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プロット 南前航路 Ver.1.0

帰路

 狸への指示を伝え人ととおり現地視察をおえたので、

 戻ることとした。

 渡し船で再び遠江守護所予定地へ向う。

 遠江守護所予定地は、弟信治が責任者とし、

 梁田親子らを作事奉行として整備している最中である。

 斯波義銀を置くつもりはなく、名目だけである。

 織田の兵を駐留させ、武田への対処と、狸への監視とする


 信治と梁田に、狸への指示の内容を教え、

 武田と今川の仲を裂くために、

  義信には、氏真が三河・遠江での失政の内容を、

  氏真には、武田が駿河を狙っていると、

 双方に流言を流すよう命ずる

 

 虎はいずれ駿河に侵攻するはずである。

 遠江の半分が落ちたので、既に考えているかもしれん。

 決断すれば、こちらとの同盟が必要なとなるはずである。

 

 岡崎城に寄り、子らを拾って、水野らと別れる。

 熱田神社に寄って、軍神様一行とともに参拝する。

 

 三河や伊勢との通商が増え門前町は発展しており

 軍神様が感心していた。

 清州城から、秀孝から先触れがあったとの連絡がある


清州城

 清州城で先ぶれの使者に合い話を聞く

 薩摩島津氏と交渉で、外との交易を目的とした坊津への入船を承諾

 併せて、長宗我部も浦戸への入船を承諾し、

 南前航路の協力について、了承を得たとの報告であった。


 交易に関しての内容を詰めるため、

 島津氏からは嫡男島津義久が、

 長宗我部から当主直元親が、

 岐阜に来て俺に会いたいとのことで

 船に乗せて、伊勢大湊に入るとのことである。

 また、伊勢神宮参拝と京への上洛、

 将軍様への拝謁を望んでいるとのことである。


 佐脇に岐阜の丹羽へ連絡させ、準備を任せ。

 軍神様と相談し、伊勢大湊まで迎えに行くこととした。

 伊勢田丸城の信広兄に先触れをおくる。

 これで海外との通商の規模を大きくする目途をついた。


海外貿易

 日本は古くから大陸や半島と交易をしていたが、

 明の海禁政策によって、勘合貿易として量を制限された。

 それも、天文20年の大内滅亡によって絶たれている。


 その後、倭寇よる密貿易が増えていったが、

 明は取り締まりを強化し、

 倭寇頭目の一人王直を捕殺し、

 子の王定治が俺に保護求めてきたのである。

 王からジャンク船や操船の知識を得るとともに、

 後押しして密貿易を行っている。


 王から報告では、南蛮の国「ポルトガル」が西の方から来て

 明から通商許可と「まにら」という地の使用権を得たとのことである。

 

 キリスト教の宣教師たちは九州の平戸から上陸し

 キリスト教を布教と大陸・東南アジア諸国と三角貿易をはじめている。


 肥後の大村や有馬、築後の大友らが宣教師を受け入れ商取引を開始した。

 九州に荷揚げされる商品は、博多から瀨戸内海を通過して堺に入る。


 堺の商人に硝石などの軍事物資を握られており、

 大陸や南蛮の知識・技術・作物の種を直接手に入るため。

 太平洋ルートを開拓することを思いついたのだ。


 太平洋ルートは外海であるため波が荒く、

 常に遭難の危険がある。

 伊勢から南紀、四国の沿岸を通り、

 南九州薩摩、琉球へ行くには、長距離となり、

 安全の為には寄港地が必用であり、

 薩摩島津の坊津と土佐長宗我部の浦戸に目を付けたのだった。


 両方とも、これから勢力を伸ばすはずであるので、

 今のうちに誼を通じておいた方が良いとの判断もあった。


九州の状況

 大内氏が滅亡した後の九州は、大友氏が影響力を強め、

 北九州の勢力のほとんどを傘下に入れている状況である。

 対する薩摩島津氏は、薩摩国・大隅国・日向国の

 三ヵ国守護に任じられた名家であったが、

 宗家と分家の争いがあり、

 日向は伊東氏、大隅は肝付氏らの国人衆らが自立し、

 薩摩一国でさえ纏めきれずいた。


 分家伊作家から島津忠良がでて、

 嫡男貴久を宗家に入れたことにより

 薩摩を統一しつつある状況である。


 貴久の子である島津四兄弟は、

 みな優秀であるはず。 

 それに薩摩は琉球と昔から通商し、

 日本の南端であり、海外との窓口になりえる


四国の状況

 四国は管領細川家の本拠であり、

 細川政権を支えた地である。

 今は家宰であった三好家が

 讃岐・阿波・淡路、伊予の一部を抑えている。


 なお、土佐は細川家の守護地であったが、

 細川家の没落ともに、

 国司一条氏が勢力を強め、西土佐を支配ししており、


 東土佐には七雄とよばれる国人衆が割拠する状態である、

 七雄の一つが長宗我部氏であり、長岡郡の岡豊を拠点としていた。

 本山氏滅ぼし、吉良氏に弟をいれ、土佐の一大勢力になりつつある。


伊勢田丸城

 熱田から伊勢大湊に移動し、田丸城に入る

 田丸城を任せている信広兄より伊勢の状況を確認

 伊勢湾一帯が織田の領地となり、

 伊勢神宮への参拝客が増え、金を落としていく、


 北畠畠残党は旗頭を京に追い払ったので、

 おとなしくているが、

 一部大和の吉野に集まっているとの情報もある。


島津&長宗我部

 大湊に、秀孝と王の船が到着した。

 島津からは、島津義久と末弟家久、海賊衆島津忠長ら100人

 長宗我部からは、当主元親、桑名出身桑名親光と海賊衆池頼和ら50人。

 軍神様と供に出迎え、伊勢神宮に参拝してから、田丸城へ移動する。

 双方とも織田との通商に乗り気であるようだ。


 島津は、

 南蛮人の船は最初に薩摩の坊津に上陸した。

 島津は通商を望みはしたが

 仏教勢力の反対もあって、

 キリスト教の布教を認めなかったことにより

 南蛮船は肥後の平戸に行ってしまったとのことである。

 琉球とも通商を行っているが、

 さらに販路が増えるのは利があるとのことである。

 

長宗我部は、

 当主元親の正室は美濃齋藤一族で奉公衆である

 齋藤利三の異父妹であり、織田との繋がりがある。

 幕府とのつながりを意識しており、、

 さらに、阿波三好氏と領地を接しているため、

 後ろ盾を必要としていた。


通商交渉

 俺の知識による日本地図デフォルメしてある

 確認しながら前交渉を行う。

 

 織田は濃尾と伊勢湾一帯を支配下にいれ、

 南紀まで勢力を伸ばしつつある。

 産品は、陶器と漆器、鉄製品、銅銭、俵物などである。


 北陸に関しては、軍神様が北前船を抑えており、

 飛騨の街道を通じて織田と通じている。

 産品は、銀と越後上布、瑪瑙・翡翠など、

 それに蝦夷地・出羽からの昆布と鮭である。


 さらに近江浅井を通して山陰の毛利とつながり、

 北条を通して、関東ともつながっている。


 堺の津田・今井とも商取引している。


 取扱商品を並べながら一つ一つ説明名していく。

 南蛮や大陸は通商用に銀を欲しているため、

 大陸の銀と含有率で、通商用の一匁銀を用意した。


 俵物:あわび・ナマコ、フカヒレなどの

 日本産乾物は大陸で珍重されてると聞く。


 こちらが欲する物は

 南蛮・大陸の書籍と品物、食物の種

 硝石・砂糖・漢方薬などである。


 航路及び南蛮・琉球との交渉は王に任せるが、

 取引量に応じて、船を増やしていく予定である。

 造船と航海士も増やしていくつもりである。


 島津、長宗我部が家臣とともにかすかにだが

 声が上げており、

 この交易に利があると感じているようである。


 詳細内容に関しては、岐阜で打ち合わせることにし、

 そのまま、歓迎の宴に入る。


 領地から集めた産物を調理した物をどんどんだしていく。

 見たことがないも料理に驚いている。


 獣肉料理があるので、注意しておく、

 島津方は琉球と交易して豚や山羊を食する機会あるので

 気にしないとことである、

 長宗我部は興味があるようでり、島津に習う。


 こちらも、説明をしながらになる。

 料理を口にし、また驚いている。


 このようなら、大丈夫であろう。

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