プロット 防衛ライン(Ver.1.1)
自室で一人、織田領の地図を見ながら思考する。
地図は、長年の測量を重ねて結果である。
知識に浮かぶ、日本の地形と大差がないほどの出来栄えだ。
尾張、岐阜、伊勢、志摩、伊賀、紀伊の一部と近江甲賀と、
同盟関係にある飛騨と従属化である三河、西遠江と、
支配領域の広がった織田領の防衛についてだが、
北の北陸方面は、越後上杉と友好関係を結んでおり、
姻戚関係の飛騨姉小路には、黄母衣衆を派遣している。
西にある近江は、義弟である長政にまかせて、
六角、朝倉に対応させるつもりであり、
攻略したばかりの高島郡に黒母衣衆を派遣しており、
不破の関で美濃への侵入を防ぐ。
南は伊勢湾に面し、
三河湾とともに制海権を抑えており、
秀隆の伊勢・熱田水軍、
大野の佐治水軍、
志摩の九鬼水軍、
紀伊堀内の熊野水軍が
最新装備の船舶で控えている。
伊勢湾の入り口で抑える。
伊勢・伊賀は、大和と紀伊と接しているが、
両国とも国人どもや寺院のの勢力が強く
まとまっているとはいえない状態である。
間に山林が広がっているので、大軍による侵攻は難しく、
伊賀衆・甲賀衆のゲリラ戦で抑えられるだろう。
国衆を調略されないように気を付けねばならい。
甲賀信楽の多羅尾氏が一益の指揮下にあり、
長政と共同で六角に対している。
東海道方面は、狸にまかせており、
後ろには知多の水野信元にひかえており、
いざというときは、尾張衆を派遣する。
美濃の西北には、白山を含む山地が拡がり、
越前と接しているが、山深く距離もある、
接するうちの二郡を浅井に割譲しており、
進入路になる郡山八幡城は直轄地として
兵を常駐して警戒して。
ここまでは、対策はできている。
問題なのは、武田と接する東美濃と
三河・遠江の北側の山地であるか。
武田と不戦同盟を締結したとしても、
虎坊主を信用し続けることはできん。
相手は約定やぶりを繰り返し、
娘婿まで、だまし打ちにしている。
警戒しておいた方がいいだろう。
東美濃はほぼ山地であり、
遠山七頭・妻木ら国衆らの所領が
点在してある。
三河・遠江も信濃との間が山地であり、
武田との境になっている。
武田の騎馬隊は有名であるが、
領地である甲斐・信濃は山に囲まれており、
山中での戦いも得意としているだろう。
史実の知識によれば、
武田は伊奈口から侵入され、岩村城を落とした。
三河では、奥三河の諸将が離反と帰属を繰り返した。
遠江は二俣城を落とされ、そこから武田本軍が侵攻した。
掛川城を攻囲せず、浜名湖の北を抜けて、
奥三河の別働隊と合流して、東三河に侵入するとみせかけ、
狸を三方が原に誘こんで、野戦に持ち込み撃破したのだった。
ふむ、
武田が今川に向かえば、数年は稼げるだろう。
その間、織田の傘下に入った三河・遠江の国衆達を掌握し、
防御態勢を構築するか、
いままで、飛騨との街道らを重点として普請してきたが、
東美濃国衆らの所領をつなぐ道を普請して、
経済的な結びつきを深めるとともに、
各城の防衛強化と、道沿い伝馬駅を設置して、
金山城を中心に防衛体制を構築する。
街道も尾張にも伸ばし、
援軍が向えるようにする。
三河・遠江はどうする?
地図を確認すると、三河加茂郡の東北部からも
侵入してくる恐れがあるな、
矢作川の西側は、現在は織田の領地である。
三河鈴木一族の所領であったが、
狸に攻められ今川の支配下になり、
桶狭間の直後、兵をいれて織田領とした。
ここに道を通して、尾張とつなげるとするか、
さらに山の裾野を経由して、奥三河・井伊谷まで伸ばす。
東海道は浜名湖の海側を通っているが、
今は海とつながっているので、
舟を使わなくてはならぬはずで、
迂回路も必要だろう、
奥三河の国衆をこちら側に引き留める手立ても
考えなければならぬだろう。
奥山と言えば、嫡男が狸の婿になるのであったな。
相手は亀姫でよかったか?
松千代の近習に取り立てるとするか?
情報が足りぬな~、
東美濃とあわせ現地を視察するとして、
そのあと、国衆達と打ち合わせることとしよう。




