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爪の垢を煎じて

「どうやらこのフッキー城下にも、タイロン・イイネのスパイがウロチョロしてるようだね」

「え? どうして知ってるの、サーニャ?」

 アリスの問い掛けに

「君達の事をずっとつけてたからね。中央銀行のフッキー支店から君達が出て来た時からずっと」

 サーニャ・ハッシュはそう答えた。

「尤も僕が本来見張ってたのは、君達じゃなくタイロン・イイネの手の者だったんだけど」

 更にこう付け加えた。

 そして一呼吸置くと

「君達を含め殆どの観測者はフリーランスだけど、実質的には大図書館と運命共同体だから、当然大図書館側って事になる。それは今回のタイロン・イイネによる下町侵攻の件が如実に物語っている。侵攻を食い止める為、大勢の観測者が活躍してるんだから。ただ観測者全員が大図書館側ってわけじゃない。例えば僕達のような王族や貴族に仕える宮廷観測者だって一部にはいるわけだし」

 そう続けた。

「それは知ってるわ。今や大図書館の館長をしているヒッパリダコス先生だって、元はうちの宮廷観測者だったわけだし」

「おっと、そうだったね、クレオパトラ姫」

 サーニャ・ハッシュに王都の中央銀行本店で会って以来、クレオパトラは自分がコフウ家の姫君である事を隠したままだった。

「隠してたのは謝るわ、サーニャ。私にも大人の事情というものがあったから」

「気にする事はないよ、クレオパトラ。君がクレオパトラ姫だって事は、僕には最初からお見通しだったし」

「あら、そうだったの! 人が悪いわね、サーニャったら」

「王都の花と謳われたクレオパトラ姫の幻想を、もうちょっと抱いていたかったからね。何しろあの時の君をクレオパトラ姫と認めてしまうと、僕の中のクレオパトラ姫のイメージが台無しになってしまいそうだったから」

 そう言うとサーニャ・ハッシュはニヤリと笑った。

「ちょっと! 何よそれ! それじゃ、実際の私がまるで田舎者みたいじゃない!」

「安心して、クレオパトラ。今の君はもはや田舎者じゃなくて、立派な成金だから」

「ちょっとアリス!」

 クレオパトラはアリスの頬を引っ張った。

「はっはっは。相変わらず仲がいいね君達。お似合いのカップルみたいで、凄くいい感じだよ。はっはっは」

 からかうようなその言葉に、二人は顔を赤くした。

「話は横に逸れちゃったけど……」

 サーニャ・ハッシュは一転して生真面目な顔で話を切り出した。

「ようするに僕が言いたいのは、タイロン・イイネ側の宮廷観測者だっているって事なんだ。そしてそんな連中の一部は、転送ゲートを通ってこのエッツェンにまでやって来てるって事さ」

「この前、大図書館で聞いたわ。何でも百名以上の宮廷観測者が、イイネ家にはいるらしいわ」

「それで転送ゲートを使って、王都と世界各地を行き来してるらしいね」

「その通りさ、アリス。それで連中は、最新の世界情勢をタイロン・イイネに伝えてるってわけさ」

 転送ゲートは中央銀行の者か観測者以外は原則通れない。物価の安定を目的とする中央銀行が、世界中に素早く通貨を供給する為に作った転送ゲートを観測者が使えるのは、魑魅魍魎出現等の物価の不安定要因を素早く取り除く為だった。だから本来の目的から言えば、魑魅魍魎退治や新たな王が即位した際の新しい長さの基準を世界中に周知させる為など、物価の安定に寄与する事以外には観測者と言えど転送ゲートを使えないはずだった。しかしいちいち転送ゲートの使用目的を観測者に聞いていては、一刻を争う事態に手間取ってしまう。だから中央銀行は、観測者に対して敢えて使用目的を聞かずに転送ゲートを素通りさせていた。これを良い事に、観測者達は旅行などの私的な目的でしばしば転送ゲートを使っていた。また王族や貴族達も世界情勢を調べる為、宮廷観測者達を世界各地へ行き来させていた。

「そしてそんな連中の一部が今、このエッツェンに来てるんだ。まあ僕も以前、イイネ領に何度か足を運んでたから、偉そうな事は言えないんだけど」

 二年前にエッツェン公の宮廷観測者となったサーニャ・ハッシュは、最初の一年ほどは暇を持て余していたものの、エッツェン公が謹慎処分となった一年前からは、エッツェン公の代理として世界中を東奔西走していた。

「でも宮廷観測者なんてそんなに数も多くないんだし、転送ゲート周辺で見張られてたら、すぐに身元がバレてしまうわよね」

「その通りさ、クレオパトラ。実際僕も、イイネ領では正体がバレバレだったし。お陰で僕は、正体がバレないよう変装するテクニックを身に着けたんだけどね」

「なるほど! だから王都の中央銀行本店で君を見付ける事が出来なかったわけだ!」

「何しろ転送ゲートそのものは、変装したままでも通り抜ける事は可能だからね。観測者の資格者証を見せればいいだけなんだから」

 観測者の資格者証は割符の形をした特殊な魔法陣で出来ている。この割符の片方は、観測者と認められた時点で大図書館や各ムセイオン、それに中央銀行の本店や各支店に自動で登録される。観測者は必要に応じて割符の残り半分となる魔法陣を展開し、自らが観測者である事を証明した。

「って事はサーニャ。イイネ家の宮廷観測者達だって、変装してる可能性はあるって事よね。そしたらいくらフッキー支店を見張ってても、見逃しちゃう事もあるんじゃない?」

「その通りさ、クレオパトラ。実際僕の変装がバレなかったように、タイロン・イイネ側の宮廷観測者の変装だって見破るのは難しいと思う。だから……」

 そう言い掛けて、サーニャ・ハッシュは一呼吸置いた。

「だから?」

 クレオパトラはつられたようにそう問い掛けた。

「だから転送ゲートから出て来る者全員を尾行する事にしたんだ」

「全員に尾行を!」

「驚くほどの事じゃないさ、アリス。何しろここはエッツェン公の本拠地。尾行する人手はいくらでもいるんだから」

 サーニャ・ハッシュはニヤリと笑うと更に話を続けた。

「尤も僕も、君達が転送ゲートから出て来たのを見た時は驚いたけどね。一瞬、狐につままれた気分になったけど、すぐに気を取り直して、これは大図書館に何か動きがあったに違いないと睨んだんだ。それですぐさま見張りを他の者に任せて、君達を尾行する事にしたんだ」

「なるほど! そういう事だったのね!」

 クレオパトラが納得したように声を上げた。

 アリスは暫く首を傾げていたが、急にサーニャ・ハッシュの顔を真っ直ぐ見ると、口を開いた。

「って事は、サーニャ! 君はもしかして犯人を見たと?」

 そんなアリスの問いにサーニャ・ハッシュはいたずらっぽい笑顔を浮かべ

「君達の探し物はこれかい?」

 そう言って見覚えのある巻物を懐から取り出した。

 それは大図書館館長ヒッパリダコスがアリス達に託した手紙だった。

「あっ! それよそれ! でもどうしてサーニャが?」

 しかしサーニャ・ハッシュはクレオパトラのその問いに答えず、ただニコニコと笑っていた。

「もしかしてサーニャ、君がサーファーから取り返してくれたの?」

「君はそう思うかい、アリス?」

「え? どういう事、サーニャ?」

「そうよ! どういう事、サーニャ? それに私の大切な絨毯は何処へ行ったの?」

 しかしその時、空中から見覚えのある物体がクレオパトラの前に降って来た。

「え! 私の絨毯!」

 クレオパトラは慌ててキャッチしたが、勢い余って地べたに尻餅をつきそうになった。

 慌ててアリスが彼女を後ろから支え、何とか事無きを得た。

「大丈夫、クレオパトラ?」

「ええ。ありがとう、アリス」

 しかし、二人がそんな遣り取りをしている時、一人の人物が背後から姿を現した。その腕に、身の丈ほどもある大きな木の葉状の盾を抱えながら。

 気配を察した二人が後ろを振り向くと、その者は恭しく片膝をつき、頭を垂れた。

「先程は失礼いたしました。クレオパトラ姫」

「って、さっきのサーファーじゃない!」

「そうだよ! 何でサーファーが? それにサーニャ! 何で君が手紙を?」

 アリスは再びサーニャ・ハッシュの方へ振り返った。

「さて、アリス・タルタル。君はこの状況をどう分析する?」

 いつにない程の不敵な笑みを浮かべて、サーニャ・ハッシュが尋ねた。

「アカデミー以来だね。サーニャ。君がそんな風に僕に質問するのは。あの頃君は、気の利いた命題を考えついては、僕にそんな風に質問してたっけ」

「はっはっは。あの頃は楽しかったな、アリス。君はいつも小賢しい悪知恵を働かせて、真面目に勉強しようとする僕の邪魔ばかりするんだ。だから僕は、君の悪知恵がどれほど大したものか試してたってわけさ」

「何か楽しそうね、二人とも。私はアカデミーに通わず、ヒッパリダコス先生の下でジオメトリーを学んだから、何だか羨ましいわ」

「それもこれも遠い昔の話さ。王の後継者争いがここまで拗れてなかった頃のね」

「遠い昔って、サーニャ、僕らがアカデミーを卒業してからまだ四年しか経ってないじゃん」

「残念ながらアリス。その四年で世の中は大きく変わってしまったんだよ。うんざりする程ジオメトリー漬けだったあの日々が、とても長閑で平和な日々に思える程にね」

 サーニャ・ハッシュの声は少しだけ感情的になり、その目はアリスの瞳を射抜くように見据えていた。

「さあ、アリス・タルタル。もう一度質問だ。君はこの状況をどう分析する?」

 再びアリスを挑発するかのように、サーニャ・ハッシュは不敵な笑みを浮かべた。

 しかしアリスは何かを言い淀むかのように、なかなか口を開かなかった。

 業を煮やしたように先に口を開いたのはサーニャ・ハッシュの方だった。

「アリス。君はもしかしてこう思ってるんじゃない? 僕がエッツェン公を裏切って、タイロン・イイネ側のスパイになったと?」

「え? そうなの、サーニャ?」

 クレオパトラは驚いたような表情でサーニャ・ハッシュの顔をまじまじと見た。

 しかしアリスは大きく深呼吸すると

「いいや、違うね。だってもしそうなら、この手紙を僕らに返そうなんてしないでしょ?」

 漸く重い口を開いた。

「でもアリス。この手紙、もしかしたら偽物とすり替えたものかも知れないよ?」

 再びアリスを挑発するように、サーニャ・ハッシュはニヤリと笑った。

「確かに時間を掛ければそれも可能だけど、この短時間でそこまでは出来ないでしょ?」

 確かにクレオパトラが絨毯ごと手紙を盗まれてから今まで、一時間も経っていなかった。

「なるほど、アリス。君の言う事も一理ある。じゃあ何故、僕がこんな真似をしたと?」

 アリスは溜息を吐くようにもう一度深呼吸すると、ゆっくり口を開いた。

「君はさっき、僕らに会うなりこう言ったよね。どうやらこのフッキー城下にも、タイロン・イイネのスパイがウロチョロしてるようだねって」

「あっ! 言ったわ! 私も覚えてる」

「でも今回の盗難が君の自作自演なら、このタイロン・イイネのスパイって一体誰の事を指してるんだろう?」

「あっ! そうよね! 良く考えたら、論理的におかしいわね。だってこちらのサーファーは、タイロン・イイネのスパイじゃなくて、サーニャ、あなたの仲間なんでしょ? そしたら一体、だれを指してタイロン・イイネのスパイなんて言ったのかしら?」

「そこなんだよ、クレオパトラ。それで僕はふと思い出したんだ。さっき妙な引っ掛かりを覚えた事を」

「妙な引っ掛かり?」

 クレオパトラの問い掛けに

「君にサーニャがここに来てるって知らせに来た時だよ。ホットドッグの屋台の店主から話を聞いて。最初は慌ててたから、気にも留めてなかったんだけど、あの店主の話には妙な違和感があったんだ」

 アリスはそう説明し、更にこう続けた。

「あの店主はこう言ったんだ。ついこの間も、同じよう事を言った兄さんがいたな。その時も俺は、最初その兄さんの事を小学生のお嬢ちゃんだと勘違いしちまってなって」

「それの何処が妙なの? サーニャがアリスみたいに女子小学生に見間違えられてしまうのは、良くある事で変でも何でもないわ」

「確かにクレオパトラ、初めて会った人物に見間違えられるんなら、君の言う通りさ。でも考えてみてよ。サーニャは王都とここを今まで何度も行き来してるんだよ。だから、もしその店主が長年ここでホットドッグを売ってたなら、かなり前からサーニャの事を知ってるはず。つい最近、サーニャの事を女子小学生と見間違えたなんて言うはずはないんだ」

「あっ!」

 クレオパトラは大声を上げた。

 そしてこう続けた。

「つまりその店主が……」

「タイロン・イイネ公のスパイだろうね。そしてサーニャ。君が何故、仲間達と仕組んで大図書館からの手紙を僕らから盗んだのか? それは僕らが盗まれた手紙を取り戻そうとこのフッキー城下をあちこち探し回る事で、城下に潜伏しているタイロン・イイネ公のスパイを浮かび上がらせようとしたからだ。君達が直接スパイを探し回ってもスパイ達は警戒しちゃうけど、何も知らない僕達がスパイを探し回ったところで所詮素人。スパイ達は高を括って何処かで隙を見せるだろう。君はそう睨んだんだ」

 アリスの話を神妙な顔で黙って聞いていたサーニャ・ハッシュは、突然、輝くような満面の笑みを浮かべた。

「流石はアリス! 僕が同期の中で唯一ライバルと認めただけはある! 全く、脱帽だよ、君には。ほんとっ、ユークリッドの弟子にしておくには惜しい人材だな、君は。出来れば僕と一緒に、エッツェン公の下で働いて欲しいくらいだよ」

「それはお生憎様、サーニャ。だってアリスはこれから、私達と世界を測るんだもの」

「ああ! そうなんだよ、アリス! 君はこれから世界を測るんだよなあ! それは僕には出来ない芸当だ! 全く、君が羨ましくて仕方ないよ、アリス! 君がユークリッドの弟子に決まった時も、何で僕じゃなくて君なんだと、激しい嫉妬に襲われたよ。だから僕はいつか君を見返してやろうと、一生懸命頑張って、とうとうこの若さでエッツェン公の宮廷観測者にまで登り詰めたんだ。それなのに君ったら、昔みたいに相変わらずマイペースで、相変わらず小賢しくて、相変わらずの根無し草だ。野心も糞もあったもんじゃない! 全く! あの忌々しい野心家のタイロン・イイネの爪の垢を煎じて、君に飲ませてあげたいくらいさ!」

 サーニャ・ハッシュは一気にそう捲し立てると、まるで胸のつかえが取れたかのように、満面の笑顔で大きく深呼吸した。


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