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信用

 腹の底から込み上げるモノを吐き出し、空気を求めて激しく喘ぐ。目を開けると次第に視界が鮮明になり、鉛色の天井を見た。鼻孔を突くのは微かな潮の臭いと畳の匂いで、寒気を感じて身じろぐ。ややって意識が固まり思考が回転し始め、そこで桜は自分を見下ろす少女に気付いた。

「……愚生は、生きているのか」

「……はい、詩乃が蘇生させたのですから……感謝して下さいよ」

 唇に走る妙な感覚はそれが原因だったようだ。

 濡れた前髪が額に張り付き、目尻に澎湃と涙を浮かび上がる。紅潮した容貌は安堵で綻び、そう言ったきりこちらに視線を落としていた詩乃が不意に倒れた。億劫さを訴える身体に喝を入れ、すぐに上体を起こした桜は慌てて抱き留める。覗き込んだ顔は上気しているのに、身体はぞっとするほど冷たく濡れている。

「何故こんな……!」

「外……雨が降って……運ぶの……」

 切れ切れに声を絞り出す詩乃の呼吸は浅く、目の焦点も安定しない。そこで限界が訪れたようでゆっくりと瞼を下ろす。その様が記憶の母親に似ていて、想起させた桜の顔から血の気が失せた。

「詩乃! しっかりしろ詩乃!」


       ✥


「……ん? あれ? 詩乃は……?」

「目が覚めたか。まだあれから五時間ほどしか経過していない。外も確認してきたが当分嵐は去りそうにないな」

 今度は正反対の配置となった桜は布団に横たえる詩乃を見下ろし、現況を伝えた。

 桜達は嵐の渦中にある浮島に滞在していた。湿った樹木や海洋ゴミの塊などの漂流物が循環海流が相殺し合う海の吹き溜まりに堆積し、土なき島となる。大しけの海と荒ぶる波と風、降り止むぬ豪雨と漆黒に近い高層雲、それが外の現状だ。現在地すら判明しない以上、トビウオでの滑空は決行しないのが懸命な判断と言える。否、それ以前に、

「木葉もアーシャも行方知れず、トビウオ空賊団は休団するほかない。カリーナ及びトビウオ二機が無事だったのは不幸中の幸いと言うべきだな」

「……アーシャさん」

 寝転ぶ詩乃は目を伏せて、寂しげな吐息を零す。

 最大の問題はアーシャの裏切り行為だ。奇襲からの手際は桜でも舌を巻くほど鮮やかであり、それはつまり最悪な敵が生まれてしまったことに他ならない。敵機のスペックはこちらと同等ほどであろうが、翅を展開していなかったことからまだ潜在能力があると考えられる。そしてあの斬撃、液鉄えきかねを纏う装甲を容易く削ぎ落とした切断力は脅威だ。

「どうして……アーシャさん」

「何がどうして、と喚いたところで何も始まらん。君の体調と天候が回復次第、愚生は…………」

 討って出る、という言葉が声として空気を震わせることはなかった。

 アーシャはトビウオ空賊団と敵対する道を選んだ、桜の敵となった、なってしまった。ならば撃破しなければならない、それが誰であったとしても。

 思い詰める桜はそこではたっと気付き、視線を向ける。掛け布を被った詩乃が真剣な眼差しを送る。

「シリエジオさんはどうしますか? いえ、どうしたいですか?」

「愚生は……アーシャを撃滅する」

 途端、詩乃が鋭い視線を放つがすぐに息を呑む。翡翠の瞳に映る桜の顔は歪み、今にも砕けそうなほど脆い雰囲気があった。

「そう思っていた。きっと桜花ならそうする筈だ……だが、愚生はもう桜花に戻れそうにない」

 いつから自分はこんなにも弱くなってしまったのか、と桜は内心で自嘲する。声もなく項垂れる桜は思考がまとまらず、これでは腑抜けと罵られようと文句は言えない有様だった。

「詩乃は、アーシャさんを撃滅したくありません。これからも木葉さんとアーシャさんと……シリエジオさんと一緒にいるのが詩乃の夢ですから。それにきっと何か理由があると思うのです、詩乃が知るアーシャさんは意味もなくあんなこと、しない」

「…………」

 翡翠の瞳は意思を光らせ、揺るぎない。それは己の答えに殉ずることができる者のみが灯す光だ。桜は強靭なる想いを乗せた視線に射られ、見つめ合いながら内心で驚嘆の言葉を呟く。

 ――矢張り、君には敵わないな。

 瀕死の桜を平手打ちするほど厳しくも強く、カルロスの口頭で脆弱さを露呈させるほど弱く、そしてこの状況下で弱音を吐かない人間など生まれて初めて出会った。

 その行為は別段意味があるものではなく、それこそ何となくと言った方がしっくりくるように手を上げて、詩乃の黒髪をくしゃりと撫でた。びくっと硬直して目を見開く詩乃だったが、よほど身体がだるいのか特に反抗もしなかった。

「一つ問う……あの鱗のようなものは何だ?」

「っ! ……やっぱり見たのですか」

 濡れた服を着たままでは発熱が悪化すると判断し、服を脱がして布団に寝転がす時に見たのは華奢な背中にぽつんとあった指の第一関節ほどの大きさで菱型の鱗、或いは結晶のようなものだ。

 何故か頬を色づかせる詩乃は虚空を眺めて、静かに続ける。

「あれは蜃の特性である神経加速ケレリタースの代償です。ウーラノスの救世主メシアを撃破した液鉄えきかねをこの能力で管制下に置いて、ナノマシンを操作したのです」

 兆を超えるナノマシンを管制するなど細胞の一つ一つを識別し、その上で操作するようなものだ。まさに救世主メシアと同等の超常の能力であることは歪めない。

「仮に、全身があの鱗で覆われたらどうなる?」

「物言わない結晶の彫像ができあがり、そして砕死です。そんな顔しないで下さい、多用しなければ大丈夫ですから」

 詩乃が倒れ込んできた時に心の底から恐怖したが故に、心配せずにはおれなかった。力なく笑いかけた詩乃の睫毛が震え、瞼が閉じていく。

「なんだが……眠く……」

「眠ってくれ、そうしてくれた方が愚生も安心する」

「こっ……恥ずかしい……台詞……ほざくな……」

 少ししてすうすう、と寧らか寝息を立て始めた。指に引っかからない黒髪を見つめ、夜色の瞳に仄かな戦意を焚く。

 ――愚生も出したい、己の答えを。

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