1-2
それから数日の間、不吉なことが起きるのでは、と身構えていたが、特に変わったこともなく時間が過ぎていった。
逆に、なにもないことがかえって不気味に思えたが、1週間も過ぎるころになると、その不安も徐々に薄れていった。
そして迎えた月曜日。
月に一度の企画会議がある日だ。会議にそなえて必要なことを頭の中でリストアップしていると、受付から来客の連絡が入った。
玄関ホールに一歩足を踏み入れ、背の高い人影が視界に入ったとたん、硬い床に軽快な音を響かせていたヒールの動きが止まる。
あの時の! しかも一人増えてる!
ガラス張りのロビーに、ふたりの外国人が立っていた。
うち一人は、マンションのロビーで話しかけてきた外国人にまちがいない。
足音で近づいてきたのが分かったのだろう、ふたりがこちらを向く。
私はその視線から逃れるように受付デスクに近づいた。
「ちょっと理沙、あんな美形と知り合いだったなんて、聞いてないわよ。しかも、ふたり」
同期入社のゆかりが、待ってましたとばかりに顔を寄せてささやいた。
「わたしも初対面みたいなものよ。ところで、どこからのお客さんだって?」
「あっ、ごっめーん、聞き忘れちゃった!」
ゆかりらしいといえば、ゆかりらしい。
「要件は聞いた?」
「理沙に直接話したいって」
ふむ。とりあえず、本人に聞くしかないか。私の家に押しかけてきた理由も含めて。
「あとで、携帯番号聞いておいてね」
ゆかりの言葉を無視して、客人のもとに向かう。
「お待たせいたしました。前田です。どうぞおかけください」
営業用のスマイルを浮かべながら、会社の応接用ソファに着席をうながす。先方が日本語を話せることは知っている。
ふたりは、ひとり掛けソファにそれぞれ腰をおろした。
向かい合うように私も座る。
「やはり、あなたが前田理沙さんでしたね」
そういったのは、金髪の、先日の青年だった。まだ20代前半だろうか。明るい光の下で、吸いこまれるようなブルーの瞳がこちらを見つめていた。
いまさら否定はできない。受付で名前を告げて、出てきたのが私なのだから。
ウソをついていたことはばれてしまったが、どういう要件かもわからないままでは、どんな態度をとればよいのかわからない。
「……本日は、どういったご用件でこちらに?」
「少し、込みいった話があります。少し場所を変えませんか?」
金髪の男はそういって、私の背後―――受付に視線を向ける。
直接私の位置からは見えないが、興味津々で聞き耳を立てているゆかりの姿が目に浮かんだ。
人に聞かれたくない話をするつもりだろうか?
「お仕事の話でなければ、ご一緒しかねますが」
「仕事といえば、仕事なのですが……」
「でしたら、ここで、なにか不都合が?」
「――― あなたにとっても場所を変えた方が良いと思いますよ」
男がそっと身を近づけて、小声でささやく。
「だって、あなたには隠していることがあるでしょう?」
‼
私は反射的に背をそるようにのけぞり、距離をとった。
身体が近づいたとき、一瞬さわやかな香りが鼻をかすめたが、それについては無視することにする。
「なんのことでしょう? それに、あなたが、どこのどなたなのかも伺っておりませんが!」
「ああ、そうでした。私としたことが、自己紹介がまだでした。私はルーク・リヒシュタイン。こちらは同僚のカミーロ・ドノバスです。アイゼンバーグ大使館で書記官のような仕事をしております。なんなら身元をお確かめになっていただいても結構です」
「は? 大使館?」
完全に予想外の展開に、思わず変な声がでた。
私の声がよほどおかしかったのか、ルークと名乗った金髪の男はくすっと笑いながら、ジャケットの内側から名刺入れをとりだし、そこから一枚のカードをとりだした。
手渡された名刺には、確かに今名乗った肩書がプリントされていた。
アイゼンバーグといえば、北欧にある小国のはず。うろ覚えだが、国土が小さいものの希少な宝石が産出される豊かな国だと聞いている。ちなみに、私とは、縁もゆかりもない国だ。
ってことは、この人、外交官ってこと?
そんな人が、なんの用で…?
わたし、なにかした?
動揺した私は、いつのまにかルークの巧みなエスコートにより、社外に連れ出されていた。
社外といっても、都合よく公園やカフェなどあるわけもなく、会社前の街路樹のそばで立ち話をするようだ。
ここなら歩道が広いので、かろうじてプライバシーがたもたれる。
これまで一言も発していないカミーロと呼ばれた青年は、少し離れたところに立って控えている。ひょっとしたら、SPなのかもしれない。
私は、外の風に当たり、われにかえった。
「で、そのアイゼンバーグ大使館の方が、いったいどんなご用でしょう? 自宅まで押しかけるのだから、よっぽどのことなんでしょうね」
私は、ルーク青年に皮肉交じりに問いかけた。少し無礼かもしれないが、ずっとかかえていたもやもやを口に出して、ようやくすっきりした。
「突然ご自宅を訪ねした非礼を、お許しください。あれからずっと謝罪したいと思っていたんです。少し、内密にお話したいことがあったものですから…」
真摯に謝罪の言葉を述べるルークは、本当に心から申し訳なく思っているように見えた。
抱えていた怒りがすっと消えかかるが……。
「内密に話したいこと…?」
やっぱり、厄介事の匂いしかしないじゃないか!




