裏切り
あの病室以来四人の間にぴりぴりとした雰囲気が流れることはなかった。相変わらず桜と詩乃はちょっとした口喧嘩を勃発させることもあるが、先に桜の方が折れることが多くなったので詩乃は拍子抜けした表情をすることが増えた。アーシャは相変わらず駄洒落を連発させて場の空気を寒くしたり、それに桜が感心したり、詩乃が突っ込んだりとある意味忙しい日々が続いた。整備場に泊まり込みする木葉は差し入れで大層喜び、感極まって詩乃にハグを求めるも返り討ちに合うのがお決まりとなり、こちらは場の空気を和ませたりした。
いくつもの朝焼けと、中点の日差し、水平線に赤く沈む夕日、星屑が瞬く空を繰り返す日々が変調したのは先の戦闘から一ヶ月弱たった頃だった。
損傷したフィオーレがほぼ全機能を回復し、提携するパイレーツからの支援物資のおかげで弾薬補給も済んだのだ。
いよいよ出立間近、各々が感慨に耽る最中その一報は入った。
被勢力地のガイべス島にウーラノスとポントスが戦線を張り、睨み合いの状態から開戦に入った、と。
✥
「どうするのアーシャちゃん。今すぐ飛ばせば一時間もあれば行けるけど……」
「…………」
トビウオ尾部内の和室で卓を囲み、指示を仰ぐ木葉を一瞥したアーシャは視線を落として考え込む。空気が帯電したようにぴりぴりと張り詰める中、桜は素朴な疑問を口にする。
「ガイべスに何があるのだ?」
「アーシャさんの知り合いが住んでいるのです。詩乃も直接お会いしたことはないのですが」
そこでアーシャは胸元を探るとおもむろにロケットペンダントを取り出し、開けて桜に差し出した。受け取った桜が見たのはアーシャと年端もいかない少女が並んだ写真で、目線を上げて無言で促す。
「ニヴェア、って名前。ねえ桜ちゃん、ポセイドンって聞いたことある?」
「竜撃大戦の折りに現れた竜を使役する特別な人間のことだな。もしや、彼女がそうなのか?」
「その娘は初代ポセイドンの子孫、私が五年前にエレボス所有の研究所から連れ去ったのよ。居所が摑まれないようにするために、あの娘とはそれきり会っていないけどね」
歴史を識る者であればポセイドンの存在は知っていて当然だ。嘘か真か、ゾディアック級の蛟竜までも使役したという逸話があるくらいだ。よもやその子孫がいるとは露知らず、驚愕する桜であったがすぐに思考を切り替えて黙考した後に一つの問いを思いつく。
「そうか。それが反動勢力の真の動機ということか」
空を解放する、なんて大層な主義を以前は気にもしていなかったが、今考えれば胡散臭いことこの上ない。言い当てられたアーシャは自虐的な笑みを浮かべて言葉を放る。
「笑っちゃうでしょ? そんな理由で他の二大勢力まで潰そうとするだなんて、私も正気の沙汰じゃないと思うわ」
「詩乃は、何があってもアーシャさんについて行きますから」
「ま、革命気取りなんてそんな理由でしょ」
真剣な面持ちで頷く詩乃とは正反対に軽い態度な木葉、そして桜は思慮を経て正面からアーシャを見つめる。
「人間らしい動機だ、先の大仰な理由より納得できる」
「桜ちゃん……」
皆の真摯な視線を一身に受けるアーシャは目を閉じ、決心したたように開く。
「これより私達はニヴェア救出作戦を決行します。詩乃ちゃんと桜ちゃんはブリーフィングの後に出撃して」
「了解」
「了解です」
✥
対空砲火が弾け、対空誘導弾が飛び抜ける空域に二匹のトビウオが突入した。小回りの利くレリックならば針の穴を通すような回避コースで全弾回避も可能であろうが、トビウオの旋回能力は戦闘機の上位互換だ。完全回避は難しい、ならばどうするか。
「置いていくのみ、です」
「最高戦速」
作戦プランは戦域に最速で突入し、投下したレリックは翅による旋回能力で敵を迅速に殲滅するという至ってシンプルなものだ。トビウオの知覚範囲を数え上げるのも馬鹿らしいほどの敵性反応が埋め、十や百ではきかないほどの照準が殺到するのを桜は主脳を通じて感じた。
滑空軌道を砲弾が続け様に辿って空を穿ち、押し寄せる誘導弾を振り切る。あっという間にガイべス島中心の上空へと到達したトビウオの口部から二機のレリックが飛び出し、それぞれが紅梅色と若緑色の翅を広げて機体を最高速に導く。戦闘開始の合図はカリーナの展開式加農砲の一発となった。
轟く砲声、超音速の砲弾が地上のATを頭部から真下の地面までを一直線に貫いて跡形もなく粉砕した。
「戦闘開始だ」
続け様に放たれたカリーナの多連装誘導弾が地を舐め、射線が通った地上に着地したフィオーレは倒壊直前の建物を隔てた敵機を照準し、光学ライフルを撃つ。音すら置き去りにする指向性を持った一条の光線は建物を容易く焼き切り、その向こうのATさえも超高温で撃ち抜く。
ATよりも一回り巨大なレリック二機は両勢力のATからすれば格好の的であるが如何せん、機動力の隔絶が凄まじい。射撃した時には既に射線から機体は消え、ものの一秒で死角を取られる。
「匪賊の分際で! 調子に乗るなぁ!」
「くそ、当たってるのになんで動いてんだよ! 本当に効いてんのか!」
「囲んでありったけ叩き込め! 敵はたったの二機だぞ!」
いくら機動力に長けていても数の差は覆しようがなく、あらゆる方向からの攻撃を受ける二機はだが留まるところを知らない。榴弾による爆風は防護膜が防ぎ、許容範囲の攻撃は液鉄が止め、それでも損傷すれば即座に自己修復に入る。圧倒的なスペック差が戦況を瞬く間に覆し、敵性の赤色に染まっていたセンサーから次々と反応が消失していく。
カリーナの散弾砲がひしめく建物を穴だらけにし、巨大な砲弾が彼方の稜線を砕く。多連装誘導弾とフィオーレの近接信管の誘導弾が敵機を爆殺させ、光学ライフルが敵機の軸が重なったを好機として空を貫き、何十機も纏めて射抜いて些かも減速せずに彼方へと消える。
『こちら桜、ニヴェアは発見できず』
『たぶん地下シェルターでしょうね、九時方向の山超えた先にあるらしいわ』
『了解。アーシャはどうした?』
不意に、無数のATを囮とし、背後から高速で回り込んだ一機が翅で空を打ち、高熱刃で斬り込んだ。だが刃は液鉄に阻まられて装甲を焼き切るには至らず、フィオーレの猛烈な風圧を伴った旋回で弾き飛ばされた。戦線を後退させつつある数十機をまとめて照準し、マニピュレーターが柄を摑む。
『斬る』
蒼白き雷光の如き超高温が刃の形を得て、急加速が瓦礫も土塊も全てを吹き飛ばす。掬い上げるような軌道の斬撃で次々とATを撃破していき、ブレードによる数キロの乱舞を停止させた桜は問う。
『質問の続きだ』
『今ちょっと席外してる。まったくあたしじゃ作戦指揮なんて無理なのにさあ、アーシャちゃんも無茶ぶりよねぇ』
『シリエジオさん、敵勢が続々と後退して行きます』
戦闘による白煙や黒煙が周囲を埋め尽くす中、フィオーレは生き残りのATが急速に逃げていくのを知覚し、桜は頷く。
『今回の任務は救出だ、深追いする必要はない。詩乃はカリーナで警戒、愚生がシェルター内部に侵入する』
その時、聴覚センサーが何かの音を捉えた。何かがこちらに迫ってくるような、否、これは水音。
瞬間、アイセンサーを走らせたフィオーレが見たのは沖合から怒涛の勢いで迫る十メートル以上の巨大な津波だ。潮も引いていない、天候もやや曇空であるのに、だ。自然のモノでないのは明白である。
『これは……蛟竜です、シリエジオさん!』
『ピタテンの二の舞いにする気か……! 何故このタイミングで……!?』
島が津波に呑み込まれれば地下にいる筈のニヴェア救出は困難となる。恐ろしい速度で島に押し寄せる津波を前にする桜は決断する。
『一時撤退だ、水位が下がるのを待つ。この場に居続ければ愚生達も身動きが取れなくなる』
レリックは水中機動も可能であるが、地上や空中ほどの敏捷さは見込めない。敵勢は撤退していき、二大勢力の救世主は既に撃破済み。救出は一刻を争う状況でもなく、と言うよりも自分達の方が危機に晒されているくらいだ。
『了解です。一時トビウオに帰投して機を待ちます』
『愚生も戻る。木葉、旨をアーシャに伝えてくれ』
『はいよ、一旦お疲れ様。すぐに』
一瞬だけ言葉を切ったまさに直後、
二機が全く同時に最重要度の警告を発した。
『▼告/未定義反応感知/数・一』
それはまるで始めからその座標にいたかのように、忽然と姿を現した。センサーの反応に従って宙の只中を見上げた桜は息を詰め、次の瞬間は襲いかかった衝撃で眉を顰めた。上空の敵影が鋭角な軌道で急降下してきたと思えば勢いを弱めることなく激突、虚を突かれて踏ん張りが利かないフィオーレは後方に吹き飛ばされ、爆撃で剥き出しとなった地面を擦過して制動するも、
『!?』
転瞬、フィオーレのアイセンサーが捉えたのは鈍色の斬撃面だった。
咄嗟にブースターと翅を駆使して後退した途端、一閃が胸部装甲をぎゃりん、と耳をつんざく甲高い音を伴って撫で去り、刃が掠めた表面が凹凸のない断面を残して切断され、鉄片が接近による風圧で飛散する。
『何だと……!』
静と動、その後者を連続させた機動力に驚いたわけではなかった。驚愕するべきは変形、戦闘機のような形をした機体が空域に突如として出現したと思った矢先に激突し、更に直後には信じ難い速度で人型に変化したのだ。
漆黒を基調とした装甲には深紅の差し色が走り、全高はレリックと同等。胸部は戦闘機の先端のように尖り、全体的にどこかフィオーレに酷似している。
刹那、広域通信に敵機の声が差し込まれる。
『――ごめんね、桜ちゃん』
滑らかな女性の声、聞き間違える筈もなかった。
最上の驚愕に打たれた桜は我知らず、当惑を込めた叫声を返す。
『何故だアーシャ!!』
答える声はなく、弾かれたように真上に飛び上がった機体で視界が開き、捉えたのは目前まで襲い来る水の壁だ。回避する時間もなく、削ぎ落とされた表面から海水が流れ込み、荒れ狂う波に攫われて桜は外に放り出された。そのまま上下の感覚が喪失し、体温を奪う冷水に翻弄されて桜は藻掻く。民家の屋根に背中をぶち当てた衝撃で水泡となる酸素を逃し、視界に重い紗がかかる。
そこで意識がぷつりと途切れた。