。君はタイロン・イイネが大図書館とうまく折り合いをつけなかった事を以って、タイロン・イイネは本当は野心家じゃないと、そう主張するわけだね?」

「そういう事になるね、サーニャ」

 アリスの返事にサーニャ・ハッシュは暫く黙り込むと、意を決したように口を開いた。

「仮にアリス、君の言う通りだとして、僕らはこの事態を甘んじて見過ごすべきだと思うかい? モッツァレラ・キッシュ君が王の後継者に決まるのと引き換えに、タイロン・イイネが失脚するのを大人しく待ってろと?」

「少なくとも大図書館は、そんな考えじゃないわ」

 しかしアリスの代わりに、クレオパトラがそう答えた。

「つまり大図書館は、モッツァレラ・キッシュ君じゃなく、ヨッスィーツ・フィツヴァ・スィー君を王の後継者に推すと?」

「いいえ。王の後継者争いに関しては、大図書館はあくまで中立よ。ただ大図書館としては、タイロン・イイネの筋書き通りに事を運ばせるつもりはないって事。タイロン・イイネが野心家だろうが野心家じゃなかろうが、それは変わらないわ」

「それは何とも、僕らとしては心強いと言いたいところだけど、でも僕らとしては、この争いに大図書館を巻き込むつもりはないんだ」

「でも現に、大図書館は巻き込まれてしまっているわ」

「そこなんだ! そこが厄介なんだ! 僕らの当初の筋書きは、アリスがさっき言ってた通り、王都の手前でイイネ軍を打ち負かす事だったんだ。タイロン・イイネを敗軍の将と印象付けて、一気に失脚へ持って行く。ところがタイロン・イイネの奴、そんな僕らの思惑の斜め上を行って、まさかの大図書館との抗争と来たもんだから、僕らも思案に暮れてしまってね」

「確かにタイロン・イイネが大図書館と事を荒立ててしまった以上、王都の外でのエッツェン軍とイイネ軍の争いは、すぐに王都内での下町と山の手の争いに飛び火してしまうわ。そして王都はたちまち火の海に包まれてしまう。これはシュンガーの望むところではないでしょうね」

「その通りさ、クレオパトラ。王都内であくまで平和裏にタイロン・イイネを失脚させる。その為に王都の目と鼻の先でエッツェン軍がイイネ軍を打ち負かす。これが僕らの筋書きだったんだ」

「恐らくなんだけど」

 アリスが神妙な顔で口を挟んだ。

「タイロン・イイネ公はその筋書きに、とうの昔から気付いてたんじゃないかな?」

「なんだって、アリス!」

「僕らは今まで、幾度となくタイロン・イイネ公に先手を打たれて来ている。恐らくタイロン・イイネ公は、君やエッツェン公がどういう手を打って来るのかも予め想定してたんじゃないかな?」

「まさか! タイロン・イイネが! あの役者上がりの、高貴さの欠片も無い、恥知らずの男にそんな知恵がが回るとでも?」

「役者上がりだからだよ、サーニャ。タイロン・イイネ公は今まで、色んな人生、色んな物語を演じて来た。高貴な者から貧しい者まで。荒唐無稽な喜劇から胸を突くような悲しい物語まで。様々な筋書きに触れて来たんだ。そんなタイロン・イイネ公にとっては、簡単に思い付かないだろうと僕らが高を括っている冴えた筋書きでさえ、どこかで見たようなありきたりな話なのかも知れない。つまりサーニャ、今回の君たちの筋書きは、タイロン・イイネ公にとって想定の範囲内だったって事だと思う」

「そんな!」

 サーニャ・ハッシュは愕然と肩を落とし、地面に両手と両膝をついた。

「僕らはタイロン・イイネの手のひらの上で踊らされていたと?」

「恐らくね」

 アリスは静かに答えた。

「だからこそ、あなた方には大図書館が提示する新たな筋書きに協力して欲しいの」

 クレオパトラは片膝をつくと、サーニャ・ハッシュの手を両手に取り、真剣な眼差しでそう述べた。



 フッキー城では今、アリス達がエッツェン公の留守を預かる重臣達を前にしていた。

「ようこそおいで下さいました、クレオパトラ姫」

 年老いた男性が、重臣達を代表して深々と頭を下げた。

「それにエラソーナ・スッテンテン殿。兼ねてより貴殿の名声は聞き及んでおりまする」

「そしてアリス・タルタル殿。我がエッツェンの誇る宮廷観測者、こちらにおるサーニャ・ハッシュの友よ。貴殿の噂もまた、宮廷観測者殿から聞き及んでおりまする」

 そう言ってあらためて頭を深々と下げた。

「宮廷観測者殿からの話では、御一同は大図書館からこのエッツェンへの書簡を預かっておられるとか」

「その通りよ、首席補佐官殿」

 一同を応対しているのは、エッツェン領の行政をエッツェン公に代わって取り仕切る首席補佐官だった。

 首席補佐官はクレオパトラから手渡された手紙を暫く黙って読むと、急に「おお!」と声を上げ、天を仰いだ。

「よもや大図書館が、我らエッツェンにハルマゲストの探索を要請して来るとは! あの幻の書物の探索を!」

 ハルマゲストとは、八千年前にトレミー1世によって書かれた、世界の天変地異の法則が書かれたとされる書物である。この書物の名は大図書館の一番古い目録に載っている事から、その実在は確実視されている。しかしこの書物はトレミー1世の死後、関連する書物と共に大図書館から忽然と姿を消した。大図書館がトレミー1世の命により設立されてから数十年後の事である。爾来大図書館は、八千年もの長きに亘り、この書物の行方を捜していた。

「失われた幻の書物、ハルマゲスト。大図書館八千年の歴史はある意味、このハルマゲスト探索の歴史でもあるわ。そんな大図書館の悲願達成の為、エッツェン軍の力を借りたい。動員出来る限りのエッツェン軍に、転送ゲートを通って大図書館まで来て欲しい。それが大図書館からの要請よ」

「なんと!」

 後ろに控える重臣達からも、次々に驚きの声が上がった。

「大図書館からのハルマゲスト探索の依頼であれば、エッツェンからの大軍を中央銀行の転送ゲートを使って王都まで移動させられる。大図書館はそう考えたわけだね」

 今まで首席補佐官の横で黙って経緯を見守っていたサーニャ・ハッシュだったが、とうとう堪え切れないように口を開いた。

「ご名答! そうよ、サーニャ。ヒッパリダコス先生もあれでなかなか悪知恵が働くから。中央銀行の者や観測者以外には原則使用禁止の転送ゲートを、ハルマゲスト探索にかこつけてエッツェン軍にも使わせる。何しろハルマゲストは世界の天変地異の法則が書かれたとされる書物。だからその探索の重要性は観測者の魑魅魍魎退治にも匹敵する。そんな風に理屈を並べて、ヒッパリダコス先生は中央銀行の許可を取ったそうよ」

「ふっはっは! なかなかやるではないか、ヒッパリダコスの奴も。ふっはっは!」

「いつの間にか、おっさんの悪知恵が感染しちゃったんじゃないかなあ、あの館長に」

「ふっはっは! ユークリッドの弟子よ。褒めても何も出んぞ。ふっはっは!」

「いや、褒めてないから!」

「コホン! 城内ではお静かに」

 しかしサーニャ・ハッシュの咳ばらいに、アリスとエラソーナ・スッテンテンは顔を赤くして俯いた。

「いきなりエッツェンの大軍が転送ゲートを通って王都の下町に現れたら、王都の山の手は上へ下への大騒ぎになるだろうね」

 続けてサーニャ・ハッシュはそう言うと、ニヤリと笑った。

「全く、宮廷観測者殿の言う通りですな。全く以って大図書館は、何という大それた事を!」

 首席補佐官は呆れたような顔でそう言うと、不敵な笑みを浮かべた。

「大図書館は大それた事ついでに、王都中を魑魅魍魎だらけにするそうよ。偽の魑魅魍魎だけど」

「偽の魑魅魍魎だって!」

 思わず大声を出したサーニャ・ハッシュに

「サーニャ。あなたもここ暫く魑魅魍魎が現れてないのはご存知でしょ?」

 クレオパトラはそう問い掛けた。

「ああ。お陰で観測者集めは思ったより苦労しないで済んだよ。何しろ最近、食い詰めた観測者が多いからね」

 サーニャ・ハッシュは全軍が出払った後のエッツェンの守備の為、大勢の観測者をスカウトしていた。

「だからその現象を逆に利用するの。今まで魑魅魍魎が現れなかったのはたまたま偶然で、非常に強い集団的ストレスが原因となって、今まで現れなかった分を補うように大量の魑魅魍魎が出現する。そんな芝居を王都で打つのよ。そのストレスの切っ掛けが、いきなり現れるエッツェンの大軍ってわけ」

「なるほど! 大図書館もタイロン・イイネの十八番を奪う一芝居を王都で打つってわけか!」

「その通りよ、サーニャ。芝居には芝居で対抗する。あのタイロン・イイネですら未だかつて見た事のない、大図書館流の芝居でね。魑魅魍魎退治を大義名分に、王都の山の手を大図書館の息の掛かった観測者だらけにするの。そしてどさくさに紛れて、魑魅魍魎の大量出現で肝を冷やしたトレミー868世に、タイロン・イイネの失脚を迫るって寸法よ」

「何とまあ、大胆な事を! して我らエッツェンには、その芝居の片棒を担げと、そういうわけですな、クレオパトラ姫よ」

「その通りよ、首席補佐官殿」

「いやはや。何とまあ、人使いの荒い。ふっはっはっはっは。ふっはっはっはっは。これ程までに、我らの想像の斜め上を行く事態になろうとは! これはもう、笑うしかありませんな。ふっはっはっはっは」

 首席補佐官の呆れ果てたような笑い声に、他の重臣達も次々と釣られて笑い出した。

 フッキー城内は今、久しぶりに大きな笑い声に包まれていた。

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