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 トビウオ空賊団は日々を重ねていく。

 先の戦闘で軍島は被害を被ったが、カリーナ打倒のために十一機ものATが戦線を離れたことでヴェニス軍は劣勢を覆し、基地占領を阻止した。

 海域で沈没したフィオーレは早急に回収され、ヴァイオレット・キャノンは海底に姿を消した。ポントスからの回収隊の出現が危惧されたが、同時期にエレボスによる各植民地での同時多発侵攻でウーラノスと同じ末路を辿ったことで、未だ大部隊の襲来は訪れていない。

 三大勢力の均衡は見る影もなく、エレボス一強となったことで各植民地の地図上での色合いは赤や青が加速度的に緑へと塗り潰されていった。それは同時に、トビウオ空賊団の標的が残り一勢力になったことを示す。

 残るはエレボスの救世主メシアのみ、しかしながら大破寸前まで陥ったフィオーレの修理がある為に四名はヴェニスでの長期滞在を余儀なくされたのだった。

 そしてアリスの処遇については軍によって捕虜と決定し、厳重な拘束と監視が徹底されたのだった。


       ✥


「なんだこれは? 炭か?」

「失礼ですね! これは正真正銘のヴェニス料理です!」

 二階建てのリビングで昼食を取ろうとする桜は尻込みし、本音を告げた。

 軍島での演習を早めに切り上げた三人は家路に着き、木葉は機体の修理・整備に明け暮れているわけだが、目の前の品を見れば彼女はこの場にいなくて幸運だと桜は思った。今日は詩乃が昼食を作ることになり、大人しく待っていた桜の反応は芳しくなった。それも当然、本来は仔牛のレバーと玉葱を炒め合わせた料理で、レバーの臭みを取るために大量の玉葱が使用されることで単なる引き立て役ではないことを証明する、そんな一品なのだが眼前にあるのは黒々とした物体とずたぼろの玉葱。

「あらあら、今日こそは上手くいくと思ったんだけどね~」

「下手であると知っていたのなら何故止めなかった?」

「詩乃ちゃんはやればできる子だと信じたかったのよ」

 暢気に微笑むアーシャをひと睨みし、目線を戻すが現状は変わらない。さしもの桜も気が進まない、しかし幼少の頃に母に躾けられた故に出された物を食べないという思考回路は存在しなかった。

「頂く」

 それでも多少の意志力を振り絞った桜は箸を手に取り、皿を摑むと一気に搔き込んだ。まさか食べるとは思っていなかったようで詩乃は目を丸くし、「嘘、です……」と呟く。ごりっだのぐちゃだのぬちゃだの、と噛む度に摩訶不思議な咀嚼音がするが、それでも桜は全てを飲み込む。

 二人が固唾を呑んで見守り、訪れた静寂に箸を置く音が響く。

 小さく息を吐いた桜は視線を転じ、心なしか瞳を潤ませる詩乃を見つめる。

「シリエジオさん……」

 何やら感動している詩乃に向けて、躊躇なく言い放つ。

「これが秋刀魚の腸というやつか。なるほど、本に記載されていた通り、苦いな」

「だから、これはヴェニスで親しまれるれっきとした料理です! 例えがひどすぎます!」

「正直な感想を述べたまでだ」

「余計たちが悪いです! 大体これ作るの半端なく難しいのですからね!」

 憤慨する詩乃の言を聞き入れ、黙考する桜はややあって決意し頷く。

「なるほど、ならば愚生も作るとしよう」

「へ? な、なんでそういう話になるのですか?」

「難しいと聞いたら興味が湧いた、ただそれだけだ」

 あくまで淡々とした態度の桜は腰を上げ、キッチンに立つ。エプロンを装着し、いざ調理を始めるのだが戦闘時と全く変わらない表情とテンションでするものだから、桜の両方の姿を知る者からすれば格好のお笑い種である。

 案の定、詩乃は空中回廊の時よりも大笑し、アーシャも口元を隠して控えめな微笑を零す。詩乃に関してはこれだけ笑うのに下品に見えないのは流石と言うべきであり、そんな笑いの中で桜は黙々とフライパンを振るうのだった。



 詩乃は皿に盛りつけられた料理をぱくりと一口して、

「!? そんな……!」

 活目し、ごくりと飲み下す。

「……美味しい」

「君も大概失礼だぞ」

 見た目からして詩乃のそれとは正反対であるため出来が違うのは一目瞭然なのだが、本人はその差を口にするまで認めたくなかったようだ。

「あら、美味しいわ。料理もできるなんて桜ちゃんはいい主夫になれるわね」

「ならば相手はアーシャが良いものだな」

「は?」

 詩乃がえらい地声で一言のみで威圧するが、桜はどこ吹く風とばかりに態度を崩さない。

「冗談だ。冗談を言うのも人間らしいと思ったのだが、笑えないようなら撤回する」

「……そっか」

 真顔でそんなことを言った桜を見て、アーシャは安心したような微笑を見せた。前までその笑顔に心がざわついたものだが、今では心地良いまである。こちらの心境を察したわけでもなかろうが、アーシャは一変して悪戯めいた笑みを浮かべた。

「不束者ですがよろしくお願いします、あなた、なんてね」

「こちらとして頼もしい限りだ」

「な、な、な」

 唖然とぱくぱく口を開閉させる詩乃は額に青筋を立て、ふんっと鼻を鳴らして憤然と席を立ち、そのまま身を翻す。

「詩乃ちゃん? あの、冗談だからね?」

「ええ、知ってます。知ってますとも。詩乃は散歩してくるのでどうぞ! 二人でごゆっくり!」

 バタン、と出口から外に出て行った詩乃を制止しようと伸ばされた手は空を摑んだだけだった。アーシャは嘆息すると曖昧な笑みで頬に手を当てる。

「あらあら、少しからかい過ぎたわね。詩乃ちゃん方向音痴なのに……私追いかけるわ」

「いや、それは愚生がしよう」

 アーシャは一歩前に出た桜を神妙な顔で見つめ、やがて頷く。

「それじゃお願いね。あ、今日はアックア・アルタが起こるらしいからなるべく早く帰ってきて」

「了解した」

 首肯で同意を示した桜は玄関を出て、灰色の空を見上げる。空気が湿っている、雨天になるのは請け合いだ。

 むくれた詩乃を追いかけようと進言したのは何となく、というわけではなかった。出て行く直前の詩乃の横顔にはどこか哀しそうな、なにかを恐れるような色があった。その表情がどうしても頭から離れなかった。


       ✥


 街外れの道を高々と靴音を鳴らして歩く詩乃は、右に見える海原を眺めてつい足を止めた。額の両側に結われた一房は潮風で揺れ、風が吹く度に髪が耳の辺りでそよぐ。寄せては返す波の音は寝息のように規則正しく寧らかで、瞼を下ろして耳をすませると心に澄み切った風が吹き抜けるような感覚を覚える。だがその感じも脳裏に過る先程の件のせいで霧散し、途端に表情が沈む。

「ガイアでの戦闘技術も上を行かれて、料理の腕も……。これじゃ詩乃の有用性は……」

 桜は保証すると言った、ならアーシャはどうなのだろう。確かに詩乃はあの戦闘で一助はしただろう、けど方法はどうあれ結果として敵を撃破したのは桜だ。それもレリックの操縦経験も上回り、ザ・ウランとの過去の交戦経験もある詩乃を差し置いて、だ。もし失望されても文句は言えない。アーシャなら落胆することはないかもしれない、実際その件に関して何も言っていないのだし、けどそう思えば思うほど『いや、もしかしたら本心では』という不安が尽きない。

「……詩乃が詩乃である意味って、何なのでしょう……」

 今まではレリックの地位を詩乃が独占していた、だがそこに桜が現れた。そして桜は詩乃よりも優秀で、物怖じもせず、戦況を冷静に分析する観察力や判断力も持ち併せて、何より桜は変わり始めている。先の冗談がいい例だ、あの仏頂面からあんな言葉が出てこようとは一体誰が予想できよう。

 意識が思考の海に沈んでいき、つられて俯く詩乃の耳に鳴き声が届いた。ぱっと顔を上げると少し先に立つ街路樹の幹に子猫がいた、しかもその枝は海の方に伸びており、落ちれば海面に真逆さまである。

「にゃんこさん…………にゃー、です。……っそうではなくて、詩乃が助けます。じっとしていて下さい」

 駆け寄った詩乃はすぐに木をよじ登り、脅かさないようにゆっくりと手を伸ばしてみる。すると子猫は少々警戒しつつも案外すんなりと寄ってきて、すっぽりと詩乃の両腕に収まった。そこではた、と首輪に気付いて納得する。あとは降りるだけだと思った矢先、詩乃は目を見開く。

 今になって怖気づいたというのもあるが、それよりも路上が大変なことになっていたのだ。

「なんで海水が……満潮? いやでも、勢いが明らかに速すぎます」

 海は穏やかに凪いでるいるのに、と思う間にも海岸であるこの場所の水位が加速度的に上昇していく。そして最悪の事態が発生した。

「あ、雨です」

 大雨が降り注ぎ、茂る木葉を打つ水滴が頬に当たる。完璧な雨宿りには至らず、詩乃は濡れないように子猫を胸に包み込むようにして抱く。雨脚はどんどん強まり、止む気配など皆無だ。街路を行く人もおらず、葉っぱを通じて疎らに降り注ぐ雨に濡れる詩乃はけたたましい雨音をただ聞くことしかできない。

「こんなことになるのなら、家から出なければよかったです」

 それなら何故、外出してしまったのか。単純明快、己の居場所が失くなってしまったような気がしたから。

 詩乃は二度、置いて行かれた人間だ。一度目は両親、海底から過去の遺物を引き上げる海賊だった母と父は詩乃が十才の時に事故で亡くなった。それから詩乃は親戚の養子として引き取られ、それまでより裕福な暮らしはできたが精神的にきつい毎日だった。社交辞令、建前、愛想笑い、当たり障りのなさの裏に相手の腹の中を窺うような会話、自分を押し殺す人間関係。

 そんな詩乃が唯一自分らしくいられたのが外交部隊のメンバー内だった。皆が詩乃より一回りも二回りも年上ばかりで、詩乃は時に厳しくされながらも娘や妹のように可愛がられた。それが詩乃には心地よかった、訓練や演習は辛くてきつかったけれど不思議と充実感があった。自分は腐り朽ちることなく、完全燃焼しているのだと実感していた。

 だがそんな日々も二年前に壊れた。

 仲間達は詩乃の価値を信じて命を散らした、ずばり詩乃の有用性はガイアの操縦技能と勘による卓越した戦闘機動。それこそが植民地開拓戦争時代における詩乃・S・グリンフィールドの優位性であり、有用性だ。彼らはそれを存続させるために詩乃を生かした、ならば自分は戦うことを止めるわけにはいかない。戦いを離れることは、彼らの願いを踏み躙ることにもなり、同時に己の価値を失うことと同義だ。

「戦いの中にしか詩乃の有用性はない…………戦果を残せない詩乃は必要とされない……」

 囁き声は虚ろな尾を引き、俯く詩乃は胸の中で鳴く子猫に力なく微笑みかける。

「ごめんなさい、何だか弱音を吐いてしまって……。こんなこと聞かされてもいい迷惑ですよね」

 掠れた声は雨音に搔き消され、誰の耳にも届くことはない――

「探したぞ、詩乃」

 詩乃の肩がびくっと跳ね、恐る恐る顔を上げれば膝上まで海水に浸かった桜が立っていた。もはや驟雨から篠突く雨に変わった中で雨滴に全身を打たれる桜は意に介した風もなく、木の上の詩乃を見上げる。その瞳から放たれるまっすぐな視線に射られ、思わず目を逸らしてしまう。

 彼方と此方を分かつように、雨脚が強くなる。そして桜は不意に頭を下げた。

「すまなかった、少々冗談が過ぎたようだ。……アーシャが心配している、帰るぞ」

「……本当に、そうでしょうか……?」

 その声は芯がなく、頼りなく揺れていた。

 桜が怪訝そうに眉を寄せ、詩乃はその様を一瞥した後に目を伏せる。

「詩乃は……アーシャさんみたいになりたかったのです。いつも余裕があって、誰に対しても物怖じしなくて、アームドを引退しても自分の有用性を証明できて……いつも笑っていて、詩乃はそんな風になりたかった」

 アーシャは命の恩人で、憧憬と羨望の対象で、だからこそ己に失望する。何故自分はアーシャが持っているものを持っていないのだろうと、アーシャを見れば見るほど自身の欠損を嫌というほど見せつけられる。

 認められて、求められたかったのだ。そのためには常に誰かより優位に立つ必要があった。その優位性はレッド・パイル戦で証明できたと思っていた。なのに、そこに桜が現れた。焦燥に駆られ、優位性が逆転することを恐れ、怯えから見下すような発言ばかり。そして、そんな自分が嫌いだ。

 眼前の虚空を見つめ、身体を縮こまらせると腕の中の子猫が鳴いた。

 黙って耳を傾ける桜の視線をひしひしと感じ、僅かに視線を上げる。すると桜は口の中で言葉を転がし、ややあってぽつりと口火を切った。

「……詩乃、君はアーシャにはなれない」

「っ……そんなこと……」

 反駁する声も弱く、二の句が継げない。図星だったからだ。そんなことは重々承知だ、けど否定せずにはおれなかった。

「君は、君にしかなれない」

 確固たる意思を宿した瞳が詩乃を見据え、ぶれない語調で告げた。はっと息の呑む詩乃を見上げたまま更に続ける。

「仮に君がアーシャになっていれば、きっとアーシャは詩乃を必要としなかった。詩乃が詩乃であるから、アーシャは求めたんだ」

「でも詩乃はっ、無様な姿を……!」

「アーシャがたった一度の醜態で見限るような人だと思うのか? 仮にそうだったとして、だがそれでもアーシャの詩乃に対する想いは変わらないだろう。……愚生も己の有用性は戦闘しかないと思っていた、だがアーシャはこう言ったのだ。愚生を引き入れたのは総合的に判断した上だと、戦闘力云々は思い込みであると。詩乃、君もそうじゃないのか?」

「…………」

 詩乃は面食らって黙り込む。言い返せないのはその言を信じたいからだ。けどまだ、弱気な自分が引っ込んでくれない。心は揺れ、翡翠の瞳も揺れ、だが夜色の双眸は揺るぎない。

「アーシャの真意までは愚生も見抜けない。だが少なくとも、愚生はここに辿り着くまで詩乃のことを懸念していた。……否、訂正する。今でも君のことを憂慮している。何故ならば、君が必要だからだ」

「こ、こっ恥ずかしいことほざくな、です! ……あ」

 反射的にツッコんでしまい、詩乃は間抜けな声を漏らす。つい乗せられてしまった詩乃は居心地悪く目を逸し、そこではたっと気付く。見上げる桜の瞳は仄かに親愛を帯び、それを目撃した途端に心臓が跳ねる。

「帰ろう」

「え……は、はぃ……」

 尻すぼみとなった声よりも鼓動の大きさに戸惑って子猫を抱く。あの時と同じ言い様のない感情を認識し、それの正体を探ろうとする詩乃はしかし、次の瞬間に出された桜の提案で思考を四散させた。


       ✥


「絶対! 何があっても上を見ないで下さいよ! 見たらまた引っ叩きますからね!!」

「今にして思えば誰かに平手打ちをもらったのは初めてだったな。新鮮だった」

「いきなりマゾヒスト発言するな、です! 普通に気色悪いです!」

 膝上まで水没させる桜は詩乃を肩車しながら帰路に着いていた。

 アックア・アルタ。潮の干満と気圧の変化、そして蛟竜の脱皮が海水に触れることで淡水へと変貌して急激に水位が上昇するこの三つの要因によって引き起こされる高潮現象である。

 それとヴェニスが地盤沈下によって他の島と比べて低いことも理由の一つだ。チヴェタンは城壁に囲まれていた故に脱皮は問題視されていなかったが、対してヴェニスは蛟竜の水撃を阻止することと津波などによる水害を防ぐために設置したモノリシックを採用しているので、脱皮が最たる問題として浮上したのだ。

「何事にもメリット・デメリットはある、ということか」

「あの、桜さん」

 物思いに耽る桜は気弱そうな声を聞き、見上げようとするがすぐに頭を押さえつけられる。

「愚生の不注意だ。それで何か言いかけたようだが?」

「詩乃たち、滅茶苦茶見られてます。今すぐ降ろして下さい」

 じゃぶじゃぶ鳴らして居住区に近づいているいるので宜なるかな、この高潮現象に慣れている地元民は往来を行き来し、水路に落っこちないように慎重に歩く桜とその上の詩乃が注目を浴びるのは自明の理だった。ちらりと見た詩乃は耳まで仄かに紅潮させて羞恥に耐えているようだが、そろそろ限界のようだ。

「先の所と比べれば平均海面高度は下がってきているが、君の背丈では股下まで水に浸かることになるぞ。君、服が濡れるのが嫌だからこの案を選択したのだろう?」

 横抱きされるか、それとも肩車されるか、二者択一を迫られた詩乃は迷った挙句こちらを選択したのだ。桜としては先程まで降っていた雨でもう濡れているのだから何を今更気にする必要がある、と思わなくもないが先日の風船事件を引き合いに出されれば押し黙るしかなかった。

「それはっ……そうですけど」

「君の今の服装はワンピース、と言うのだろう。そうなるとまくりあげないといけなくなり、つまり下着が」

「わぁ! それ以上喋らないで下さい! 公然わいせつ罪で訴えますから!」

 しゅばっと桜の口を両手で覆おうとしたがすぐに思い留まり、落下を危惧してか静かになる。桜がしっかり両足を固定しているので早々落ちることはないだろうが、それでも桜の側頭部から手を離すことが憚られたようだ。

 そこでにゃー、と桜の頭頂部にだらんと乗る子猫が鳴いた。運搬する対象が二つの桜はしかしバランスを崩すことなく、帰る着くまで終始詩乃のわがままを聞く羽目となったのだった。


       ✥


「おかえりなさい、二人とも。まず先に服を乾かして、それから桜ちゃんはあとでお風呂ね」

「今戻った、了解した」

「詩乃ちゃんが先にお風呂入ってきて。そのままじゃ風邪引いちゃうわ」

「え、えと……」

 てきぱき指示を飛ばすアーシャに粛然と従う桜を呆然と眺めて、詩乃は口ごもる。アーシャが目の前で「ん~?」と覗き込むようにして見つめてくるが、つい視線を逸らしてしまう。

 桜はああ言ったが、それでもまだ不安が拭えないでいた。詩乃は狼狽し、それを見兼ねてかアーシャはにこりと微笑む。

「あ、そっか! 詩乃ちゃんは私とお風呂入りたいのね、そうと決めればすぐすぐ!」

「え、ちょ、アーシャさん!」

 ぐいぐいと背中を押されて戸惑う詩乃は、耳元で囁き声を聞く。

「おかえりなさい、詩乃ちゃん」

 はっと振り返る詩乃の目前にはいつもの微笑、ではなくこちらを見据える青の瞳だ。

 帰る場所がある、言い換えれば居場所があるということだ。

「出撃と帰還はこれまで幾度と無く経験してきたが、帰ってこいだのおかえりなさいだの言われたことはなかったな」

 狙い澄ましたようにぽつりと零す桜をじとりと睨み、アーシャは唇を尖らせる。

「桜ちゃん、乙女の会話を盗み聞きはめっ、よ」

「む、無粋だったか。以後気をつける」

 二人の応酬を傍観する詩乃の胸中に暖かい何かが広がり、きゅっと胸元を握る。そして内心で呟く。

 ――全てお見通しですか、アーシャさんは。けど、悪い気はしないです。

 そうして詩乃は唇を綻ばせ、小さく笑った。

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