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一世一代の大芝居

「しかしエラソーナ。ああは言ったものの、実際どうしたもんかねえ」

 大図書館の中庭に出ると、キンさんはエラソーナ・スッテンテンにそう尋ねた。

「ここでは書物だったが、今度は四百万の住民が人質だからな。如何にして解放するかが課題だろう」

「お前さんの魔法でちょいとばかりスミダイルを氾濫させて、今度は下町を大洪水にしちゃくれねえかい?」

「他の観測者達の力を借りれば出来ん事もないが、しかしスミダイルの氾濫ともなれば、大図書館を大プールの水で洪水にするのとはわけが違う。しかも下町には赤子もいれば病で寝たきりの者もいるからな」

「違えねえ。やっぱり、四百万の住民を先に避難させねえと話にならねえって事か。問題は、そいつをどうやってやるかだ」

「何か良い手はないのか、キンさん?」

「夜がもうちっと長けりゃなあ。そしたら親衛隊の目を盗んで、下町の住民全員、この大図書館まで連れて来れるんだがな。何しろこちとら、下町の隅から隅まで知り尽くしてる身だ。下町に不慣れな奴らの目を盗むなんざ、朝飯前よ」

「狭いようで意外に広いからな、下町は。一番遠い所だとここまで歩いて半日かかる。流石に闇夜に紛れてというわけにもいかんだろ」

 大図書館は王都の東の端から西の端までの間のほぼ中間地点、ワレコランドリア港の西隣りの広大な敷地の中に建っていた。大図書館の更に西隣りには岬があり、歩いて一時間ほどの所に大灯台が建っていた。

「せめてエラソーナ、住民がお前さんみてえに健脚ならなあ。それならかつてのお前さんみたいに、迷路のような路地裏を伝って大図書館まで来るって手もあるんだが。だが哀しいかな、下町の住民みんながみんな、お前さんみたいに借金取りから逃げ回って足腰を鍛えた連中ばかりじゃねえからな。それにもし仮に、下町の住民がみんなそうだったとしても、もう一つ大きな問題がある」

「流石の大図書館も四百万の住民は収容しきれない事だな?」

「その通りよ、エラソーナ。例え住民を無事ここへ連れて来れたとしても、こいつを解決出来なきゃ話にならねえ。せめてエドマエ艦隊がいてくれりゃあな。王都の外の安全な場所へ、住民を順繰りに避難させる事が出来るんだが」

「だからこそタイロン・イイネ公は、エドマエ艦隊が王都にいないこの時期に、こんな真似をしでかしたのだろう」

 エラソーナ・スッテンテンはそう言い終えると、しばらく目を閉じた。そして急に目を大きく見開くと、パッと顔を明るくし

「一つ手があるぞ、キンさん!」

 大声で言い放った。



 作戦はすぐ実行された。

「何度も言うようだけどさ、僕は王都に来てから力仕事ばかりやらされてる気がするんだよね」

 アリスは隣のクレオパトラに、相変わらず愚痴をこぼしていた。

「うふふ。王都に来てこんな珍しい体験ばかり出来るなんて、恵まれてるわよ、アリス」

「そうかなあ」

 アリス達は今、スミダイル西岸にある中央銀行本店から、転送ゲートを大図書館まで運び出している最中だった。

 エラソーナ・スッテンテンの思い付いた作戦、それは転送ゲートを下町各地に設置し、住民を世界各地に散らばる中央銀行支店へ送り出す事だった。

 世界中におよそ一万の支店を持つ中央銀行本店には、数百台の転送ゲートがあった。そのうちの二百台ほどを無理やり拝借したのである。各々の転送ゲートは大の大人が横に五人同時に並んでも余裕で通過できる大きさだったので、これだけの転送ゲートがあれば、一晩で四百万の住民を避難させる事が可能だった。

「ユークリッドの弟子よ、ご苦労だったな」

 船で密かに運ばれた一台の転送ゲートが、大図書館の入り口に立て掛けられた。

「では、次の仕事を頼む」

 そう言うと、エラソーナ・スッテンテンはアリスを立て掛けられた転送ゲートの中に送り出した。

 中央銀行本店にある転送ゲートを、今度はこの転送ゲートを通して運ぶのである。

「こういうでかい物を、斜めにして通すのって、結構しんどいんだよね」

 すぐさまアリスは、ぶつくさ文句を言いながら、後ろ向きで転送ゲートから出て来た。

「うふふ、アリス。これが終わったら、また私が美味しい物をいっぱいご馳走してあげるから」

「は~、また筋肉痛にならなきゃいいんだけど」

 そうぶつくさ言いながら、アリスは他の観測者達と一緒に、取り出した転送ゲートを海岸沿いにある大図書館から内陸部の方へ運び出した。

 大図書館同様、海岸沿いには船で転送ゲートが運ばれていた。そしてこの転送ゲートから取り出された別の転送ゲートが、大図書館同様、人目に付かぬように内陸部に運び出されていた。

 今や二百台の転送ゲートが下町中の路地裏に点在していた。各々の転送ゲートは数名の観測者によって守られ、エラソーナ・スッテンテンが大灯台で使ったのと同じ、周囲の景色と同化させる魔法によって巧妙に偽装されていた。



「長い一日だった……」

 住民が転送ゲートで避難し終えるのを見届けたアリスは、大きく溜息を吐いた。

「良く一晩でこれだけ出来たもんだよ」

「むしろ一晩でやったからうまく行ったんじゃないかしら。親衛隊がまだ下町に不慣れな夜のうちに」

 住民たちは闇夜の下町を、下町奉行所の手の者や王都で長く暮らす観測者たち、それにキンさんの知り合いの遊び人や盗人たちの手引きで、王の親衛隊の目を盗んで転送ゲートまで次々に案内された。

「もし何日か経ってたら、親衛隊も下町に慣れて来ちゃって、いくら闇夜に紛れたところで四百万の住民全員を脱出させるなんて出来なかったと思うわ」

 不慣れな下町を夜通し警備する王の親衛隊は、下町住民が王都から脱出した事に未だ気付いた様子がなかった。

「ユークリッドの弟子よ、安心するのはまだ早いぞ」

 エラソーナ・スッテンテンはそう言うと、他の観測者達と共に下町に巨大な魔法陣を展開した。

 そして夜明けと共に魔法陣を一斉に発動。すると東の方からスミダイルの大量に泥を含んだ水が見る見る現れ、その水かさを増して行った。

 実に三百年ぶりの、スミダイルの大氾濫である。

 下町中に展開していた数万もの王の親衛隊は、泥やぬかるみの中、這う這うの体で山の手へ逃れた。

 すかさず大図書館の観測者達は下町と山の手の境界に魔法陣を展開。山の手から下町へ容易に立ち入れないようにした。

「ところで転送ゲートで避難した人達だけど、この後はどうやって生活して行くのかな? 急いでたから、着のみ着のままだったでしょ?」

「安心するが良い、ユークリッドの弟子よ。転送ゲート出口の中央銀行各支店で、当面の生活費を渡される手筈になっている」

「え? そうなの? でも緊急事態とは言え、中央銀行がそんな気前のいい事するの?」

「きちんと担保は取ってあるから大丈夫だ。山の手のコフウ公とオ・ウォリー公の邸宅をな」

「えー!」

 クレオパトラが大声で叫んだ。

「何しろコフウ公もオ・ウォリー公も王都一地価の高い山の手に広大な邸宅を構えている。これらを担保にすれば、四百万の下町住民がひと月以上余裕で暮らせるだけの金を中央銀行から借りる事が出来るのだ。ふっはっは!」

「ってか、お父様達から承認は?」

「緊急事態だからな。後から承認を貰っても、コフウ公もオ・ウォリー公も文句は言わんだろ。中央銀行には、お二方に予め白紙委任状を貰っていると言ってあるしな。ふっはっは!」

 クレオパトラの開いた口が塞がらないといった顔をよそに、エラソーナ・スッテンテンの高笑いが王都の明け方の空に響いた。

「では、最後のひと仕事だ!」

 エラソーナ・スッテンテンはそう言うと、下町全体に洗濯とシャワーを節約する魔法を掛けた。



「親衛隊の連中、山の手へ避難する途中、口々にタイロン・イイネへの不満を漏らしてたらしいぜ」

 キンさんが下町奉行所の騎士達が目にした事をアリス達に教えた。

「他の観測者達も、そんな事を言ってたわ」

 アリスの隣でクレオパトラはそう答えた。

「王の親衛隊の者達も、渋々タイロン・イイネに従っているに過ぎないのだろう」

 ヒッパリダコスがそう見解を述べた。

 


 それから数日、下町と山の手は、両者の境界である下町奉行所を挟んで睨み合っていた。



「シャギー・ムケイン提督からの密書だ」

 中央銀行本店から戻って来たキンさんが、そう言って手紙を広げた。

 スミダイル水軍は現在も大執政官タイロン・イイネの傘下にあった。

 しかしスミダイル水軍には、現在、重要な任務が課せられていた。

 中央銀行本店から山の手へ供給される通貨は、平時であれば下町を通って陸上から運ばれる。

 しかし下町が魑魅魍魎の猛攻等で封鎖された場合、船を使ってスミダイル経由で山の手まで運ぶ必要があった。

 この際、通貨を運ぶ船の警備は、スミダイル水軍が行う取り決めになっていたのである。

「提督の野郎、通貨運搬の警備にかこつけて、頻繁に中央銀行本店まで来やがるもんだからな。しかもこれ見よがしに全軍を引き連れて。おかげでタイロン・イイネもやたらな指示を水軍には出せねえで、苦虫噛み潰してる事だろうよ」

 元々通貨政策に関して王宮から独立した権限を与えられている中央銀行は、今回の大執政官タイロン・イイネと大図書館の対立においても、中立の立場を貫いていた。

 シャギー・ムケイン提督はそんな中央銀行本店に警備と称して足繁く通い、密かに大図書館側に山の手の状況を伝えていた。

 手紙に目を遣ったヒッパリダコスは、急に顔色を変え 

「何と! 蟄居中のはずのエッツェン公が、邸宅から姿を消したらしい!」

 そう叫んだ。

「しかもエッツェン公の右腕とも称される宮廷観測者、サーニャ・ハッシュまで!」

 そして更にそう続けた。

「え? エッツェン公もサーニャも?」

 アリスは思わず叫んだ。

「そう言えばアリス・タルタル君。君はサーニャ・ハッシュとは古くからの知り合いだそうだね?」

「アリスとは、アカデミーで同期だったそうよ、ヒッパリダコス先生」

「なるほど。それはさぞ心配だろう」

「お気遣いありがとうございます。館長」

 それからしばらくの間、状況は膠着し続けた。下町と山の手の両者は、下町奉行所を挟んで睨み合いを続けるばかりだった。

 王都を脱出した下町住民も次第に戻り始め、下町にはかつての活気が少しずつ戻り始めた。

 そんなある日の事だった。

「よう、久しぶりだな! かれこれ一週間ぶりか。景気はどうだい?」

 山の手のオ・ウォリー家の邸宅で蟄居中のミエハエル・オ・ウォリーが、不意に大図書館に姿を現した。

「え? ミエハエル! あ、あなた、蟄居中のはず……どうしてここへ?」

「嬢ちゃんよ、俺がここにいるのがそんなに変かい?」

「だって、あなた、どうやって抜け出して来れたのよ?」

「まあ、話せば長くなるんだが……要は、山の手の邸宅が差し押さえられちまったのよ、中央銀行に」

「え?」

 これにはクレオパトラも唖然とした。

「だからエラソーナ・スッテンテンの奴がうちの邸宅を担保に差し出しちまっただろ? そんで返済が滞ってるってんで、中央銀行に差し押さえをくらっちまったのよ。お陰で山の手じゃ蟄居を続けられなくなったって寸法よ。蟄居を続けようにも肝心の邸宅が差押えられちまったんだからな。今は中央銀行の本店の一室を間借りして、そこで蟄居してるってわけよ。スミダイル水軍の監視でな」

「まあ!」

「水軍の連中、通貨の警備で忙しいからな。それで奴さん達の目をちょいと盗んで、ここまで来たって寸法よ」

「あなたも悪よね、ミエハエル」

「はっはっは。嬢ちゃん、褒められたところで、今の俺にゃあ、何も出せないぜ」

「と、ところでミエハエル。もしかして、お父様たちも中央銀行本店に?」

「いいや、生憎だが、コフウ公は邸宅の代わりにコフウ領の金鉱山を担保に差し出して、邸宅の差し押さえを免れたよ」

「え? どうして?」

「確かに今回の差し押さえは、差し押さえとは名ばかりの、中央銀行がタイロン・イイネの手の内にある山の手から俺らを脱出させる為に取った策だ。俺はそいつにまんまと乗せて貰った訳だが、コフウ公は敢えて山の手に残る事を選んだそうだ。コフウ公が山の手から出て行っちまえば、山の手と下町の分断はより一層激しくなっちまうからな。コフウ公は何としてでもこれ以上の分断を避けようって腹積もりだろう」

「お父様……」

「それより嬢ちゃん、お前さん、これからどうするつもりだい? ちょいと小耳に挟んだ話じゃ、お前さん、これからエッツェンへ行くつもりらしいが」

「そのつもりだったんだけど……」

「何か心配事でもあるのかい?」

「王都が今、こんな状況でしょ? エッツェンに行ってる場合なのかしらと思って。それに……」

 そう言い掛けてクレオパトラは沈痛な表情を浮かべた。

「タイロン・イイネはこう言ったわ。私がエッツェンに行けば、エッツェン軍は私を神輿に担いでこの王都に乗り込むだろうって。エッツェン公に同情する者達が差し出す数多の援軍を率いて。そうなれば、この八千年の歴史を誇る王都は、立ち所に炎上してしまうわ。山の手のコフウ家の邸宅も、下町のこの大図書館も」

「タイロン・イイネの奴め! 嬢ちゃんにそんな脅しを掛けてやがったのか! 全く、つくづく腹の立つ野郎だぜ!」

「でも、イイネ公の言う事も尤もだと思いますよ。エッツェンだけでも、全軍を率いて来たらその数は十万にもなるわけですから。更に援軍が加わればその数倍。数の上では王の親衛隊と同規模にもなるわけですから。それだけの軍勢がこの王都でぶつかれば、クレオパトラの言う通り、王都は立ち所に炎上してしまいますよ」

 アリスがそう口を挟んだ。

「確かに若えの、お前さんの言う通りだ。山の手でもシュンガーの奴が姿をくらませて以来、十万のエッツェン軍が攻めて来るんじゃねえかって噂で持ち切りだった。親衛隊もタイロン・イイネの命令に渋々従ってるだけだから、浮足立ってる奴が多かったぜ」

「ところでミエハエル、あなたはこれからどうするの? あなたの事だから、大人しく蟄居なんてしてないでしょ?」

「この間の花火大会の夜は、闇夜に紛れて密かに山の手の邸宅に戻ったんだが、今戻る所と言やあ、堅苦しい中央銀行本店の狭苦しい部屋だ。戻らなかったところで、何の未練もありゃしねえ。って事で、俺はヘラクレスの柱へとんずらさせて貰うぜ」

「え? 何でまた、ヘラクレスの柱に?」

 クレオパトラの問い掛けに

「カッツの野郎と久し振りに酒を酌み交わしたくなってな。野郎、今、ヘラクレスの柱だろ?」

 ミエハエル・オ・ウォリーはそう答えた。

 そして

「お前さん達、それじゃあな! 縁があったらまた会おうや!」

 元気良くそう言うと、大図書館を後にした。



 更に一週間経った。下町と山の手が睨み合ったまま膠着した状況は相変わらずだったが、下町には王都から避難した住民の殆どが戻り、町は以前とまでは行かないものの、かなりの活気を取り戻していた。

「確かに下町も活気を取り戻しちゃいるんだがなあ」

「どうしたの、キンさん? 何か気になる事でも?」

 クレオパトラの問い掛けに

「以前に比べりゃ、ちょいと物価が下がり気味でねえ」

 キンさんは神妙な顔でそう答えた。

「山の手からお得意様がやって来れなくなっちゃったんだものね。仕方ないわよ」

「山の手の方は山の手の方で、経済がうまく回ってねえって、提督がぼやいてたぜ」

「下町と山の手が分断して半月。その影響が経済にも出始めたって事ですか?」

 アリスの問いに

「だろうな。その悪影響が、この王都だけに留まればいいんだが……」

 キンさんが、再び神妙な顔で答えた。



「諸君! 事は急を要する!」

 ヒッパリダコスが大図書館の大ホールに集まった者達の前でそう述べた。

「中央銀行が、今の世界経済に対して、深刻なデフレに陥る懸念を表明した」

 只でさえ、トレミー868世の残りの治世も短いと見立てられ、それ故に公共工事も大幅に減らされ世界経済が悪化気味であった。それに加えて今回の王都での下町と山の手の分断である。これが世界経済の悪循環を更に加速させていた。

「このまま世界経済が更に悪化すれば、大恐慌を未然に防ぐ為、中央銀行は非常事態宣言を行うとの事だ」

 非常事態宣言。それは中央銀行が大恐慌を防ぐ為に取る、最終手段だった。

「知っての通り、中央銀行の非常事態宣言により、後継者争いに関しては王の裁定が行われる」

 王族同士による王の後継者争いは、貴族達の投票によって最終的に後継者が決まる。各々の貴族の持つ票数は、それぞれの領地内の人口にほぼ比例して与えられていた。人口の多い大貴族は多くの票を持ち、人口の少ない小貴族は僅かな票しか持たないといった具合である。

 とどのつまり王の後継者争いとは、貴族達によって行われる王族の人気投票だった。

 王は慣習としてその結果を最大限尊重し、自らの後継者を指名した。

 とは言え、これはあくまで慣習に過ぎなかったので、王は投票結果を無視して後継者を指名する事も可能だった。

 しかし八千年の歴史の中で、歴代の王は例外なく投票結果を尊重し後継者を指名して来た。

 故に歴史上、王自身の判断で後継者が指名されるのは二通りのパターンしかなかった。

 一つ目は、王に直系の後継者が存在し、なおかつ生存している場合である。但し直系ではあっても、他家に嫁入りや婿入り、あるいは養子に入った場合は、その時点で直系から外された。

 もう一つのパターン、それは中央銀行が非常事態宣言を出した時である。この場合、大恐慌回避の為、速やかに後継者を決定する必要があった。故に王は選挙を待たずに自らの意思で後継者を決定した。これを王の裁定と言った。

「我々は今となって、ようやく大執政官タイロン・イイネの真意に気付いた。あの者は、最初からこれを狙っていたのだ! 王の裁定によって、自らが推すモッツァレラ・キッシュ君を後継者に据える事を!」

 ヒッパリダコスの言葉に会場中がざわめいた。

「確かに貴族達の間では、タイロン・イイネに比べ、エッツェン公の方が遥かに信望がある。故にエッツェン公の推すヨッスィーツ・フィツヴァ・スィー君の方が選挙では有利だろう。選挙となれば勝ち目が薄いと判断したタイロン・イイネは、起死回生策として今回の暴挙に出たと思われる。何しろモッツァレラ・キッシュ君はトレミー868世にとって叔父の孫。後継者候補の中で、最も血筋が近い。故にトレミー868世が自らの意思で後継者を指名するとなれば、最も選ばれる可能性が高い。タイロン・イイネの狙いはそこにあったのだ。我々は残念ながら、その策に乗ってしまったのだ!」

 会場中を更なるざわめきが襲った。

「諸君! 今の我々に出来る事は唯一つ。中央銀行が非常事態宣言を出す前に現在のこの事態を打開する事だ!」

 そう言うと、ヒッパリダコスはクレオパトラ達を手招いた。

「諸君も最早ご存知だろう。ここにいるクレオパトラ君は、かのコフウ家の死んだ事になっていた姫君だ。そしてこちらのアリス・タルタル君。あのサーニャ・ハッシュの友人にして、ユークリッドの弟子だ」

「姫ー!」

「王都の花!」

 そんな声が会場中からこだました。

「今は単なる成金に成り下がっちゃったけどね」

 横でボソッと呟くアリスの頬を、クレオパトラは引っ張った。

 その途端

「はっはっは。案の定、尻に敷かれてやがるか、アリス。流石は俺の見込んだ男だけはある。はっはっは」

 聞き覚えのある声がアリスの耳に届いた。声の方に顔を向けると

「し、師匠!」

 そこには彼の師であるユークリッドの姿があった。

「い、いつ王都へ?」

「ついさっきな」

「き、貴様、ユークリッド!」

 ヒッパリダコスとエラソーナ・スッテンテンが同時に声を上げた。

「よう、ヒッパリダコス! 元気そうじゃねえか。血色もやたら良くなって。昔はお前さん、やたら青白い顔をしてたからなあ」

「余計なお世話だ、ユークリッド!」

「それにエラソーナ! おめえの噂も聞いてるぜ。大活躍だったそうじゃねえか!」

「ふん! 褒めても何も出んぞ、ユークリッド! 今は我輩、大金持ちだがな。ふっはっは!」

「おめえが大金持ちになるとは、天地がひっくり返っても無いと思ってたんだが、こりゃあ、世界に何か大異変が起こる前触れかも知れねえな」

「こら、ユークリッド! 不吉な事を言うんじゃない!」

 ヒッパリダコスのその言葉に会場は大きくどよめいた。

「まあ、貴様との話は後だ、ユークリッド!」

 そう言うと、ヒッパリダコスは一旦間を置き、口を開いた。

「では諸君! 話を続けよう。こちらのクレオパトラ君達には、これよりエッツェンへ行って貰う! この大図書館からの正式な使者としてな!」

「せ、先生、それは……」

「クレオパトラ君、何を迷う。そもそも君は、エッツェンへ行きたかったのだろう?」

「でも、先生。私がエッツェンへ行けば、この王都が炎上してしまうわ」

「クレオパトラ君、この大図書館の力を見くびるでない。そのような事、この大図書館がさせはせぬ。王都が炎上すれば、この大図書館の大切な書物も燃えてしまうのだからな。だからクレオパトラ君、安心してエッツェンへ行きたまえ」

 クレオパトラとアリス、それにエラソーナ・スッテンテンの三名は、大図書館の使者としてエッツェンへ行く事になった。



「タイロン・イイネの野郎も、大胆な事をしやがるもんだ。そもそも考えても見ろ。そんな真似をしてモッツァレラ・キッシュを王の後継者に据えたところで、自分自身は責任を問われて政治生命はお終いだ。全く割に合わねえだろ?」

 ユークリッドは今、大図書館の食堂でアリス達と話をしていた。

「僕が会った印象じゃ、イイネ公って野心満々な感じだったんだけど。いくらモッツァレラ・キッシュ君の為だからって、そんな自らを犠牲にするような人とはとても思えない」

「あの者は恐らく、根っからの役者なのだろう。あの者がこれまで見せて来た姿は、あるいは野心満々の大執政官タイロン・イイネという役を、演じていただけなのかも知れんな」

「そんな! じゃあ、今までの事は、タイロン・イイネの……」

 言い掛けたクレオパトラに答えるように

「一世一代の大芝居なのかも知れん」

 エラソーナ・スッテンテンはそう述べた。



「じゃあ師匠、お元気で」

「おう! アリスも元気でな! 俺はおめえが世界を測る気になってくれて、こんなに嬉しい事はないぜ。はっはっは」

 大図書館を出立したアリス達は、中央銀行本店の転送ゲートの前で、ユークリッドと別れの挨拶をしていた。

 大図書館が借りていた二百台の転送ゲートは、全て中央銀行本店に戻されていた。

「ユークリッドよ、貴様はこれからどうするつもりだ?」

 エラソーナ・スッテンテンの問い掛けに

「俺はまだ暫く、魑魅魍魎退治を続けるつもりだ」

 ユークリッドは答えた。

「えっ!」

 ユークリッドの言葉を何気なく聞いていたアリスが、漸く何かに気付いたかのように声を上げた。

「魑魅魍魎って、今、現れなくなっちゃってるんだけど……師匠は魑魅魍魎退治が出来てるの?」

「ああ、それな。それは俺が魑魅魍魎を封印しまくってるからだろ。お陰で世界が歪んじまって、今まで通りのパターンで魑魅魍魎が現れなくなったんだろうな」

「え? どういう事なの、ユークリッド? あなたが魑魅魍魎を封印しまくると、世界が歪むって?」

「いい質問だ、クレオパトラ。実は魑魅魍魎ってなあ、世界の歪みを矯正しバランスを整える効果を持つ存在なんだ。だからその数が減れば、世界の歪みが大きくなるって寸法だ。おめえは知ってるだろ、エラソーナ?」

「まあな」

「え? おっさん、知ってたの? 教えてくれれば良かったのに」

「お前さんらに教えるのは、まだ早いと思ったのでな。ふっはっは!」

「そういう事だ、アリス。俺が魑魅魍魎をどんどん封印してるお陰で、世界の歪みが大きくなっちまってるから、今まで大都市に出ていた魑魅魍魎が全く出て来なくなっちまい、逆に人気のない場所に現れるなんて事になってやがるんだ」

「でもユークリッド、どうしてそんな真似を? そもそもあなたは今、世界を測りに行ってるんでしょ?」

「またまたいい質問だ、クレオパトラ。だがその答は、おめえさんとアリスの二人で出してみるんだな。これが俺からの宿題だ。じゃあな、あばよ!」

 ユークリッドはそう言うと、一足先に転送ゲートの中に消えて行った。

「それでは我輩達も、エッツェンへ行くとするか」

 エラソーナ・スッテンテンのその言葉と共に、一同は王都を後にした。

王都編はこれにて終了です。次回よりエッツェン編になります。次回の投稿は七月中旬ごろの予定です。

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