プロット 動乱の年 (Ver.1.1)
永禄8年(1565)信長32歳
三好長慶死亡の翌年に、京で事がおこるはずである。
打てる手は、すべて行ったはずだが、
結果がどうなるかはわからん。
織田家の方向性が決まることになるだろう。
今迄は、歴史の流れに影響与えないよう動いたつもりであり、
畿内、特に三好には近づかないようにしてきた。
ただ、将軍様にはだいぶ肩入れをしており、
また、毛利とも誼を結んだこともあって、
歴史の流れに影響があったのか、わからんところだ。
もしかしたら、なにもおきんかもしれん。
将軍様は幕府の権力を取り戻しつつある。
とうからず、幕府の運営から三好を排除しつつあるだろう。
三好家はジリ貧となるであろう。
畿内にもっていた権力を失うことを恐れるであろうか?
史実どおりの行動出るとは思うのだが?
まっ、なるようにしかならんだろう。
それに合わせて、織田家の舵をきればいだけだ。
織田は、すでに尾張、美濃、伊勢、志摩、伊賀を領し、
近江や紀伊の一部を手に入れ、
三河、遠江、飛騨、越中、越後にまで、
影響力与えることができる立場となった。
石高だけでも、200万石を超えている。
手を出してくるの者はいないであろう。
南伊勢攻略後、織田家自体の行動を抑えているし、
今は、六角と武田以外とは敵対していない。
上杉、毛利とは友好関係を築いており、
北条とも通商がまとまった。
六角は長政が対処するので、
今川は、狸と一緒に勝手にしてろ。
心配なのは、武田の動きだけである。
竜虎の和議は条件交渉の段階である。
加藤段蔵が逐次状況を知らせてくれる。
虎はすでに海津城を明け渡すこと認めており、
北信濃四郡は上杉が領することになる。
問題になっているのは、西上野と中信濃の線引きである。
小幡をはじめとする西上野国人衆が武田についてしまった。
ただ、武田の後詰がないので、これ以上の侵攻はない。
西上野の上杉軍に打撃を与えたの一応の面目はたったことになるか、
中信濃は、上杉勢一時は林城の近くまで攻め寄せている。
ただし、雪のため攻略を見合わせて兵を引いた。
防寒設備があるので、力攻めはできないことはないが、
本隊が川中島いるので、兵力が足りず無理ができないとのこと。
勝三郎も後方攪乱が難しくなり、仁科城へ入っている。
虎は交換条件に、西上野国人衆の武田への所属を認めることと、
中信濃で攻略された城を放棄し、仁科城まで引くことである。
あとは、軍神様がどれだけ譲歩するかであるな、
なんとか、まとまってくればいいのだが、
織田と武田との同盟交渉はその後になる。
土佐の長宗我部との薩摩の島津と協力関係についてだが、
まとまりそうである。
これで堺を通さず、南蛮や明と貿易ができる。
双方から近いうちに正式な使者が来ることになっている。
家臣たちが年賀の挨拶に来るので、
今年の方針を決めとかなくてはならない。
その後には、狸がやってくる。
引馬城をくれてやったので、
そのかわりのものを要求するつもりである。
追い込み過ぎないよう匙加減が難しい。
奥三河と西遠江の当主たちも同行させるよう命じている。
こやつらの立場も考慮しとかないけない。
長政とも高島郡の攻略について、打ち合わないといけない。
いろいろ考えることがあるな~




