激突
何百年もの遥か昔、人類は竜の侵略によって文明崩壊の淵にまで追い込まれた。重度の環境汚染、地球温暖化による海面上昇が危険視されていた時代、突如として出現した竜達の猛攻で陸地と呼べるほどの大地は海底に沈み、世界は透き通る青い海と紺碧の空に覆われた。それでもしぶとく生き残った人類は、大海に点在する島々に身を寄せ合って生活しながら復興していった。
復興を遂げた共同体のうち、特に頭角を現した勢力が三つあった。
一つは、ウーラノス。三大勢力の中で最も急進的な勢力であり、周辺の島々を武力の元で強引に結合した経歴を持つ。最高指導者を頂点とした厳格な階級社会であり、底辺の者達に対する配慮は皆無に等しい。
一つは、ポントス。豊富な資源を糧とした迅速な復興により勢力拡大を成し遂げた。内情は規律が徹底された軍組織めいており、最も人口が少ない勢力である故か、救世主に依存した戦略が目立つ。しかし擁する救世主の戦力は、他勢力のそれを凌駕するほどの随一さを誇る。
一つは、エレボス。最も人口が多い勢力であり、竜を使役する力を持つと伝承されるポセイドンと言う特別な人間を神の代理人として信仰し、竜そのものを神と崇める独特な文化を有する。三大勢力の中で最も技術水準が高いとされる。
以上の三大勢力が鎬を削る闘争こそが俗に《植民地開拓戦争》と呼称される。限られた島々の所有権を争う戦いであり、全世界が熾烈な島取り合戦の舞台となる最中、チヴェタン島はどの勢力に与することなく、また傭兵を取り入れることもせずに独力のみで直径十キロメートルの国の平穏を死守してきた。
羊雲の漂う青空と中天間近な太陽が覗く窓際の席で説明を終えた桜は、仏頂面のまま着席する。歴史の担当教諭は校内に複数在任する監視官のうちの一人で、桜が万が一にでも叛逆行為を取らないかどうかを見張っているのだ。それの一環として桜に平凡な生徒じみたことをさせるのは、本人にとっては理解の埒外であった。
そのようなことをせずとも、自分は反抗などしないと言うのに。彼の父親である故人のワイルド・ギースが罪科持ちであるというのが必要以上に危惧する理由であろうが、当人にとって迷惑極まりなかった。
板書する教師から目を逸して開けられた窓から蒼穹を仰ぎ、物思いに耽る。
自分は氷で構築された機械だ。軍事運用を目的とした兵器同様、戦って、戦って、戦って、戦って、そうして戦死することこそが唯一の存在意義である。課せられた「任務」を遂行する、それが桜・シリエジオに求められる有用性であり、その為に自身は生かされている事実をしかと認識している。
それこそが十年間、ただひたすらに戦闘兵器として訓練されてきた桜の人生観であった。
四六時中の監視と並行する訓練に迎撃任務、そんな息の詰まるような生活を平然と送る桜の心情を知る者はいない。友好的に近寄ってくる他人などおらず、むしろ敵対者の方が多く、事の成り行きを差し引いても先日の不良連中が良い例だ。現に今も板書を書き取る生徒達から敵意やら嫉妬やら殺意やらといった視線が疎らに飛ばされているが、敵対行動の範疇外である故に構うことはしない。
桜の父親はチヴェタン島専属の傭兵だった。だが十五年前の凄惨な単独テロを引き起こした狂人でもあり、まさに雇い主に牙を剥いたのだ。それ故に息子である桜のことを快く思っていない人間がいるのは必然と言えるし、桜自身も致し方ないことだと受容している。
死亡覚悟のテロを決行する数時間前、父親は妻宛ての最期のメッセージを送っていた。
城壁近くのシェルターに逃げろ、そして事が終わるまで隠れていてくれ。――すまない。己は逝く、責めはそこで聞こう。生きてくれ、二人とも。
シェルターというのは父親が気まぐれで作った物であったようだが、もしやこの事態を予期していたのかもしれなかった。あまりにも端的な通信であったが、妻であるアザレア・シリエジオは全てを悟ったのだそうだ。まだ三才であった桜を抱いて外周のシェルターへ逃げ込み、最愛の人に別れの言葉を告げることすらできなかった。
いつものように堂々と外壁ゲートから帰還し、チヴェタン島に侵入した銀灰のガイアATは、蹂躙を開始した。ワイルド・ギースは名の知れた傭兵であり、故に単機での戦闘力は尋常ならざるものであったらしい。チヴェタンの総動員された戦力を相手取り、地獄もかくあらんというばかりの豪炎と鉄砲と硝煙の嵐に彩られる戦場で、彼は立ったまま逝った。
結局彼に何があってどうした、等の事情は戦死と共に闇に葬られた。彼が何の為に戦い、その果てに何を思って死んだのか、それは誰にも分からない。それこそ彼の最大の理解者であったアザレア・シリエジオですら真意を読み取ることはできなかった。それでも彼女は息子に対してその話をした時、『あの人は誰かを守るために戦ったのだと思うわ。傭兵にしては存外、甘い人だったからね』という言葉で締め括った。
それからの日々は陰鬱の一言に尽き、もし軍部に匿われなかったらどこぞの誰かに妻子共々殺害されていたことだろう。そうして今、忌まれる血を引く桜・シリエジオは生きている。
写真でしか見たことのない父親を、かつては恨み憎んでいた。家族よりも守るべき存在などありはしないのでないか、と。だがその負の感情をも包み込み、霧散させていったのはやはり母親であった。しかし母親も十年前に他界し、軍部もそれを契機として桜を兵器へと変貌させていった。
鉛のように重く、澱のように沈む思考を晴れ渡る空を見上げることで強引に消失させる。詮無き思考だ、と即座に切って捨てた桜はただひたすらに「敵」の姿のみを思い浮かべ、そして奇妙な安息にも似たものを感じる。
視線の奥、空を阻む鋼線の束をひたと見据えていた桜の耳にノイズが届く。無線である。
『こちら中央区ガイア管制室より入電。南西に航空反応あり、誘導弾による先制攻撃を開始。ワイルドは直ちに出撃準備せよ』
外壁からせり出す構造の誘導弾発射場の存在を認知している桜は、首肯すると微かに腰を浮かせた。
盛大に耳をつんざく衝撃音が、世界を激震させた。
突然の轟音に皆が驚愕の色に染まり、そして桜は見た。
強靭な鋼線で編まれた采の目状の天井が刹那の後に、馬鹿げた衝撃で解かれて一本一本の線となってほつれていく光景を。ガイアATの重量をも容易く支える鋼線の床が外周の壁に派手に激突し、一抱え以上もある無数の石塊が飛散して地面にぞっとする速度で落下していく。開けた空にいる何かを桜は認めて瞠目する。
藍色と真紅に分かれた装甲色、細長く鋭いフォルムは機械的であるが、それでいて生物的でもある。V字に尖る尾ヒレ、筒状の機体の腹部に異様な違和感を目にし、恐らくは大出力のブースター噴射で滞空していると推定する。
桜に数秒遅れて皆の視線が上空のそれに集中し、一様に唖然とした顔をする。水を打ったような静寂が場を包み、針の落ちる音さえ聞こえそうなそれを誰かの呆然と掠れた声が破った。
「――トビウオだ」
教室に狂乱がぶち撒けられた。途端に耳朶を叩く悲鳴や絶叫が響き、生徒達が押し合いへし合いながら猛然と廊下へ飛び出し、転倒した者は一瞬で必死に逃げる誰かに踏みつけにされて悶絶する暇もなく人の津波に呑み込まれた。恐怖を刻む叫声が瞬く間に校舎内に隈なく伝播し、もはや収集がつかなくなって幾重にもひしめく人波が廊下や階段を埋め尽くす。
たった数秒でがらんどうになった教室に椅子を引く音が静かに響き、泰然と腰を上げた桜。炯々と光る双眸で遥か上空の「敵」を睨み、そうして視線を淡々と滑らせる。その先に立つのは監視官である教師であり、彼は眼鏡をくいっと上げると冷然とした声で事務的に告げる。
「敵の正体が判明した、ウーラノスの救世主だ。桜花、ガイアATで敵を撃墜しろ。連中の鼻を明かすまたとない機会だ、出撃命令を下す」
「了解。任務を遂行する」
この識別名は太古の昔、瑞穂と呼称された島国が戦時に製造した特殊滑空機から取ったものだ。お前はあくまでも我らの道具なのだ、兵器なのだ、と決めつけるために形から入ったわけだ。
途端、桜が跳躍の勢いそのままに窓から飛び降りた。校舎の二階から黒い詰襟の裾を風圧で翻しつつ落下し、事も無げに着地して間髪入れずに駆け出す。舞い上がった砂埃を気にも留めずに走り、校庭を一直線に貫いていく。
閉まった正門を飛び越え、それからもう一度大きく踏み込んで手近なビルに跳躍し、電柱や看板を足掛かりにして木の葉のように屋上へ到達。そしてビルの屋上を跳躍で渡り、早くも耳を聾する警報が鳴り響いて修羅の巷と化す街を眼下にしながらひたすらに駆け、最短距離でドックのある工廠を目指す桜は今なお瞳に焼き付く敵のことだけを考えていた。
✥
『アーシャさん、救世主が撒いた餌に食いついたようです。これより出撃し、敵を撃破して参ります』
城壁都市チヴェタン島がトビウオの飛来によって狂乱の渦に呑まれる最中、そこから南西に二百キロ離れた場所に存在するのは二年前の激戦の余波で半分ほど水没したピタテン島。その中心に位置する水底に沈んでたゆたう草原の上空に滞空しているのは藍色と緑色の装甲を持つトビウオであり、その腹の中に収まるガイアに搭乗する少女は茫漠とした広さのレーダー範囲内に敵性反応を感知していた。
『狙い通りね、あと二戦残っているんだから確実に斃してね。とは言ってもリスクは負わないように、生きる可能性は少しでも上げなさい。死んだら元も子もないんだから』
女の声。どこかあどけなさを残す、ふくよかな声だ。
『あの旧世代の英雄を相手取るというのに、随分と余裕ですね』
『うふふ、そう? 私が見込んだ逸材だからね、敗率は殆どないと確信しているわ』
『……言っておきますけど、嬉しくなんてありませんから』
『あらあら』
何とも緊張感の欠片もない応酬をした少女は武者震いを押し殺し、真剣な声音で告げる。
『それでは、行って参ります』
トビウオの胸ビレが四枚に見える翼を展開し、それが細かな粒子を散らした。
『行ってらっしゃい、武運を祈るわ』
発進。
滞空から一瞬にして最高速に至り、緑の閃光が蒼穹を貫く。
✥
そして敵襲時の警報が途切れることなく鳴り続けるチヴェタン島の街区に十機のガイアATが出陣する。林立するビル群に紛れる位置取りをしてから平然とセンサーを走らせて味方の識別信号と所属不明機の反応を探知する。
極度の集中で身体の芯を冷たい糸が貫いているような幻覚すら体感し、意識が戦闘のそれにシフトしていく。
『最優先目標はトビウオだ、奴さえ堕とせば良い。よって全機、標的に火力を集中せよ』
陣頭指揮を取る男の低い声が直接回線から届き、それに呼応して銀灰ATが射角を取ってありとあらゆる火器を上空にいるトビウオにポイントする。多数の照準波がトビウオを焦点として殺到するも、当機は意にも介さんとばかりに微動だにしない。
『救世主だか飯屋だか知らねぇが、光芒一閃で蜂の巣にしてやんよ』
『旧世代の英雄、か。ご大層な英雄譚も今日で完結だ、潰すぞ』
『飛ぶことしか能のない魚風情め。さっさと海にご退場願うとしようか』
『糞ゴミ蟲がッ!! ぶっ殺してやる!!』
『どうせ中に乗ってるのはブッサイクなおっさんでしょ。まさに虎の威を借る狐、身に余る力を持つとどうなるか、教えてあげるわ』
『速力だけでは戦に勝てんことを、我輩が証明してみせようぞ。では、参ろうか』
『誰の許しを得て我を見下げているのだ。万死に値する、死んで詫びろ』
『ようやくこの日がやってきた。俺様の輝かしい戦歴の一頁に貢献してもらうぞ、精々踏み台になってくれや』
『……………………』
それぞれが思いの丈を口にする中、桜はあくまで無言。冷然と上空の敵を見据え、出掛かりを潰すべく瞬きすらしない。その様はさながら氷の彫像のようだ。
ざわり、と戦場に緊張が満ちる。住民はとうの昔に地上や地下のシェルターに逃れ、空っぽとなったコンクリートジャングルの空気を揺らす警報がようやく鳴り止めば、あとにはガイアATの低く唸る駆動音だけが妙に大きく響く。こちらのワイルドは皆一様に救世主との交戦経験は今回が初、故に本気か冗談か、装甲で日光を照り返すトビウオに多数の戦意が突き刺さる最中、この数の前ではさしもの救世主とて只では済まないという思考が言葉から滲み出ている。それは即ち、トビウオと戦うというのが果たして何を意味するのか、実感を伴い理解する者がいないということだ。
陣頭指揮の男の厳粛な声が電波に乗り、
『撃――』
トビウオの姿が、搔き消えた。
刹那、桜が電撃的な速度で反応した。
右肩部の榴弾砲から射出されたそれが、宙のある一点で爆裂した。空気を激しく揺るがす爆音と火炎が巻き上がり、それが契機となった。
桜の搭乗するATが武装した左肩部の速射砲が火を噴き、連続的で激烈な砲声と砲火が晴天に遠雷のように轟く。曳光弾の軌跡が宙の只中で立ち込める灰色の濃霧を裂き、標的に喰らいつかんとする。
それから続け様に一斉射撃が地上で弾けた。通りに沿ってブースター移動するATの真っ黒い散弾砲から発射された弾丸は瞬時に八個の小弾頭に分裂して濃密な煙を幾筋にも穿ち、敵の装甲を穴だらけにせんと迫る。大型の機関砲から対戦車として使用される砲弾が撒き散らされ、濃煙を貫く。ミサイルポッドが開き、五十は下らぬマイクロミサイルが白煙の尾を引いて撃ち上がり、標的がいる座標に殺到する。陽光に黒い銃身を光らせ、重機関銃が連結される弾帯を食って大口径の徹甲弾を吐き出し、滝のように排莢されていく。
一塊となった鋼鉄の嵐を顕現し続けた桜のATがやがて全弾を撃ち尽くし、容赦ない弾幕が終結した。ぞろりと連なる弾帯に直結された、車載用のそれより一回り大きな速射砲をパージしつつ、雲のように濛々と渦巻く爆煙を桜は無機的なアイセンサー越しに見上げる。
『他のATと同等だと思ったか、トビウオよ。何時までも狩る側でいられると思うべからず、だ』
『もう終わりかよ、呆気ねぇな。肩透かしにも程があるぜ。ぼかぼか食らいやがって、とんだ雑魚だったな。噂ってのは一人歩きして大袈裟になる典型だぜ』
『英雄ここに敗れたり、か。物語の結末は一抹の残り香を放つものだな』
『他愛ない、鎧袖一触とはこのことか。所詮は過去の遺物だ。雑魚は地に落ち、舞台は終演。ここからは我らが主役を張らせてもらおうか』
『やっとくたばりやがった! クズ蟲の分際で手間かけさせやがって、腹立たしいわ!!』
『老醜を晒さずに済んで良かったわね、おじさん。授業料はあんたの死骸からたっぷり絞り尽くしてあげるから、草葉の陰から見とけば? これマジお薦めね?』
『フン、こんなものか! 我輩の前に姿を現したことが運の尽きであったな。さすがに避けきれなかったか、速力だけでは何もできんという真理が貴君の死によってもたらされたわけだ』
『雑種如きが、思い上がりよって。身の程を弁えぬ魚め、その不敬をあの世で永遠に償っておれ』
『はぁ? んだよこれで終わり? おいおい、弱い輩との交戦なんて俺の経歴にいらねぇっての。残念だけど載せてやれないね、俺様の高尚な自伝には』
『……………………』
緊張感を削ぐ口上から一変して的確な攻撃を行った面々の言葉を聞き流し、桜は氷点下の眼光で壮絶なる戦闘の残滓を内包する濃煙を見上げる。重い雨雲のように宙に残るそれが、やがて風に撹拌されていき――
『ハハハッ、見てたよ尖兵くんたち! いーい線いってたんじゃない、特に初っ端ぶちかました奴とかさぁ。久しぶりに愉しめそうじゃん、これ』
底抜けに明るい、無邪気な声音が突如として広域通信に差し込まれる。
呆然、慄然、愕然、唖然。
まるで玩具を前にした子供のような嬉々とした語勢を聞き取り、回線にあらゆる感情を含めた吐息が微かに入る。そして目を見張る桜の視線の先でそれが起こった。
露わになったトビウオの機体は所々が煤けて歪み、或いは剥がれて断続的に橙の火花を散らしているが、それでもあれだけの攻撃を受けてなお原型を保っているというのは桜の目には異様に映った。
あり得ないことだ。何故、奴は大破はおろか撃墜されてもいないのか。
その理由は蠢く装甲表面にあった。アイセンサーの映像は桜の視神経に直接繋がり、目を凝らす仕草に合わせて映像が拡大し、それの正体を確認した。装甲表面を銀色の何かが覆っており、それが滞ることない流体のように動いている。詳細までは分からない、だがあれこそが自分達の猛攻を防ぎきった要因であることだけは直感で理解した。
視ている。
仰ぐ銀灰ATを、トビウオの碧い眼は確かに視ている。
『なんだ……? 銀色の何かが動いて……!』
『ちょ、はぁ? なんでまだ飛んでられんだよ! じょ、冗談だろ!』
『なるほど。英雄、伊達ではなかったか。よかろう、木っ端微塵に撃滅してみせようぞ』
『なん……だと……!? 何故、まだ生きている……? 化け物め……!』
『チッ! まぁだ生きてやがんのか! 面倒くせぇ、今度こそ確実にぶっ潰す!』
『嘘、でしょ? 何なの、一体!』
『これほどとは……!? 我輩、少々貴君を侮っていたようだ。なるほど、噂通りか』
『我をまだ睥睨するか、雑種!! 機片一つも残さぬぞ!!』
『ハハ、い、いいじゃねぇか。そ、それでこそ、お、俺様のさ、最強が、しょ、証明されるって、も、もんだぜ』
『……………………』
再びの被照準を感知したであろうトビウオは、展開させている翼にも似た胸ビレを揺らして細かな蒼い粒子を散らした。
『俺はザ・プルトニウム、まあ覚えてなくてもいいけどねぇ。どうせ死んじゃうからさぁ。あ、そうだ。妙案を思いついちゃったよ、これ』
そこでトビウオが不可解な動きを見せる。都市の中心部上空から大魚のように身を翻して翼を震わせ、一瞬で西の城壁まで滑空した。それを銀灰ATの軍勢が猛追する。
桜は救世主の言動や行動から何か、嫌なものを感じ取った。研ぎ澄まされた本能が警鐘を鳴らし、自然とブースターを停止させて道路に立ち止まる。
視ている。
トビウオがまたもこちらを見下ろしており、その蒼い眼が狂気の色を帯びるのを視認した気がした。不穏な気配を察したか、ビルを挟んだ大通りを進行する他の三機も急制動をかけ、
『逃げ腰の英雄、ではないな。何をするつもりだ?』
『何やら只ならぬ妖気を纏っているようにも見えるぞ。我輩の勘が叫んでおる…………皆の衆! 一時後退せよ!』
『あぁん? チッ、やな感じ。あんた達、翁の命令に従えっての!』
『今すぐ撤退せよ!』
切迫した制止の声を飛ばすも時すでに遅し、六機の銀灰ATが持ち得る火器の有効射程に敵機を捉えて照準波を飛ばして兵装を構える。すると上空のトビウオが異様な動きを見せた。装甲を覆っていた銀色の何かが唐突に生き物の如く流動し、扇のように大きく広がったのだ。そして桜は銀光の中に陽光をぎらりと反射する何かを認め、得も言われぬ悪寒が背筋を駆ける。
直後、黒光りする影が流体からぼとりと吐き捨てられた。
『さぁて、敵を掃除してやろうか』
影はガイア・ATの全高ほどくらいの漆黒の誘導弾だった。
途端、小さな太陽が生まれた。視覚センサーを真っ白に塗り潰す激甚な閃光が弾け、続いて天地を鳴動させる尋常ならざる轟音が空気を砕き、衝撃波が音速以上で押し寄せる。甲高い爆発音と視覚センサーを焼き切らんばかりの閃光に堪える桜を次に襲ったのは、激烈な爆風と瞬間的に膨張した大気によって発生した猛烈な衝撃波であり、ほぼ同時に悪魔的な熱線が装甲を溶解させた。
堪え切れずに機体が宙に放り出されて凄まじい速度で吹き飛ばされ、遥か後方のビルを破砕し、内外問わず壁を何十枚とぶち抜き続け、五棟目のビルの最後の壁を貫通する直前でようやく止まる。
今にも崩れそうな壁に機体をめり込ませながら無力に四肢を投げ出すATの内部で、束の間暗転していた視界が回復するも、見える景色は酷く朧気だ。視界が途轍もなく狭い。ややあって滲む視界がどうにか色を認識し、それから暫くしてようやく搭乗席内のそれらを識別できるようになる。五感が麻痺し、特に耳鳴りが酷くてまともに音を捉えない。
「…………っ」
喉から言葉にならない呻き声を漏らし、激しい頭痛を覚えて咄嗟に軽く額を押さえるも、触覚が上手く機能していないのか手触りが薄い。それでも桜は反射的に機体の状態を確認し、僅かに安堵の吐息を吐く。
コンデンサーの出力はだいぶ低下しているが、ジェネレーターの損害は軽微だ。まだ戦闘機動を取れる余力を残している。肩部の榴弾砲も両手に携行していたライフルも行方が知れず、兵装はない。だが復旧したセンサーを走査して周辺の地形を算出した結果、現在地から程近い場所に工廠があることを認識した。恐らくロクな武器は残っておらず、精々障害物撤去用に開発された高熱刃があるくらいだろう。更にセンサーの知覚範囲に味方識別反応を三つ探知し、彼方の上空に敵性個体も感知した。
僚機も自機も未だ健在、それは敵も同じく。ならばやることはただ一つである。
自身は兵器だ。敵がいて、まだ機体が動くのならば戦うべきだ。否、生きている限り戦わなければならない。
胸中で噴き上がる戦意は些かも衰えることなく、その身を焦がさんばかりの熱のままに機体を起こし、軽い音を立てて落ちる礫も気にせず両脚で踏ん張る。
『桜花、戦闘を続行する』
その声は業火の如き執念を帯びていた。
✥
『不慮の事故ってのは、とてもとても悲しいものだねぇ。随分と見晴らしがよくなったもんだ、これ。壮観の一言じゃないか、お前もそう思うだろ?』
『……………………』
滑稽そうに声を弾ませ、飛ばされた問いを桜は黙殺する。だが実際言い得て妙な光景が桜の前方には茫洋たる有り様で存在していた。爆心地である西区画の大穴では未だに熱風がとぐろを巻いて、空へと散っている。周辺の城壁は溶解して見るも無残な姿を晒しており、クレーター内は完全なる更地で存在していた筈の建物や道路も今や影も形もない。無残を通り越していっそ爽快な景色に六機は存在せず、半円に抉り取られた剥き出しの地面が吹きさらしになっている。
クレーター範囲内に存在していた銀灰五機は文字通り塵一つ残さず消滅した。
ならびにクレーターの外も惨憺たる有様である。
ビル群の窓ガラスは溶解するどころか蒸発し、不格好に半壊した建物から鉄骨が不自然な断面を晒しているのは瞬く間に溶解したからだろう。廃墟然とした佇まいに変貌した数少ない建物が熱風と衝撃波の威力を物語っており、ついに限界を迎えた高架道路が崩落し、それを皮切りに怒気を滲ませた声が通信内に低く響く。
『貴様、自分が何をしたのか分かっているのか』
『勿論さぁ。お前らが俺にぶちかましたアレを返品したんだ、ま、ちょっとダイナミックに返しちゃったけどね! …………で、それが何か問題?』
どこか狂気を孕む声はこちらの神経を逆撫でし、新たな声が硬質な響きで挟まれる。
『万象一切を焼滅させるとは…………狂っているよ、貴君は』
そこで唖然としたような間が開き、トビウオの両眼がまるで瞬くように明滅する。そしてザ・プルトニウムは高らかに哄笑した。ややあって大笑が収まった後に、打って変わって真剣な声音が深淵から響いてくるような圧を孕んで聴覚に突き刺さる。
『――狂っている? 俺が狂っているんじゃない、人間こそが狂気の沙汰なのさ。第一、あんなものを作って撃ちやがった貴様らが何被害者ヅラしているんだ? 片腹痛いね、それにこれは戦争なんだ。貴様らとお前と俺のな、狂人なのはお互い様じゃないか』
爆発したアレは旧世代の文献を解析して製造された、熱核ナパームミサイルだ。汚染を恐れて大袈裟なほど距離を開ける四機とは違い、爆心地上空に依然として滞空するザ・プルトニウムの汚染度は計り知れないものである筈なのに、声風はそれを全く感じさせない。
『人っ子一人いない海上なら火と汚染をばら撒くアレを使ってもいいってか? これだから人間は嫌いなんだ。ケッ、何百年経っても一向に進化しねぇ。どこまでいっても醜悪で野蛮で傲慢で愚かな生き物だ』
抑え難い嫌悪を露骨に帯びた声が吐き捨てられ、碧い眼が端から端までぎら、と毒々しく光る。
戦局は四機対一機であるが、こちらは先の爆発で多大な被害を被っている。ATの装甲は失敗した飴細工のように溶け、中には骨格が半ば露出している機体もある。加えて早急な援軍も期待できないし、仮に来たところで焼け石に水程度の戦果しか残せまい。
『ぐだぐだ御託を並べてねぇで、さっさとかかって来いよ! Harry、Harry!!』
絶望的な状況にも臆さず、常に好戦的な女が怒鳴り散らす。それを受けたトビウオが剣呑に口を歪ませるのを桜は幻視した。
『いいね。そういうの嫌いじゃないよ、俺。さぁ、茶番はもう終わりだ。思う存分楽しもうじゃないか、飽くなき闘争ってヤツを……』
開口するそこから機影が飛び出し、展開した翅で落下速度を殺しつつビルの屋上に着地した。全高はATより一回りも巨大で、見た目も特異な形状をしている。無骨な頭部、物々しい装甲、逞しい腕部、頑健そうな腰部、存外に短くも太い脚部、むくつけき人間のような姿をした巌の如き存在感を放つガイア・ATと骨格は似通っている。しかし決定的に違う部分が三つある。
一つは脚部。長く、巨木の幹じみた太さの両脚が重厚さを醸し出す。
一つは装甲。丸みを帯びた装甲板は真紅に染まり、日差しを反射して鏡面のように煌めく。
一つは頭部。両側から後方へと長い角が伸びるそれは、フード状のヘルメットのようで、面貌に二つある真っ赤なアイセンサーが炯々と輝く。
『さぁて、一切合切を滅茶苦茶にしようじゃないか、レッド・パイル』
到底同じガイアとは思えない特異な姿形をした機体は、全高も相まって馬鹿でかく見える一対の翅を揺らして紅の微細な粒子を飛散――
三機が、撃ち上げた。
榴弾、徹甲弾、誘導弾、発射音が轟くより早くレッド・パイルは機動した。
弾丸が空を切り、爆風が屋上を舐め、誘導弾が最上階もろとも爆散させた時には既にその姿は消え、遥か遠間からライフルを連射する女のATの懐に飛び込んでいた。瞬き一度にも満たぬ一瞬で彼我の距離を消し飛ばしたレッドパイルの姿が霞み、直後には背後に回り込んでいた。
驚異的な旋回性能を前にして、だが女のATは追随せんと機体を翻す。
転瞬、硬質な射出音が周辺のビルの窓ガラスを震わせたのと同時に、鈍色の鉄針がATの胸部を斜め上方から貫いていた。恐ろしく長い鉄針の凶悪な先端は路面を穿ち、無数の破片と土塊が盛大に跳ね散る。貫通する胸部から火花の飛沫が散り、ずるりと引き抜かれた鋼鉄の鉄身が接続元の突き出された肘に高速で収納された。
大穴を開けられ、支えを失ったATはそのまま力なく倒れ伏す。コアユニットが貫通されている、女は血霧と成り果てたのだ。その証拠に鉄針の先端は微かに凄惨な深紅に化粧されていた。
射撃武器を持たない桜のATは建物の陰からその一部始終を目に焼き付け、極めて冷静に推測を口にする。
『パイル、杭か。両肘に装備、射程は不明。接近は極めて困難、白兵戦は無謀と判断』
ならば不意を突くしかない。
そこで突き刺さる殺気で肌が粟立ち、本能に突き動かされるままに回避機動を取る。跳ね上がるような軌道で真横にブースター移動、だが目前のビル壁が半円に砕かれて鉄杭の凶悪な先端が左肘を捉え、その箇所から腕を分断した。火花の尾を引きながら落下し、地面に衝突して甲高い音を立てる。
『メインコンデンサー全損/サブコンデンサー出力低下』
電脳による状況報告を聞き、逡巡する間もなくブースターを点火。建物の間を縫って後退し、距離を取る。
『これを躱すか、そうこなくっちゃな! 面白い!』
僚機の反応途絶を知り、三機は即応する。建物の陰から陰へ高速で移動し続け、遮蔽物が射線上から消える間隙で二機が誘導弾を発射、大通りで仁王立ちするレッドパイル目掛けて殺到する。前後から迫る飛翔体にレッド・パイルは回避の気配を見せず、そして着弾――否、通り抜けた。
正確な照準であったが故に誘導弾同士が真っ向からぶつかり合い、地鳴りのような爆音と空気を灼く爆炎が炸裂した。爆ぜた豪炎と黒煙が咲き、黒雲のように宙に残り、それを裂いたのは凶暴にして鋭利な杭だ。ATの高感度センサーでさえ、射出の瞬間を認識できなかった。
広げられた肘から撃ち出された鉄杭が激甚な風圧を纏って直進し、二機の腹部を精妙に射抜く。断絶した二機の上半身が木の葉のように舞い、落下して路面に亀裂が走る。そこに更なる追い打ち、レッドパイルの両肩に装備されたコンテナのハッチが開いて複数の誘導弾が垂直に撃ち上がり、ある程度の高度まで上昇した後にかくんと軌道を変えて目標に突っ込む。
『終わり、か。矢張り、強い……』
『これまでか……、無念である』
着弾。
轟音と共に黒煙が吹き上がり、路上がぼろぼろとなって黒焦げの機片が雑然と散らばる。開戦から撃破まで十秒もなかった。再び収納されていく杭、その鉄身を擦過し火花を瞬かせたのは果たして、赤熱化したダガーの短い刀身に他ならない。斜め下方から飛来するそれが狙うは赤いアイセンサー、だが硝子玉のような目が破砕されることはなかった。直撃の寸前には鉄杭が格納されていた。すり抜けたダガーは彼方の電波塔の骨組みを断ち切るだけで、けどその時にはもう銀灰ATは最大出力のブースター機動によって肉薄していた。
『――疾ッ!』
鋭い呼気と共に刺突された高熱刃が宙に赤の軌跡を描き、胸部内蔵のコックピットを貫く筈だった。
だが、装甲が抜けない。
赤熱した切っ先は確かに胸部に触れているが、そこから先へ一ミリたりとも動かない。防護膜のようなものを貫通する手応えはあった、だが真紅の装甲表面にぐじゅぐじゅと蠢く銀色の流体に阻まれ、鋭角な刺突はいとも容易く止められた。
『二段構え、か……ッ』
『ご名答、生憎この機体にも《液鉄》が使われてるんだ。味方の壊滅を無駄にせずに、そしてコレの威力はさっき実感したにも関わらずそれでも臆さずに突っ込んできたのには素直に感服するよ。本意か不本意かは知らないけど、ダガーを投げたのは正解だ。けどそれまでだ、コレを抜けるほどの貫通力がある兵装なら一矢報いていたか或いは…………詮無き仮定はよそうか。そんな粗製で良くやったもんだ。……楽しかったぜ、お前とは』
哀惜にも似た感情を帯びた声色を伴って頭部の両端に開いた穴から擲弾筒を発射し、ほぼ同時に炸裂した。爆裂したのは火炎弾、直後に瞬速で後退したレッド・パイルはともかく、冗談のような威力の爆風に煽られて桜の機体が吹っ飛び、まさに巨人の平手を食らったかのように宙を舞って勢いよく路面に激突し、路上に乗り捨てられた乗用車を蹴散らしつつ何十回も回転してから仰臥した。
それきり銀灰の機体が動くことはなかった。
✥
『久々に血沸き肉踊る闘争ができると思ったんだけどねぇ……、ま、こんなもんか』
トビウオ内部に帰投したレッド・パイルは翅を休め、彼はあっけらかんとした語調で呟きを放る。途方も無い悠久の時を生きる彼は血が滾るような戦争に身を投じることができるかと期待しただけに、この呆気無い結末には少なからず落胆を禁じ得なかった。
彼にとっては闘争こそが愉悦であり、生き甲斐だ。弾が尽きれば銃剣で、銃剣が折れればナイフで、ナイフが折れれば素手で、両手が切り落とされれば両足で、両足が切り落とされれば口径で、最期は後に続く者の礎となるような派手な散り際を晒す、また闘争という目的のためならば手段を選ばない狂態さが目立つ、彼はそのような男だった。
しかしながらそれはあくまで過去形、彼の戦いは一度完膚なきまでの壮絶な死闘の末に終焉を遂げた筈だった。だが彼を再び叩き起こし、手中に収めて兵器として運用している輩がいる。彼はそれに抗えない、戦うことを宿命ずけられているからだ。絶対的な洗脳の前には英雄も名ばかりに成り下がる。何かしらの目的を持って、それによって生じた副産物が後に功績と讃えられたのは知っている。だがそれだけだ。
『何がしたくて……いや、誰かの為に戦ったのか……柄にもなく……? ハッ、忘れちまったなぁ』
時折耽る感慨は益体もないことだ。自嘲と共に思考を放棄した彼の眼に止まったのは路上で無様に倒れ伏す敗残兵の機体であり、一時的にせよ彼を高揚させた「お前」が乗るモノでもある。
彼にとってのソレは、人の形を成した兵器。退けず、諦められず、敵に撃破されぬ限り死ねない存在。
数秒見下ろした後に興味を失くし、恐ろしく広い範囲のセンサーを走査させてまだ見ぬ残存兵力を把握し、気だるげな声を電波に吐く。
『これじゃ満足には程遠いな、所詮は田舎島か。海賊野郎に一杯食わされちまったね、これ』
トビウオが制御・管制する《液鉄》による機体修復は九割を超え、ほぼ万全な戦闘機動が可能となる。再び翅を展開してトビウオ内部から飛び立とうと身構える、まさにその時だった。
都市の東部、彼から見れば真正面の途方も無い遠方に聳える城壁がコマ送りのように砕ける。人間数人を押し潰すほどある石塊に彩られる砲弾の先端がトビウオを一直線に結び、開いた口部から突入したそれを目前にして彼は咄嗟に能力を行使した。
途轍もない速度の砲弾が真紅の装甲に食い込み、そのまま通り抜けた。直撃は透かした、だが代償はある。一文字にトビウオが貫通せしめられ、動力炉をやられて滞空を維持できず、黒煙の尾を引いて真逆さまに墜落していく。
✥
超音速で滑空する飛行体が軌道修正して城壁を飛び越え、都市上空に躍り出る。藍色と深緑の装甲が陽光を跳ね返し、常磐色の眼が輝く。
『トビウオの撃墜を確認、これより本機にて敵性ガイア・レリックの撃破を開始します。カリーナ、参りましょう』
『▼了解/戦闘演算ヲ開始/相手ニ取リテ不足ナシ/当機ガ敗北スル可能性ハ絶無デアリマス』
出撃。
巨大な質量物体が射出、空中で若緑色の翅を大きく広げて静かに路上に着地した。
全高は十メートル、巨軀を包む何にも例えようのないほど純粋な《緑》の装甲は堅牢の一言に尽きるほどに角ばった造形であり、装甲・四肢共に太く分厚いが要所が引き締まっている故に鈍重さは欠片もない。全体的にATじみた巌の如き存在感を放ち、比して頭部は面長でシャープな輪郭、V字に並ぶアイセンサーが碧く輝く。
途端、黒煙が上がる墜落位置から真紅の機影が飛び出して一際高いビルに着地すると、カリーナを俯瞰する。
『――へぇ、どうやらガゼじゃなかったみたいだね。まさか同類と相見える時がこようとは、思ってもみなかったよ。他の連中を繰る輩は保守的みたいだからねぇ、待ち望んだ瞬間がついにやってきたってわけか』
声音から抑圧されながらも滲み出るのは確たる狂喜、紅玉のように煌めくアイセンサーに湛えられる熱はまさに戦闘嗜好者のそれ。
完全なる殺気を纏う視線に射られ、だがカリーナはあくまで冷厳な姿勢を崩さない。
『さぁて、思う存分撃ち合おうじゃないか』
少女は武者震いを押し殺し、可憐にして冷徹な声音を響かせる。
『前置きはいいです。戦闘、開始します』
張り詰めた静寂を破ったのはカリーナが展開した誘導弾の圧倒的な弾幕。右肩部の多連装ミサイルの発射による白煙は巨大なカリーナの姿を覆い隠し、弾幕と言うよりもはや「面」となって殺到する誘導弾群が屋上を爆散せんとした時には既にレッド・パイルは翅を返してビルから飛び降りていた。数瞬遅れてビルが爆破されて被弾した部分がごっそりと消滅し、大量の瓦礫が雪崩のように路上へ落下して大音と共に盛大に飛散する。
瓦礫の四散を背後に血のように赤い翅が無反動で機体に爆発的な加速を与え、路上を舐めるように飛行するレッド・パイルは両肩の垂直誘導弾を惜しげも無く射出し、それらは上空で続々と軌道を変えると目標に高速で迫る。障害物の多い市街地戦ならではの弾幕を上にして、カリーナは平然と翅で空を打ち、回避行動に専念する。
路地から路地へ、地を這うような低空飛行は路上に乗り捨てられた数多の車両や対空兵器の残骸を嘘のように転がし、その軌道をミサイル群が容赦なく追い立て、それらの連鎖爆発をまともに浴びた道路に焦げたクレーターが生じ、ほぼ同時に爆発の余波を受けた建物の窓ガラスが派手に砕け散り、テナント一階の定食屋の看板が跡形もなく消滅した。
道路と言う道路を蹂躙しまくった弾幕をことごとく回避してのけたカリーナは、路面を軽やかに滑りつつ大通りに躍り出た。そこから爆発的な踏み込みで路面を蹴り、真横に機体を滑らせる。
直後、カリーナの目前に聳えていた頑強そうなビルが円状に破砕し、無数の瓦礫を吹き飛ばしながら凶暴な先端が現れた。カリーナはすんでのところで真芯を外し、装甲を掠め取られる。
『損傷軽微デアリマス/機動ニ支障ナシ/▼告/反応アリ』
一発目の鉄杭が勢いそのままに後方の建物を貫通していく中、二発目が視界を塞ぐ幾多の建物を串刺しにしながら円錐状に空気を裂き、標的を貫かんと超高速で迫る。真正面の鉄杭に対し、カリーナは背部に展開する若緑色の翅を駆使して推力を生み出し、機体が弾かれたように真横へ滑走した。路面に擦過痕が刻まれ、《緑》の装甲上を陽光が鋭く滑る。
喰らいついた。
馬鹿げた貫通力を誇る鉄杭はカリーナの右肩部に装備された長大なミサイルコンテナを一直線に貫き、激甚なる衝撃で機体が大きく揺れる。少女は遥か後方に向かって宙を舞う武装に目もくれず、無数の建物を挟んで平行する道路の先にいるであろう敵機を睨み据える。
馬鹿げた厚さの弾幕は囮。センサーで遮蔽物の位置と角度を徹底的に算出して裏を凄まじい速度で滑空し、そうして接近した後に鉄杭で沈めるという戦法をレッド・パイルが使用したことを絶え間なく振り回していたセンサーを元に少女は読んでいた。
そして、既に背部にマウントした必殺のそれを展開し終えていた。
『発射!』
馬鹿馬鹿しいほどの火薬が爆ぜ、尋常ならざる大轟音と砲火が炸裂した。
闇を呑み込む砲口から超音速で発射された砲弾は、障害物を物ともせずに破砕しながら直進する。途方も無い運動エネルギーを転じた衝撃波が量産される瓦礫を容易く粉々に砕き、屹立する幾多のビル群を千枚通しで突いた紙の如く次々と貫通し、一直線の弾道に穿たれる風穴の先に真紅の機体が露見された。
透視でもしているかのような正確無比な照準によって放たれた砲弾は果たして、大気を打ち鳴らす翅でばちんと弾かれたように仰臥するレッド・パイルの胸部装甲を抉った。
『浅い、です……!』
削り取った深さはジェネレーターに到達せず、減速を知らない砲弾は街の十ブロック先まで蹂躙してようやく止まる。
体勢の崩れている敵機を狙い、カリーナは猛然と飛び立つ。両の鉄杭を収めた機体へ上空から誘導弾を見舞い、そして直撃の寸前でレッド・パイルの姿がぶれるようにゆらめいたのを超高感度センサーによって少女は視認した。
数多のミサイルは装甲に食い込んだ、かと思えば通り抜けた。弾幕は足元の路面を爆砕するだけで、依然として敵機は健在である。
『盛り上がってきたねぇ! ハハッ、俺の《透過》を攻略できるか? ひよっこのお嬢ちゃん!!』
狂的なほどに高揚したザ・プルトニウムの哄笑が通信に響く。垂直ミサイルを射出し、空中で縫いとめられたようにピタリと滞空するカリーナを半端ではない厚さの弾幕で圧殺しようとする。視界を覆い尽くす弾頭を目前にしてカリーナは劇的に即応し、翅で空を打って真っ逆さまに落下しつつ、上下逆転した体勢のまま携行していた散弾砲を撃ちまくる。
爆発を伴って撃ち落とされる中から複数が爆炎を突っ切って迫るが、それをすんでのところで回避した。翅の生み出す爆発的な推力で鋭角に落下軌道を修正し、空中で機体を半回転させると滑り込むように地面に着地。そこから即座に滑空、建物を隔てながら撃ち込まれる鋭利な鉄杭から紙一重で逃れる。
『装甲は抜けず、攻撃はすり抜けます。厄介ですね、一体どんなカラクリが……?』
『砲撃の時はパイルがまだ射出されたままで、収納してからのミサイルは通り抜けたわね。つまり』
『杭での刺突時は透過が不可能、ということですか?』
『おそらく。確証はないけどね』
『どちらにしても、このままではジリ貧です。一発、勝負に出ます』
『正面から突っ込むのは愚行よ』
『正面から行かせてもらいます。不器用なので』
センサーによる地形の精査であらかじめ目星をつけていた幅広の大通りに躍り出て、速度を考えると時間にして三十秒の逃走劇を経て正面会敵。同時に互いの姿を視認し、一瞬だけ速くレッド・パイルが内蔵する尖った鉄身の先端をこちらに向けた。腕を形作る太いパイプの後端から凄まじい炎が迸り、ほぼゼロの時間差で鉄杭が射出される。
射撃ではないあくまで照準を用いない兵装である以上、被照準も感知できない。その悪条件を見越した上で、カリーナは屈んだまま翅の加速で瞬く間に距離を詰める。一発の鉄杭が首元を掠め、片方の翅が刺突に晒されて体勢を崩し、散弾砲が手元から離れ、そこに二発目の鉄杭を向けられ、咄嗟にブースターを点火して突発的に跳躍。宙に躍り、追跡するように射出された鉄杭を身を翻してすんでのところで躱す。ちりっ、とぎりぎりのところで先端が頭部を擦過して強烈な火花が散る。
飛行システムを再起動。着地せずに滑空してレッド・パイルに高速で肉薄する。敵にはもはや即刻展開できる迎撃手段はない筈、と思考する少女を嘲笑うかのようにそれが宙に射出された。それの正体を認識し、瞠目した時には全てが遅かった。
爆発。
特大のパルスグレネードだ。甲高い大音響と閃光が撒き散らされ、局地的な磁気嵐で束の間センサーが麻痺し、カリーナの電脳をノイズが搔き乱す。
『くっ……!』
それでも、ものの数秒でセンサーをリカバリーしたカリーナが目撃したのは鉄杭を収め、眼前で悠然と両のパイルを構えるレッド・パイルの姿だ。至近距離から確実に狙いを定める先端が獰猛に輝き――瞬時に《緑》の両手がそれらを真正面から摑み、そのまま腕を大きく広げる。
『ッ!?』
広域通信にザ・プルトニウムの驚愕に染まった息遣いが入った。
転瞬、いとも容易く貫通せしめられた両手が鉄杭の射出の衝撃で跳ね上がる。片や両手を上げ、片や主兵装を撃発させた状態で、互いに無防備な姿を晒す。カリーナは不安定な姿勢故に砲撃は見込めず、パイルが引き戻されば勝敗の帰趨は決したも同然。
『惜しかったな、新人ちゃん』
凄みのある低音は勝ち誇ったような響きを引く。だが。
『いいえ、勝ったのは私です』
突如として腹部がゲートのように横開き、真っ黒い砲身が覗く。砲口が機体のサイズに比して小さく、この程度の口径では至近と言えど到底レッド・パイルの装甲は抜けない――
『爆ぜろ、です』
散弾砲の直径よりも小さい砲口から紙縒の如く伸ばされたのは異様に細い針。極端に鋭利な先端が何の抵抗もなく真紅の装甲に突き刺さり、内蔵されたジェネレーターを貫く手応えを少女は感じた。
直後、広域通信にノイズ混じりの諦観を滲ませた声が差し込まれる。
『――ハハッ、一枚上手だったわけか。勝ちを急いでこの様か、カッコ悪いねぇ。悪いね、Heaven。今度こそ潮時らしい…………アレ、Heavenって誰だっけか?』
食い破る。
一本のそれが、瞬時に夥しい数の極細の針となって海栗の如く爆ぜた。
穴だらけとなったレッド・パイルから突き出す銀針を即座に切り離して後方へ退避するカリーナの装甲表面、氷のような結晶をぎりぎりで針先が掠めて空色の欠片を散らした。直後に切除されたそれらは無数の飛沫へと拡散し、激戦の残滓が残る路面で爆ぜて水音に似た音を立てた。
数秒前が嘘のように静寂に沈む市街地の只中で、カリーナと少女は無言で死に至る機体を見守る。二脚が力を失って折れ、重低音を立てて倒れた。
矢継ぎ早に射出されたパイルが徹底的な破壊をもたらし、風通しが良くなった建物が散見される街中で、少女は吐息して静かに呟く。
『作戦終了。これより帰投します』
『お疲れさま。でもちょっと待って』
『……? 周囲に動体目標は感知されませんが?』
『動体、はね』
『七時方向ニ微弱ナ動力反応を感知/ATノ残骸ト推測サレルデアリマス』
含みを持たせた返答に合わせて、カリーナの電脳が告げた。
✥
鉄の塊と成り果てたATの内部で四肢を脱力させる桜は腹部を触り、掌にべっとりと付いた血液を見やる。爆発の直前に防護膜のリミットが訪れ、モロに爆風を浴びてしまった故にコアユニットの装甲が焼き裂かれてその際に飛散した破片が脇腹に突き刺さり、焼けるような激痛で桜を苛んでいた。出血が酷く、身体が寒い。搭乗席が剥き出しとなって、春の生暖かい風が頬を撫でるも苦痛によってそれに感じ入る余裕もない。
傷口から死神の冷たい手が滑り込むのを幻覚し、視界が四隅から徐々に深淵の暗黒に侵食されていく。四方から迫る暗闇と共に途轍もない孤独が押し寄せ、しかし桜は怖くも悲しくもなかった。
自分は兵器だ。兵器とは軍事運用を目的として造られた道具に過ぎず、その使命は戦闘というただ一点に尽きる。任務の結末は戦死か帰投の二択であり、今の自分は後者を選択できるほどの余力を残しておらず、ならば必然的に前者となる。
任務を果たせず、勝利を摑むことができなかったことを桜は無念に思う。だがそれだけだ。死力を尽くして敗北を喫するのであれば悔いはなく、兵器としての自分を否定されずに戦死するなら上等だ。
瞼が重く震え、ついに意識が霧散していく感覚が訪れて深い闇の底へと沈んでいく。
昏倒する寸前、可憐でありながらどこか清冽さを感じさせる声が淀みなく聴覚に流れ込んだ。
『カリーナ、解析――――っまだ息がある……! しっかりしてください、シリエジオさん!』




