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プロット 南伊勢侵攻(Ver.1.1)

伊勢神宮式年遷宮のニュースを思いだし。

ウィキペで調べると時期のタイミングよかったので、ネタにしました。


南伊勢侵攻

 武将たちに作業を中止させ、兵の動員準備を命ずる。

 伊勢神宮の式年遷宮は、国家的事業であり、

 それをまかせられたので、必ず成功させ、

 織田の名を天下に轟かしてやる。


 安全に滞りなく工事を行うためにも、

 いち早く南伊勢を併合する必要がある。

 資材の確保と併せて、侵攻の準備を行うこととなる。

 まずは、森、柴田、稲葉に美濃の檜を伐採し集めるよう命ずる。

 次に兵糧の備蓄を確認し、最大動員の計画書を作成させる。

 兵站及び資材の管理・準備を丹羽と猿に任す。

 そして、木曽三川の水運を使って、

 尾張津島と北伊勢桑名城に集めさせる。


 100年ぶりの式年遷宮である。

 国家の祭事であるので、間違いは許されない。

 山科に朝廷にある記録の提供と知識者の派遣を頼む。

 そして、畿内いる宮大工を最大限集めていただく。

 (熱田神社に参加し残った、宮大工も集める。)

 保険として、山科を朝廷側の監督役を引き受けさせる。


 尾張清州城に移動し、秀孝、九鬼、佐治、佐久間を呼び出し、

 尾張衆の準備をさせるとともに、策を打ち合わせる。

 尾張水軍の大将は秀孝とし、九鬼に補佐を命じる。

 佐治には兵站の管理を命ず。

 佐久間の軍は揚陸部隊である。

 

 南伊勢の民衆には、北畠具教が式年遷宮の邪魔をしてるよう

 噂を流し扇動する。

 

 檜の確保が完了次第、筏に組み木曽三川に流し、

 伊勢桑名城に陸揚げして集積し、乾燥させる。

 

 併せて、馬廻と美濃衆に北伊勢に参集するよう命じる。

 織田家の最大動員数と派兵能力を試すこととなる。

 美濃の留守居役は、信行とマムシと佐藤利治、

 尾張は、信広と水野に命ずる。

 

 馬廻と美濃衆が続々と北伊勢に参集する。

 武将たちは、期日通り集まったが

 兵数が足らない軍がいた。

 評定を行い、総大将を信長、副将を信包とし、

 信長直属の馬廻りと美濃衆が主戦力となる。

 別働軍は、滝川一益を大将とし北伊勢衆に任す。


 朝敵 北畠具教を討つと宣伝しながら侵攻を開始する。

 南伊勢の国人衆・土豪は北畠家は参集に応じる者少なく、

 先端が開かないうちに、

 北畠一族の木造家・長野工藤家が離反し降伏する。

 国人衆・土豪は次々と開城に応じていく。

 

 各城に兵を入れ、補給線を確保しながら侵攻する。

 北畠の出方を伺うが、徹底抗戦する構えだ。

 だが、兵が集まらないため野戦を仕掛けてこず、

 籠城するようだ。


 こちらに注目している間に、

 織田、九鬼、佐治水軍が、志摩及び伊勢海岸側に奇襲をかける。

 国人衆、土豪は調略済みのもの多し、

 特に伊勢商人は積極的に協力を申し出てくる。

 港を次々に確保する。

 佐久間軍が上陸し、調略に応じなかった城・砦に攻め寄せるが、

 応戦もせずに降伏してくるもの多し。


 志摩攻略は九鬼嘉隆にまかせる。

 志摩七党は北畠の後押しにより、

 九鬼の本拠地である田城攻め、嘉隆の兄を戦死させ、

 九鬼一族を志摩から追放した。

 そのため、徹底抗戦する者が多かったが、

 九鬼水軍の士気も高かった。

 

 志摩七党の一部は北畠の支援に出撃しており、

 その隙を狙っての奇襲である。

 揚陸部隊には、猿と小六の川並衆を入れており、

 種子島を多く持たせ、優位に進める。

 また、後方からは潜伏させていた伊賀衆に襲わせる。

 入り江が多く、手間がかかったようだが、

 田城・波切城をはじめとする城・砦を次々と攻略し、

 志摩を征服することに成功する。

 

 しかし、小浜景隆など一部の海賊衆は包囲の隙を見つけ

 足の速い小早船で突破し、どこかへ逃げ去っていった。

 多くの安宅船や関船を鹵獲できたことで、良しとしておく。

 志摩を九鬼に任せ、伊賀衆とともに、

 志摩に残った海賊衆を降伏させる。


 南伊勢侵攻軍は難なく、

 北畠家の居城である大河内城を囲むことができた。

 途中で抵抗する城もあったが、

 兵数に余裕があり、力攻めにせずに囲み、

 木造や長野工藤に説得させている。

 

 城を完全に囲み、北畠は降伏の使者を出すも応じない。

 包囲に必要な兵を残して、兵糧攻めにすることとし、

 伊勢神宮に向かう。

 

 伊勢外宮の神官たちと打ち合わせし、

 宮大工を呼び寄せ、建築を開始する。

 

 包囲から外れた武将・兵たちに

 桑名城にある資材を運ばせる。

 100年ぶりの遷宮であるので、

 必ず資料確認し、慎重に調査しながら建築する。

 さらには記録を残すよう絵師も連れてきた。


 資材の搬入が終わったら、

 いつものとおり、降伏した農民兵を解放し、

 降服した北畠一族・家臣や国人衆・土豪に忠誠を誓わせ、

 城の包囲に参加させる。

 

 森、佐久間、柴田、稲葉らを尾張・美濃に戻し、

 馬廻りたちには、水源の調査、検地の実施、

 治安の確保を命ずる。

 この地は、信包・秀孝にまかせることになるので、

 二人を総責任者に任ずる。 


その間、他の地域では

 近江

  六角が家臣に追い出され、日野城に逃げ込んだ。

  浅井はそのまま軍を進め観音寺城を囲もうしている。

  日野城蒲生から停戦の仲介を頼まれる。

  

  長政に連絡をとり、

  これまで切り取った土地を浅井領として

  確定させることを条件として、戦を調停する。

  浅井軍には、観音寺城を落とすまでの用意がなかったこともあり。

  また、このまま六角と家臣と揉めさせておいたほうが

  調略に応ずる者が出てくるはずと長政を説得する。

  停戦となり蒲生が説得し、観音寺城に六角が戻る。

  

  蒲生が嫡男を人質に差出してきた。

  浅井と同盟しているので、六角との同盟に応じられないと断るが、

  これは蒲生家が信長に逆らわないことを約するためであると

  説明され応じることとする。

  

  なかなかいい面構えをしている。

  あっということで、のちの蒲生氏郷であることに気付く、

  美濃に送り、子たちと一緒に育てることとなる。


 飛騨

  道路普請を開始するが、美濃衆が戦に行ってるので、

  人夫がたりず進まない。

  鉱山開発と木材加工場は動き出している。 

 

 三河

  あいもかわらず、コントを続けている。

  一揆衆は本山の指示に従わないようだ。

 

 軍神様

  武田と北条が組んで上野に侵攻する。

  軍神様は冷静に動き、上野に援軍に行く。

  厩橋城で武田・北条の軍に対する。

  その間に、村上に北信濃海津城を襲わせ

  武田西上野侵攻軍の退路を塞ぐように動く。

  動揺した武田軍が撤退しようとするのに併せて、

  軍神様は追い討ちを掛け、武田軍に大打撃を与える。

  武田の撤退に合わせて北条も撤退する。

  武田は被害を出すも撤退を成功させる。

  海津城などの武田の城を落とすことはかなわなかったが、

  村上は川中島の大部分を取り返した。

今のところ、織田は5年くらい早まっていますが、軍神様とこ以外はおおきな歴史変化はなく進んでいます。

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