灼熱
二週間後、大一番の準備を終えた桜達は作戦を決行する。
まずパイレーツがエレボスに桜達の情報を流し、それで工廠島にアーシャを誘き出す。そして桜達とパイレーツが手を組んでいることを悟らぬよう島に常備していた海賊ATは緑と黒のトビウオにつぎ込み、それらはカリーナと共にニヴェアがいる島へ向かう。
ギルバート各島に散らばらせた工作員から搔き集めた情報から類推するに、ニヴェア本人はエレボスの手に落ちていないという判断が下された。理由の一つとしては彼女がポセイドンとしての能力を完全に掌握しているという事実、これを踏まえれば身柄を拉致するというのは自殺行為に等しい。すぐに蛟竜やら虹蛇やらを使役されて誘拐どころではなくなるからだ。そのことからエレボスは在住する島は特定しているものの拉致はせずに、アーシャが裏切るような真似をした場合に即刻奇襲をかけられるようにしているのではないかと推測。如何にエレボスから神の代理人と崇拝されるポセイドンであれど、殺す気の奇襲を食らえば能力を行使する暇もない。
それらを考慮した結果、詩乃を筆頭とした別働隊を派遣して島周辺に待機しているであろうエレボスの兵力を襲撃し、ニヴェアを保護する。そうすればアーシャはこちらと戦う理由が失くなるわけだ。
だがこの作戦には一つ致命的な欠陥がある。
それは救出作戦が成功する前に工廠島にアーシャが来襲する可能性が高いと言うことだ。
エレボスにとって最たる脅威はトビウオ空賊団のレリック二機であり、それらが現存していると知れば真っ先にアーシャを寄越す筈、自ずと注目はそちらに集まる。誘き出す行為は救出作戦のための、云わば陽動だ。だが作戦ぎりぎりで情報をリークしたとしてもあの漆黒の機体が襲い来る。
ギルバート曰く、あれは旧式のレリックのようだ。トビウオが開発されるより前に誕生したあれは対竜戦というコンセプトにおいて重要な航続距離と巡航速度が期待値より低かったことで、後続のレリックに有用性を剥奪された存在なのだ。だが最高速は反重力の翼を持つトビウオと同等であり、可変機能によるフライトユニットでの飛行は云わばアフターバーナーを点火した戦闘機そのもの。飛行途中の植民地で補給を繰り返せば予想より早く工廠島に到達する可能性があり、敵勢力の総数も把握しておらず、またエレボス救世主の動向も気になる上での救出任務の困難さを考慮すれば、フィオーレとの一騎打ちは避け難い。
畢竟、工廠島での決戦はほぼ確定事項となる。
「情報は流すけどあまり期待しないでねん。いくら植民地支配から解放された島々があるとはいえ、彼らも自分達のことで手一杯だろうから」
「少しでも可能性があるのならそれに賭けるべきだ」
「ま、この策が活用されない結末ってのが理想だけどねぇ」
二匹のトビウオはそれぞれ内部に二十機近くのATを格納し、離陸準備を終えている。ギルバートは詰襟の背を叩き、木葉は長い銀髪を搔き上げて軽い口調で言う。
既にブリーフィングは済まし、各人が思い思いの言葉を口にする。出立の言葉ではないが、それは誰もがこの時を今生の別れでないと思っているからだ。作戦を成功させ、また会う。ただそれだけのこと。
「シリエジオさん」
頷き返していた桜は声をかけられ、振り向く。紺色のセーラー服少女は思い詰めたように桜を見上げ、真剣な眼差しを送る。
「また会いましょう。もちろんアーシャさんも一緒にです」
「無論だ」
多くを語る必要はなかった。何故なら再び会うから。言葉を交わした二人は踵を返し、自機に歩み寄る。振り返ることはない。
✥
暮れなずむ天空に浮かぶ雲は夕日に照らされて朱に染まり、東には闇が溶け始めている。時間に置き去りにされたように剥き出しとなる廃墟の只中にフィオーレは屹立し、桜はアイセンサーを通じて折れたビルの間に陰影を刻む夕焼けを見て、同時にセンサーが反応を感知したのを主脳経由で理解した。
『▼告/未定義反応・一/機体コード・オールドト思ワレル』
抉れた地面や横倒しの電柱が雑然と見え、それらに彩られながら数キロ先まで続く大通りにソレが着陸した。聴覚センサーが金属がかち合う音を捉え、アイセンサーが変形していく機体を認める。始めに両脚が地を突き、次にマニピュレーターが回転して感触を確認するように握り締められ、戦闘機の先端はせり出るように尖る胸部へと急速に形を変え、最後に背部から持ち上がるようにして頭部が現れる。回転切削機と小刀を足したような形状の頭部に埋め込まれる一対のアイセンサーが橙色に光り、両肩に吊るされるような形になったフライトユニットはバックパックのようにも見える。
『生きていたのね、桜ちゃん』
抑制されているが、それは聞き間違えようのない女性の声。主脳に飛び込んできた通信波を桜は受け止め、静かに返答する。
『君がわざと生かしたのだろう、愚生と詩乃を』
電波の向こうの沈黙は、即ち肯定に他ならない。
フィオーレ及びカリーナの損傷は主脳を有する頭部と搭乗者を乗せる胸部のみだった。そしてあの時いくら大津波が迫っていたとはいえ、オールドの性能・アーシャの実力ならば戸惑う二人を屠ることなど容易かった筈なのだ。だがアーシャは、そうしなかった。三大勢力を相手取る反動勢力を組織するほどの動機の源であるニヴェアの命がかかっていると言うのに、アーシャは殺害することを躊躇ったのだ。それでも殺さなければニヴェアが、と思ったであろうアーシャは賭けに出た。
そして二人は賭けに勝ったのだ。
『もはや死んでもいいとは思っていないが、君は死を覚悟するには十分過ぎる相手だ。一つ問う、交渉の余地はないのか?』
こちらが事実を既知していることを先方に悟らせてはならない。あくまで裏切られた仲間、を演じるのだ。
広域通信の奥で逡巡するような間が開き、きっと彼女の胸中には複雑な感情が渦巻いているのだ。そして、声。
『私をあなたを殺すだけ。さあ、始めましょう』
何一つ憚ることのない声音は途轍もない強度で主脳とリンクする桜の頭に叩き込まれた。極低温でありながらどこか冷水を一瞬で沸騰させるような戦意を感じさせ、けれど仄かに哀愁を帯びているのは桜の錯覚なのか。
その言葉を聞き入れ、桜は覚悟を決めて宣言する。
『俺は俺の意思に基づき、その果てに出した答えに殉じ、身に持つ全ての武力をぶつけ、君を、討ち滅ぼす』
それ以上の言葉は、不要だった。
全系統正常。
光子・プラズマ出力及び反重翅の正常稼働確認。
火器管制解除――
『機動……!!』
白亜に桜色を散りばめた機体の頭から爪先まで暴発せんばかりの力が漲る。
そして、彼方に立つ漆黒と深紅に染まる機体の橙色の眼が不可視の圧を迸る。
そうして、二機の主脳が重なる。
『『OPEN COMBAT(開戦)』』
初動は、奇しくも同時だった。
✥
一瞬にして最高速に至った二機にとって此方と彼方の物理的な差は問題にもならない。日に焼け、その端々に時の流れを刻み込む廃墟を突き抜けた二機が意図せずに巻き起こす衝撃波は折れたビルの窓を悉く破砕し、それらが夕日を反射して光る只中を減速の気配すら見せずに最大戦速で一直線に貫く。
フィオーレは刺すような照準波を飛ばし、桜は迷うことなく近接信管の誘導弾を惜しげも無く撒き散らす。フィオーレとオールドの決定的な違いは液鉄の有無であり、爆炎の大輪を咲かす程度では防護膜を破ることは不可能であるが少なくとも飛行制御を乱し、その一瞬の隙を突いて致命の一撃を当てることはできる。三十は下らない誘導弾が面として殺到し、オールドと回避コースの予測点を埋め尽くす。
だが、その数瞬前にオールドは機体可変を終えていた。
飛翔形態に移行したオールドは瞬間、物理を超越せん空中機動を見せる。先の戦闘時を大きく上回る速さと鋭さで飛行軌道を修正し、弾かれたように上方に退避。陰影を伸ばすビルに挟まれた大通りで飛翔体が炸裂し、爆風の煽りなど物ともしないオールドを繰る同類殺しの黒騎士が回避だけで終わる筈もなく、次に取る一手は、
『オールド、近接照準。斬り刻む』
『▽諒解/高周波振動刃ヲ展開』
恐ろしい速さと正確さで変形し、飛翔形態から戦闘形態へ移って体勢を整え、現れたのは肘から先が刃そのものである両腕だ。夕焼けに映える「二刀」が鳴り、音叉のように揺れる。あの時にフィオーレが纏う液鉄すら問題にせず、紙切れの如く斬り裂いた双刃が未だ宙に残る爆炎の赤を跳ね返して獰猛に煌めく。
『案の定だ』
オールドの両肩に付属されたフライトユニットが真後ろに倒れ、一瞬にして機体に最高速を与えんとする寸前、光学ライフルの引き金を鋼鉄の指で引く。光速にして必中の光線は渦を絞るような螺旋軌道で上方の敵機に迫り、しかし真芯を捉えることはなかった。
『!!』
照準波を逆算したオールドは瞬時に噴出口の角度を調整し、フィオーレに突撃する軌道をやや斜め下方に変えた。よって完璧な精度の光弾は左腕の刃を焼失させるだけで彼方へと消え、そしてオールドが罅割れた路面に両脚を叩き付けて着地する。桜は面を上げたオールドのアイセンサーが睨むのを見て、死を直感した。
オールドは全身の筋肉とアクチュエーターで機動し、アスファルトを砕く踏み込みで一息に距離を詰めた。冴え返る右の刃は高周波の異音を引いて円軌道に宙を裂き、軌道上にある光学ライフルを両断し、その先の装甲表面をも果物の皮の如く削ぎ飛ばす。
『!?』
桜は振り切られた刃を通してアーシャの驚愕を読み取った。今の斬撃は先日のそれとは違う確実に殺すためのもの、そうであった筈なのに内部機関が露出するのみで桜は存命していた。死の直感は咄嗟の急速後退を取らせ、正確な一閃であったが故に座標のブレは想像以上に大きく、結果として首の皮一枚繋がった。
ガイアでの白兵戦とは生身のそれよりも遥かに高度な間合いの測りが重要となり、それこそ機体の腕や刀身を己の身体の延長にしなければ、同等の実力相手には致命の一撃に成り得ない。
回避成功、否、瞬間、高周波振動で淡く発光しているように見える刃が地面すれすれで止まり、そこから鋭角に跳ね上がった。
――ッ!
反重翅とブースター最大出力。全速の緊急退避は反重力/慣性制御フィールドによって浮かんでいた周囲の瓦礫を猛烈な風圧で吹き飛ばし、数コンマ秒までフィオーレがいた座標を刃が半円を描いて斬り裂く。甲高い音を立てていた刀身は異音から可聴域を超えたクリアなそれへと変質し、斬れぬモノはない死の太刀となって殺到する。
廃墟が斬撃の嵐に蹂躙されていく。半ば崩落したビルは刃に触れたそばから鋭利な断面を晒して雑然とした室内が露見し、桜は間合いから外れようと座標を計算し尽くして自機の目前に遮蔽物及び障害物がくるように後退し続ける。だがオールドは迫る壁を一刀のもとであっさりと破壊し、ビルの残骸が舞い散る中で追随する。
桜は滑空し続けながら戦場となる廃墟の構造を片っ端から頭に叩き込んでいた。道路の法則性、建物の種類、撹乱しやすそうな路地の場所、誘い込みやすいルートはあるのか。機体の修復が終わる前の下見程度の情報では、到底撹乱できない。
そしてあらかじめ目星をつけていた場所に飛び込む。主要道路と並行して流れる河を風圧で巻き上げながらフィオーレは後ろへ後ろへと滑空し、それを前へ前へと追撃するオールド。そこでフィオーレは誘導弾を発射、白煙を引く飛翔体は振り切る意図を内包して爆発、辺り一帯を爆炎で染め上げた。だからこそオールドが火炎の帳を突き破った時は戦慄した。
一刀が踊る。
風圧を纏って回転する機体の慣性を乗せた斬撃は真円を描いて走り、致死の斬撃面をアイセンサー越しに視認した桜は緊急退避する。フィオーレは翅を返し、高速で通過せんとしていた高架道路を支える巨木の幹じみた石柱の間をすれすれで抜けていく。刃先だけが装甲を掠めた一閃はついでの如く軌道上の石柱を両断し、そうして一切合切を斬り刻む乱舞が開始された。
刀身は整然と林立する極太な石柱に抵抗なく滑り込み、いともあっさりと切断する。桜はすぐ背後に迫る一振りの刀身から必死の思いで逃げ、追い立てるオールドにとって石柱など一時の目眩まし以上にもならず、高周波振動を受けてその端から端まで粉微塵に爆砕してのける。
漆黒の反重翅の片方が刃に晒され、フィオーレは体勢を崩して著しく高度を下げる。水面に激突する寸前で飛行システムを再起動し、だがすぐに上昇せずにミサイルポッドを開く。
発射。
全弾を撃ち尽くした発射口から飛び出た数多の誘導弾は、多数の橋脚を爆砕した。それこそ一つ残らず、よって引き起こされる現象は、
『その程度では私を止めることは叶わない』
支えを失った高架が崩れる。巨大な質量物体が重力に引かれ、二機に真っ黒な影を落とす。轟音を立てて崩落する高架は恰も巨大な生き物のアギトの如し、蛟竜のそれを陰惨に加工したような咆哮を上げながら迫り、二機を河川一帯ごと押し潰さんとする。
言葉通り、オールドは両肩のフライトユニットを噴出させて離脱しようとする。その最中、桜が見ていたのは敵機でもましてや影に塗られた高架の残骸でもない。青紫のアイセンサーが見据えていたのは、夕焼けを照り返す川面だ。
『爆ぜろ』
腰のパイロンから引き抜き、蒼白くスパークする刀身を水深十メートル超の河に突き入れた。
瞬間、川面が爆発した。無数の水飛沫が水柱となって間欠泉に如く直上の崩落する高架を衝いた。高架崩落と水蒸気爆発が二機を視界的を阻み、高速の追撃が途切れた隙に爆発する飛沫を背にフィオーレは飛ぶ。飛んで逃げる。
オールドの高周波振動刃は再び対峙してなお戦慄を禁じ得ないほどの脅威であり、自分の間合いを保つだけで精一杯だった。オールドは先日の奇襲時よりも機動力が段違いで、恐らくアーシャもまた思考制御を可能としている。同じ土俵、だが機体のスペックはこちらが圧倒している筈、そうであるのに好機すら摑めない。
――白兵戦の技量はあちらが上手、それに間合いの取り方も卓越している。現状況、モノを言うのは操縦者の腕だ。
このままでは何れ堕とされる。だが敵機の間合いに立つことは死と同義、かと言って誘導弾の残弾も尽き、光学ライフルも両断された。残る武装は射出ダガーとプラズマ刃のみ、もはや後はない。
――ならば、あの手か。だが今度は死ぬ気などない……!
開いた距離を縮めんと路地裏や表通りを問わず、特に脆い廃墟をぶち抜きながら最短ルートで猛追するオールドをセンサーで感知しながら桜は決断する。無反動推進の翅によって最高速に導かれたフィオーレは廃墟を突き抜け、途端に上方へ軌道修正して西を目指す。やがて上も下も広大な宙に蟲の翅を展開するフィオーレと飛翔形態のオールドが躍り出て、眼下に広がるのは赤銅色のコンテナが無数に並ぶ資材置場の埠頭だ。
港湾地帯に至ったフィオーレは前方の天を衝かんばかりに屹立するクレーンを照準し、もう片方の腕からありったけのダガーを射出した。数多の赤熱化した刃は鋼鉄を焼き切り、辛うじてバランスを保っていた錆まみれのクレーンがついに限界を迎えて倒壊し、その脇をフィオーレは通過した。
必定、後方から追い縋るオールドは倒壊に晒される。瞬間の変形、精妙な機体操作で戦闘形態に移ったオールドの白刃が閃き、刃を介した振動は瞬時に対象の全体に伝播して瞬き一回の間で起重機が爆砕した。飛散し、舞い落ちる無数の鉄片の帳を裂いたのは果たして、馬鹿げた熱量を発する蒼の刃。
『!!』
フィオーレは逃げると見せかけて反転し、クレーンが爆砕した時には突撃していた。青紫のアイセンサーが部位を睨んで光り、縦一文字の一刀を振り下ろす。だが同時に振り抜かれた筈の白刃が途中で全く軌道を変え、鋭利な刀身が腹部に滑り込んだ。
『くッ!!』
『浅い……!』
咄嗟に翅で空を打った。よって機体が弾かれたように真横に滑り、結果として確実に腹部を捉えていた白刃はぎりぎり切っ先を届かせるだけで、フィオーレを横一文字に両断するには至らない。
対してオールドの左腕が斬り飛ばされた。容易く水蒸気爆発を引き起こすほどの莫大な熱は腕部を断ち切り、溶解した断面を晒す。回転して宙を舞う左腕は下方のコンテナを押し潰す勢いで落下し、地面に亀裂を走らせた。
互いに間合いを外し、だが一呼吸置くことはない。
ダガー射出。
胸部と腹部の内部機関を半ば露出させるフィオーレの高熱の刃は正確に頭部を狙い、故にオールドは刃を盾にした。即応し、高熱刃をあらゆる方向に弾く隙にフィオーレは翅を返して地上に降り、迎撃態勢を整えようとして、
『遅い』
ダガーの残刃数が零になった途端にオールドが急降下、両肩のフライトユニットが真後ろに倒れ、それはつまり最大戦速を意味していた。港湾のアスファルトを陥没させる着地の衝撃は内部の筋繊維と数万のアクチュエーターで殺され、掬い上げるような半円軌道の斬撃が腰部から胸部を裂いた。
装甲表面の液鉄をも貫いた刃は根元まで突き刺さり、刃先を受けた桜は一言も発さない。動きが止まった薄桃色の新式と、切り落とされた部位から血液の如き火花を迸る漆黒の旧式が至近で対峙したことで、爆熱せんばかりの戦の空気が急速に冷めていく。
硬直した機体に反して蒼白き閃光が消失しないのは、柄にエネルギーを充填しているからだ。無論、そのことをアーシャも知っている。
『――恨んでね、私を』
抑制されて淡然とした声音は震えていた。ひと思いに刀身が引き抜かれていき、
フィオーレが動いた。
『まさか……!?』
『▽警告/敵機全機能停止セズ/搭乗者ノ生存確認』
『まだ……だ……!』
桜は今までの戦闘を通してアーシャの近接照準の巧みさを承知していたが故に、アイセンサーであってさえ視認困難な斬撃を至近で回避することなど不可能だと判断した。だから、高架を崩落させた時から致命傷を避けることだけを考えていた。
空中よりも足場が安定した波止場に着地し、そこから逃げることなく体勢を整えようとすれば甚大な隙を生むのは必定だった。だからこそアーシャならばそこを突くことが容易に想像でき、実際正確無比な斬撃は一ミリもずれていなかった。逆に言えば正確すぎた。そのことさえ想定すれば後はフィオーレが全身の筋力を使い、桜の座標を人一人分ほどずらせばいいだけ。
だけ、と言っても桜は無論甚大なダメージを被っていた。人間サイズと比較すれば白刃は鉄板の如き巨大さで、詰襟に包まれた身体の、左肩から先を完全に切断していた。
激甚なる傷は痛覚を鈍麻させ、鮮血が垂れ流しになる。朧気な意識の中で桜は機体制御が思念ありきでよかったと思う。仮に手動であればこの策は使えなかったからだ。
マニピュレータが柄をしかと摑み、右腕が唸りを上げて、蒼刃が漆黒の腹部を斬り裂き――止まった。蒼き閃光が瞬時に消え失せ、溶けた切断面のみを残しただけで終わる。
『エネルギー……切れ、か』
『……………………』
柄にエネルギーをリチャージできるほどの余力が桜には絶無だ。もう打つ手がない、にも関わらずオールドは刀身を抜いた姿勢のまま微動だにしない。通信内に漏れる微かな息遣いを聞いた桜は乱れそうになる呼吸を自制し、掠れた声で語りかける。
『……アーシャ、あと少しだけ待ってほしい。……そうすれば』
まだ詩乃から連絡はない。間に合わないのか。通信の向こうでアーシャが声を返す。
『……無理よ。私はあなたを確殺しないと……そうしないと……』
抑制された声はここに至り、潤んでいた。桜は彼女と同じ状況を経験したことがない故に声の裏側の内心を推し量れない。共感して同意は示せない、だが自分なりの想いを伝えるくらいはできる。
『アーシャ、愚生には……夢がある。昔、母さんと共に抱いた夢だ、聞いてくれるか?』
返答を期待したつもりはなかった。聞き流してくれて構わないと思って口に出したが、間が開いた後に少しだけ泣き出しそうな声が聴覚に届いた。
『――聞くわ。聞かせて、桜ちゃんの夢……』
『……愚生の夢は、誰かと旅をすることだ。母さんが聞かせてくれた外の世界の話に出てきたモノをこの目で見る、その旅に同行してほしい人がいる。だから、君には死んでほしくない』
『……そう、誘ってくれて嬉しいわ。けど駄目なの、私だけの力じゃ今の状況を変えられない……から』
悲嘆を帯びた声に、何となくで即答する。
『一人で無理なら愚生達を頼ればいい。君は知らないかもしれないが、君の頼み事は愚生も嫌ではない。ならば詩乃や木葉なら尚の事だと思うが……違うか?』
『でも……もう間に合わないわよ』
老いゆく白鯨にも似た声に対し、思わず荒い気息が漏れるも続ける。
『まだ……諦めるには早過ぎるのではないか?』
もう片方のマニピュレータを差し出し、それを見下ろす橙色のアイセンサーが明滅した。彼女の逡巡を表すかのようにオールドは鋼鉄の掌を握り締め、やがてゆっくりと持ち上げられた。
瞬間、二つのことが起こった。
一つは、翅とブースターを加味した推進力で激突してオールドを突き飛ばした。
一つは、フィオーレに数発の誘導弾が直撃して吹き飛ばされ、派手な水飛沫を上げて水没した。
『桜ちゃん!!』
地面に擦過痕を刻んで停止したオールドはセンサーを振り回し、宙の只中に敵性反応を感知した。元はクレーンがあった空中に滞空していたのは何物にも例えられない純粋な青を纏ったレリックで、両腕には怪物の臓物の如き悍ましい雰囲気を放つ無骨な重火器だ。円筒形の機関部はY字型の支持フレームに包まれ、そして弾帯を装着して全身にこれでもかと巻きつけている。束ねられた六本の銃身は凶暴さを隠そうともしない。その武装と相まって機体は華奢な印象を受けるが、青い装甲の下で蠕動する筋肉とアクチュエーターをアーシャは察した。
『よくぞあそこまで追い詰めたものだ、流石は同類殺しの黒騎士と言ったところか』
深みのある錆声が厳粛と聴覚を刺激し、アーシャは柳眉をきつく寄せて唸る。
『始めからこれが狙いだったのね……!』
『当然だ。貴女もこの展開を少なからず想定していたのではないか?』
『約束を破る気っ!』
『元よりそのつもりだ。漁夫の利など俺の矜持に反するが、これしか選択肢がないのでな。所詮、俺は、俺達は屍だ』
オールドの知覚範囲内に凄まじい速度で突入し、滞空するレリックの直上で停止したのは藍色と青色に染まるトビウオだ。そして開かれた口部から次々と深緑ATが飛び出し、その数は二十機に及ぶ。緑はエレボスのカラーだ。
『Heavenの名の元に、人類に幸あらんことを』
二十の無機質な声が重なり、空中に同色の翅を広げて滞空しながら無数のセンサーがオールドを焦点として殺到する。臨戦態勢に入ったATを指示するように青いレリックが極太の回転式機関砲を掲げ、ざわりと波止場に緊張が満ちる。
『さらばだ、黒騎士。恐れるな、冥府への道は一瞬だ』
『ザ・コバルト……!! それがあなたの正義なの!』
『戦場には正義も不義もなく、絶対的な善も悪もない。あるのは思想、戦士達の意思だけだ。意思なき道具が戦争を語るなど噴飯物だがな。撃滅するぞ、ブルー・ガトリング』
『領解』
腕部と同化したような六本の銃身が斉射命令を下すべく振り下げられる、その直前。気付いたのが誰が最初だったか、空を裂く何かの音を捉えた。どんどん近づいて来る音源から何かが上から落下していると察し、だがその時に軍勢は彼女の射程内にあった。
『ぶち抜く、です』
激烈な風圧を纏った何かが空を穿つ。
遥か上空の小さな点にしか見えない座標から照準し、嵐が放たれた。瞬発的に回避行動を取ったブルー・ガトリングの頭部右側が消滅し、危険を察知したATが蜘蛛の子を散らすように埠頭のコンテナの陰に隠れた。
質量物体が空気を切り裂き、笛のような音を立てる。加速度的に落下したソレは地面に激突寸前で蟲の翅を広げ、直下の戦闘の残滓をまとめて吹き飛ばして着地した。そして、橙色と碧色のアイセンサーが至近で視線を交錯させた。
『アーシャさん……』
『詩乃ちゃん……』
互いにかける言葉が見つからない、だがそれだけで十分だったやもしれない。何故ならまだ戦いは終わっていないからだ。純粋な緑に染め上げられた機体が、上空の純粋な青を纏う機体を見上げて、あらん限りの戦意を突き刺す。
『最後の救世主ですか。シリエジオさんはどこにいますか……!』
『もはや問いですらない、か。俺が撃墜した』
詩乃の気配が一瞬だけざわめくの感じ、その時点で加農砲が照準していた。
『一つ忠告してあげます。あの人はそう簡単に死にません。これまでもそうでしたし、これからもずっと……!』
砲撃が停滞していた戦場の空気を破った。
✥
暗い海底へと沈んでいく。
墜落時の赤視症で視界が真っ赤に染まり、全身が麻痺して指先すら動かすのが億劫だ。
――まだだ!
戦意は尽きることなく、だがマニピュレータは柄を握り締めたまま動かない。
『【警告】被害甚大/機体損傷九割超過/戦闘機動ニ支障アリ』
主脳が告げた。
桜の意思に反して、フィオーレは底知れない海へ沈没するばかり。
視線の先で海面が揺らぎ、懸命に腕を持ち上げて手を伸ばすが届かない。
――届け……! 愚生にはまだやりたいことが……!!
その意思に、フィオーレは応えてくれない。
✥
発射。
抉り込むような砲撃が荒れ果てた大地に聳える岩石を悉く破壊し、精妙な照準で飛来する。地面ぎりぎりと削り取るような弾道の先でブルー・ガトリングは既に跳躍し、超音速の砲弾を回避してのける。徹甲弾が貫通した空気の圧が豪風となって襲い掛かるも、紺碧の翅で空を打って搔き消す。
カリーナが馬鹿でかい空薬莢を吐き出した数瞬後、距離を隔てて対峙するブルー・ガトリングが接地した。そして両腕の回転式機関砲が唸り、秒間数百発の弾丸を暴風の如くばら撒く。本来なら制圧射撃であるそれはもはや圧殺のための手段と化し、翅を返して回避するカリーナの装甲を削り、飛ばし、消滅させる。
詩乃も回避だけでは終わらず、多連装の誘導弾で反撃。発射後の機動に差し支えないのが誘導弾の強みであるが、張った弾幕は狙った座標のあらゆるモノを爆砕させるばかりで、標的を仕留めるには至らない。
戦闘空域外に待機させているトビウオの演算補助もあって、液鉄の修復は万全であるが、あの激甚なエネルギーの奔流をモロに浴びれば到底自己修復が追いつかない。
――それに、照準が読まれているような気がします。
先程の砲撃を放つ直前には既に敵機は動き出していた。加農砲の一射はまさに必殺、照準を受けた瞬間に回避機動を取ったとしても完全に躱すことは不可能である。だが詩乃は頭部を抉った第一射以降、砲弾を直撃できずにいた。
――先読み、それとも機体の反応速度を驚異的に底上げする能力?
油断なき思考に、唐突にザ・ウランの低く錆びた声が差し込まれる。
『冷静だな。それほどの火力を有し、正面から突っ込んで来ると言うのに、弾幕の苛烈さと精妙さは加速度的に上昇している。良い戦士だ』
『お世辞はもう聞き飽きています!』
カリーナの地を這うような軌道を続け様に誘導弾が爆発させ、土が吹き飛び岩塊の破片が装甲に当たって金属質な音を立てるも、すぐに銃火の大音に搔き消される。地面すれすれを滑空するカリーナは敵機の右側面に回り込み、手に持つ散弾砲を構える。
瞬間、明後日の方向から降り注いだ鋼の驟雨に晒される。装甲表面が歪み、脚部を覆う装甲板が火花を上げて剥がれた。
『くっ!』
翅とブースターの爆発的な推力で前方へ緊急退避し、銃弾の雨から逃れるも散弾砲の機関部が破壊されて使い物にならなくなった。アイセンサーの視界の端に映るのは深緑ATが二機、見えない場所には五機もいる。
戦況は圧倒的に不利だ。ブルー・ガトリングとAT二十機に追い立てられた詩乃とアーシャはこの遮蔽物の皆無な荒れ地に辿り着き、半ば包囲射撃に晒されている。
両肩のフライトユニットが火を噴き、急速上昇したオールドは逆さまになる。そして一本の矢となって直下のATに刃を突き立て、鮮血のように迸る火花を物ともせずに離脱する。
これで敵の数は十一、未だたったの九機しか撃破できていないのはこちらの損害状況が理由の大半を占めていた。
『▼告/自機損壊七割八分デアリマス』
カリーナ装甲は重厚かつ液鉄でATの攻撃ならば修復完了に長くて数十秒だが、これが同型機となると兵装の威力もまた桁違いである故に話が変わってくる。カリーナはブルー・ガトリングを相手をするのに手一杯であるし、先の戦闘で損害しているオールドはAT数十機相手に苦戦を強いられている。どちらか片方が堕とされるのは時間の問題だった。
その時、カリーナの足元に誘導弾が着弾した。すると足場が崩れ、カリーナが半ばまで地面に没する。
『詩乃ちゃん!』
オールドが最速で接近するもそこに狙い澄ました斉射が放たれ、右脚が吹き飛ばされた。体勢を崩したオールドは地面を擦過し土砂を巻き上げながら横転する。そしてカリーナの直上を取ったブルー・ガトリングが二門のソレを照準した。
『他の救世主と同じだと思うなかれ。これで終いだ』
両機に無数の戦意が突き刺さり、死に至らしめる照準波が機械の装甲を粟立てるような威圧感を詩乃とアーシャに与える。
高速で推移する戦局の最中、砕死の可能性すら考えずに詩乃は神経加速の使用を決断する。だがその時点で、回転式機関砲が銃身を回転させ始める。
その時、加速しかけた知覚で稼働率が上昇する主脳が反応を捉えた。
『こんな所で死ぬんじゃないわよ!!』
徹甲弾で蜂の巣にしようと三次元機動を止めていたAT、それとレリック三機は飛来するエンジン音を聞いた。直後、ATの周囲に鋼の篠突く雨が降り注ぎ、構えるライフルが破壊された。頭部は歪み、装甲板を引き剥がされて内部機関を食い破られ、着弾から少しして発射音が荒野に響き、次々とATが斃れていく。宙の只中にいるブルー・ガトリングを翅を返して強引に着地すると滑空して距離を取る。
そしてアイセンサーを通して詩乃は見た。上空を飛び去っていく数機の飛翔体を。下に折れ曲がったドループを持つ長スパンの直線翼が空を裂き、主翼後方胴体上面のエンジンが大気を灼く。
『攻撃機……! どの国の……』
『お待たせアーシャちゃん。あたし、また会えて嬉しいわ』
『木葉さん!』
通信に差し込まれたのは聞き慣れた女の声。低く渋い声も続く。
『お嬢ちゃんがさっさと行っちゃうからやっと追いついたわよん。なんだかピンチみたいね、そんな感じだからよろしくエース諸君』
『了解。全機爆装、戦域制圧開始』
対地攻撃機が旋回し、大破を免れた五機が銃口を上空へ向けて銃撃せんとする。
あの機体は装甲は頑丈であるが、攻撃機であるため音速の半分程度だ。戦闘機ならいざ知らず、高度が低い状態でATの集中砲火を浴びれば墜落必至である。
『ま、そうなるわよね普通。でも』
『ワタチらが航空戦力だけを引っ提げてきたと思ってるの? 植民地の恨みは計り知れないわよ。それに貴方達の相手は彼らだけじゃない』
瞬間、遠方の地平線から轟音を伴って怒涛の勢いで津波が押し寄せて来た。壁のような高さの波が荒野を襲うも海から距離があり過ぎた故に、ATに届く頃には精々足元を浸すくらいの水深しかない。
『ポセイドンを奪取したか。やはり、俺もそちらに向かうべきだったな。だがその程度では我らを討ち滅ぼすことはできん』
『それでいいのよ、沈められればOKよ』
ずぶん、とATの両脚が底なし沼にはまったように沈んでいき、あっという間に腰から下が見えなくなった。藻掻くATはすぐに翅を展開して地中から抜けだそうとするが、そこに風切り音と共に爆弾が投下された。
爆発。
頭部が吹き飛び、中には上半身を消失させた機体が糸が切れた人形に倒れた。僅か数秒でATは全滅し、体勢を立て直したオールドとカリーナが救世主を睨む。
『この辺一帯は開拓地だったのよん。けど手抜き工事やら何やらで専ら武装の試射場所として使われてたわけ』
ギルバートの注釈を聞きつつ、詩乃は先程自機の足元が崩れた理由を察した。
攻撃機とレリック二機と相対するブルー・ガトリングはしかし、些かも戦意を失った気配はない。
『孤軍奮闘、か。不思議だな、この空気は随分と慣れて気がする。俺が窮地に陥ったことなど絶無であった筈だがな』
感慨が滲む声に続き、両腕が持ち上げられて銃身が回転し始める。あちらは損傷がほぼないのに対し、こちらはカリーナの誘導弾が尽き、加農砲の砲弾も残りが二発。そしてオールドは近接特化、つまり敵機とは相性が悪い。
睨む合う三機の間で空気が膨張したように膨れ上がり、戦闘が開始される寸前、
上空を漆黒の翼が横切った。
✥
上は陽光を滲ませる海面、下はぽっかりと口を開けた真っ黒な海底、その只中で波に翻弄されて水に呑み込まれるフィオーレの内部で桜は灼けるような思考で繰り返す。
動け、動け、動け、動け、動け、動け動け動け動け動け!!
意思が身体の中心で熱を持ち、膨れ上がっていく。
甚大な被害によって強制的に機能を停止させたフィオーレの内部は暗く、夥しい量の出血で視界が霞み、それでもなお桜は思念で叫んだ。
まだ戦いは終わっていない。まだやり残したことがある、否、まだやりたいことがある。終わるわけにはいかない、終わりたくない。夢半ばでは終われない。
震える掌を懸命に伸ばすが、戦場はあまりに遠く、届かない。身体が寒く、命の灯火が消え去ろうとしている。だがそれでも。
「――生きたい」
生まれて初めて声となって空気を揺らした言葉を意識し、桜は活目する。
――生きて、世界を見るんだ!
その想いは果たして、
突如、波の動きが大きく乱れた。巨大な何かが近づいてくる気配。そしてフィオーレが機能を復活させた。
『此方鱗蟲/演算補助ニヨリ一時的ニ本体機能復旧セシ』
『……トビウオ、愚生に力を貸せ』
桜の思考が主脳に流れ込み、接続するトビウオの四の副脳に筒抜けになる。そして数マイクロ秒の沈黙。
『作戦実行結果演算/貴君ノ生命活動ガ停止スル可能性大』
『愚生は死なない』
『根拠ノ提示ヲ要請』
『死ねない理由があり、己の意思で生きることを選択したからだ。こんな理由じゃ不満か?』
『――、――、――、了解/作戦受諾/主脳ヘノ演算補助ヲ遂行』
『頼むぞ』
白亜と桜色の機体が巨大な背に、蟲の翅を広げた。
✥
フィオーレのプラズマ刃で損傷していた腹部装甲が、無慮数千発によるエネルギーの激流に呑み込まれて断絶された。オールドは可変機能によって腹部の骨格が剥き出しとなっており、それこそが当機の唯一の欠点でもあった。上下に分断されたオールドの上半身が海水に呑まれた地面を転がり、泥水を跳ね散らす。
『くっ……!』
『アーシャさん!』
『よそ見をするな、小娘』
殺到する誘導弾を躱すも、回避コースを予測した偏差射撃がカリーナの装甲を食い散らかす。緑色の鉄片が飛散し、それでも円軌道の回避で射角から逃れたカリーナの砲塔が虚空を衝く。
四十五糎展開式加農砲、発射。残弾一。
砲声が大気を砕き、砲火と砲煙を伴って排出された馬鹿でかい空薬莢を置いていった巨大な砲弾が空にペイパーコーンを穿ち、標的をぶち抜かんとする。だが次の刹那、ブルー・ガトリングは翅の推力ですいと滑り、直後に機体がいた座標を過剰すぎる威力を内包した砲弾が素通りした。
どれだけの複合装甲や堅牢な液鉄であろうと関係なく貫通する徹甲弾は、結局のところ他の攻撃と同じく直撃せねば意味がない。頬に冷たい汗を感じる詩乃を嘲笑うかのように、被照準。
火砲の欠点を上げるとするならばそれは威力と反動が比例するところであり、つまり砲撃直後のカリーナは地面に両脚を沈めるほど踏ん張らなければならないのだ。その一瞬の隙を計十二本の銃身が狙い、もはや回避も防御も間に合わない。
『躱せるか、小娘?』
『くっ……神経かそ――』
コマンドを呟く寸前、頭に鋭い痛みが走って言葉が途切れる。高速で推移する戦局に攻撃機が介入する隙はなく、また損害が激しかったオールドを庇うような立ち回りをするために詩乃は能力を酷使していた。その副作用で背中にしかなかった結晶は今や右肩から腕、そして手の甲までを侵食し、度重なる発動で詩乃は消耗し切っていた。
『詩乃ちゃん!! 逃げて!』
アーシャの切迫した叫びを聞くも、もはや回避も防御も間に合わない。回転式機関砲が鋼鉄の唸り声を上げ、弾丸という名の暴力を惜しげも無く解放せんとする。その時、詩乃の聴覚は何かが空を切り裂く音を聞いた。
『詩乃!!』
『!?』
転瞬、ブルー・インパルスは横転せんばかりの凄まじい勢いで躍動した。半ば錐揉み回転しかける機体表面を蒼の閃光が擦過し、地面に突き刺さるやいなや泥水を蒸発させる。地面すれすれで曲芸めいた動きで機体を翻したブルー・インパルスは大袈裟なほど距離を置き、彼のレリックがいた座標に漆黒の翅が降り立った。
『シリエジオさん……!』
『桜ちゃん!』
二人の声は歓喜を滲ませながら少々悲嘆と裏返っていた。それも当然、フィオーレは左側のアイセンサーが潰され、左腕も肘から先が誘導弾の爆発で吹き飛ばされて断面から瀑布のような火花を流している。それに装甲表面が所々ひしゃげ、肩部のポッドは半壊し、胸部には白刃が突き刺さったままだ。傷だらけの姿で軋みながら動くその様はまるで、
『動く屍、か。俺と同じだな』
『同じだった、の間違いだ。今の愚生は貴様とは違う、戦闘を目的とした貴様とはな!』
『何故だろうか、俺は貴殿を羨ましく思う。感傷めいた気持ちがまだ残っていたのか……礼を言うぞ。感謝する、そして死ね』
再び回転し始める機関砲、だがフィオーレは微動だにしない。
『主脳演算補助ニ乱レアリ/再演算開始/機動開始五秒前』
強引に動かした機体が悲鳴を上げ、傷口から火花を撒き散らす。そこに容赦なき弾丸の殺到し、果たして――緑色の装甲を紙屑のように喰い破った。
『詩乃!?』
激突の勢いのままフィオーレを押し切り、射線から逃した。その代償としてカリーナは甚大なる損害を受けた。
『【警告】駆動限界間近/反重翅展開不可/加農砲発射態勢移行困難デアリマス』
『構いません。これからの詩乃の役目は攻撃ではなく』
寄り添うように立つカリーナの碧のアイセンサーがちらり、と残骸寸前の機体を見やる。
『シリエジオさんの盾になることですから。だから、あなたは敵に集中して下さい』
『…………任せた』
反駁の言葉が喉まで出掛けて、だが寸前で思い留まる。彼女を信頼したかったのだ。
『誰に言っているのですか? 戦闘に関しては尊敬できる詩乃、が守ってあげるのですから必ず勝って下さいよ』
『無論だ』
機動。
カリーナがブースター加速で先行し、遅れてフィオーレが続く。ジェネレーターの限界を極めた加速は翅の推力に負けず劣らず、だが。
『正面からとは勇ましい、だがそれは愚策だ。それだけでは戦には勝てん!』
両脚で地を噛み、けたたましい銃声と銃火が弾けると共に音速の弾丸が夥しい数で飛来し、地面を掠めんばかりの射線はいとも容易くカリーナの両脚を粉々に破壊した。体勢を崩したカリーナは斜め前方に転倒し、加速の勢いを殺し切れずに地面を抉りながら擦過していく。
その陰から現れたフィオーレは副脳の補助を受けて懸命に翅を展開し、滑空で彼我の距離を消し飛ばす。だが軌道は一直線、力強く射線修正された回転式機関砲が穴だらけにせんと照準する。
桜は魂を滾らせ、喀血せんばかりの力を振り絞って、吼えた。
「――神経加速!!」
時が、意識が、灼熱する。
視界が粘性を帯び、思考が加速する。彼方に屹立する機体の傷、歪みに至るまでつぶさに視認できる。一秒が途方も無い悠久の時に感じられ、殺到する弾頭の尖る先端まで見る桜は焼け切れそうになる全神経を回避に注ぐ。
一秒前まで回避点を余すこと無く埋め尽くしていると思われた十二の銃身の秒間数千発で構成される弾幕は、今や隙間を認識できる。レリックの両腕には可動域が存在し、その両腕に強力な武装を施しているならば必ず抜け道が生まれる。それは両腕の狭間、つまり横幅数十メートルの胸部。そこだけ雨が止んだように弾が通らず、そここそが背筋が寒くなるような鋼鉄の嵐の回避コース。だがそれも迎撃の手が少し遅くなる程度、奇妙にゆっくりとした知覚で見切るも、コマ送りのように弾を吐き出す銃口が少しずつ向きを変える。ボロ屑のように風穴を開ける装甲、弾け飛んで四散し、内部機関が加速度的にあらゆる部位から露出する。それでも紙一重で潜り抜け止まることなく距離を詰め、あと数メートルで白兵戦の間合い。機体稼働分を除いた全てのエネルギーを右手で握る柄に送り込み、途端に蒼刃を形作る。あとは踏み込み、一閃するのみ――
『稼働効率及び装甲被害十割超過/駆動停止』
フィオーレが止まり、ギルバートの三十年に渡る研究の末で完成を見た神経加速が弱まり、同時に時間の流れが早まっていく。急停止の慣性そのままに地面が迫る。
――動け!!
嵐が止まる機体を呑み込まんとする。もはや回避は不可能。
玉響、掃射の照準が精彩を欠いた。ブルー・インパルスの頭部ぎりぎりを巨大な砲弾が穿つ。紛れも無くカリーナの砲撃、反動を殺し切る脚がなければ撃てぬ筈。それでも撃った、この一瞬に介入するための神経加速を発動させて、だ。何がそこまで詩乃を突き動かすのか、桜は既に知っている。
――俺は、生きる!!
結晶に蝕まれる身体すら気にも留めず、一心に叫ぶ。
身体の内から迸る意思が、リンクする停止寸前の主脳に激流の如く流れ込む。
再起動。
鏡面のようなゴーグル内に青紫の光が再び宿り、転倒を防ぐ右脚が地面を踏み砕いた。この一歩、間合いに入った。柄から迸る蒼い雷光が宙に残像を描き、袈裟斬りを放つ。
視認不可能の一閃が己の装甲に食い込むのを知覚し、ザ・コバルトは悟る。
封じられた記憶が走馬灯のように一瞬で流れた。
――そうか。俺達はHeavenのために戦ったのか、そして死んだ。身命を賭して果たした悲願はしかし、俺達が強すぎた故に人間は歴史を捏造し過ちを繰り返す。どれだけ時が経とうとも、所詮人類は変わらないと言うことか。
時代が移り変わろうとも人間の根本は変わらず、それこそ世界が一度終わったとしてもだ。
諦観、だがそれでも。
彼にとってのソレは、兵器ではない。意思を持つ気高き者、崇拝の象徴。そう、神の代理人という運命と人類滅亡の片棒を担ぐ業を背負ったあの少女のような存在だ。
『Heaven、地獄で会いましょう』
最期に、不思議と報われた気がした。