二人で作る季節
「結婚、しませんか?」
・・・そんな最終兵器を隠し持っていたとは知らなかった。
そうか。
これがいわゆるプロポーズ、ですね。
なるほど、と、納得。
大好きな人から結婚しようなんて言われたら、誰だって浮かれてしまうに違いない。
でも、私の心は、急にピタっと動きを止めた。
・・・結婚って、なんだろう。
ーーー
「別れよう」
彼はそう言ってすぐに立ち上がり、封筒をテーブルに置いて、部屋を出て行った。
そうなるだろうな、と予想していたからか、あまり衝撃はなかった。
でも、パタン、とドアの閉まる音を聞いた瞬間、急に、歪んでしまいさらには壊れてしまい、元には戻らないことへの恐ろしさや虚しさが、重たい空気とともにのしかかってきた。
別れを告げられた、となりに座る母は、わかっていたはずなのに泣いていた。
高校生の頃、それまでの両親の様子から、私が成人したら別れるつもりなんだなと、なんとなく感じていた。
二人がなんで結婚したのかというと、わかりやすく言えば、うっかり私が出来たから。
お互い大学生。
酔った勢いと思われる。
避妊に失敗。
まあ、酔ってたせいでしょう。
祖母の証言によりますと、母は「まさか出来てるなんて思わなくて」と言ったらしいけど、私の感によりますと、妊娠を口実に父を手に入れた、が正しい。
母は父が好きだったのだろう。
その父はもてたらしいから、憧れの『彼氏』なんかじゃ安心できず、他の追随を許さない『夫』。
父も悪かった。
その時だけと割り切ったはずの、一夜の情事。
そんな爛れた男女関係で大学生活を謳歌していたツケが回ったのだろう。
結局、お互いの親が結婚以外認めなかった。
若さ溢れる二人は、若さゆえに後悔と吐き出せない不満を背負った。
出だしから気持ちの伴わない結婚は、私という『責任』のみにより成り立ち、従って、私が成人したらその責任が終焉を迎える。
私は成人式の二日後、両親の離婚を見届けた。
その一月後、私は一人暮らしを始めた。
大学は自宅から通えないほど遠くではないけど近くでもない。
大学生活三年目は、ベランダから桜の見える一人きりの部屋から始まった。
就職は、自宅からさらに離れた会社に決めて、それからはずっと一人暮らし。
寂しいなんて思ったことはない。
母は、寂しかったんだろうか。
父も母も、結婚生活をどう思っていたんだろう。
ーーー
「で、どうしてこうなったの?」
「考え事してて」
「前見てなかったの?」
「見て、たはず、いや、見てなかったかもしれなくて、え、でも、足元がよく見えてなくて、あの、ヒールがね、こう、」
「ああ、もう黙ってっ」
病院のベッドって、案外高い位置ですね。
いえ、まさかね、入院するとは思ってもみなかった。
「まさか、自分の彼女が、側溝にぶちハマって、頭を割るとは思わなかったよ。」
「ご、ごめんなさい」
側溝なんかに落ちてません。
側溝のカバーにヒールが挟まって、転んだんです。
あと頭は割れてません。
擦り傷だけど血が多めに出ただけです。
そう言ってるのに、瀬川主任は聞いてくれない。
まあね、転び方が派手になり、結果、足の指を骨折し、すねを強打し、バランスを崩して肩と頭を打った。相手はコンクリートだから、痛かった。
子供の頃のように、なめときゃ治る、では済まなかった。
大人になると、何事も、思った以上に大事になる。
念のために検査入院となり、連絡をしたら瀬川主任がとんできた。
二日後に退院予定。
現在、彼氏である瀬川軍曹がパイプ椅子に足を組んで座り、絶賛お説教中であります。
こんなときですが、足を組んで座る姿が素敵だなあと、眼福眼福・・・
はっ、なんか軍曹がますます不機嫌。
「で、考え事って?」
「・・・」
なかなか言葉が出てこない。
どこから話せばいいのか。
どう話せばいいのか。
迷って悩んでいるうちに、瀬川主任がはあーっと溜息をついた。
「結婚のこと?」
「えっ?結婚?
あ、ああそれ、それです。」
瀬川軍曹は、怪訝そうな目をして、ますます溜息。
「わかった。」
わかった?
え、まだなにもお話してませんが。
「結婚の話は、保留にしよう」
「母が結婚するそうなんです」
二人同時に言って。
「え?お母さん?」
「え?保留?」
・・・ちょっと落ち着こうか。
ーーー
「昨日、母が珍しく電話してきて、再婚すると言ってきたんです。母には幸せになってほしい反面、なんだか納得できなくて。」
「納得って?」
「私が出来て、仕方なく結婚して、仕方なく成人するまでは面倒見て、成人したらハイ、サヨナラ。そんな結婚生活をしてきた人なのに、私はそんな冷えきった両親を見て育ってきたのに。
私はどうしたらいいのかわからない。」
うつむきたくなかった。
でも、俯いて、シーツをギュッと握って、涙を堪えた。
「私は、あなたに結婚のことを言われても、幸せな結婚生活を思い描けない。
今の幸せだって、いつ終わってしまうのか、考えると怖くて」
「佐倉さん・・・」
瀬川主任が困ったような顔で私の頭のガーゼをそっと触った。
そのとき、
ガラッ
「つぐみ!!」
「つぐみ!!」
なんと、両親、ご本人様たちが登場。
あまりに驚いて私の口は金魚のようにパクパク開閉しているのみ。
思考回路はショート中だ。
「メメメメールもらって、頭の打ち所が悪くて、出血多量で、足もひどい状態だって。 大丈夫なの?!ねえ、つぐみ!」
「つぐみ、わかるか、父さんだ、父さんって呼んでみろ、わかるか??」
ちょっと、落ち着こうか。
ーーー
「初めまして、お父さん。
瀬川といいます。
つぐみさんとお付き合いしています。」
でたー。
出来る営業マン瀬川主任、本領発揮の営業スマイル炸裂!
さっきまでの鬼軍曹はどこ行った?
「今回の件、お母さんにメールしたのは僕です。
すみません。
僕も相当慌てていて、メールの内容が支離滅裂だったかもしれません」
瀬川主任、私の母のメールアドレスなんて、いつ知ったんでしょうか?
あ、あれか。2月の半ばに母とお茶しましたね。
そのときか!!
抜け目ないな。
さすが出来る営業マンはちがうな。
ぐったりとパイプ椅子に背を預けた父は、はあ~っとため息をついて、「たいしたことなくてよかった」と小さくこぼした。
母は、私の周りをちょろちょろしながら、転んだ時に着ていた服(血と砂とで汚いです)を見て「もう、そそっかしいわね」と笑った。
「・・・あのう、お父さんたち、どうして来たの?」
父はガタンと立ち上がり、
「自分の子どもが大けがをしたなんて聞いて、平気でいられると思うか??
タクシーに飛び乗って、つぐみの顔を見るまで、どれだけ心配したと思ってるんだ??」
と叫んだ。
ここ、病室です。お父様。
それに、そんなふうに心配する人でしたっけ?
「あなた、静かに」
あなた?
あなた????
初めて聞いたその呼びかけ。
お母様、ドウイウコトデショウカ???
目で尋ねる私に母が爆弾投下。
「つぐみ、わたしたち、復縁することにしたの」
・・・
はああああああ?????
頭の擦り傷から血が噴き出すぐらい、いや、無駄に高めのベッドから落ちそうになるぐらい、目の前が白く、いや赤くか?暗くか?もうどうでもいいや、どにかくとにかく。
「なにそれ??なんなのそれ?どういうことなの?説明して。いますぐ説明して。意味が分かるようにね。私が納得できるようにね。この今までの私の人生何だと思ってくれてるの。信じられない。何言ってるの?意味わかんない。勝手にしてよ。私関係ないし。私はいつだって関係ないんだから。」
息継ぎって大事よね。
一息に言ったら、すう~っと貧血を起こし、ベッドにつっぷした。
看護師さんに「お静かに」と注意されたけど知るもんか。
「佐倉さん、言う時はすごい言う人だったんだね」
瀬川主任、殴っていいですか?
「つぐみ、今までごめんな」
「つぐみ、ごめんね」
何も言わず顔も上げない私にどうすることもできず、瀬川主任に頭を下げて帰って行った。
ーーー
「ほら、つぐみ、桜の花だよ」
はらはらと花びらが落ちるのを無邪気に追いかけた。
薄いピンク色の花びら。
儚く、もろく、美しい花びら。
「はい、おとうさん。一番きれいなの、あげる」
父は、嬉しそうに笑っていた。
「お母さんにはくれないの?」
「あげるよ。待ってて。つかまえるから」
母も嬉しそうに笑っていた。
温かい幼い頃の思い出。
どうして忘れていたんだろう。
「つぐみの名前ね、ほんとは「桜」ってつけたかったんだ。
桜の咲く時期に生まれたし、、春に花が咲いて、散って、若葉がすぐに出てきて、夏には緑色になって、秋になって赤くなって散って。冬を越してまた花をつける。そうして大地に根ざし、たくましく生きて、季節をすべて彩る、そんな桜みたいになってほしいなあって。
でもそれだと「さくらさくら」になっちゃうから、だめかって。
それで、体が小さくても、秋に日本に来て、春を見届けてからまた海を超えるツグミの力強い生命力に「これだ!」と思って「つぐみ」にしたんだよ。」
小学校の宿題で、自分の名前の由来を聞いたら、父がいつになくたくさん話してくれた。
母も、「つぐみは小さく生まれたからね。名前の力に助けてもらいたかったの」とつぶやいた。
自分の名前が誇らしく、胸が一杯になった。
いつもいつも冷え切っていたわけではなかった。
最初に躓いた若い二人は、後悔や、意地の張り合いや、素直になれないことが多くて、でも毎日必死で生活して子育てして、その時々は温かく楽しいこともあったのに、気づけば大切なものを置き去りにしたまま、何年も過ぎてしまったのだろう。
お互いに求めていたものが、認めることができずに、乾ききり、疲れてしまうまで。
でも離れてから、本当に大切なもの、本当の心がようやく浮き彫りになった。
本当ならこうやって出会って、こうやって関係を気づいて、こうやって愛を育んで・・・
きっと、お互いに「今更どの面さげて」と思っただろう。
でも、歩み寄った。
そして、雪解けのように心が流れだし、二人は春を見つけたのだろう。
両親は別々の道を歩いていた。
でも今、やっと二人で同じ方向を見て、同じ道を歩きはじめたのだ。
ーーー
「佐倉さん、退院おめでとう」
ありがとうございます。
たった二日でしたけどね。
「車まで抱いていこうか?」
「いいえ、松葉づえがありますから大丈夫です」
「えー抱っこしたい」
「お断りします」
彼はくすくす笑い「残念」と言いながら、私の荷物を持って一緒のスピードで歩いてくれた。
ふいに思った。
ああ、こういうことなんだ。と。
「私で良ければ、宜しくお願いします」
「はあ?佐倉さん大丈夫?」
瀬川主任殴っていいですか?
「結婚」
「結婚?」
「前に結婚しませんか、って言ってくれたでしょう?そのお返事です」
「・・・だからって、ここで?」
ううむ。
やはりロマンティックは難しい。
「つぐみ」
おお、母登場。
「頭、大丈夫でよかったわね。」
お母さん、地味に失礼ですよ。
「お父さんはお仕事でこれなかったの。
付き添えなくて残念がってたわ。
ねえ、まだ怒ってる?」
「怒ってないよ」
「怒ってる」
「怒ってないってば」
「怒ってるじゃない」
「怒ってないって、言ってるでしょ!!!」
「・・・佐倉さん、ここ病院。」
はっ、そうでした。
母と別れ、自分の家に帰るとほっとした。
荷物を置いて、瀬川主任が私を抱きしめた。
「お帰り」
「ただいまです」
「めちゃくちゃ心配したよ」
「申し訳ないです」
「松葉づえが要らなくなったら、お父さんとお母さんにお祝いを持って行こうよ」
「はい」
「お祝いはさ、なにか嫌がらせになるものを選ぼうか」
ぜひ、そうします。
私の気が済むまで、嫌がらせをしてやろう。
人騒がせな両親に気を揉まされ続けた祖父母たちの分も上乗せしてやる。
「・・・佐倉さん、よかったね」
ずっとぽろぽろ涙が出ている。
なんの涙かわからない。
でも、彼はずっと抱きしめてくれていた。
今度、父と母に会いに行こう。
彼と一緒なら、きっと大丈夫。
ずっとわだかまっていた心を、柔らかく見守って、大きく包んで、一緒に乗り越えてくれる。
そうして、一緒に前へと進んでいく。
私だけでは行けなかった場所へと、一緒に踏み出してくれる。
「ペアのパジャマにしようか。
今すぐ着て見せてっていうのはどう?」
「名案です」
「じゃあ、僕たちもペアのパジャマ買おうよ」
「却下です」
「えーけちー」
幸せの形は決まっていない。
だから、お互いに作っていこう。
ときにはめちゃくちゃでもグニャグニャでもいいし、ときにはきれいに丸めてもいい。
そう。
一緒に、作っていこう。
fin